◇序
神官達は愚直にも祈祷をくりかえし、救ってくれと言っては神にひれ伏し。
ああなんて。なんて愚かしいの。
そんなことをするしか能のない者達の呼ばいに、まともな救世主が現れると思うならそれは間違いだ。
「ティア」
「なんだ」
ぎしぎし体を軋ませティアーリエは背をのばし、顔を横にむけた。
そこには両手を後ろに縛られ、だるそうに背をまるめた男がいる。彼はこう見えて戦士である。そして、刑を、待っている。
そんな者達がティアーリエをふくめてここには十人程ころがされていた。石牢の床が尻に冷たい。
「俺たち終わりだねぇ」
「ふん。甘ったれて平和ボケするくらいなら死んだ方がマシだ」
「この戦争ボケが」
「わたしと同類のくせになにを言う」
「はは、ちがいない」
男は、きししと笑う。笑うとたれ目がちなその目がさらに垂れ、顔の垂れたブヨブヨの犬にみえなくもない・・・。醜くはなく愛嬌のある顔だ。短く刈られた金髪はきれいだがいつもいつも塵と誇りで薄汚れている。・・・きたない犬だ。まつわりついてくるこいつの性格も考えたら犬にしかみえん。
ティアーリエはそう思ったが、きくところによると彼は彼で国の娘達が頬を染めて噂する優男の顔面を持つらしい。頭の湧いた同年代の少女達の目はおかしい。これはペットにできても男にはならない・・・。結婚の意思のないティアーリエはふとそう思って苦笑した。
「ねえティア。今なんか失礼なこと考えたでしょう」
少女達によるとそのきれいな顔がぐにゃっと歪みしかめっつらをつくる。
「別に?」
軍神と名高いアルメット・ティアーリエ。
齢17にして戦場を駆ける。
物心つくころから一族ともに愚王とよばれる男につき、ただ、人を切るばかりの毎日。
ひとたび戦場に出れば、その姿はただ血をもとめる悪鬼のようで、遠い神話の彼方の悪魔を思い出させる。
しかし国にもどった穏やかな表情のその姿は、無表情ではあったがすばらしく整い、血に汚れても尚うつくしく、銀の髪は太陽にきらめき、肢体はひきしまっていた。人々は、彼女を神話の登場人物に重ね合わせ、憧れと尊敬の目でみていた。
戦争が終わる、その日、までは。
アルメット・ティアーリエや他、戦で活躍した英雄達は戦争の終結した世界にもはや害でしかないと愚王でも判断できたらしく、王の奸計に彼女らは投獄され残首の刑をいいわたされた。
同情の声もすこしはあったが、ひとたび罪人となればはなしは別で、戦時はあれほど讃え上げていた人物でも、民衆はおかしなほど潔く手のひらをかえし殺せ殺せとわめき上げた。
ティアーリエは、国にたいして忠誠心や愛情なんてもちあわせてはいなかった。
戦場でたびたびみかけたかつての英雄たちはどうだったか知らないが、その英雄とのきを連ねるティアーリエではあったが、彼女はそうではなかった。
ただ、戦場でかぶる血のみが至高であり、剣をふるうときの猛る体こそが最上だった。
いわゆる、戦場でしか生きられない人種というやつだ。
となりに座るこの男も、わたしと同種だ。
一度戦場で不本意ながら背を預けたことがきっかけで、なんとなくつるむようになった。
自分が敵兵に遅れをとったことが許せず、ティアーリエとしてははやく忘れたいことだったのだが、いかんせん彼のほうが忘れてくれない。殴っても殴っても忘れてくれない。溺れさせても罠に落としても彼の脳は記憶の消去を拒否したのだった。もうあきらめて、すりよってくる分は許している。こんなやつでも話し相手にはなるのだ。
処刑人が、罪状と名を読み上げる。ひとり、ひとりと立っていき、段のうえのギロチンに首を垂れていく。
その様子を、ぼうっと眺めていた。
「ラグ」
隣の、間違っても口にはださないが唯一の友、と呼べる男の名を呼んだ。
「ん?」
周りは公開処刑を見に集まる民衆達でごった返していたが、不思議と処刑執行人の声は明瞭に聞こえ、となりのラグの衣擦れさえ、きこえる様な気がした。ここはなんて真っ白であじけないんだ。目の先の、ギロチンだけが赤い血を吐いている。
「お前なんでつかまった?」
「えー?」
にへっとその顔が緩む。眦をほんのり紅くするそれはティアーリエをいらつかせ、心なしか、いや。多分に不快感を感じる。
「わたしはともかく、お前はあのおやじにつかまらず国外にでもどこへでも逃げられただろう」
ティアーリエは、高いところから満足そうにこちらを眺め見る肥えた華美な豚のような男をちらりと見てから
自分の下半身に目を向ける。
片足がなかった。
敵方に、老成したまれに見る強さの兵がいた。それに加えティアーリエは味方からはなされ取り囲まれていた。
膝から下をばっさり切り取られ、乱暴に包帯されたそこは膿んでじくじくと痛みを訴える。とても清潔と言えない布で手当された患部は日に日に悪化しそのうち腐っていくだろう。どのみちティアーリエはここで死ぬ。あまり気にしてはいなかったのだが。
「ここにきてそれを言わせるわけ?俺はティアと永遠に一緒って、誓ったでしょ」
「・・・あれは本気だったのか」
ふと、いつか目の前の男に廃材でつくられた即席の指輪を渡されたことがあったのを思い出した。
「アイの告白だったのに〜」
「気持ち悪いわ」
ティアーリエの名前が呼ばれ、立ち上がる。
「本気なんだけどな、もう」
青年は、ラグは、拗ねた様な声をだす。もちろんフリだ。本気ではないのはわかっている。
ふざけてる、と思う。なんて緊張感がないんだ。それはわたしもだったけれど。
死ぬまぎわにニマニマするな。それは、わたしもだったけれど。こちらを見た愚王の憤怒の顔が可笑しい。何か叫んでいるが大衆の声にかきけされてきこえはしない。さいごに見るのがあれじゃあ嫌だな。ティアーリエは、曇天の空を仰いだ。ゴロゴロと竜の移動する音がする。雨が、ふりそうだ。歩き出した。
そういえば、彼は、わたしの胸に唯一の友人の贈り物が守られているのを知っているのか知らないのか。
だけどティアーリエは振り返らない。
「来世であってもはなしかけるな」
「来世であってもまとわりついてやる」
別れのことばはそんなものだった。