第一章
「ミケーレ」
お父様が今日も義兄様の名前を呼ぶ。
「ミケーレ」
お母様も、義兄様の名前を呼ぶ。ミケーレ、ミケーレって、まるでもう語尾がミケーレ。
あ、それはそれで面白いものかもしれない。……いいえ、面白くないか
とりあえず、この家では、もはや誰も私の名など呼ぶものなどは居ない。……彼を除いては
「お嬢様」
ノックの音が響いたが、私には聞こえていない
部屋で鏡の向こうの無表情な少女の顔を、かれこれ一時間は見つめていたけど、彼女はニコリとも微笑まない。それはそうだ、向こう側に居る少女は私なのだから。しみじみ思う、無愛想だと
「おはようございます、お嬢様」
内側にまとまろうとする髪の毛も、光に反射するブロンドも、こうしてみると小顔効果があって、中々よろしいのでは? と、思ったり。母親にも父親にも似なかったこの顔立ちは、お婆様の若かりしころそっくりだとか……綺麗だったとかいわれても、お婆様に似てると言われたら……正直微妙。
だって今はしわくちゃの目つきの悪いお婆様だもの
「マリアンジェラ」
そっと鏡の上に布を被せられて、初めて名前を呼ばれたことに気がついた。
「シーヴァー?」
硬そうな仮面で顔の上半分を隠した、カチッとした執事シーヴァー 。噂によれば王様がシーヴァー とメイドのインファをミケーレ義兄様をこの家の養子に出すときに、一緒にやってこさせたと聞いた。
「鏡ばかり見つめていては何も見えませんよ」
「見えた。つまらなくて何も無い少女が」
「マリアンジェラ」
二人きりのときだけ、シーヴァー は優しくて重い声で私の名を呼んでくれる。シーヴァー はパっと見は怖いけど、私はダイスキだ。彼が居れば、他は何もいらない。
そう思えるほど……
こんこん。
扉のノック音が聞こえた。返事をすると女官長を務めているインファだった。赤い髪を束ねたお団子はいつも膨らんでいる。
「お嬢様、奥様が御呼びですよ。あら? いたのシーヴァー 」
「いつものご挨拶だインファ、ではお嬢様私はコレで」
手の甲にキスを落とすと彼は早足に歩いていった。
うん、かっこいい。
「あら、私ったら忘れていたわ。失礼しましたお嬢様。おはようございます」
「おはよう」
挨拶を早々に済まし、立ち上がると、部屋を出て居間のほうへと移動した。
居間にはミケーレやお父様もお母様もいた。なにやら深刻そうな顔をしていつもの落ち着きが無かった。
一体何があったのだろう。
「おはようございます。お父様、義兄様、お母様……で? どうかしたの?」
「あぁ、今はアナタの言葉遣いを注意している暇は無いわ。よく聞きなさいマリー」
「?」
「ミケーレが、ウェザーミステルに奪われてしまうの」
「……。えぇ?!」
わざと驚いたように両手を挙げてみたら、目で怒られた。
はいはい、ゴメンナサイ
「でも、奪われてしまうってどうゆうこと?」
「アナタもご存知のとおり、ミケーレは王族の血を此方のも向こうのも継いでいるでしょう」
「そうね」
「ウェザーミステルの国王に子が無いため、ミケーレをよこせなんていいだしたのだ。全くなんて勝手な国なんだ」
「本当に!」
憤慨している両親ではなく、マリアンジェラはちらっと兄のほうを見た。いつものようにくらい表情で何かを考え込んでいる兄。そんな表情も王族の血を引いているだけあって綺麗な顔立ちで、他の貴族の女性の誰もが目をつけているのも頷ける。
「義兄様」
「あっ……あぁ、なにかな?」
ぼぅっとしていたらしく、一瞬だけ焦ったように見えた。この人は昔から何かを必至に隠している。たまにいいたそうに口を動かすが、両親のマシンガントークに勝てずいつも下を向いていた。
(甘やかされすぎて引っ込み思案なのが兄の悪い所だと思うわ。正直どうでもいいけど)
「義兄様はどう思っているの?」
「ボクは、……ボクはそうだね。皆に任せるよ」
「……」
神経衰弱。そこでニコリと微笑む意味が分からないわ
「何か悩みでもあるのですか?」
