外伝 ー呪われていたトリー
ここに記すのは、神界に暮らす呪われた白い小鳥――――トリが女神エリーゼと出会うまでの物語。
「あの子に持たせる鞄、このリュックはどう?」
「とても似合いそうだ、しかしこのショルダーバッグも捨てがたい」
そのときトリの両親はテーブルにカタログを広げ、そんなふうに鞄選びに夢中だった。トリは玄関の扉を開けた。まだ飛べないから危ない、と扉に近づくことを止められていたトリは、外の景色を初めて視界いっぱいに映した。オーシャンブルーの空に、白くて円い淡い光が浮かんでいる。下を向くと雲のような白い大地に、銀色の葉をつけた白亜の木がまばらに生え、金色の砂の道が縫うように伸びている。景色に見入るうちにトリは、木の上にあるオモチャのような家からポトリと落ちた。何事もなかったように起き上がり金色の道の真ん中にトリは立った。この道をずっと行けば見たことのないすごい景色がもっとある。つぶらな瞳がきらきら輝いた。家に戻るという考えは浮かばなかった。突然はじまった冒険にわくわくしながら道をよちよち歩き、赤い果実のなる果樹園にたどりついた。
「おいしそう」
トリは熟した赤い果実をとろうとしたが、飛べないのでとれなかった。指をくわえるように赤い果実をしばらく見上げていた。
「たべたい――――あっ」
青い果実が近くに落ちている。青いのもおいしそう、とトリは道端に落ちた熟していない青い果実を食べた――――そして呪いにかかった。
その呪いは、名前と語尾が『トリ』になってしまうというもので、そのほかに作用のない嫌がらせのようなものだった。両親は悩んだ。幼いトリに呪いについてどこまで話せばいいのか、それ以前に呪いについて話すべきなのか。両親は話し合いを重ね、まだトリには話すべきではない、トリが大きくなるまで伏せるべきだ、と結論を出した。だからトリはなにも知らず、『トリ』という名前が本来のものでないことも、『トリ』と語尾に付けさせられていることも知らずに育った。優しい父と母のもとですくすく育った。自然とトリは神の使いとして働く父の背中に憧れるようになった。
「ボクも神の使いになるトリ!」
将来を決める時期に差しかかり、トリがそんなふうに夢を語ると両親は動揺した。呪い持ちのトリが神の使いになるのは難しいと知っていたからだ。神界に呪い持ちは数えるほどしかいない。いわくのある呪い持ちをわざわざ使いにする神はいない。両親はあきらめるよう説得にかかった。他にも仕事はたくさんある、もっと向いている仕事がある。しかし説得される度、トリはどれだけ神の使いになりたいのか必死に訴えた。両親は熱意に折れ、神の使いを目指すことを認めた。そうしてトリは使いの学校を受験することになった。トリの頭はよくなかったが、一年間勉強に打ち込んだことでなんとか――――下の下の成績で合格することができた。
使いの学校は、神の使いになるには絶対に通らなければならない道(場所)だ。トリはそこで呪い持ちと避けられたりイジメられたりすることなく勉強に励んだ。入学から卒業までの間で、下の下から中の下まで成績を上げた。中の下で頭打ちになったものの、入学したばかりのころは卒業できるか危ぶまれていたくらいだったから、中の下という成績で卒業できたことはトリにとって確かな自信になった。あとは採用面接を頑張れば神の使いになれる。卒業した証の桃色の徽章――――中の下の成績を意味する――――を胸につけ卒業証書を受け取るトリの瞳は希望と自信に満ち溢れていた。
卒業式の翌日、ついにそのときがトリにやってきた。両親から呪い持ちだと打ち明かされるときが。両親はこのときまで呪いについて一切話さなかった、というより話せなかった。トリの夢を壊すのが怖かった。父は不甲斐なさを滲ませながら重い口を開いた。
「トリ、落ち着いて聞いてほしい、おまえは呪いにかかっている――――」
そう伝えられても、トリは自分が呪い持ちだという実感があまり湧かなかった。なぜなら、名前と語尾が『トリ』だったことで困ったことがほとんどなかったから。
なんとかなるとトリは楽観的に考えていたが、初めて受けた採用面接で、自分が呪い持ちだと思い知らされることになった。
「申し訳ないんだけど、呪い持ちを使いに迎え入れる気はないんだよね」
そう拒絶されたとき、かなりの衝撃を受けた。
