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追放された公爵令嬢は、冷徹な使用人として王国を掃除するーー婚約破棄されても構いません。完璧に聖女とあなたの元を立ち去りますから。

作者: 天音 楓
掲載日:2026/01/30

王立学園の卒業パーティー。


シャンデリアの光が降り注ぐダンスホールで、音楽が唐突に止まる。


その中心で、第一王子エドワードが、私の隣国から招かれた聖女の肩を抱き寄せ、冷ややかな声を響かせた。


「エレナ・エル・ベルシュタイン。貴様との婚約を破棄する」



周囲の貴族は、嘲笑、好奇の視線をみせた。


「不貞? どっちでもいいが、これでベルシュタイン家との商談が白紙か。面倒なことだ」

「おい、ダンスの再開はまだか? 楽団に金を払っているんだぞ」


『不貞』。


私は思わず、自分の一日の行動を頭の中で反芻はんすうした。


朝は五時起床。

エドワード様の執務室の書類整理。

午前は聖女の茶会の準備。

午後は王宮の会計監査。

夕方からこのパーティーの準備。


どこに余白があるのだろうか。


「左様でございますか。……理由を伺っても?」


「貴様のその、血も涙もない冷酷な態度だ! 聖女を虐げ、家名の威光いこうを盾に周囲を威圧する」


「……ほう」


「そんな女は王妃に相応しくない。

 貴様は今日、この場で公爵令嬢の座を剥奪され、不貞の罪で身分剥奪とする!」


身に覚えのない罪状。けれど、私は動揺しなかった。


「虐げた、とおっしゃるのは、彼女が公金で贅沢三昧をしていたのを指摘したことでしょうか。それとも、王家の宝物庫の鍵を紛失した際、私が代わりに奔走したことでしょうか」


