第92話 魔王との一騎打ち(前編)
ヒルトハイム王都近くの広大な平原に、黒々とした軍勢が広がっていた。魔王軍だ。そこはかつて、俺たちがマルセル軍と戦った場所。だが、今回の敵はあまりにレベルが違いすぎる。その数は圧倒的だった。空が黒く染まるほどの軍勢が、まるで山のように陣取っている。
ヒルトハイム軍の一部は、まだ西方諸国連合の動きを警戒しているため、この場に全軍を集めることはできない。俺たちはどうにか戦力をかき集めたが、正直なところ、数の差は歴然としていた。これほどの戦力差を前にして、正面から魔王軍と戦うことは自殺行為だ。
「まずいな……」
俺は平原に広がる光景を眺めながら焦燥感を覚えていた。この規模の魔王軍に攻め込まれたら、ヒルトハイムは一瞬で壊滅してしまう。
しかし、何も起こらない。ただ静かに、敵は陣を構えたまま動かない。これは一体どういうことだ?
その時、魔王軍の陣営から一体の伝令がこちらに向かってきた。全身黒の鎧を纏い、不気味な紋章を掲げている。その姿に、ヒルトハイムの兵士たちは警戒を強める。
「伝令か……どうせろくでもない話だろ」
俺は重い気持ちで伝令を迎え入れると、彼は威圧的な態度で口を開いた。
「これから魔王軍は総攻撃をしかける予定だ。我らが攻撃をすれば貴様らは皆殺しになるだろう。だが魔王様は慈悲深い。貴様らにチャンスを与えるとのこと。一騎打ちだ。魔王様との一騎打ちに勝てば、我らは退こう」
その言葉に、俺の心は瞬時に凍りついた。一騎打ちだと?
どうやら、魔王軍が停戦協定を破った理由は、表向きの口実にすぎなかった。本当の理由は、三年後に予定されていた一騎打ちを、魔王が待ちきれなくなったという、ただそれだけのことだったのだ。
「なんだ、それ……」
俺は呆然とした。まさかそんな理由で、この大規模な軍勢が動いているとは。だが、これはそれで厄介だ。一騎打ちをする予定の兄、ルイスはまだ準備が整っていない。ドワーフに頼んでいた特別な武器が完成していないのだ。加えて、彼自身のパワーアップもまだ終わっていないというのに……。
「くそっ、こんなタイミングで……!」
俺は毒づいた。魔王との戦いに挑むには、まだ準備不足すぎる。しかし、一騎打ちを断れば、今度は魔王軍全軍が総攻撃をかけてくるかもしれない。それだけは避けなければならない。
「俺が行こう」
兄のルイスは毅然とした顔でそう言った。彼の目には、少しの迷いも見られなかった。
「兄さんはまだ武器が……」
「関係ないさ。武器が無くても俺にはやれることがある。それに、魔王にここで逃げたと見られたら、それこそヒルトハイムは終わる。お前も分かってるだろ?」
ルイスの言葉には重みがあった。俺も、その決断に異論を唱えることはできなかった。兄は常に冷静で、どんな危機的状況でも動じない強さを持っている。それに比べて俺は……。
「分かった。頼んだよ、兄さん」
俺はそう言うしかなかった。
こうして、兄ルイスは、武器が無い状態で魔王との一騎打ちに臨むことになった。魔王の力は計り知れない。俺は祈るように、彼の背中を見送った。
戦場には静寂が広がっていた。誰もが固唾を呑んで、一騎打ちの行方を見守っていた。