『呪いのせいであなたは他の子よりきっと面接で苦労するわ、神様はひと目であなたが呪いにかかっているとおわかりになるから……』
『力になってやれなくてすまない……』
母や父が声を詰まらせて言った言葉が今になって現実味をもってトリにずしりとのしかかった。呆然とベンチに数時間座ったのち、トリは立ち上がった。受けた面接はまだ一つ、諦めるのはまだ早いと。
トリにはガッツがあった。いくつもいくつも面接を受けた。呪い持ちという理由でことごとく落ちても、めげずに面接を受けた。神の使いになるのを諦めたくなかった。採用されないまま一ヶ月が経ち、使いになれないかもしれないという焦りにトリが苦しみだしたとき。
「ごめんねえ、その呪いにかかっていなかったら採用していたのだけど……」
不採用を伝える決まり文句にトリはがっくり肩を落とした。思い詰めた表情で扉に向かうトリを見かねた白髪の女神が呼び止めた。
「どうしてその呪いにかかったのか正直に話してくれれば、あなたの力になってあげられるかもしれなけど、話してくれる?」
「話しますトリ!」
トリは顔を上げ、小さいときに未熟な果実を拾って食べたことを話した。
「不運だったわねえ、そういう経緯ならいいわ、いいこと教えてあげる」
「お願いしますトリ!」
「その前に、その呪いについて教えてあげる」
「あ、はいですトリ!」
「その呪いはねえ、二代前の神界の統治者――――ブル様の呪いなのよ」
「ブル様の呪い……ボク知りませんでしたトリ……」
「そうよねえ、ブル様が恐ろしくて誰も話さないから知らなくて当然なの、呪いについて話してるところなんかを見ただけでブル様ってものすごい形相で追いかけてくるのよお、私は昔からの付き合いだから追いかけられてもちょっとびっくりするくらいで済むから話せるの、あなたを私の使いにするのはちょっと無理だけどねえ」
白髪の女神は懐かしそうに話す。
「ブル様は、統治者の地位を譲ったあと果樹園を始めたの、それで果樹園に入れ込みすぎておかしくなっちゃたの……まあ前からおかしかったような気もするけど、熟していない果実を食べられると怒り狂ってしまうの、その怒りが呪いとなって熟していない果実に宿るようになったよお」
トリはパタパタと飛んで近寄って前のめりに聞いた。
「呪いを解く方法はありませんかトリ!」
「今のところないわねえ」
「そうですか……トリ……」
白髪の女神は励ますように言った。
「暗い顔をしないで、呪いが解ける可能性はほぼないけど、あなたが使いになれる可能性はあるんだから」
「本当ですかトリ!?」
「ええ、面接を受ける地区を四番地区に変えればいいのよ」
神界には地区が五つある。トリは今まで二番地区と三番地区で面接を受けてきた。
「学校では二番地区と三番地区がおすすめと聞きましたが四番地区がいいのでトリ?」
「そうよお、ブル様は四番地区には絶対に来ないから、ブル様の呪いを持ってても気にしない子(神)がそれなりにいると思うわ」
「なるほどですトリ!」
「五番地区の南側にも来ないから買い出しはその辺りでするのが安心よ」
「今日からそうしますトリ!」
「そうするといいわあ」
「親切にありがとうございましたトリ! さっそく四番地区の募集を探してきますトリ!」
「頑張ってねえ、きっとあなたがいいっていう子にいつか出会えるから」
白髪の女神はそう言って微笑んだ。
「ボク頑張りますトリ! 失礼しますトリ!」
「応援しているわ、あそうそう、もうすぐブル様がお茶しに来るから急いでここから離れてねえ」
「はっ、はいですトリ!」
この面接でトリの顔に生気が戻った。意気揚々と四番地区で面接を受け始めたが、現実はそう甘くなかった。すでに中の上、中の中の成績のものたちが四番地区になだれ込み、四番地区が激戦地区になっていたのだ。必然、中の下の成績のトリは苦境に立たされた。そして一ヶ月が経った。
「今日も募集がひとつもないトリ……」
使いの学校の中にある掲示板を前にして、トリは半分泣いているような顔でため息をついた。日に日に募集は減り、ため息と独り言が増えるばかり。
「でも……募集があったってボクの成績じゃ駄目トリ……」
四番地区での面接では、呪い持ちが原因ではなく成績(中の下)が原因で不採用をもらっていた。トリは希望も自信もガッツもいつの間にか失っていた。
