第二章 友達
次の日の朝。学校に行くと、競日はたくさんのクラスメイトに囲まれていた。クラスの中でも特に賑やかなグループの面々に囲まれている彼女は、楽しそうに声を出して笑いながら談笑している。
なんとなく忘れかけていたが、彼女は転校生、しかも昨日転校してきたばかりなのだ。今最も熱いクラスの話題の中心人物である彼女が、クラスメイトに放ったらかしにされ続けるわけがない。せっかく彼女がこのクラスに馴染むチャンスなのだ。俺が割り入って邪魔することは出来ない。俺は楽しそうな競日を横目に、黙って自分の席へと腰を下ろした。
次の休み時間も、その次の休み時間も。競日は代わる代わる色々なクラスメートに囲まれた。こういう時に限って、話せるタイミングがやって来ないものだ。
ついにやってきた昼休みも、当たり前のように競日の周りを複数のクラスメートが囲み、俺はとうとう一度も話すことが出来なかった。
そんな俺の心中も知らず、競日はにこにこと楽しそうに笑っている。
競日を囲むクラスメートたちの顔ぶれを見ながら、俺はふと思う。今のところ、彼女のいうゲームの中には俺と秀が登場している事が分かっている。ハーレムものの乙女ゲームなら、攻略対象となるキャラクターはもう少し人数が必要なんじゃないだろうか。今彼女を囲んでいるやつらの中にも、彼女が見知った顔がいるのだろうか?
そういう意味で言うと、秀は乙女ゲームの中のキャラクターと言われても納得出来るような美麗な顔立ちに特筆すべきスペックを持っていた。
改めてこのクラスの顔ぶれを確認してみる。失礼かもしれないが、このクラスにはあまりぱっと目を引くような見た目の男はいない。こんなにモブかどうか分かりにくい見た目のキャラクターばかりを並べるだろうか? 俺が知らないだけで、乙女ゲームって意外とこんなもんなのかな。
そんな失礼なことを考えながら競日を囲む男達をぼーっと眺めていると、その中の一人と目が合った。俺は慌てて目を逸らす。
…なんだか、このままこの席で昼食を取るのは気まずいな。俺は弁当箱を掴み、教室から逃げるように中庭へと向かった。
◆◇◆
空は曇り。いつ雨が降り出してもおかしくない空模様の今日は、昨日はあんなにいた女子たちも誰もいない。俺一人だけの貸切状態だった。静かに食事ができて都合がいい。
俺は中央に備わる花壇を見つめながら、自分のお弁当の包みを解いていく。
花壇に備わる夏らしい色とりどりの花々とは対極に、俺の弁当箱の中は茶色一色。昨日の残りの焼肉と一緒に、冷凍の小さなハンバーグとミートボール。非常に男子高校生らしい役満だ。そのままぼーっと花壇を見つめながら、なんとなく箸でミートボールを掴む。
「やぁ、ただの遥斗じゃないか。」
後ろから声をかけられ、俺は振り向いた。
秀だ。ビニール袋を片手に持つ彼は、当たり前のように俺の隣に腰掛けた。そしてビニール袋の中からあんぱんと牛乳を取り出して、あんぱんの包装を破った。
「張り込みでもするのか?」
「まさか。あんぱんが好きなんだ。あんぱんには牛乳が一番合う。」
探偵王子の名に似合わない、古風なチョイスだ。あんぱんのパッケージに描かれた安っぽいゴシック体の文字が、彼の煌びやかな雰囲気とは不釣り合いだ。
「子供の頃は、コンビニの菓子パンを食べるなんて許されなかった。これは、警察の手伝いで忙しい日だけの特権なんだ。」
そう言って彼は、嬉しそうにあんぱんを頬張った。あんぱん一つでこんなに笑顔になれる人は初めて見たかもしれない。
「遥斗のお弁当に入ってる、その丸いのは何?」
「これ? ハンバーグだよ。」
「ハンバーグ!? こんな小さいハンバーグ初めて見たよ。かわいいね。」
育ちのいい王子は、冷凍食品のハンバーグを知らないらしい。
嫌みみたいなセリフだが、不思議と彼が言うと嫌みっぽく聞こえない。初めて見るものに興味津々なのか、ハンバーグを見つめる彼は純粋な子供のようなきらきらした目をしていた。
「一つ食べてみる?」
「いいのか!?」
俺の提案に、彼は目を輝かせてこちらを見た。もし彼にしっぽが生えていたら大きく左右に揺れているだろう。
俺は箸のうち一本をハンバーグに突き刺し、それを手渡した。秀はそれを受け取ると、迷いなく一口でそれを食べた。
「うん、美味しい。ハンバーグというよりはつくねのようだね。」
