第3話 ごめんねカレー
ゆるやかでほっこりした日常系の話を書いてます。
1話あたり2~3分で読める短いショートショート形式で、基本的にどの話からでも楽しめるようにしていく予定です。
楽しんで読んでもらえると嬉しいです。
しまった――。
机の上に置いてあった黒い万年筆を、私はうっかり床に落としてしまった。
「ぱきっ」と、乾いた音。
その一瞬で、胸の奥がひゅっと冷たくなる。
慌てて拾い上げると、ペン先がほんの少し欠けていた。
「うそ……空お兄ちゃんの大事なペンなのに……。」
目の奥がじんわり熱くなって、視界がにじむ。
あのペン、空お兄ちゃんがいつも仕事で使っていたやつだ。
「これは会社を始めたとき、葵にもらったんだ。」
そう嬉しそうに笑って、ペンを撫でていた空お兄ちゃんの顔が浮かぶ。
どうしよう……。
怒られたくない。
でも、嘘もつきたくない。
私は小さく深呼吸して、勇気を振り絞った。
そしてキッチンに立つ葵お姉ちゃんのところへ歩いていく。
「葵お姉ちゃん……あのね……ペン、壊しちゃったの。」
震える声でそう言って、しょんぼりと両手で差し出す。
葵お姉ちゃんは一瞬目を見開いて、それからふわりと笑った。
「そうだったのね。ちゃんと言ってくれてありがとう、美羽ちゃん。」
その優しい声に、胸の奥がほんの少し温かくなる。
けど、胸の奥のチクリとした痛みは、まだ消えない。
「空お兄ちゃん、怒るかな……?」
「大丈夫。美羽ちゃんが正直に謝れば、空さんは笑って許してくれるよ。」
葵お姉ちゃんは冷蔵庫から野菜を取り出しながら、軽やかに言った。
「そうだ。今日の晩御飯は空さんの大好物のカレーにしよう。」
私はこくん、と頷いた。
キッチンはすぐにスパイスのいい匂いでいっぱいになった。
玉ねぎを炒める甘い匂い、鍋の中でぐつぐつ煮える音。
罪悪感と一緒に不思議な安心感が胸の中に混ざっていく。
早く謝りたい。
でも、ちょっと怖い。
そんな気持ちをかき混ぜるように、カレーの香りが広がっていった。
――――――――――――――――――――
玄関のドアが開く音がして、空お兄ちゃんが帰ってきた。
「ただいま。いい匂いだな……これは、カレーか?」
「おかえりなさい」
葵お姉ちゃんが笑顔で迎える。
でも私は下を向いたまま、スリッパの先を見つめていた。
いつもなら、真っ先に抱きつくのに。
今日は、足が動かない。
葵お姉ちゃんがそっと背中を押す。
「大丈夫。行っておいで。」
私はおそるおそる前に出て、両手で万年筆を差し出した。
「ごめんなさい……ペン、落としちゃって、壊しちゃったの……」
心臓の音が耳の奥でどくどく鳴る。
空お兄ちゃんは少し驚いた顔をして、それから、優しく笑った。
「そうだったのか。大事にしていたけど、壊れたのは仕方ないよ。正直に言ってくれて、ありがとう、美羽。」
その声が、胸の奥にすとんと落ちた。
ほっとした瞬間、涙がぽろりと零れた。
「……怒ってないの?」
「怒ってないよ。確かに壊れたのは悲しいけど、美羽がちゃんと話してくれたことのほうが嬉しい。」
その言葉に、さらに涙が溢れてきた。
葵お姉ちゃんが「もう泣かないの」と笑って、私の頭を撫でてくれる。
「さ、カレーができたよ。みんなで食べましょう。」
テーブルに並んだカレーは、少し甘くて、少しスパイシー。
スプーンを口に運ぶたび、胸の奥がじんわり温かくなる。
空お兄ちゃんが「美味しい」と笑うのを見て、私の胸の奥はさらに温かくなっていく。
――私が大人になったら、空お兄ちゃんのお嫁さんになって、こんなカレーを作りたいな。
投稿を始めるにあたり、いくつかストックを用意しました。
ストックがある間は、複数話を同時に投稿していく予定です。
投稿は毎週土曜日の昼前を予定しています。