トリは成績が原因で落ちるのがつらかった。呪い持ちが原因で落ちるよりよっぽど。中の下の成績は、必死で勉強したトリの自慢の成果だった。精一杯の努力の結晶だった。だから「ちょっと成績がよくないから……」、「中の下はちょっとね……」と立て続けて断られた日は、これまでの自分を全部否定されたように感じて、トリは公園で抜け殻のように日が暮れるまで過ごした。
「ボクはよく頑張ったトリ……」
ぽつりと自分を慰め、トリは掲示板へ背を向ける。ほかにも仕事はたくさんある、もう使いになる夢はあきらめる。そう何度も言い聞かせる。悔しいし悲しい。込み上げる涙をぽたぽた落としながら家に帰ろうと歩きだしたとき、足でくしゃりと紙を踏みしめた。足をどけて見てみると、使い募集の文字が目に飛び込んできた。
「四番地区の森に住むエリーゼ様の募集トリ……えっと、月給五千円、住み込み、手当なし、休暇なし、休憩あり……トリ」
募集の紙をまじまじと見ていたトリは――――きっとあなたがいいっていう子にいつか出会えるから――――不意に再生された優しい声に背中を押された。
「まだ頑張るトリ」
トリは涙の跡を拭き、募集の紙を拾ってピンと伸ばした。
持ち物は卒業バッジと履歴書、場所は神殿の第三面接室、募集期間は今日の晩の鐘まで、と書いてある。
「今から面接を受けられそうトリ」
トリは募集の紙をたたんで鞄に入れ、前を向いた。
「エリーゼ様にボクがいいっていってもらえるように全身全霊で面接を受けるトリ!」
月給五千円――――使いの月給の相場の四分の一。くしゃくしゃにしてポイッと捨てられて当然のような安い月給だが、そんなことはトリにはどうでもよかった。神界のお金は趣味のためだけに使うもので、趣味という趣味のないトリにとって月給も労働条件も重要ではなかった。とにかく神の使いになりたい。そういうわけで、トリはやる気に満ち溢れた顔でテテテと神殿へ向かった。
トリは丸椅子の横に立ち、机に頬杖をついている桜色の髪の美しい女神――――エリーゼと正面から向かい合っている。面接はもう始まっている。トリは気合い十分に挨拶をした。
「ボクの名前は『トリ』と申しますトリ! よろしくお願いしますトリ!」
「いいわ、採用よ」
「……?」
鮮やかな真っ赤な瞳でじっとトリを見下ろすエリーゼ。パチパチ瞬きしながらエリーゼを見上げるトリ。まだ用意された丸椅子に座ってもいない。
「聞いているの? 採用よ?」
「はっ、はいっ、聞いておりますトリ!」
名前を言っただけでまさか採用されるとは思ってもみなかったのでトリは困惑した。
「えっ、あっ、あの、履歴書にも書いたのですが、ボクはブル様の呪いにかかっているのですがいいのでトリ……?」
「鳥の名前と語尾が『トリ』だなんて本当にくだらないけど、以外と悪くないというかおもしろいわ、私の家はね四番地区の外れにあるの、ブル様と出くわすことなんてないだろうから呪い持ちでも私はかまわないわ」
トリは胸元の卒業バッジをエリーゼに見せながらもう一つ聞いた。
「えっ、そっ、その、ボクは使いの学校の成績が中の下ですがいいのでトリ……?」
「そのくらいの方が都合がいいわ、採用よ」
「えっ、本当ですかトリ!?」
「しつこいと不採用にするわよ」
「すっ、すみませんトリ! 採用してくださってありがとうございますトリ!」
「ふん、恩に着なさい」
と、上からものを言っているものの、エリーゼはエリーゼで募集をかけても誰も面接に来ず、しゅんとした日々を過ごしていたのでトリが来てくれて嬉しかった。
「はいですトリ……このご恩は一生忘れないですトリ……」
ボクも神の使いになれる。トリの目に涙が溜まっていく。
「エリーゼ様……本当にありがとうございますトリーー!」
と、パタパタとエリーゼのもとへ飛んでいくが、親指と人差し指の二本で頬をぎゅっとつままれた。
「気安く近づいたら怒るわよ」
「……しょ、承知しましたトリ」
こうしてエリーゼとトリは出会ったのだった。
夢を叶え幸福に包まれるトリは知らない、数週間後、怠惰で名を馳せるエリーゼと一緒に人間界に落とされひどい目に遭うことを――――
おわり。
ここまで読んでくださってありがとうございます。楽しんでいただければ幸いです。 門松