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16 雨の夜 2

 馬車の音がしなくなってから、セロは薄目を開けた。頬を雨が濡らす。雨に涙が混じり、なんとも言えない生温かいものが頬を伝った。

 ふと見れば、目の前で胡蝶蘭が雨に打たれていた。きっと倒れたはずみにポケットから落ちてしまったのだろう。花弁は冷たさの中元気なくうつむいていた。


「リ……アン……」


 呟きは雨音に負けた。かすれ声を自分で情けなく思った。

 せめて濡れないように、と隠すように手で胡蝶蘭を覆った。すると、白い花弁は見る間に赤く染まった。降り注ぐ雨がその紅を洗い流す。

 だめだ……俺では、汚してしまう。綺麗な花を守ることすら、今の俺には許されない。

 今一度少し体を動かした時、腹部を中心として痛みの波が広がった。思わず声が洩れる。息を止めて堪えると、徐々に痛みが小さくなる。雨が冷たく、むしろ心地よい。

 俺は、狂ったんだろうか?

 目の前には無限の闇が広がっている。


 どうしてこんなことになってしまったんだろう?幼い頃から父に何事にも秀でよと言われ、ただエスメラルダス家を守ることを喜びとしていた。そのための努力は、全て水の泡になってしまった。たった一日で。

 こんなにもリアンを思い続けてきたのも、たった一瞬で消え失せる。きっとコンラートは言わないでおいてくれるだろう。だからリアンが知るはずがない。この気持ちは永遠に届かない……。

 死んだって同じことだ。クレルモン家には暇をもらって来たのだし、誰も俺がいなくなって気づく者はいないだろう。いつかの流れ星のごとく……。

 ……ごめん、ハウアー。約束、守れないな。


 頭に浮かぶ姿は、胡蝶蘭の好きなあの人ばかり。心底愛しく、出来ればこの手で守りたかった。出来ることならこの手で幸せにしてやりたかった。隣で笑ってほしかった。堂々と愛し、愛されたかった……!


 何がいけなかったんだろう―――。


 答えのない疑問を考えるのに疲れた。

 今更後悔や嫉妬の記憶が汚いまでに押し寄せる。だが、もう苦しみを感じない。

 そう、流れ星のごとく消えることが出来たらればいいのに。消え失せるとしても、たった一つだけ願いを叶えられる。


 そっと胡蝶蘭を引き寄せ、セロは花を口許に寄せた。白が紅に染まったが、今度は構わなかった。


 もしもう一度会うことが出来るならば、どうするだろう?全てを振り切ってこの想いを伝えるか?それともやはり、お嬢様と声をかけるか?

 いずれにしろ、今の願いはただ一つ。


「お嬢様……どうか、お幸せに……」


 声にならない声で呟き、セロは静かに目を閉じた。暗闇から雨がまるで涙のように降り注ぐ。

 突然、今までしがみついていた鈍い痛みが快感に変わった。同時に、思い描いたリアンが笑顔になる。快感はすぐに消え、今は痛みも快感も雨の冷たさも感じない。しかし、彼女の微笑みは変わらなかった。


 ああ、これでいい。これでいいんだ。


 薄目を開けて胡蝶蘭を見る。なんだか笑っている気がする。きっと、あの人も笑っている。あの人の幸せが自分の幸せだった。だからだろうか?今、不思議なくらいこんなにも心が弾むのは。こんなにも嬉しいのは。


 彼は再び目を閉じた。そして、彼が再び目を開けることはなかった。

 雨がいっそう激しく音を立てた。


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