秀は口を手で覆いながら、満足そうな表情でそう言った。
「いやぁ、いいな。こうやって誰かのお弁当を分けて貰ったのは初めてだよ。」
「意外だな。人気者のお前なら、誰でもいくらでも分けてくれるだろ。」
「そんな事ないさ。どうやら僕は、みんなにとって住む世界が違うらしいからね。」
そう言って彼は、どこか寂しそうに笑った。
住む世界が違う。それは多分、彼がすごい人物だという意味だろう。相手を褒めているかのように見せかけて、自分とは仲良くなれないと突き放すような言葉だ。
「菓子パンも、紙パックの牛乳も、当時みんなが遊んでいたゲームもダメだったんだ。西園寺の長男なんだから貴族然としていなさい、ってね。そのせいかな。何故かみんな、僕と話す時は緊張するんだ。みんな僕に優しくしてくれる。その実、誰も僕に本当の姿を見せてくれないんだ。」
秀はまるで何かを諦めているような悲しい笑顔でそう言った。秀はいつも人に囲まれていて、いい家柄のお坊ちゃまで、探偵王子なんてあだ名が付くほど才能に溢れている。俺の周りには誰もいなくて、父親は殺人鬼で、俺自身に特筆した才能も何も無い。
彼のような、自分とは正反対の完璧な人間に一体どんな悩みがあるのだろうと思っていたが、今なら少しだけわかる気がする。俺たちは正反対でいて、案外似た孤独を抱えているのかもしれない。
「なぁ。これからゲーセン行かないか?」
「ゲーセン? 五限までに帰って来れるかな」
「サボるんだよ。探偵業で散々授業欠席してるんだ、今更ちょっとくらいサボっても支障ないだろ。」
俺がそう言うと、秀は目を丸くしてこちらを見た。
「驚いた。君はもっと真面目なタイプだと思っていたよ。」
「真面目だろ? 急に変な自分語りを始めた様子のおかしいクラスメートを、息抜きに連れ出そうとしてるんだから。」
「はは、言うねぇ。」
「それで、行く? 行かない?」
「仰せのままに。」
きざな言い回しをするやつだな、と思いながらも、俺は何も言わずにそのまま校門の方へと足を進めた。
◆◇◆
「へぇ…、ここがゲームセンターか。思ってたよりは騒がしくないね。」
「平日の昼間だからな。夕方に行くともう少し賑わってるよ。」
「なるほど、遊びやすくて好都合だ。」
学校から一番近くのゲームセンター。薄暗い室内にゲーム機の明かりが浮かび上がっている。こんなアングラな場所に秀が居るのは似合わなくて、なんだか不思議な光景だ。
「ゲームセンターの中にバスケットゴールがあるんだね。」
秀は一つの筐体を指さしてそう言った。高い位置にバスケットゴールが取り付けられ、その周りをネットが囲む。そしてゴールの下から手前にかけて坂になっていて、投げたボールが手前に集まる仕組みになっている筐体だ。
「ああ、あれはバスケのフリースローだけを切り抜いたようなゲームだよ。ここにある玉を拾って投げるだけ。」
「へぇ、面白いね。スポーツの面白い所だけを切り抜いているわけだ。」
「よし、せっかくだし対戦するか! ワンプレイ終わったらここにスコアが出るんだ。どっちが多く取れるか勝負しよう。」
俺はそう言って、その筐体に百円を押し込んだ。チャリンとコインの落ちる音がすると、ゲームの開始を合図する音楽が流れ始めた。そして筐体手前にたくさんのボールが流れてくる。俺はそれを手に取って、次々とゴールにボールを投げ入れていった。
しばらく続けると、ビーッと終了のブザーが響く。
「110か…。緊張してあんま上手くいかなかったな。」
「初めて見るゲームだから、どのくらいのスコアなのか分からないね。…ま、僕もやってみれば分かるか。」
秀はそう言って、筐体に百円玉を押し込んだ。鞄を床に置いて、ボールを手に取る。両手でボールを手に持って、ぐっと後ろに振りかぶる。ぐにゃりと手首を曲げて大きく振りかぶり、すっと手首を伸ばしてボールを放つ。勢いのつき過ぎたボールは、ガコンっと大きな音を立ててバックボードにぶつかって秀の元へと跳ね返った。跳ね返ったボールに驚いたのか、彼は自分の顔を覆うように両手を構えて目を瞑った。筐体からはみ出て飛んでいきそうになったボールを、俺は腕を伸ばしてすんでの所でキャッチした。
「ありがとう。」
こちらを見てそう言う秀に、俺はボールを優しく手渡した。
それからしばらくゲームが続き…、ビーッとブザー音が鳴ってゲームが終了する。
