第37話 王子の教育係
ある日、近衛兵長のヴォルフガングから突然、呑みに誘われた。急な誘いに少し驚きながらも、俺は彼と酒場に向かうことにした。
酒場の中は、とても賑やかだった。木造の床が何度も踏み鳴らされ、酔っ払いの笑い声が天井を震わせる。主な客層は兵士や商人たちで、みな陽気に酒を酌み交わしている。俺たちを気に留める者はほとんどいない。俺はヴォルフガングと一緒に、隅っこのテーブル席に腰を下ろした。酒が一杯ずつテーブルに置かれたが、彼はそれに口をつける前に話を切り出した。
「お前に話がある」
ヴォルフガングの低い声が、ざわめきの中でもはっきりと俺の耳に届いた。
俺は眉をひそめた。こうやって二人きりで酒を飲むのは初めてだ。何か重大な話だろうとは予感していたが、その次の言葉は、予想以上のものだった。
「実はな、レオン。お前を王子の剣術の教育係に推薦した」
その瞬間、全ての音が遠ざかった気がした。推薦された? 俺が? 王子の教育係に? 冗談じゃ無い。あんなクソガキを相手に剣を教えるなんて俺には無理だ。
断ろうとする俺の態度を無視して、ヴォルフガングは続けた。
「歴代の王子の教育係は、その王子が王になったとき、近衛兵長になっている。つまり、王子に剣術を教えるということは、将来の近衛兵長に決まったのと同義だ」
彼の言葉を理解するまでに少し時間がかかった。つまり王子の教育係になれば、出世が約束されるということだ。自分が聞き間違えたのかと思ったが、ヴォルフガングの表情は冗談を言っている顔ではない。
「俺も今の王の教育係だった。だから今の王があんな風になったのは、ある意味、俺の責任だと思っている。でもな、だからこそ、せめて今の職務は全うしようと思って、自分にも他人にも厳しくしている」
彼は杯に手を伸ばし、酒を一口飲んだ。その目はどこか遠くを見ている。きっと、王子だった頃の王を思い出しているのだろう。そして続けた。
「次の近衛兵長には、自分よりもさらに厳しい男がふさわしいと思っている。今までそんなやつは見たことがなかった。だがレオン、お前は違う。王子をしっかり指導できる男だと思った。お前なら、王子を教育する役目を任せられる」
俺は、その言葉をじっと聞いていた。驚きはあった。いや、それ以上に戸惑いがあったかもしれない。俺が王子の教育係になる?それは、つまり、今後は王子により深く関わらなければならないということだ。だが、その一方で、胸の中に熱いものがこみ上げてきた。
もし王子を偉大な王に育て上げることができれば、この国を変えられる。そう、この国をより良い国にするという目標に、一歩近づくことができる。
もちろん、マルセルや高級文官連中の問題もある。彼らが黙って俺の思い通りにさせるはずがない。しかし、それはあとで考えればいい。この時俺は、このチャンスを掴むべきだと考えた。
「分かった。やらせてもらう」
そう告げると、ヴォルフガングは満足げにうなずいた。
「数日中に、王から正式な辞令が発表されるだろう。それまで誰にもこのことは言うな。大人しく待っていろ」
その日は、それ以上何も語らず、酒を飲み干して帰った。だが、胸の中に湧き上がる期待と緊張が、酒を通しても消えなかった。
――しかし、二日後。俺が王子の教育係になる辞令が発表される前に、信じられない知らせが舞い込んできた。
王が、死んだ。




