表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

何があったとして

作者: たな・かなの

本作品は、現在Vライバーとして『IRIAM』で活動しておられる「お前の家の冷蔵庫に住んでる」様をモデルとしたファンフィクションです。

また作者は執筆経験がほとんどゼロに等しく、中には読みづらい部分も出てくることがあると思います。

そういったことをご承知の上で、当作品を楽しんでいただければ幸いです。

「待ってくださいよ、()()

 荒くなった息を整えるため、膝に手をついて力いっぱい酸素を肺に送り込むと、突き刺すような凍てついた空気が体の芯から全身を巡ってあちこちに満遍なく張り付き、そのまま離れようとしない。耳がギュッと強い力で締め付けられたようにじくじくと痛み、荒々しく吹き付ける木枯らしが、冷えきった身体に追い討ちをかける。走ってできた玉の汗は、立ち止まったら最後、一瞬でそのまま氷の粒になってしまうんじゃないかとすら思わせた。本来ならば、そんな寒い中を無理に出歩こうなどとは決して考えもしなかっただろう。

 この人に引っ張り出されてさえいなければ……。


「ねえ、ちょっと遅いんじゃない?ほんとに運動不足なんだね」


 俺の目の前には、すらっとした足を晒す、鮮やかな深緑に染められたリボンを携えた水色のポンチョコートを羽織り、頭の上には白のベレー帽をちょこんと乗せた少女が佇んでいる。

 小さな両手を背中で組んだままゆっくりと身体を回転させ、いたずらっぽく笑っていた。

 きめ細やかで透き通るような雪肌に端正な顔立ちをしているが、やはりまだ少しあどけなさの残る目鼻立ちと華奢(きゃしゃ)体躯(たいく)のせいなのか、少女の溌剌(はつらつ)とした性格も相まって純粋な仕草がよく映える。丁寧な手入れがなされ、腰あたりまでに切り揃えられた長髪は、まっさらなキャンバスの上を水色に澄んだ冬の空が優しく溶け込んだような色で染め上げられ、この寒空の下でも負けぬように雲の隙間から微かに差し込んだ陽光が少女の元に光の梯子(はしご)をかけると、みずみずしさを保ったままのたおやかな髪にキラキラとした眩い輝きが正反射して、抵抗する間もなく目に焼き付けられる。異なる双眸(そうぼう)の美しい色彩が、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだかのような錯覚を引き起こす。

 要するに、老若男女問わず誰もが目を奪われる、絵に描いたような美少女がそこにいた。

「勘弁してください。俺が先輩の荷物も全部持ってるんですから動きにくいんですよ。むしろもう少し俺を(いたわ)わってくれてもいいんじゃないですかね?」

「甘えないで。いいじゃん。キミがずっと引きこもってるっていうから、せっかくボクが気を遣って外に連れ出してあげてるのに。それにずっと家で本を読んでるよりも、外に出て新鮮な空気を吸った方がその死んだ目にもきっといいよ」

「俺は哀れな雪の女王でも腐った魚でもないんですよ。外はどうも騒がしくて落ち着かないから引きこもってるのが性に合ってるし、先輩みたいに無邪気にはしゃいだりなんかできません。寒いし、むしろ外にいる分だけ寿命とか諸々(もろもろ)削られていく気がするんですけど」

