『まだ好きでしょ?』と浮気した元カレからLINEが来たので、今カレとの写真を送り返したら三秒で既読になりました。
夜の十一時。
洗い物を終えたところでスマートフォンの通知。
手に取って、うっかり画面に触れてしまい、すぐに後悔した。開かなきゃ良かった。
画面に浮かんだバナーに記された名前が。
楓太。
元カレ。浮気したクズ。
それ以上のキャプションがない。
『久しぶり。元気にしてる?』
『実は最近、彼女とうまくいってなくてさ』
『茜のこと、たまに思い出すんだよね』
『まだ好きでしょ? 俺のこと』
四通。立て続けに届いたメッセージ。
それを見つめていた。
胸を突いた感情を、なんと言えばいいか。
好きな作家さんならどう表現するだろう。
怒りにあらず。
恋しさにあらず。
心さわぎですらなく。
あさましさとも、かなしさとも、言えぬ。
心もとなさには程遠い。
端的に言えば、呆れだった。
思い出したくもないのに、二年前の「あの日」の記憶が鮮明に蘇ってきた。
楓太の二股を知って、絶望の渦にいた夜のこと。
パニックと孤独に耐えきれなくなったから、震える指で、助けを求めた。
LINEを送った相手は悠。幼馴染で、告白されたけど、振ってからは、疎遠になった。
悠は良い人。
けれど純朴すぎて、少し重いと感じてしまい、友だちとしてならいいけど、付き合うのは無理っていうのが振った理由。
そんな相手に、傷ついた最低な甘え方をした。自分勝手で、惨めで、都合のいいメッセージ。
『今から会える?……まだ、好き?』
送信ボタンを押した直後だった。画面の文字が、一瞬で『既読』に変わった。
『会おう、行くから』
間髪を入れずに届いた短い返信。
それから本当に、十分も経たないうちに部屋のインターホンが鳴った。タクシーで駆けつけてくれたらしい。
「なんで……こんなに早いの?」
困惑する。悠くんは少し照れくさそうに、言った。
「俺が返事送ったら、三秒で既読になったから。ああ、これはマジでやばそうって思って」
どれだけ追い詰められて、必死にスマホを握りしめて見つめていたか。全部お見通し。
惨めさと恥ずかしさ。
そして何より彼の必死さが嬉しくて、やっぱり大事にしてくれるのって、嬉しいって思った。
悠の胸に飛び込んだ。そのまま部屋の中に運ばれても、ずっと泣いていた。
――あの夜を救ってくれたのは、"重い"と突っぱねてしまった、彼の真直ぐな気持ち。
楓太には、すぐに別れるってメッセージを送った。けど、既読にならない、返事もない。
どういうつもりなのか、まったくわからずモヤモヤとした。
悠とは、それからまた会うようになった。
悠は週末ごとに連れ出してくれた。
モヤモヤが消えたころ、いつの間にか、付き合おっか、って。
好んで読む小説では、愛によって綺麗に救われる主人公はいない。
黒に灰を塗り重ねていくような、消しきれない罪悪感で汚れていく。
差し出された彼の真っ白な手に、素直に自分の汚れた手を重ねられない。
もし。万が一。楓太が来て、悪かったと言いながら、抱きすくめられたら。
絆されてしまうかもしれない、自分が嫌い。
そんな自分を好きだという、悠がキライになってしまう。
それでも、千切れそうになりながら、ゆっくりと小説の頁をめくるように、月日が流れた。
先月――。悠から、プロポーズされた。
今、スマートフォンのホーム画面には、悠の誕生日にレストランで撮った写真。
照れくさそうに、自分の物だと主張するように、肩に手を回す悠。
寄り添う自分の表情に、もう影は見えないと思いたい。
『まだ好きでしょ?』
笑ってしまうくらい、都合のいい言葉だと思った。
かつて、どん底にいた自分が悠に向けたのと同じ、身勝手な言葉。
ようやく、消しきれない罪悪感という汚れを、拭い去るとき。そう感じた。
写真を選択し、一言だけ添えて送信した。
『来月、入籍します』
送信ボタンを押して、画面を見つめる。
既読
——三秒だった。
二年前、絶望の中で悠からの返信を待っていたときと同じ三秒。
(やっぱ期待しちゃうよね、いい返事が来ることを)
思わず、くすっと笑いがこぼれた。
一緒に夕ご飯を食べているとき、向かいに座る悠にふと思い立って尋ねてみた。
「ねえ、悠くん。二年前さ、わたしが『まだ好き?』ってLINEしたとき、どう思ったの?」
悠は、どこか可笑しそうに見た。
「急にどうしたの?……あ、昨日、楓太に写真送ったんだろ?」
「え、どうして知ってるの?」
ドキッとした。
もう気持ちなんかないのに、まるで、未練を咎められたみたい。
悠は困ったように眉を下げて笑った。
「知り合いから、急にお祝いメッセージが届いたから。俺たちのこと、まだ誰にも言ってないのに」
悠に、お願いしたことだった。二人のこと、家族以外には誰にもいわないでって。
もし楓太に伝わった時に、邪魔されそうで嫌だったから。
でも、あいつからの LINE を見て、つい送ってしまったのだけど。後悔はしてない。
「ごめん。私からお願いしたのに」
「ううん、それはいいんだ。――聞いた話じゃ、あいつ、グループ LINE で暴れてたらしい」
悠が、楓太の話をすることに、もっと、動揺するのかと思ってたけど。
もう終わったことだったみたい。
「へえ。どんな風に?」
「んー、『好きな女に入籍するって写真送られてフラれた』って。まだ別れたつもりは無いみたいなことも言ってるみたい」
どろどろと汚されて、洗っても落ちない"ぬめり"のように、こびりついていたものが。
いつしか悠という輝きによって、かぴかぴに乾き、息を吹きかければ飛んでいく埃になっていた。
そんな汚れだった。
急に、どうしようもなく小さく、くだらないものに思えてくる。
「――で、質問の答えだけど」
悠はまっすぐに見つめながら、心をのぞき込むように、告げる。
「茜からメッセージが来たとき、まだ好き?って聞かれたとき、素直に思ったことを言うよ?」
「……うん」
「ずっと好き」
以前の自分なら、その言葉は矢のように胸を射貫き、痛みを伴っていた。
真っ白で、愚直な悠の感情。
汚れた手を背中に隠したままでは、受け止めることも出来ないと、眩しさに目を背け、傷ついていた。
けれど、今は違う。
その熱を、逃げずに、怯えずに、ただ温かいものとして身体いっぱいに受け止めることができる。
悠が惜しみなく注ぎ続けてくれた愛によって、いつの間にか彼と同じ色に染まっていたのだと、今ならわかる。
もう、どこにも嘘はない。
「わたしも」




