第四話
付き合い始めてから、宮原は白井の無意識の癖を真似するようになった。それは最初、少しからかうような気持ちで始まった。
ある日、二人が繁華街を歩きながら話をしていると、白井がふとしたことで無感情に言った。
「別に、それはどうでもいい。」
宮原はその言葉を聞き、笑みを浮かべながら真似をしてみた。
「別に、それはどうでもいい。」
白井は無表情のまま前を向き続け、宮原はその表情を見て、意図的にさらにからかうような口調で続けた。
「でも、ほんと、どうでもいいよね?なんか、すっごいどうでもいい気がする。」
言葉を吐いてから宮原は、何となく違和感を感じた。自分が真似した言葉が、宮原の言葉なのか白井の言葉なのか。
宮原は無理に笑顔を作って言葉を続けた。
「ねぇ、白井君ってさ、ほんとに何考えてるの?」
白井はただ吐き捨てた。
「別に、なんも考えてない。」
その時、宮原はふと、自分が何をしているのかがわからなくなった。白井の口癖を真似することが、まるで自分の一部になってしまったような感覚に襲われた。その違和感は、確かに小さなものだったが、心の中でそれが広がっていくのを感じた。
宮原はその後も、白井の癖を真似ることが増えていった。最初はほんの遊びのように感じていたのに、次第にその模倣が自分にとって必然になってきた。白井の無表情な顔、冷たい言葉遣い、そして無感情に話すあのトーン。それらが、なぜか心地よく感じるようになった。
だが、何度も繰り返すうちに、ふとした瞬間に違和感が強くなっていくのを、宮原は感じていた。鏡の中で自分の顔を見たとき、ふと、白井の表情が自分のものに変わっているような錯覚を覚えた。
「私……何やってるんだろう。」
心の中で自分に問いかけるも、答えは浮かばない。
宮原は無性に焦りを感じた。
白井が発する言葉が、まるで鏡を見ているような感覚を引き起こしていた。
自分がどんどん白井に似てきている、それは気づかないうちに、無意識のうちに。
模倣とは違う。
複製?
浸食?
上書き?
わからない。
その夜、宮原は再び鏡の前に立ち、じっと自分の顔を見つめていた。
白井の顔が自分の顔のように見える。彼の表情、彼の無機質な視線、彼の冷淡な言葉が、まるで自分の一部であるかのように思えてきた。
「私は……私って一体、何なんだろう。」
心の中で問いかける。だが、答えは見つからない。
ある日、宮原はふと白井に向かって言った。
「ねぇ、あなたって、何を考えてるの?」
白井は無表情で答えた。
「考えてないよ、別に。」
その答えが、また宮原の胸に突き刺さる。
「私は、あなたを観察しているだけ。」
言葉にしたその瞬間、宮原は自分がもう観察者ではないことに気づく。
自分もまた、白井のように冷徹で無機質になりつつある。
「私は誰なんだろう。」
その問いが頭を駆け巡る中、彼女はやがて心の奥底で、無意識に「模倣者ではなくなった自分」を受け入れていることに気づき始めていた。
翌日、宮原は白井に向かって、ふとそんなことを口にした。
「私が死んだら、あなたはどうするのかな?」
白井は少し間を置いてから、無表情で答える。
「死んだって、何も変わらないだろ。別に俺は、他の誰かが死んだところで俺である事は変わらない。悲しい、寂しい、色々感じるかもしれないけど、それでも俺は俺として生きていく。…死んだら死んだで、それだけなんだろうな。」
その言葉は、冷徹で無感情に響いた。白井はその後、何も続けず、無表情で前を見据えたままだった。
宮原の心に、その言葉は鋭く突き刺さった。白井はただ、現実を無慈悲に受け入れているだけのように感じられた。
宮原はその言葉を呑み込みながらも、心の中で強い違和感を感じた。白井は考えた上で答えたのだろうが、その冷たさが、宮原にとっては心の奥深くまで響いた。
その瞬間、宮原は深い孤独感に襲われた。白井が言ったことは、単に彼の現実的な価値観に基づいた返答でしかない。しかし、その言葉に、宮原は自分の存在がどれほど脆く、無意味なものなのかを痛感させられた。