「ちょっと、ボクをアホの子みたいに扱わないで。ボクだって人が多いところはそんなに好きじゃないもん」

「文句ばっかりなんだから」と不満気にぼやいてから再び前に向き直って進みだした少女の後を、今度こそ置いていかれないように足早に追いかける。

 今日はクリスマスの前日、クリスマスイヴである。既に高校生活で二度目の二学期が終わりを迎え、冬休みに入っていた。せっかくの長期休みを思う存分に満喫するつもりだったのだが、こうして突然先輩に呼び出されてしまい、イヴの昼間から彼女の買い物に付き合わされて荷物持ちとしてこき使われていた。どうやら明日友達とプレゼント交換会をすることになったらしく、そこに持ち寄るためのプレゼントを用意したいので一緒に選んで欲しいということだった。自明だが、クリスマスに友達とプレゼント交換などしたことがない俺は、そんな文化があることすら知らなかったので、一体どんなものなのかと想像してはみたものの、自分を惨めな人間側なんだと改めて思い知るのが嫌で、それについて考えるのは諦めた。冬の訪れとともにタイル道に降り尽くした落ち葉を踏むパリパリとした小気味よい音に意識を向け、耳をそばだてる。

 それにしたって、何もわざわざ前日に買いに行かなくたっていいじゃないか、と心の中で愚痴をこぼす。

 クリスマスイヴとあってか、街中は地元の人間でごった返している。それなりの田舎ではあるが、駅に近くてそこそこ交通の便は良く、その周辺の繁華街にも種々の娯楽施設が充実しているため自然と人が集まりやすくなっているのだろう。それによって知り合いに遭遇してしまうリスクも高まるわけだが。そういう時、中途半端な田舎が嫌になる。

 大通りに沿って立ち並ぶ店舗の店先に置かれたショーケースがクリスマス仕様と称して華やかに装飾されている。その中でも果たしてケーキ屋が、他店に比べてもかなりの数の人が出入りしていること

 がわかる。店内では年に一度の重大イベントを目前に控え、従業員が慌ただしくバタバタ

 と動き回っているようだった。

 周りにあった名前も知らない街路樹の草木や、くたびれてもう使われなくなった看板にも見境なく無差別に取り付けられたイルミネーションライトが不憫(ふびん)に思えて、一方的に同情の念を抱いてしまう。どこからか漏れ聞こえていた定番のクリスマスソングが、小躍りする子どもの笑い声とぶつかって混じり合い、それがそのままクリスマス特有の雰囲気を作り出してから、強烈な突風に溶けていった。

 歩きながら何とは無しに周囲の様子をぐるりと見回すと、当然の如く大勢のカップルが仲睦まじく連れ立っているのが目に留まる。また同時に、それだけではないことにも気が付いた。 

 和気あいあいとした雰囲気の家族連れ、何やら怪しい関係を疑ってしまう綺麗目で歳若そうな女性と小太りの中年男性、派手な格好をして大きな声で談笑する男女の集団、遊歩道の端っこで空のカップ酒を片手にダンボールを敷いて座っている訳ありそうな爺さん。

 果たしてこの中にも、俺と同じ様に普段は滅多に外なんかに出ることのない人間もいるのだろうか。もしかすると傍から見れば、俺と先輩は恋人のように見えていたりするのだろうか。いや、俺と彼女では全く釣り合わないな、などとそんなくだらないことばかりが頭をよぎっては消えていく。これだけ人が多い場所でも先輩はなんの躊躇(ためら)いもなく、心地よいリズムを刻むようにしてスキップで駆けていく。人形と見紛(みまが)うほどの生白(なまじろ)い頬を採れたてのリンゴみたいに赤く色付かせているのが子どもっぽくて、リズミカルに幾度(いくど)もチラチラと顔を出す八重歯が愛らしい。

 さっきまで人混みが苦手だと言っていたのは、俺の聞き間違いだったということにしておこう。

 もう一度通行人に目をやると、互いに顔を見合わせて幸せそうにしているのが視界に入りこむ。胸の内にあったえも言われぬモヤモヤがますます濃くなっていくのを感じる。クリスマスは他のイベントに比べると一際(ひときわ)特別な雰囲気が(ただよ)っているような気がする。街を行き交う彼らが何故そんなにも嬉しそうにしているのかも、クリスマスという一行事に何を求めているのかも理解しているつもりだ。けれど、みんなの言うクリスマスの楽しさは、俺にはちっとも分からない。さっきまで気の毒だと思っていたはずのイルミネーションが昼間でもチカチカとしつこく点灯し続けているのが自分だけ仲間はずれにされたようで、無性(むしょう)に腹立たしくなって、見ていたくなくて、無視するみたいに目を伏せた。また面倒くさいことを考えているな、と自嘲的に薄笑いしてみる。

