氷砂糖と原石」
*このお話はフィクションです。
「氷砂糖と原石」
藤木真奈美は、散らかったこたつの上を見やりながら、
「穂香っ、穂香っ」と、娘の名を呼ぶ。
「全くもう」家のなかには居ないと知って、自ら片付けをする。
氷砂糖と書かれた袋から、半透明な氷の形をした砂糖の結晶のお菓子が、溢れていた。その横には、革の小袋が口を閉める紐を緩めて、開いていた。
なんの袋だろうと訝しむが、わからないから、氷砂糖をひとつ、口のなかに放り込む。
「うん、懐かしい味だわ」と、真奈美は鼻から息を吐く。
「そう言えば・・・」その時になって、義母も居ないことに気付いた。
「大丈夫かしら?」
義母の小百合は、時おり、徘徊をする。少し、痴呆が始まっているのかもと、夫の次男も心配している。
「穂香と一緒ならいいけど」真奈美は、もうひとつ、氷砂糖を口にする。
「穂香は大きくなったね」と、小百合婆ちゃんが、目を細める。
「それさぁ、昨日も言ったよ。昨日の今日で、そんなに大きくならないよ」穂香は、にべもない。
小学三年生になって、それまで、お婆ちゃんに面倒を見てもらっていたけれど、今は穂香が、お目付け役になっている。
家族の誰よりも、小百合婆ちゃんと一緒にいるからだろう、その変化に、穂香は気づいていた。
学校から帰ってくると、お婆ちゃんが氷砂糖の袋を広げて、ひとつを食べていた。
「ただいま、婆ちゃん」と、言うと、
「ゴホッゴホッ」と、咳き込む小百合婆ちゃんに、
「大丈夫?」と、背中を叩く。
ごくりと、飲み込む音が聞こえた。
「あぁ、今のは、固かった」と、涙目のお婆ちゃんに、
「氷砂糖は、お口の中で、溶かすのよ」と、穂香はお母さんのようだ。
「穂香、一緒に駄菓子屋に行こう」唐突に、言い出す小百合婆ちゃんに、
「なに、買うの?」と、訊ねると、
「穂香の好きなもの」と、言うものだから、
「うん、行く」と、今、駄菓子屋の前にいる。
駄菓子屋は楽しい。それに、リーズナブルだ。少ないお小遣いで、たくさんのお菓子が買える。それも、大袋ではなくて、小さなひとつひとつのお菓子が買えるのが、穂香のお気に入りだ。
そんな、キラキラした目で宝石を見つめるようにしている穂香を見るのが、小百合婆ちゃんは、好きだった。
きっと、年金支給日なんだわ、と穂香は心ひそかに思い、なけなしの年金なのだから、ほどほどの買い物にしなくちゃね、とも考えている。
「穂香、水源地に行こう」また、唐突にお婆ちゃんが言う。
ちょっと、嫌な顔をするけれど、買って貰っちゃったしね、とあきらめる。
「いいよ。でも、遅くならないようにしなくちゃね」と、早速、白く細いプラスチック棒のイチゴ飴を舐める。
水源地は、二キロほどの山の上にある。
公園もあって、もちろん、二車線の車道も通っているけれど、小百合婆ちゃんが言うのは、昔からある、人の歩く小径のことで、現在は丸太を横に並べて、階段状に整備されているから、登りやすくはなっている。
けれど、そこを歩く人は、滅多にいない。
そして、二人が目指す場所は、頂上の水源地ではなくて、山の中腹辺りにある、祠だ。
階段途中に、二畳ほどの石畳が拡がり、その先の山の脇腹を掘った中に、小さな赤い屋根の祠が、鎮座ましている。
穂香が一年生の時に、小百合婆ちゃんから聞いた話によれば、昔は、そこから町を見渡すことができたらしく、なおかつ、まだ若かりし頃の、お爺ちゃんとお婆ちゃんのデート先だったらしい。
祠の中には、小百合婆ちゃんが言うところの、
「秘密の宝物」が、隠されていると言う。
勝手に、神様の祠を開けていいものか、穂香は少し心配になったけれど、家族もお婆ちゃんも、元気にしている。祠を開けたくらいでは、天罰は下らないみたいだと、思う。
夕方五時半。判を押したように、夫の次男が帰宅した。帰宅するなり、
「ないっ、おい、真奈美、ないぞ!」と、騒ぎ始めた。
「何がないの?お財布?お土産のお寿司?」と、真奈美が訊くと、
「ダイヤモンドの原石がないっ」と、紐の緩んだ革の小袋を、口を下に向けて振っている。
「あらっ、それならお義母さんかもよ」
「あれは、僕が大学生の頃に、アメリカで自分で堀当てたものなんだ。真奈美との10年目の結婚祝いに、貴金属店で研磨してもらうはずだったのに」
「どうして、こんなところに置いといたのよ」
事の重大さに気付いた真奈美も、声を荒げる。すでに、次男よりも怒りのボルテージは上がっているようだ。
「い、いや、その、こたつの上に出していたのを、今朝、持ち出すのを忘れてしまって・・・」なぜだか、怒られた子供のようになってしまう、次男だった。
「お腹が痛い」小百合婆ちゃんが、お腹を押さえて、うずくまる。
「大丈夫?」気遣う穂香に、
「ちょっとそこで、大、してくる」と、言う。
「あっ、ティッシュ持ってる」と、手渡す穂香。
「はい、ありがとよ」木陰に隠れて、しゃがむお婆ちゃん。
しばらくして、
「痛い痛い」と、お尻を擦りながら、穂香のところまでやってくる。
「大丈夫?」
「今日のは、いつもより固かった」
穂香は想像しようとして、慌てて掻き消した。
祠に着くと、小百合お婆ちゃんは、巾着袋から畳んだ折り紙を取り出すと、祠の前に差し出し広げる。
そこには、氷砂糖が二個、載っていた。
「お爺さんとよく、ここで氷砂糖を舐めたもんさ」そう言いながら、祠の小窓を開けると、
「あっ、お爺ちゃん」覗き込んだ穂香が声をあげる。
そこには、笑顔のお爺さんの写真が飾られていた。
その後、次男は、小百合婆ちゃんから、「大」をした場所を聞いて、ペットボトルに水を入れ、ゴム手袋を持参で、ダイヤモンドの原石を探しに、祠に向かった。
おわり