「え? あ、あるわけ無いじゃないか! こんなに幸せな家庭世界中を探してもどこにもないよ? えーっと、両親もホントいつも元気で明るくて優しくて……ええっと妹の君も顔の表情変わらなくて素敵だしね!」
「……素敵な厭味ありがとうございます」
「えぇ!? あ! あのそうじゃなくって、いやあのあうあう」
付き合っていられない。無神経な兄に兄馬鹿の両親。召使ですら私に見向きもしない……わかってるわ、愛想のない少女よりかは、少々お馬鹿っぽい兄のほうがいいのでしょうよ。
……覚えておれよ
「はぁ」
わかってるなら、少しは笑えばいいのに。
あれから部屋に帰り、鏡の前で変顔をしてみる、……うわー不細工ー……あーでもこうしてみたら……おぉ、誰? コレはなんだろう馬鹿っぽい
「……お嬢様?」
「はっ!」
見られた。
「お部屋の扉が開けっ放しでしたので……すみません」
「笑いたければ笑えばいいと思うわインファ。私も自分で酷い顔だと思ったから」
そう言えば、笑いはしなかったけれどね。うん、許可したらインファは倒れこんだ。よほど面白かったらしい。涙目になって声も出ないほど大笑いをしていた。……許可したの私だけど、ちょっと失礼じゃない?
「はーはーはー」
息もできないほど笑ったのか
「こほん、お嬢様お隣よろしいですか?」
「どうぞ」
鏡に布をかけて横を向けば同じく椅子に座ったインファがにこりと微笑んだ。
「お嬢様はもう少し表情を柔らかくすれば、宮中に住んでいるどんな娘よりも、失礼なことを言うならお姫様方よりも美しいのですから、もう少し素直になってはいかが?」
王族の姫様を直で会ったことも見たこともないけれど、インファは昔王宮で働いていたことも、たまに王宮に上がっているという噂も聞いたことがある。私を慰めるための嘘でなければ本当かもしれない。
「私は綺麗でも、綺麗でなくとも、どちらでもいい」
「お嬢様、それはシーヴァー のためですか?」
顔が真っ赤になっていくのがすぐに分かった。
「なんで?」
インファは優しく微笑んだ。
「たまに、私でさえあまり見ることのない笑みを、シーヴァー の前で浮かべているのを何度か見かけたことがありましたから」
「あれは、シーヴァー が笑わせてくるから……」
「お嬢様はどんな人が来ても笑わなかったじゃないですか。楽芸団も吟遊詩人の話も旦那様のギャグも」
「だって面白くないんだもん、特に最後の」
お父様はユーモアが無いとおもう。だってオカンに悪寒がはしったとか言ってお婆様に本気で殴られてたもの。あぁ、殴られるのを見たのは少し面白かったかも? あの時は本気で空気固まったから分からなかったけれど。
「お嬢様、もしお嬢様がシーヴァーが好きだというのなら諦めてくださいませ」
「……」
「シーヴァーも恐らく望んでいませんし、私も望みません」
「……」
「それに、もしミケーレ様が隣国に移動なさるとしたら、私達もお供しなければなりませんし……そうなったらお別れですわ」
「うぶぅ」
「?」
我慢してたけど、涙が目から溢れでそうになった。
「うぅぅぅー!!」
口を押さえて立ち上がると部屋を飛び出した。
「おっと、……お嬢様?」
「ぞば!……うぅうぅぶふぅ……! うぅううぅうう~~!!」
声を出したから余計感情の制御ができなくなった、逃げ出すように私は屋敷の外へと飛んでいった。
「……ぞば?」
「丁度良かった、シーヴァー ! お嬢様見なかった?」
「口を押さえて泣きそうな顔で走っていったぞ。インファ」
「……お嬢様なら平気な顔で『そう』って言っておしまいかと思ったわ」
「インファ」
シーヴァー はインファの肩に手を置いた。
「お嬢様はものすごく泣き虫だぞ」
「え」
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○○
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「うぅうぅ~~~ひぶぅぅうう!」