 そんな俺の気持ちを見透かしたのか、(ある)は無理やり連れ出したことに多少の罪悪感でもあったのだろうか。先輩は振り向きざまに俺の方へずいっと顔を近づけ、いつもよりもやや弱々しく、けれど俺の耳がはっきりと拾えるほどの声量で小首を傾げながらこう尋ねてきた。

「キミはクリスマスが嫌い?」

 少女は珍しく真剣な面持ちで、真っ直ぐに向けた視線が俺の返答をせかしてくる。思わず顔を逸らそうとしたが、ひとたびその目に見入ってしまうとそこから引き剥がすのは容易なことではなかった。左目はルビーのようで、その赤はビビッドで激情を宿した深みのある唐紅(からくれない)が魅惑的だ。右目はアクアマリンのようで、その青は透き通るばかりの淡い海を彷彿(ほうふつ)とさせ、神秘的な静謐(せいひつ)(たた)えている。ほんのわずかでも気を抜けば、瞳の奥に吸い込まれてそのまま囚われてしまいそうなほどに綺麗だ。

 戸惑いつつもなんとか意識を現実に引き戻し、先輩の唐突な問いかけに対して、思っていたことを素直に答えた。

「……別に嫌いというわけではないですよ。ただ、好きでもないってだけで」

「なんで?」

「なんでって……そんなに特別な理由なんてないですよ。俺にとってのクリスマスは、いつもと何ら変わらないありふれた日々の一部に過ぎなくて、だから皆が平凡な毎日を過ごすのと同じ感覚なんです。先輩だって、そういう日を特別に感じるなんてことはないでしょう」

「へぇ、キミはそう考えるんだ」

 先輩はなにか思案しているように少しの間だけ口を(つぐ)んで、またすぐに開いて言った。

「じゃあさ──」

 背伸びをした少女の折れてしまいそうなほどに細い人差し指が、俺の鼻先に触れそうな距離まで近づいてきてピタッと止まる。彼女と目が合うたびに大きくなる胸の鼓動が口からこぼれ出そうになり、慌てて生唾(なまつば)と一緒にゴクリと飲み込んで胃の底に投げ返す。

 実にわざとらしくにかっと笑って芝居のセリフっぽく続けられたその言葉に、俺は数秒固まった。



「サンタさんは、いるでしょうか?」



「…………は?」

 思わず間の抜けた声が漏れる。そうだった。彼女の(まと)う幻想的な雰囲気に気圧(けお)されて忘れてしまっていた。この人は、よくそういうことを言う人だった。

 何のつもりだろうかと警戒したのが途端にバカらしくなって、一気に肩の力が抜けていく。殊更(ことさら)無感情な顔を作り、呆れた声で雑に返した。

「それってなぞなぞとかですか?」

「どうして?もしかしてバカにされてる……?」

「サンタさんなんかこの世には存在しないからですよ」

「何でそんなことわかるの?」

「見たことないので」

「ひねくれものめ」

「そう思います」

「ばか」

「そうかもしれません」

「……っ!あほ!」

「はいはい」

 俺が何でもないように返答していると、先輩は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった後すぐにまぶたをぎゅっと閉じて唇を尖らせ、胸の前で大袈裟に腕を交差させてバツ印を作った。

「ぶっぶーーー!バツバツバツ、不正解でーす!」

「はあ、じゃあ一体正解はなんなんですか……」

「正解は『いるって思えばいる』でした!」

「はい、ボクの勝ち!」 先輩は早口でそう(まく)し立ててから、やってやったと言わんばかりに勝ち誇った顔でダブルピースをかました。彼女から見ると俺が負けたという判定になるらしい。なんてデタラメ。無茶苦茶だ。まるでわがままな子どもみたいに理不尽でかなわない。 

