第5話 出陣
――これが、戦場か。
俺はケガを負った体を引きずるようにしながら、広がる荒野を見渡した。目の前に広がる景色は、これまでの俺の人生とはまったく異なる、非現実的なものだった。石造りの砦の向こうには、黒い雲のように広がるゴブリンどもが見える。その数は圧倒的だ。奴らが大地を踏みしめるたびに、地面が震えるほどだ。
俺は戦場の片隅に、なんとか立っていた。革の鎧に片手剣、そして小さな盾――それが俺の装備だ。質素な装備だが、農民出身の兵士に比べればマシなものだ。ミュラー家の次男という立場が、最低限の装備だけは用意してくれた。装備だけはね。
最大の問題は、何と言ってもこの体だった。レオン・ミュラー、俺の新しい肉体は、はっきり言って戦士とは程遠い。
身長こそ、日本で黒崎剛志として生きていた頃の俺と同じ175cm程度だが、体型は全然違う。警察官の中でもガタイの良い方だった俺とは対照的に、このレオンの体はヒョロヒョロだ。鎧を着て歩くだけで息が切れる。片手剣を上段に構えると、腕がプルプル震える。その上、先日の戦闘で大ケガを負っている。そんな状態で戦えるわけがない。
過去の記憶を辿っても、レオンはろくに体を鍛えた形跡がない。むしろ、引きこもりのような生活をしていたことが分かる。日々、部屋にこもって本を読んでいたようだ。それが、今では魔王軍と戦う最前線に立たされている。
「はぁ……なんてこった」
俺は深いため息をつきながら、剣の重さを感じる。日本では訓練を受け、柔道や剣道、空手で鍛えた体があった。だが、この世界では、俺が自慢していた筋力は、どこにもない。レオンの体は本当に貧弱だ。
それに引き換え、兄のルイスはどうだ。19歳にして今回の防衛戦の指揮官に抜擢された、ヒルトハイム王国軍の若きエース。彼は強く、優しく、そして勇敢。俺が知っている限り、この世界で最も信頼できる人物だ。だが、その兄と比べると、俺――レオンは何もかもが劣っていた。
「こんな体で戦うなんて、無理だろ」
考えなくても分かる結論だった。しかし、魔王軍はすでに王都のすぐそこまで迫っている。この砦を落とされたら、王国は滅びる。だからこそ、誰もが必死に戦っている。兄のルイスも、彼に従う兵士たちも。俺のような虚弱兵にさえも、戦場に出ることが求められている。
そうは言っても、この貧弱な体と慣れない装備で、無理に戦闘に参加すれば、大ケガか、最悪の場合は死。それは火を見るよりも明らかだった。
「……なら、どうする?」
自然とそんな言葉が口から漏れた。戦わなければならないのは分かっている。だが、正面から向き合うには、この体は弱すぎる。俺は戦場の端にいて、できるだけ戦闘に巻き込まれないようにするしかない。それが唯一の生存策だと考えた。
周囲の兵士たちが緊張に包まれた空気の中で準備を進める中、俺はひっそりと考えを巡らせていた。こんな状態で正面から戦っても勝ち目はない。兵士たちが必死に前に進んでいくのを、俺は遠巻きに眺めながら、戦場の隅に身を潜めることにした。
「ここで死ぬのは、まだ早すぎる」
そう自分に言い聞かせながら、俺は剣をゆっくりと握り直し、薄暗い空の下、戦場に向かって足を引きずるようにして進んでいった。