「黙れ! 貴様のその弁舌べんぜつが、聖女の純粋な心を傷つけたのだ!」


聖女がわざとらしく肩を震わせる。

エドワード様はそれを守るように抱き寄せ、勝ち誇ったように笑った。


「安心しろ。貴様の代わりはいくらでもいる。公爵家も、貴様という汚れを切り捨てると言っている。

 おい、衛兵! この女を連れて行け。そのドレスも、その宝飾品も、すべて王家のものだ。今すぐ剥ぎ取れ!」


衛兵たちが近づき、私の首筋に冷たい刃のような視線が突き刺さる。


父である公爵は、ホールの隅で目を逸らし、母は扇で口元を隠しながら、まるで汚物を見るような目を私に向けている。


ああ、そうか。私はこの家でも、この国でも、ただの道具だったのだ。


役に立っている間は磨かれ、少しでも王子の自尊心を傷つければ、ゴミ箱へ捨てられる。


「剥ぎ取る必要はございません。すべて、ここに置いていきますわ」


私は自ら、首元の真珠のネックレスを外した。


糸が切れ、真珠が床に散らばる。


そして、公爵家の紋章が刻まれた指輪を抜き取り、エドワード様の足元へ放り投げた。


「指輪一つ、ご自分で拾えない王子様に、この国が背負えるとは思えませんが。

……さようなら、エドワード様。

あなたが欲しがった『無知で優しい楽園』を、どうぞ存分に楽しみください」


「貴様……! 最後まで不遜ふそんな……!」


怒号どごうを背に、私は衛兵に腕を掴まれ、ホールの外へと引きずられていった。


そして、背後で再び音楽が鳴り始める。まるで、最初から私が存在しなかったかのように。



のちに知ることになるが、私の葬儀は、生きている間に行われた。


そこまでやるかと思ったが、自己中で、完璧主義な性格と思うと頷ける。


「公爵令嬢エレナは、不貞の罪を恥じ、自ら命を絶った」


第一王子が放ったその嘘が、私の戸籍を焼き払った。


父と母も、家門に傷がつかなかったことに安堵し、私を家畜のように放つ。


名を奪われ、家を奪われ、すべてを失った。


そんな私を待っていたのは第二王子、アルフレート様の離宮りきゅうだった。


彼は病弱ゆえに政権争いからは距離を置き、野心も持たない隠居いんきょの身と聞き及んでいる。


死んだはずの道具を隠しておくには、これ以上なく都合の良い、静まり返った墓場のような場所だ。


私は名前を捨て、「リン」という名の一介の使用人になった。


その場でも、厄介はまだ続いた。


「お前のような細い腕で何ができる」


弱々しい体つきに、執事は冷たい言葉を吐く。


当然、元の身分など知る由もない。


私はひび割れた唇で微笑んだ。


「掃除も、洗濯も、死ぬこと以外なら何でも。生きてさえいれば、大抵のことは幸福だと思えますから」


泥にまみれた雑巾を拾い、公爵令嬢だった頃の誇りを捨てるのだった。



離宮での生活は、公爵家でのそれよりもずっと簡素で、そしてずっと静かだった。


執事は私を試すように、毛羽立った古びた雑巾と一欠片の安石鹸を投げ渡し、カビと埃が支配する北棟の管理を命じた。


「せいぜい、おがくずのように使い潰されるがいい」


その嘲笑を背に、私は迷わず雑巾を手に取った。


執事は知らないのだ。


私が公爵令嬢でありながら、第一王子の側では使用人以下の扱いを受けていたことを。


エドワード様は、私に愛を囁くいとまがあるなら、山積みの書類を整理しろと命じる人だった。


聖女がこぼしたワインを拭き、彼女が散らかした茶会の後片付けを「令嬢のたしなみ」という名目で押し付けられる毎日。


第一王子の「楽園」を維持するために、私は王宮の裏側で、誰の目にも留まらない雑用を完璧にこなす技術を、嫌というほど叩き込まれていたのだ。


だから、離宮の惨状を見ても溜息すら出なかった。


汚れの質を見極め、厨房から出る灰や柑橘の皮で洗剤を自作する。


白く濁っていた大理石の床は、数日で見違えるように磨き上げられ、窓から差し込む朝光を鏡のように跳ね返した。


「……何を、しているんだ、お前は」


数日後、通りがかった執事が絶句して立ち止まった。


私は掃除のついでに、ガタついていた家具の脚を調整し、隙間風の吹く窓枠に蜜蝋みつろうを塗り込んでいた。


かつて王宮で、エドワード様に「これくらいやって当然だ」と一蹴され続けてきた私の技術。


それは今、私自身がここで一分一秒でも快適に生き抜くための、執念の技術へと変わっていた。


「死ぬこと以外なら何でも、と申し上げたはずです」


私は乱れた後れ毛を拭いもせず、無機質に微笑んだ。


ひび割れた指先が熱を持ち、痣が疼く。


けれど、磨き上げた床に映る自分の顔は、かつての「便利な道具」だった頃よりも、ずっと鋭く、生気に満ちているように見えた。


有能であることは、私にとって生存そのものだ。


この離宮の誰もが、私の手際を薄気味悪がり、けれど同時に、その完璧な仕事ぶりに依存し始めているのを肌で感じた。


そうして、離宮の隅々が私の「支配下」に入り、最後に残ったのが、あの夜の回廊だった。



ある夜、月の光だけが差し込む長い廊下を、私は四つん這いになって拭いていた。


そこへ、一対の重い足音が近づいてくる。


「……こんな夜に、何をしている」


低く、けれど刃物のように鋭い声。


見上げれば、そこには冷徹な美貌を月光に晒したアルフレート様が立っていた。


私は雑巾を握ったまま、膝をついて首を垂れる。


「廊下を磨いております。足元が滑りますので、お気をつけくださいませ」


「顔を上げろ。……貴様、名は」


「……リン、と申します」


彼は私の返答を聞くと少しだけ鋭い目になった。


その瞳は、私の「身分」を見透かしているわけではない。


けれど、私の指先が、ただの使用人にしてはあまりに形良く、そして不自然なほど傷だらけであることに気づいたようだった。


「貴様がリンか。

 兄上が『死んだ』と触れ回った公爵令嬢が、なぜ俺の離宮で雑巾を絞っている」


心臓が跳ねた。けれど、私は動じない。


雑巾をバケツに入れ、静かに立ち上がって彼を見据えた。


「死んだ女のことなど、私には分かりかねます。私はただ、ここで働けと言われたから働いている。それだけのことですわ」


そういう言うと、彼の目つきが変わった。


「ふっ、不遜な女だ。よほど、兄上が嫌うわけだ」


「だけど、リン。貴様はこの離宮では有名人だ。

 特に、私の生まれつきの病も、リンのご飯のおかげで、回復の兆しが見えている」

 