 そんなことを思いつつも、あまりに満足そうにケタケタと笑うものだから、それにつられてつい頬が緩む。

 なんだかんだ言っても、いつもと何ら変わらず、何も取り繕わずに、余計な考えを全部打ち崩してくれる少女とのくだらないやり取りが、今はとても心地よい。



 目的の商業施設に着いてから数時間程経っただろうか。二十一時過ぎ頃になってようやく先輩の買い物が終わった。

 先輩は先に外に出ており、トイレに行った俺を待ってくれているので、俺は小走りになって出口を目指す。結局、今日は先輩に振り回されっぱなしの一日だった。あちこちを歩き回ったためか、身体中にどっしりとした重みのある疲労が蓄積されて歩くことすら煩わしい。やはり運動はしておくべきだっただろうか。

 自動ドアが不機嫌そうにのそのそと開く。ドアを越えると本格的な冬の到来を告げる北風を全身に浴びせられ、呼吸をするのもやっとだった。吐いた息は白く染まり、身体中から熱が根こそぎ奪われるのを防ぐようにして大きく身震いしたけれど、あまり意味はなかった。空を見上げると、反射的にため息が漏れる。

「雪……」

 今日はいつにも増して寒いと思っていたが、まさか雪が降るなんて想定外だ。これが所謂(いわゆる)ホワイトクリスマスというやつなのだろうか。白く冷たい欠けらが顔に張り付いて視界が遮られるのも気にせずに、辺りを歩きながら少女を探す。

 幸いなことにあっさり見つけることができた。建物にあるデッキの上で、鉄柵に寄りかかりながら空を見つめてぼーっとしている美少女の姿が俺の視界の端に滑り込んで反照する。

 蝶を追いまわす子どものように純真無垢な視線で雪の舞うパノラマを眺める少女が、どことなく映画のワンシーンに似た雰囲気で、うっとり見惚れてしまう。そんな俺に彼女が気付くと、こちらに駆け足で寄ってきて呟いた。

「この雪、真っ白でふわふわで、すっごく美味しそうだよねえ」

 ハッと我に返り、またそんな自分が急に恥ずかしくなって誤魔化すようにからかう。

「食べちゃダメですよ。汚いですからちゃんとぺっしてください」

「だから子供扱いしないでってば。ていうかまだ食べてないもん」

「……」

 本当に食べるつもりだったのか。

 先輩は頬を膨らませながらこちらをじーっと睨んでくるが、その動作が小動物の威嚇にしか見えなくて全く怖くない。

 あっ、と先輩は思い出したような調子でポケットに隠していた二つのスチール缶を取り出して、ちょうど自身の顔が隠れるようにしてそれらをかざした。

「どっちがいい?」

 まるで挑戦状を叩きつけるみたいな口調で。

 俺は迷わず、先輩の右手に握られていた真っ黒なラベルで覆われた方の缶を受け取った。

「どうも」

「……キミはほんとにコーヒーが好きだよね」

「だって先輩、いつも見栄張ってブラックコーヒーを買ってくるくせに、結局全部飲めなくて俺に飲ませるじゃないですか」

「そんなことないし、頑張れば飲めるし。本気出してないだけだから」

「そうかもしれないですね」

 無駄な虚勢(きょせい)を張る少女を軽くあしらい、舌がジンジンするのを我慢して熱い缶の中身を一気に飲み干した。そんな俺を怪訝(けげん)そうに一目(いちもく)し、残った方の缶を見えないものを探すようにして凝視しながら、その頼りない両手で大事そうに抱えてタブを開く。勢いよく飛び出した湯気が空へと駆け上ってすぐに霧散(むさん)していった。それを見つめる少女のふっくらとした唇が小さく動いて缶に触れる。

