さよなら
「……怒ってる?」
日高が意外そうな、あるいはショックを受けたような表情で、ポツリと言葉を出して固まる。
湯山は日高の顔を見ていなかったが、それでも、声で彼の表情を察して、怒りを募らせた。
「流石に、心当たりないわけじゃないでしょ。私が、拗ねて、いじけて、怒る理由」
「それは、日曜日のことだよね?」
声に怒気を込め、明確に怒る湯山に対して、日高が、おそるおそる言葉を出す。
湯山はコクリと頷いた。
「楽しみだったのに。お家デート」
絞り出すように震える言葉を出せば、一緒に溢れた涙がテーブルに落ちて揺れる。
湯山が泣いていることに気がついた日高が、慌ててポケットをまさぐって、それから、テーブルの上に置いてあった紙ナプキンを彼女に差し出した。
「あの、俺、ハンカチとか持ち歩いてなくて」
「いいよ、ありがとう」
湯山は、変わらず震えた声で礼を言うと、硬い紙切れを目元に押し当てた。
食事で汚れた口元やテーブルなどを拭くためのナプキンでは、吸水性が弱く、肌触りも悪かったが、無いよりもましだった。
「ごめん、杏ちゃん。俺、そんなに杏ちゃんがデートを楽しみにしてると思ってなくて」
「お家デート、恥ずかしがり屋の光星君と思いっきりイチャイチャできそうで、楽しみだった。ずっと、ここ一週間くらい、ワクワクして堪らなかった。まさか、無くなると思ってなかった」
「それは、俺も……」
「俺も、じゃないでしょ。お友だちを優先させて、デート無くした張本人なんだから」
痛いところを突かれて、日高はギュッと目をつむり、顔を歪めた。
「でも、俺、基本的には杏ちゃんのことを優先したいと思ってる。約束だって、守りたい。でも、今回は」
「理由はもう聞いた。ちゃんと覚えてるし、もう一度、言ってもらう必要はないよ」
ギロリと睨み付ければ、日高は肩をビクッと跳ね上げた後に、そっと顔をうつむかせて湯山から目を背けた。
湯山は、泣き跡の残る頬を不満そうに歪めている。
酷く重たい空気の中、日高が少し迷った様子で口を開く。
「あの、これから家に来る? そんなに家に来たかったなら、その、さ」
「いや、いいよ。行かない」
「そうなの? でも、別に今からでも、俺、大丈夫だと思う。親にも連絡とってみるし」
「だから、行かないって。悪いけど、光星君のご両親がいるって思うと落ち着かないから。光星君だって、いくら部屋の中とはいえ、すぐ近くに家族がいる状態で、思いっきりイチャイチャできないでしょ?」
湯山の言葉に反論できれば良かったのだが、残念ながら、そうも行かず、日高はコクリと小さく頷いた。
「やっぱり。だから、明日が貴重だったのに」
「あの、そしたら俺、明日は早めに切り上げるよ。お昼くらいから、一緒に会おう」
日高の言葉に虚を突かれた湯山が、一瞬だけ固まる。
しかし、すぐに丸くなった瞳を元の形に戻すと、苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「あいにく、あなたが明日予定をいれたように、私も明日、予定をいれちゃったんだ。だって、私だけ日曜日がつまらなくなるの嫌だったんだもの。だから、前に断った友達からのお誘い、やっぱり受けることにしたの」
「そっか」
「だから、もう、あんまり光星君のこと、怒るつもり無かったんだけど……ごめんね」
眉を八の字に垂れさせて、困ったように謝罪する湯山に、日高がフルフルと首を横に降る。
湯山は、それをしばし眺めて、改めて苦笑すると、「ごちそうさま」と席を立った。
「もう帰るの!?」
今度は日高が目を真ん丸にして、湯山の顔を見つめる。
湯山はハッキリと頷いた。
「これ以上、光星君にあたりたくないから。だから、帰るね」
ポンと肩を叩いて、日高にどけるよう促す。
食事代の半分を、そっとテーブルの上に置いて、湯山は店を後にした。
取り残された日高は、一人、湯山とのやり取りを振り返っては、頭を抱えていた。