「そうですか……それはよかったです」


「……たが、それほどの力を持ちながら、なんでこんなところで働く」


アルフレート様は冷たい素ぶりの私に一歩近づき、顎を指先ですくい上げた。


「ここには、お前が欲しがるような贅沢も、守ってくれる騎士もいないぞ。あるのは泥と、絶望だけだ」


「……泥も、絶望も、見慣れておりますわ。それに……」


私は顎を持ち上げられたまま、真っ直ぐに彼の瞳を射抜いた。


「……それに、何だ」


「泥の中にいれば、これ以上汚れることを恐れなくて済みます。

 絶望の底にいれば、誰かに期待して裏切られる痛みもありません。ここは、王宮よりもずっと呼吸がしやすい場所ですわ」


ふっ、と彼の喉が鳴った。


嘲笑ちょうしょうか、あるいは自嘲じちょうか。


彼は私の顎を掴んでいた指を離し、代わりに私の手を乱暴に掴み上げた。


かつて王妃教育で守られていた白い肌はどこにもない。

雑巾を絞り、冷水にさらし、煤を払い続けた結果、指先はひび割れ、節々は赤く腫れ上がっている。


「……これが、呼吸のしやすい場所の代償か。公爵令嬢が、あかぎれだらけの手で床を這いずり回るのが、お前の言う『幸福』なのか?」


「はい、これは仕事の証ですわ。誰かに押し付けられた贅沢なドレスより、自分で稼いだこの傷の方が、私にとってはよほど価値があります。それが幸福につながりますわ」


「そうか。それにしても強情な女だ。

 ……かなり痛むだろう」


彼は私の手を握ったまま、廊下の壁に背を預けてずるずると座り込んだ。


私も引きずられるようにして、彼の目の前に膝をつく。


「……アルフレート様?」


「静かにしろ。……少し、黙っていろ」


彼は私の手を、まるで壊れ物を扱うように、自分の頬に押し当てた。


冷え切った私の指先に、彼の肌の、驚くほど高い熱が伝わってくる。


「お前は、兄上のところでも、そうやって一人で『完璧』であろうとしていたのか」


「……それしか、自分を保つ方法を知りませんでしたから」


「馬鹿な女だ。……兄上は、お前のこの『手』を一度でも見たことがあったのか」


「いいえ。あの方は、私の手袋の色がドレスと合っているかしか、興味がありませんでしたわ」


「そうか」


アルフレート様は目を閉じ、私のてのひらに深く顔を埋めた。


深い、重い、吐息が漏れる。


「……リン。」


「……?」


「いや、エレナ。

 俺は、自分が情けなくて堪らなくなった

 すべてを失い、名前さえ捨てさせられてもなお、お前は自分の手で『幸福』を掴もうと、誰よりも高くこうべを上げている。

 泥にまみれながら、この場所さえ完璧に整えようとしている」


「はい……?」


「それが……俺が、王子であることを言い訳にして、何もしなかった理由を、今、すべて否定した」


彼はゆっくりと目を開け、私の目を覗き込んだ。そこにはもう、震えはなかった。


代わりに、静かに燃える青い炎のような決意が宿っている。


「毒を恐れ、死を待つだけだった俺に、お前が火をつけたんだ。

 お前という、この国で一番価値のある『光』を捨てた兄上に、俺は引導を渡す。

 かつて諦めた政権争い……俺も、お前と同じように、泥の中から這い上がって奪い返してやる」


彼は私の傷だらけの手を、敬意を込めて、今度は強く握りしめた。


「……お前のその、美しく汚れた手を、俺に貸せ。

お前を使い捨てた連中を、お前が磨き上げたこの廊下よりも完璧に、掃除してやろう」


「……命じられるまでもありません。私はもう、この離宮の使用人ですから」



ここから、私の「使用人」としての仕事は、恐ろしいほどに忙しくなった。


まず、あの第一王子エドワードという男。


あんなに簡単に婚約破棄を口にし、長年の功労者である私を平然と捨てられる男なら、統治の上でも必ず致命的なミスをしているはずだと私は踏んでいた。


王宮で彼の雑用を完璧にこなしていたからこそ、彼の「雑な部分」は誰よりも熟知している。


私は離宮の掃除を名目に、アルフレート様が管理を任されている過去の「王宮物資の出納記録」をくまなく捜索した。


誰も見ないような、カビ臭い地下の台帳。


「……見つけたわ」


そこにあったのは、第一王子が聖女のために私物化した王室予算の流用記録。


それも、私が婚約破棄される直前、彼が「紛失した」と騒いで私に探し回らせた『王家の宝物庫の鍵』。


その鍵を使って、彼がこっそり運び出した宝飾品の裏取引リストが、あろうことか実務に疎い彼の「書き間違い」や「消し忘れ」として、この古い記録の端々に痕跡を残していたのだ。