 とっくに失ったと思っていたはずの熱が、知らぬ間に身体を火照らせていた。



 帰り道は昼間よりも騒がしくなったんじゃないかと思うくらい大変な賑わいだったが、表通りから少しでも離れた住宅街に着いてしまえば、別世界に入り込んでしまったのかと思わせるほどに今までの騒がしさは消え失せて、辺り一帯には不可解なほどの寂しさが満ち満ちていた。

 冬の夜空は夏空の開放的でどこまでも続いていきそうな濃淡(のうたん)のある紺とは程遠く、不安を煽るのっぺりとした深い深い暗闇の仕切りで太陽との繋がりを隔ててしまっている。冷たい石の塀に囲まれた窮屈で細い道を、先輩と横並びになって歩く。彼女は昼とは打って変わってずいぶんゆっくりと歩いているようだった。並んで歩いていると追い越しそうになってしまうから、気づかれないうちに歩幅を合わせる。

 白のつぶつぶがハラハラと舞う様は、春のたんぽぽみたいで陽気そうに見えた。何の迷いも持たずに地面へと向かっていく綿雪が勇ましくて羨ましいなんて、そんなものに嫉妬する自分が心底おかしくて笑ってしまう。

 そのまま十分ほど歩き、十字路に差し掛かったあたりで、少女はピタリと足を止めて告げる。

「今日は付き合ってくれてありがとね」

  雪が同化して少し重くなった彼女の長髪を風が揺さぶる。

  俺は咄嗟(とっさ)にそれに反応しようとしたが、思ったように声が出せずに口篭(くちごも)ってしまった。

  少女はそんな俺の返答を待たずして「じゃあ……ばいばい」とだけ付け加えた。

 結局俺は何も言えずに、少女の後ろ姿は雪に紛れて見る間もなく消えていった。



 ドアを開けて靴を脱ぎ、玄関(かまち)を上がる。最初に家を出た時から全く変わらず、廊下もリビングもトイレも全て電気は切れたままだった。暗い空間でも構わず真っ直ぐに自分の部屋へと向かう。部屋に入ると最初に目に入るのは、乱雑に積まれた本と既に賞味期限切れとなったカップ麺やらがいくつか置かれている有様だけだった。何の飾り気も華やかさもないこの部屋は、趣味に没頭するのには素晴らしくよくできた環境だった。

 床に寝転がってお気に入りの本をひとつ手に取る。この本は「とある対照的な二人が偶然出会い、誤解や衝突がありながらも時間が経つにつれて二人の関係が徐々に縮んでいき、そして最終的に二人は結ばれてハッピーエンド」というお話だ。この物語に凝った面白さなんて一つもない。ベタ中のベタ。臭いセリフばかりの、ありふれたストーリーだろう。それでも、俺はこの本のある一節が好きで、何度も何度も繰り返し繰り返し読み返していた。

 何度も同じところまでなぞって読むのを止めてしまうものだから、クタクタになったページが今にも破れそうなほど柔らかくなっている。

 指先に力がこもり、一文字ずつ追いかけながらそのまま数ページ読んで、すぐにそれをピシャリと閉じた。

  先輩と出会ってからは彼女のことばかりを考えるせいで気が散ってしまい、唯一の楽しみだったはずの読書にも全く集中できていなかった。

 自分のことを好きにはなれない。けれど、先輩と話している自分のことは好きになれた。先輩は不思議な人だった。いつの間にか俺の前に現れて、いつの間にか姿を消してしまう。

 彼女の表情から読み取れる感情はとても素直なはずなのに、同時に飄々(ひょうひょう)としているところもあって、たまにどうしようもなく不安になった。

 壁にかけてあった古びた時計を見やる。カチッカチッと刹那(せつな)を刻む針が真上へと差し迫っていた。疲れてくたびれているはずの身体がやけに落ち着きのない脳に妨げられて、少し苦しい。

