07 悪夢 4
「そうか……。話したくないなら話さなくとも良い」
少年がほっとした顔を見せた直後、老人はまた口を開いた。
「エスメラルダス家の方を呼んであげよう。屋敷に帰れるぞ」
その言葉に少年は絶望の色を濃くした。それを見て、老人は戸惑ったように優しい作り笑顔を見せた。
「どうしたんだ、帰れるんだぞ?」
少年は手を握りしめ、首を勢いよく横に振った。老人は少し考えた。
「なら、話してみなさい。何があったのか」
青ざめた顔で少年は迷っていた。だが、決心してこれまでのいきさつをぽつりぽつりと喋った。
「そうか……公爵位継承の争いで……」
少年の目は涙に溢れ、大粒のものがぱたっと落ちた。
「お願いです、どうかこのまま何もなさらないでください。危ういところをお救い頂いたことには感謝しますが、生きていると知られると、また狙われるでしょう。ご迷惑だけはおかけしたくありません」
「と言うと、どうする気だね」
辛そうに眉を寄せたが、少年は老人の目をまっすぐ見つめた。
「ここを去ります。どこか遠くへ行きます」
その時、部屋の扉が開いた。そして、金髪の、少年よりはほんの少し年下の少女が入ってきた。
「お祖父さま。あら、お目覚めになったの?」
リアンだ。少年は自分の心臓が大きく打つのを感じた。
本来なら許嫁として彼女の目の前に立つはずだった。だが、それももう叶わない。
前に一度肖像画を見たことがあるが、本物はそれよりも可憐で愛らしかった。
「ねえ、一体どうなさったの?あなたはだあれ?貴族みたいだけど……あ、お加減は大丈夫?」
老人はくすっと笑った。
「リアン、そんなに一度に質問をしては困っていらっしゃるではないか」
「だって……とても綺麗なお髪をお持ちなんですもの。私、仲良くなりたいわ」
少年は驚いて彼女を見た。
こんなにも忌み嫌われる色を持ち、そのせいで殺されかけたというのに、目の前にいる少女はそれを綺麗だと言う。今までこの髪を綺麗だと言う者はいなかった。使用人ですら、父ですら髪の色には極力触れないようにしていたのに。
「ねえ、お戻りになるの?」
少女は老人ではなく、少年に訊ねた。老人が答えなさい、と促す。どうしていいか分からず、少年は小さな声で喋った。
「……はい。これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいかないので」
「そう……」
少女は一旦下を向いた。
「どちらにお帰りになるの?そう、お名前は?これを聞いておけば、またお会いできるわ!」
少年は戸惑った。ここでエスメラルダスの名を出すわけにはいかない。
すると、老人が口を挟んだ。
「名はセロ=オランだ」
少年は驚いた。老人は彼を無視して続けた。
「さあリアン、もう出ていなさい。さっき目が覚めたばかりなんだから」
名残惜しそうに、少女はすごすごと退出した。老人は少年に向き直った。
「すまないね。あれが孫娘のリアンだ。君を最初に見つけたんだよ」
そして、どうかね、と言った。
「どこに行くあてもないんだろう。ここにいないか」
「でも……」
「ただし、貴族としてというわけにはいかない。そんなことをすれば、簡単にエスメラルダス家に知られてしまう。身分も名も全て捨ててこの屋敷に仕えるというなら、ここに置こう。なに、黒髪を神の子と信じて側に置こうとする貴族は珍しくない」
少年は険しい表情をした。しかし、すぐに老人に向き直った。
「では、どうかお願いです。私はセロ=オランになりましょう。この屋敷でお仕えいたします」
とりあえず居場所があることと―――何より、リアンにこの一生を捧げようと決心した。本来なら隣で見守るはずだったが、こうして彼女は命を救ってくれた。不吉と言われた黒髪を綺麗だと言ってくれた。もはや望むものはない。一歩下がったところであの笑顔を見守ろう。
それは揺るぎない決心だった。
老人は少年の目を見ると、よし、と言う風に大きく頷いた。
思い出して、セロは少しだけ涙ぐんだ。ふと窓の外に目をやると、うっすらと明るい。もう少し寝ていても大丈夫だが、目が冴えてきた。諦めてベッドから抜け出す。
隣でハウアーが寝返りをうった。
思えばここにいる多くの人に救われてきた。ハウアーはセロをまるで子どものように可愛がり、たくさんのことを教えてくれた。ここには不吉の黒髪と言う人はいなかった。
音を立てないよう、セロは静かにバルコニーに出た。東の空がだんだんと黄色くなる。まだ日の出までには時間がかかるだろう。
少し冷たい湿った風をいっぱいに吸い込み、一つ大きな伸びをした。