「アルフレート様、これをご覧になって」


「……これは。兄上が、聖女を喜ばせるために国庫を私物化していた記録か?」


ええ、これを公にすれば、兄上の王位継承権は吹き飛びますわ」


アルフレート様が驚愕し、私を見る。


私は、雑巾で汚れた手を拭い、事もなげに微笑んだ。


「お掃除が行き届いていないと、こういう『不潔なゴミ』が溜まってしまうものです。……さて、アルフレート様。このゴミ、いつ、どのタイミングで掃き出しましょうか?」


私は汚れた手を拭い、公爵令嬢でも使用人でもない、一人の「共犯者」として不敵に微笑んだ。



王宮の「太陽の間」。


中央には長く重厚な赤絨毯が玉座へと続き、その両脇には列を成して貴族たちが居並んでいた。


今日は次期国王の優先継承権を誰が持つかを、貴族院が承認する重要な儀式の日。


私は、アルフレート様の「唯一の随伴使用人」として、その赤絨毯のすぐ脇、彼の斜め後ろに控えていた。


地味な茶色の制服に、深く被った帽子。誰もが私を「病弱な王子の世話係」としか思っていない。


赤絨毯の上を、エドワード様が聖女の手を引いて、勝ち誇った足取りで歩いてくる。


列に並ぶ私の元家族公爵夫妻が、彼らに向けて卑屈なまでに深い礼を捧げるのが見えた。


「では、エドワード王子を第一継承権者として……」


議長が宣言しようとしたその時、アルフレート様が静かに手を上げた。


「異議がある。その男に、この国の財布を任せるわけにはいかない」


その言葉にホールが騒然となった。


「無能な第二王子が何を」と嘲笑が漏れる。エドワード様が顔を真っ赤にして叫んだ。


「アルフレート、見苦しいぞ! 病が脳にまで回ったか。何の証拠があって……!」


「証拠なら、ここに。――リン、読み上げろ」


私は一歩、赤絨毯の上へ踏み出した。


居並ぶ貴族たちの視線が、一斉に私という名もなき使用人に突き刺さる。


私は帽子のつばに手をかけ、ゆっくりと顔を上げた。


「――聖暦三〇四年度、宝物庫より流出した『女神の涙』を含む計十二点の宝飾品。それらは、エドワード様が闇市を通じて換金され、聖女様の私邸建設費に充てられました。……これらはすべて、当時の台帳と実在庫の整合性が取れていない『ゴミ』のような記録から判明した事実です」


静寂。それから、爆発したような騒ぎ。


貴族たちは「まさか」「そんな馬鹿な」と互いに顔を見合わせる。


当然、私の言葉だけでは不十分だ。鋭い不信の視線が、私を射抜いた。


「……貴様、どこの馬の骨だ! そのようなデタラメを!」


エドワード様が私を指差し、激昂する。


私は、隣で嘲笑を浮かべていた父と母を、そして元婚約者を真っ直ぐに見つめ、凛とした声で告げた。


「お忘れですか。この国の複雑な二重帳簿を、誰よりも完璧に整理し、あなたの『ヘマ』を裏で隠し続けていた人間を」


私は帽子を脱ぎ捨て、結い上げていた髪を解いた。


美しいプラチナブロンドが、陽光を浴びて、かつてのように眩しく輝く。


すると、周囲の貴族たちがざわめき立った。


「あれはベルシュタイン家の……」

「死んだはずの婚約者!?」

「なぜ奴隷のような格好で……」


「お前ら、静粛にしろ!」


エドワード様は動揺しながら、声を荒げた。


そこに、私が一言刺す。


「死人は嘘をつきませんわ、エドワード様。……あなたが紛失したと言い張り、私を泥だらけになるまで捜索させたあの鍵。……その『裏』で、あなたが何をしていたか。私が知らないとお思いでしたか?」