 なんとなく散歩がしたくなって、誰もいないはずの家のドアを音が鳴らないようにそっと開いて外に出た。

「厄日だな」

 元気に飛び舞っていたはずの雪の粒は過ぎ去り、その代わりに大粒の雨がオセロみたいに真っ黒く空を独占し始めていた。肌に触れる冷たさがよく馴染む。

 傘を取りに戻るのも面倒に感じて、ほとんど雨に侵略されてしまった雪みちを、この白が溶かされぬようにと念じながら踏み固めるようにして歩いていく。

 行く先は決まっている。こういう時、いつも行っている場所があった。駅の裏手側にある、砂場や遊具なんかも全て消え、寂れて誰も寄り付かなくなっていった小さな公園。俺だけがまだ、縋り付くみたいに唯一残されたベンチで一人腐っていた公園。

 あの少女と、最初に出会った公園に。



 途中から雨足が強くなってきて、さすがに(たま)らず走ってしまった。今日だけで体力を使い過ぎな気がする。もっと自分を大事にしよう。と、そう冗談まじりに独りごちながら、ぽつんとひとりぼっちで置かれたままの木製ベンチに腰を下ろす。待ってましたと言わんばかりに、冷え切った雨粒が履いていたズボンにじわっと染み込んできて気持ち悪い。よく見れば、苔の塊もびっしりと張り付いている。全く、なんて座りごちが悪い椅子なんだ。そんなんだから誰も座ってくれないんだぞ。

 椅子に対してそんなしょうもない悪態をつく自分があまりにも格好悪く、妙に恥ずかしくなって何も考えずに身を委ねた。

 座ってからしばらく経つと、急激に猛烈な眠気が襲ってきた。まずいな。少しだけ黄昏(たそがれ)てから帰ろうと思っていたのに。

 これじゃあ明日は風邪確定だな。とか、ホワイトクリスマスがブラッククリスマスになったな。とか、まるで他人事のように呆れるほど冷静にどうでもいいことを思考するうちに、そっと(まぶた)が下りていく。全身の電源が一気に落とされ、暖かな泥に沈みこむ感覚が押し寄せる。雨が打ちつけ朦朧(もうろう)とするまどろみの中で、ぼやけながらも脳裏(のうり)に浮かんでいたのは、あの少女との記憶だった。



「────て!お──て!」

 目を閉じてからどれくらい経っただろうか。どこからか、聞き慣れた透明感のある声が途切れ途切れに頭の中の無意識内に響いて伝わってきた。

 薄目ながらも、だんだんと視界が広がっていく。

「おーーい!!起きてー!!」

 夜だというのにそんなことは気にも留めないで、俺に向かって小さな口を目一杯広げて声を張り上げる人影が前方に見えた。なんとか目を見開き、(かす)んで線画みたいだった形がようやくはっきりと目に映って「あ、やっと起きた」という声が耳をくすぐる。

「え……………?」

 そこに立っていたのは、見ただけでわかる白い付け髭に、袖口と裾にはモコモコとした真っ白のファーがつき、そしてお気に入りの水色に着色されたワンピース姿。極め付けは同じく水色のサンタ帽。

「ねえねえ、どう?どう?」

 そんなおかしな格好でも少女はいつもの調子で、その場でワンピースを揺らして一回転してから自信満々に聞いてくる。





「キミの──キミだけの、サンタさんだよ!」





 少女はちっぽけな電灯の光を背に受け、宣言するみたいに、何か特別な魔法をかけるみたいにそう断言してみせた。

「あっはははははははは!」

 興奮したように目をキラキラ輝かせながら俺の反応を待つ少女の様子に堪えきれず、今までに出したことがないくらいの声量で息が苦しくなるほどに大笑いしてしまった。やっぱりとんでもない人だ。本当に。ずっとあれこれと考え過ぎていた自分はなんだったんだろうか。