「20…、思ってたより難しいな。」
「…まぁ、初めてだしそんなもんだろ。」
「そう思うと遥斗の110は凄いな。僕の五倍以上もある。」
「まぁ、俺は昔からゲーセン入り浸ってて、この手のゲームはだいぶ慣れてるからな。」
そうフォローしてはみるものの、秀のスコアはやや低めだ。投げるフォームから、そもそもあまりバスケットボールが得意ではないのだろうということが分かる。ボールの重さに負けてぐにゃっと曲がる手首から、同世代の男子と比べて筋力も低めだろう。勝手なイメージで何でもできる完璧超人をイメージしていたが、どうやらスポーツはあまり得意では無さそうだ。
その後、エアホッケーで勝負をした。俺は少しだけ手加減をしながら程よく楽しんだ。その後はシューティング。もうやり尽くしたゲームだと思っていたが、秀を守りながらプレイしていたら新たなゲームとして楽しめた。次はリズムゲーム。いつもは選ばない、誰でも知っていそうなジェーポップで遊んだ。その次はクイズゲーム。さすがにこれは完敗だった。やっぱり雑学には長けているらしい。
一通り遊び終えた頃にはもう時刻は十八時を回っていた。
遊び疲れた俺たちは休憩しようと、自動販売機で一つずつアイスを買って、その前にあったベンチに座った。俺はグレープのアイスキャンディー、秀はキャラメルソースが混ぜられたバニラアイスを選んだ。
俺はアイスの包装を剥がし、アイスの端にかじりついた。細かい氷の混じったしゃりっとした食感がして、グレープの香料の香りが鼻に抜ける。
「で、どうだった? 庶民の遊び場は。」
「そうだね。遥斗がとても優しいという事は分かったよ。」
俺はゲームの感想を聞いたつもりだったが、予想に反する回答に俺は目を丸くした。
「ゲーム慣れしていない僕が楽しめるように加減してくれたり、僕を守るようなプレイをしてくれたりね。」
「気づいてたのかよ…」
気づかれずに上手く立ち回っていたつもりだったが、全部お見通しだったらしい。バレていると思うと急に恥ずかしくなってきた。秀はそんな俺を見て笑いながら、独り言のように小さく呟いた。
「やっぱり君は、ただの遥斗だ。」
いつもは茶化すように言われていたその言葉。このタイミングで言われるのはなんだか少しだけ嬉しい。
彼は、東海林 明仁のことを知っている。同じ高校でこの事を知っているのは、秀と競日の二人だけ。
秀は初めて話した時から、俺と東海林 明仁のことを知っていた。探偵なんてしていれば知っていてもおかしくはない。
秀がその事を知っているとわかった時、俺は『終わった』と思った。高校からは、この話を誰も知らない場所へ行ってひっそりと平和な学園生活を送るつもりだったのに、周りに言いふらされてしまってはそれは叶わない。
しかし、秀はそれを誰にも言わなかった。俺の望んだ通りの平和な学園生活がやってきたのだ。
未だに人に心を開くことが苦手な俺が彼とはこんなに上手く話せるのは、彼があの事を知っていても尚、俺を普通のクラスメートとして扱ってくれるからだ。
「今までの人生で一番、楽しかった。ありがとう。」
秀はアイスをかじりながら、柔らかな笑顔でそういった。
「おおげさだな」
「いや、本当に。できることなら、もっと幼いころからこうして学生らしい遊びをしてみたかったものだ。」
そういう秀は、少しだけ悲しそうだ。
「…俺も、こんな風にクラスメートと遊んだのは初めてだ。楽しかった。ありがとう。」
「いいものだね。『友達』と遊ぶっていうのは。」
『友達』。俺は何となく、その言葉をずっと避けていた。
『お前はシンユーだ!』
これは、小学生の頃かつて友達だったやつに言われた言葉だ。俺がこの言葉を言われた次の日、東海林 明仁は事件を起こした。
『お前なんて友達じゃない! この、殺人鬼!』
昨日まで仲良くしていたはずのそいつはそう言った。小学生だった俺をいじめた主犯は、かつて俺を親友と呼んだ男だった。
いくら仲良くなっても関係ない。俺が東海林 明仁の息子だと知れば、すぐに手のひらを返される。そう思っていた。
そうじゃない人もいる。俺をただの遥斗として扱ってくれる人が。そんな人が、一気に二人もできた。今は俺の人生の中で、一番運のいい時期なのかもしれない。
俺はそんな幸せを噛みしめるように、顔をほころばせながらアイスを頬張った。