私は懐から、アルフレート様と共に磨き上げた「真実の台帳」を高く掲げた。


「……エ、エレナ。貴様がなぜここにいる」


エドワード様の、驚きは一瞬。


その後ろにあるのは「仕損じた」という苛立ちだ。


彼は私が生きていることを知っている。


だが、無能と考え、離宮に放り込めば、手の中に収められると考えていたーーその勘違いが、計算違いだっただけだ。


「貴様……。どの面を下げて戻ってきた。その薄汚い格好こそ、貴様の不貞の証左ではないか!」


彼が声を張り上げる。だが、その声はどこか上ずっていた。


ホールは、彼に同調する声よりも、困惑と苛立ちの混じった騒音に支配されている。


「おい、どうなってるんだ。エレナ令嬢は自害したと公示されていただろう」

「前に葬儀まで出したのは何だったんだ」


貴族たちの疑念は、一度火がつくと止まらない。


彼らが重んじるのは真実ではなく、自分たちの不利益だ。


エドワード様が虚偽の報告で国を欺き、そのせいで今日という重要な儀式が滞っている。


彼らにとっての罪は、不貞よりも「自分たちの時間を無駄にしたこと」だった。


「静粛に! 状況が不透明であるため、本日の叙任は保留とする。後日改めて……」


議長が、脂汗を拭いながら宣言しようとしたその時。


後方の席から、隠しきれない不満の野次が飛んだ。


「ふざけるな! 遠方からわざわざ何日かけて来たと思ってるんだ!」

「おい、今日決めろよ。明日には領地へ戻らなきゃならん」

「王子兄弟の痴話喧嘩を見せに来たのか!」


身勝手な貴族たちの罵声が、重厚なホールの天井を叩く。


エドワード様は、そんな群衆の怒りを一身に浴びて、顔を真っ赤に染めている。


彼は知っていたはずだ。


私が持っている「台帳」が何を意味するかを。


私が「リン」としてこの離宮で何を磨き上げてきたかを。


「……リン。いや、エレナ」


私の隣で、アルフレート様が静かに、けれど楽しげに囁いた。


「掃除の第一段階は、隠していたゴミを白日の下に晒すことだ。……あいつの顔を見ろ。必死に隠したつもりの汚れを指摘されて、今にも泣き出しそうだぞ」


「整理整頓の基本は、不要なものを捨てることですわ。アルフレート様」


私は、膝をついて床に散らばった書類を必死に隠そうとしているエドワード様を、冷ややかに見下ろした。


かつて私がパーティー会場で捨てた指輪と同じように。


今の彼は、自分が守ろうとしていた王冠よりも、自分の失態を隠す紙切れ一枚の方が重いらしい。


「言いがかりだ! 全部、この女が捏造した捏造品だ!」


喚き散らすエドワード様を背に、私たちは悠々と赤絨毯を歩き出した。


後方ではまだ、「今日決めろよ!」という貴族たちの怒声が止まない。


「あとの半分は、一気に掃き出すだけだ。……行くぞ、エレナ」


アルフレート様の手が、私の傷だらけの手を、迷いなく取った。


赤絨毯のど真ん中、呆然と立ち尽くす元家族や、怒り狂う群衆の間を、私たちは静かに通り抜ける。


「……次のお掃除の日まで、せいぜい震えてお待ちなさいませ、エドワード様」


私は一度も振り返らず、出口へと向かった。


次に会う時は、この国の「大掃除」が終わる時だ。


そう言い残して離宮へ戻った私を待っていたのは、安らぎではなく、鉄と血の匂いだった。


エドワード様が差し向けたのは、闇の組織などという生ぬるいものではない。

王家直属、汚い仕事を一手に引き受ける「衛兵暗殺部隊」――。


彼らは離宮を蹂躙し、抵抗する使用人たちを組み伏せ、私を袋詰めにして王宮へと連行した。


*翌日・大広場*


私は王宮前広場の断罪台に引きずり出されていた。


昨晩の急襲でドレスは引き裂かれ、体中にあざがある。


けれど、私は無機質な瞳で、群衆を見下ろすエドワード様を眺めていた。


「皆の者、聞け! この女は死を偽装して王家を欺き、その裏で第二王子アルフレートを唆して謀反むほんを企てた大逆人である! 今この場で、公開処刑を執り行う!」


エドワード様の叫びに、事情を知らぬ民衆が「魔女を殺せ!」「裏切り者に死を!」と拳を振り上げる。


(はぁ、民衆はいつもこうだ)


