邪神と『海の民』
ゴブリン討伐から約1週間が経った。王都の森は土魔法使いを動員し復旧された。民も落ち着きを取り戻し日常を取り戻しつつあるある日のこと。エドウィン達は陛下に謁見していた。母様とバークマン侯爵も呼ばれている。そして何故か魔王カーティス・バユーもいた。どうやら今回の謁見は母様の申し出らしい。
「アルヴィンが操られていた?」
「はい。カーティスの話によると、どうやら魔族ではない強力な闇の力を感じた様です」
「シャーロット公爵は気が付かなかったのか?」
「はい。確かに異常な人間性は感じましたが、闇の力は感じませんでした」
陛下は困惑していた。それもそうだろう。我が国最強の魔法使いである母様が気が付かなかったという事がどれほど恐ろしい事か。俺もぞっとしている。同じ転生者でも母様はここでの生活が長いし、生活環境もサバイバルだった。それ故に彼女は俺よりも遥かに強い。俺は分からなくても当たり前だが、母様が分からないとなると本格的にヤバいと思う。
「分からなくても当然だ。何しろ相手は神。私も奴が処刑された時に気が付いた程度だ」
カーティスはいう。
“ 神 ”
その言葉に場の空気が凍った。まさか今度の相手が神だとは誰も思っていない。正確には母様とカーティス以外は想定していなかった。
「憑いていたのは邪神の神族で間違いない。本来邪神は我らが魔族の暮らす世界『裏の世界』を生み出した神だ。遥か昔、創造神の魔力溜まりから生まれた神族とされる存在で、まあ創造神の子供と考えて良いかな。それが『裏の世界』を作り創造神の支配する『表の世界』とひっくり返そうと思っていたそうだ」
「ひっくり返す?」
「現在、『表の世界』と『裏の世界』のパワーバランスはちょうど五分五分と言った所か。そのバランスが崩れると、世界の魔力が崩れるのだ」
さも当たり前の様に言われても分からない。陛下も俺達も頭の上に大きなクエスチョンマークが浮かんでいる。そこで苦笑いをした母様が説明を始める。
「貿易でも魔族の世界に人間が行く事はありませんよね?それは『表の世界』と『裏の世界』では環境が違いすぎる結果、魔族はこちらで生きる事は可能でも我々は向こうで生きる事は難しいからなのです。空気中の魔力の源である魔素の濃さだったり、空気に含まれている成分の中に人間には毒になる成分があったりするんです。そして『表の世界』の魔力というのは『裏の世界』から供給されていると言っても過言ではありません。『裏の世界』そのものがこの世界の魔力溜まりと言えますね。
本来、『裏の世界』というのは『表の世界』に魔力を供給する世界として創造神が作った世界なのです。それを自分の子供である神族に統治を任せました。そうしているうちに、その神族が邪神になってしまったんですね。
現在の『表の世界』と『裏の世界』のパワーバランスは酷く繊細に保たれているから問題はありません。しかしそのパワーバランスが崩れ、もし『表の世界』と『裏の世界』がひっくり返ってしまうと、『表の世界』への魔力供給はなくなり自然環境はガラッと変わるでしょう。魔力がなくなれば魔力を持つ人間や魔獣などは死にますし、かと言って人間は『裏の世界』に移住もできません。魔獣がかろうじて移る事は可能かもしれませんが、『裏の世界』の非常に濃い魔素を吸収した魔獣がどれほど強くなるかなんて考えたくもありませんね」
「つまり、邪神の狙いは『表の世界』と『裏の世界』をひっくり返す事で人間を滅ぼし、支配者のいなくなったこの世界を手中に収める事、という事かの?」
「そういう事でしょうね。ひっくり返ってしまえば創造神の力も衰えますし、取って代わることも可能になるでしょう。創造神を滅ぼすことも可能かもしれません。現在の邪神は封印されているらしいですが、影響が及ぼせる程度には封印も緩んでいるのでしょう」
そもそも神の世界には『神族』と呼ばれる神々の血族が暮らしているそうだ。そして創造神の指示の元で神々が人間達の暮らす世界の秩序を守っているのだとか。何だか『北欧神話』の様な感じを受けるが、きっとその認識で間違ってはいないのだろう。そんな神々の生きる糧というのが人間達の信仰心なのだそうだ。信仰心を保つ人間という存在がいなくなれば神族だって無事では済まない。もしかして母様と俺と魔王、3人も転生者がいるのは信仰心の底上げと邪神討伐が理由なのか……?