 込み上げてきた笑いとともに目尻に溜まっていた水滴を服に擦り付け、昼間の会話を思い出す。ああ、そうか、そうだな。俺は間違っていた。どうやら、サンタとやらはいたらしい。

 先輩は俺の笑い声にビクッとして後退りしたまま、餌を待つ小鳥みたいに口を開けてキョトンとしていた。

 ひとしきり笑い終え、先輩が言葉を発する前にすかさず軽口を叩く。

「本当に馬鹿ですね」

「は!?ばかじゃないもん!」

 悪口には流石のスピードで反論してきた。笑顔から一変し、頬がはち切れるんじゃないかと思うほど膨らみ、今にも噛みついてきそうなくりくりとした目がおっかない少女。怒った拍子にぽろっと地面に落ちてしまった付け髭を慌てて拾う少女。

 コロコロと変わるその表情が、面白くて可愛くて、ついついからかいたくなってしまう。いつの間にか再び雨から雪へ、黒から白へと戻っていた空になぜか安心感を覚えつつ、彼女がここにいる理由が気になった。俺は誰にも言わずにここに来たはずだ。

「それで、何か用ですか?サンタさん」

 サンタさん呼びが嬉しかったのか、ふふんと得意げに鼻を鳴らしてから言い張った。

「迎えにきたんだよ。クリスマスをね」

 まるで少女の言葉が合図だったかのように、近くの教会からクリスマスを祝福する鐘の音が響き渡った。それに呼応するように、胸の内に埋めたざわつきがひどく熱を帯びて再燃する。

 あーあ、気付きたくはなかったんだけどなあ。そう思ってすぐに、いや、違うな。と訂正する。ただ臆病で、ただ傷つきたくなかっただけなんだ。

 少女は俺の隣にきて、昼間よりもやや力強いトーンで、昼間と同じことを尋ねてくる。

「キミはクリスマスが嫌い?」

 自分の内に込み上げる言葉を咀嚼し、反芻(はんすう)する。今度は曖昧にせず、はっきりとした声で強く主張した。


「好きですよ、最初から」


「えー、昼にはどっちでもないって言ってたくせに」

「嘘つきなんですよ、俺」

「……そっか。そうかも」

 そう言って、少女は満足そうに頷いた。納得する部分が少々引っかかったが、そんなこと今はどうでもよくなるぐらいに吹っ切れて清々しい気分だった。

 きっと、俺と先輩の関係はこのまま変わらないだろう。もちろん、そのままで変えるつもりもない。だから、それでいい。それが、この先も──

「なんでもう降ってないんだよ、雨」

 少女には気づかれないように顔を逸らして、そっと小声で(ささや)いた。

 ベンチから腰を上げ、少女の隣に立つ。

「寒いですね」

「うん。寒いね」

 目を閉じ、あの物語に今の自分を重ねてみる。何度も何度も目に押し込んだあのシーンを、お気に入りの一節を、まぶたの裏に再生する。俺が欲しかったもの。

 どこにでもあるような話の、どこにでもある幸せな終わり方を。

 なんてことのない、平凡なクリスマスを。




 世界が暗闇で染まってしまって      果てのない道を彷徨ったとして


 君が生きるこの一瞬に            美しくない世界があったとして


 僕が生きるこの一瞬に             美しい世界があったのならば


 それはきっと間違いだろう          それはきっと正しくないだろう


 だって僕はずっと前から          君のいる世界が欲しくて欲しくて


 (たま)らなく愛おしくて          そんな世界が美しいと思えたのだから


 きっと、何があったとして。


 おわり。


未熟な文に、至らない点も多々あったと存じますが、それでも最後までお読み頂きまして心より御礼申し上げます。

恐らく今後も新たな作品を書くといったことはできかねますが、直したい部分やご指摘があった箇所は逐一確認して改善していけたらと思っております。

またいつか、作品を投稿する機会があれば、その時にはぜひ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