04 悪夢
雨が降っている。静かに、そして堂々と建っている石造りの屋敷は、悲しみに溢れていた。ここの主人が亡くなったのだ。
「次の当主様は、まだお若うございますが、アレン様でよろしいですな、奥様」
白髪頭の執事が、咽び泣く喪服姿の女性に声をかけた。その傍には、八、九歳ほどの黒髪の少年と、五、六歳の金髪の少年がいた。二人共この屋敷の者だ。しかし二人は、父が亡くなったというのに随分落ち着いていた。手を握り合うこともせず、少しの間を空けてただ立ち尽くしている。唯一違ったのは、金髪の子どもの方は涙ぐんでいたことだ。
「駄目です!」
突然、女性が声を張り上げた。執事は咳払いをして話を続けた。
「しかし、旦那様もおっしゃっていたことですし……何より、レイモン様はまだアレン様よりも幼くていらっしゃいますし……」
要するに、この屋敷の次の当主は、アレンという名の黒髪の少年に譲るべきだと言いたいらしい。
「駄目よ。こんなどこの馬の骨とも知れぬ女の子どもが公爵家の跡取りだなんて、恥ずかしくてとても外を歩けませんわ。次の当主は正妻である私の子、レイモンに決まっています」
金髪の子どもが目を輝かせて母を見た。
「本当?お母さま」
「ええ、レイモン。あなたこそエスメラルダス家当主の座に相応しいのです。誰もが認める事実なのですよ」
黒髪の少年は立ち尽くした。
「でしたら、私は一体どうすれば良いのですか、義母上」
その瞬間、強烈な平手打ちが飛んだ。黒髪の少年はバランスを崩して転んだ。
「私を母と呼ばないでと言ったでしょう!穢らわしい!!」
叩かれた方の頬を押さえ、黒髪の少年は義母を見た。
義母の表情は醜く歪み、少年は一種の軽蔑さえ覚えた。
なぜ父上はこんな人を後妻に選んだのだろう。たしかに美しい人ではあるけれど、もとの家は伯爵家。美しく、もっと身分も教養も高い娘なら、他にいくらでもいただろうに。反対に、あまり覚えてはいないが、母は穏やかで可愛らしい公爵家の娘だったという。
「出てお行き!」
女性が叫んだ。
「……え?」
「物分かりの悪い子ね……今日中にこの屋敷を出て行きなさい!」
金髪の子どもが驚いた顔で母を見つめる。
「お母さま、なにもそこまでなさらなくとも……僕は、義兄上と一緒にこのエスメラルダス家を……」
「甘いわ、レイモン」
女性が猫なで声で話しかけた。
「アレンはあなたが邪魔なのよ」
えっ、と二人の少年が同時に声をあげた。女性はそれに構わず続ける。
「アレンはこの家が欲しいのよ。だから邪魔なあなたと私を追い落とそうとするのよ」
金髪の子どもが黒髪の少年を振り返る。
「そんな……」
「違う、レイモン!私はそんなこと―――」
黒髪の少年は必死で弁解しようとした。だが、訳の分からない焦りが言葉を遮る。
「いいからさっさと出て行きなさい!ここにあなたの居場所は無いのよ!」
瞳を潤ませながら、黒髪の少年はその場を駆け去った。
「奥様、あんまりでございます!」
執事が口を挟むと、女性は睨み付けた。
「お黙り、一介の執事の分際で!……いいこと、あの子は庶子よ。前妻のブランカ様との間の子ではないわ、そういうことにしておきなさい。レイモンこそ正統な継承者よ」
部屋に戻り、黒髪の少年は上着と僅かな金だけを持って、静かに部屋の扉を開けた。
危うく声を出すところだった。扉の前に、執事と女中が何人か立っていたのだ。
「アレン様、私どもはレイモン様を跡継ぎとしては認められません。エスメラルダス公爵家とシルダリア公爵家の血を引くあなたこそ、正統な継承者です」
黒髪の少年は目を伏せた。まだ十にもなっていない子どものする表情ではない。
「駄目だ」
「なぜです!」
使用人達は驚いた。
だが少年はその先は言わなかった。
自分がこの家を継ぐということは、すなわちまだ六つのレイモンとその母とをこの屋敷から追い出さねば収まらないことだ。少年は継母を憎みこそしても、半分しか血の繋がらない弟は憎めなかった。なぜなら、弟は何も悪くないからだ。
二人を追い出したところで、結局自分は一人になることに変わりはない。なら、自分が消えればいいことだ。弟は当主となり、義母もここで暮らす。使用人達もまた、ここで仕える。一番いいやり方だ。
「誰も追って来ては駄目だよ。きっと義母上は私を殺そうとする。一緒にいては危ないから。……大丈夫、私は運が強いからきっと生きているよ。また会おう、その時まではレイモンを私だと思って仕えていて」
「アレン様……」
黒髪の少年は自分の言葉に胸を締め付けられるように感じた。必死で堪えていると、再び視界がぼやけ、頭が熱くなった。
それだけ言うと、黒髪の少年は涙ぐむ使用人を残し、たった一人で家を出た。初めて一人で外に出た。門のところで一度立ち止まり、辛そうな目で家を振り返った。しかし、その後は振り返ることなく、雨のなか、暗い道を駆けていった。