暗殺部隊の処刑人が、無骨な斧を振り上げた。


死が、数センチ先まで迫っている。


それでも、私は心拍数一つ乱さなかった。


「死に際までその不遜な目か! ……お前ら、やれ!」


エドワード様が勝ち誇り、振り下ろしの合図を出した。


その時。


「ーーそこまでだ。見苦しいぞ、エドワード」


会場を圧する重厚な声が響き、振り上げられた斧が空中で止まった。


玉座の間から姿を現したのは、現国王陛下だった。


(アルフレート様。流石ですわ)


「ち、父上……!? なぜここに。これは王家の法に則った処刑ですぞ!」


「法だと? 私に無断で暗殺部隊を動かし、不当な拉致を行ったことがか。……エドワード、お前の暴挙はもはや、私の忍耐を超えた」


「な、何を……私は王国の正義を……!」


「黙れ。衛兵! 第一王子エドワードを、国家反逆および公金横領の罪で直ちに逮捕せよ。

 その身分を剥奪し、塔へ幽閉しろ!」


「なっ……お前ら、離せ! 俺は次期国王だぞ! 離せぇ!!」


エドワード様が引きずられていく。


「あ、ありえないわ……! 私が選ばれし聖女なのよ!? こんな、帳簿の数字ごときで私がさばかれるなんて!」


エドワード様が衛兵に引きずられていくかたわらで、聖女が金切り声を上げる。


彼女の端正たんせいだった顔は、恐怖と醜悪しゅうあくな怒りで歪んでいた。


「私は関係ありませんわ! 全部エドワード様が勝手にやったことよ! 離しなさい、この無礼者!」


彼女は衛兵の手を振り払おうと無様ぶざまに暴れるが、鍛え上げられた男たちの腕はびくともしない。


私は一歩も動かず、ただその光景を眺めていた。私が言葉を重ねるまでもない。


提示した「証拠」という名の論理が、すでに彼女を追い詰めているからだ。


「……衛兵。その女を捕縛ほばくせよ。聖女の称号を剥奪はくだつし、隣国への送還まで地下牢へ監禁かんきんしろ」


国王陛下の冷徹な命が、広場に響く。


「嫌ぁぁぁ! 離して! 私は選ばれた人間なのよぉ!」


彼女の悲鳴は、広場の石畳にむなしく響き、やがて地下へと続く重い扉の向こうへと消えていった。


(類は友を呼ぶ……か)


ため息をつくと、国王陛下も深いため息をつき、私の拘束を解くよう命じた。


「……エレナ。お前の恐ろしさを、私は見誤っていたようだ」


「恐ろしさ、など……。私はただ、汚れた場所を片付けたに過ぎませんわ」


拘束を解かれた手首を淡々とさすり、泥を払って立ち上がった。


そして、その場に跪くアルフレート様を見据える。


「第一王子エドワードを廃嫡はいちゃくとする。本日この時より、国王の名の下に、第二王子アルフレートを次期国王として即位させる!」


広場は静まり返り、やがて地響きのような歓声が上がった。


かつて私を罵った者たちが、今度は新しい王と、その隣に立つ「冷徹な令嬢」を称えている。


アルフレート様が私の手を取り、民衆の前に立つ。


彼の掌は温かかった。けれど、私はただ、事務的な思考を巡らせていた。


「……陛下。お掃除の第二段階を始めましょう。まずは、この国の腐りきった貴族たちから。……寝る暇などございませんわよ?」


「……ああ、そうだな。だけど、そこには君の両親も含まれるのかい?」


私は少し沈黙をする。


「エレナ、そこまで無理をする必要はないんだぞ」


「えぇ、大丈夫。もう、覚悟はできたわ。

 彼らは私を『娘』としてではなく『家名』として扱った。

 ならば私も、彼らを『家族』ではなく『整理すべき帳簿の一行』として処理するだけです」


アルフレート様は私の傷だらけの手を、まるで壊れ物を扱うように、けれど二度と離さないという強い意志を込めて握りしめた。



戴冠式の夜、テラスを渡る風は冷たかった。


「エレナ。……お前はこれからも、俺の隣で『完璧』であり続けるつもりか?」


「はい。それが私の、唯一の生存戦略ですから」


「なら、たまには掃除をサボってもいい。……俺が、お前の隙間を埋める蜜蝋になるからな」


その言葉が、私の冷徹な思考回路をショートさせた。


そんな無駄な言葉が、なぜこれほどまでに耳に心地よいのか。


私は、彼の手を握り返す。


彼の言葉に、冷酷な私の心が1mm、揺れてしまった。


end.

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― 新着の感想 ―
いや、国王陛下さん、動くのが遅すぎますよ。
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