親という生き物
夏の暑い日差しの中、私は父の墓前で手を合わせた。
“忘れられるって幸せよね”
あの時思わず出てしまった本音に内心焦った。息子の前で本来なら口に出すべき言葉ではなかった。
“今日は帰れって。後これを母さんにって”
あの日風真から渡された父の便箋。現物は言われた通りすぐに処分にしたので残っていない。でも書かれた内容は一言一句今でも忘れる事なく覚えている。
“あきへ”
そこから続く文章はいつでも暗唱出来るほど脳にこびりついている。
“あきへ
時間がないので手短に伝える。
今日風真がなつみを殺した。
いつものようにちょっかいをかけたら怒った彼女に殺されかけたらしく、それに逆上して思わずやってしまったようだ。
だから全部俺がやった事にする。
これから俺はぼけた老人を演じる。
何も覚えていないし分からない振りをする。
認知症のぼけ老人が起こした殺人なら将来のあるお前達にかかる迷惑はまだ幾分かましだろう。
俺はやれるだけの事をやる。
きっと大丈夫だから。
だから俺の事は切り捨てろ。
お前の選択を俺が恨むことは絶対にない。
風真を頼んだ。
それが俺の最後の願いだ。
この手紙は読んだらすぐに処分してくれ。
繁”
川で溺れた親と子供、どちらを助けるか。
そんな究極の選択にまさか本当に向き合う時が来るなんて思いもしなかった。
昔私は何て答えただろう。その時も子供を選んだだろうか。
私は息子を選んだ。断腸の思いとは言うが、腸どころか全ての臓器がねじ切れんほどに悩んで出した答えだった。
なつみちゃんという幼い子供を殺した事を隠ぺいしてのうのうと生きるなんて間違っている。それはきっと父も同じだ。時間がない中で相当苦しんで出した答えだったはずだ。
何より正しさを大事にしてきた人だった。でも最後の最後でその正しさを孫の為に捨てた。もはやそれは狂気だ。
そして私も息子の為に狂気を選んだ。
他人の娘の命を蔑ろにして、我が子を守る選択をした。
父も私もきっと地獄行きだろう。
あの夏の全ては、あなたの為だけの狂気で出来上がった。
息子は間違った事をした。それでも息子だけはどうか。
「またね、お父さん」
親というものは酷く恐ろしい生き物なのかもしれない。