「邪神が封印されているのは『表の世界』だ。しかも海の底に封じられている。そこはちょうど『海の民』が暮らしている辺りだ」
「寄りにも寄って……」
「そう言えば、『海の民』との交易ってありませんね」
「ああ、公爵も知らんか。『海の民』とはな、冷戦状態なのだ」
バークマン侯爵が困った顔をする。『海の民』とはいわゆる人魚が治める国トゥールーズ合衆国に暮らす民だ。王は広い海を治める海神で、怒らせると怖い。普通に海が荒れる。らしい。ポセイドンとか須佐之男命とかあんな感じだ。
「『海の民』っていうと下半身が魚で上半身は人間ってイメージですけど」
「エドの想像通りだ。『海の民』別名『人魚族』と呼ばれている」
「一体何をしたんですか……人魚の肉でも食べましたか?」
「その人魚が『海の民』のお姫様だったとか?」
「そして王が怒って海を大荒れにしたとかありそうね」
「まさか!人魚の肉を食べて不老不死になるなんてそんな御伽話、僕だって信じてませんよ?」
「そうよね〜!流石にないわよね〜!」
母様と俺は顔を合わせて笑う。しかし陛下とバークマン侯爵は苦笑いをしている。え、まさか……
「あのー……まさか……」
「もしかして、もしかしなくても……」
「……余の前に国王をしていた兄が、その『まさか』をやってしもうたのじゃ」
母様は頭を抱える。まさか本当にやっているなんて思っていなかった。
「余の兄には王子が一人おったのじゃが、その子が体の弱い子での。長くは保たないと言われておったのじゃ。国中の医師を総動員して治療をしたがの」
「その病弱な王子を救うために『海の民』を拐って殺して食べさせた、と。そしてその人魚がお姫様だった、と」
「拐かした者も、まさか姫様を拐ったとは思っていなかったそうじゃ。しかも王子はその肉を食らって、不老不死どころかむしろ直後から嘔吐し熱を出してしまってのぉ。これは後から分かった事なのじゃが、姫は特殊な体質でな。体に毒を持っていて、襲ってきた者に毒を浴びせる事ができるそうじゃ」
「では、どうして拐かされた時にそれをしなかったのですか?」
「誘拐した訳ではなく、『我が国の王子を助けてください』と言って騙して連れてきたそうじゃ。まさか体内に毒を溜め込んでおるとは思っていなかったのじゃろう。『海の民』でもその様な体質は非常に珍しいそうじゃからの」
「確かに初めて聞きましたね」
フグとかは内臓に毒を持っていて身体中に回ることもあると聞いた事がある。そんな感じだろうか。
「それをきっかけにして『海の民』がこの国を襲ってきてな。具体的には津波を起こして沿岸部を水没させた。何が起きたのかは誰も分からなかったんだ。突然『海の民』が牙を剥いてきたという話になっていたからな」
バークマン侯爵はため息混じりで言う。先代国王の時は既に侯爵になっていたのであろう。その当時の苦労は言わずもがな、かもしれない。
「当時の国王はなんと説明したのですか?」
「先代の話だと『『海の民』の姫が行方知れずとなった。その事で向こうは我が国が姫を拐ったと事実無根の主張をしている!』と言っていた」
「うわー、白々しい……」
俺は思わず引いてしまった。先代とはいえ国王に対して不敬かも知れないが、陛下も何も言わなかった。誰しもが思った事なのだろう。
「そして結局、王子はその毒が原因で亡くなった。そうすると、今度は『『海の民』が第一王子に毒を盛って暗殺した!』と言って民衆を煽ったのだ。貴族の大半は事情を知っていたために先代の暴君ぶりを恐れ意見できなかった。かく言う私も何も言えなかったがな」
「余は進言したのだがな。誰の言葉にも耳を貸さなかった。冷戦協定を結ぶのが精一杯だったのじゃ。当時、余が外交を務め、向こうは第二王子が交渉の場に出てきた。昔から仲が良かったのもあって気心が知れていてのぉ。真実を伝えあってはいた。何が起きているのか、水面下で伝え合い、そして冷戦という事にしたのじゃ」
「陛下も大変でしたね」
「それも第二王子としての務めじゃ。文句はなかった。しかし、兄上の暴走は目に余るものがあった。そしてある日、起きない兄上を心配した使用人が医師を呼んで、亡くなっているのを確認した」
「え、突然死ですか?」
「一応、『衰弱死』という事になっている。一人息子を亡くした心労が原因で、と公表した。実際は原因が分からんのじゃがな」
それを聞いた俺は察した。誰かが暗殺したのかな?それだけ暴れてたらそうなるよな……
「しかし、邪神の事を考えると冷戦とも言っていられぬ。急ぎ交渉に入ろう。公爵、頼んで良いか?」
「かしこまりました」
最近、外交となると母様が出る形になっている。やはり王国最強だからだろうか。
「エドウィン達も同行させてよろしいですか?」
「それは構わぬが、大丈夫なのか?」
「現場を知るのは大切ですし、今の所は公爵を継ぐのはエドウィンです。彼が継いでからも陛下の外交のお手伝いをするでしょうし、少なくとも今回の交渉結果が次の代まで引き継がれることを証明することになります」
「ヴァイオレット殿下がいらっしゃるのも大きいですね。王族代表という事にもなります」
「そ、そんな大役を……!」
「大丈夫ですよ、殿下。交渉は母様がするのです。僕達は国際交流と洒落こみましょう」
「そんな呑気なこと言えるのお前だけだろ……」
少し顔色を悪くするヴァイオレット。慰めの言葉を掛けるも、『お前と一緒にするな』とハリーに苦笑いされる。腑に落ちない。
「まあ、この子達なら問題ないじゃろう。エドウィン、ハリー。ヴァイオレットを頼む」
「「御意」」
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