ようやく眠りに
「グス……ご、ごめんなさい……」
柿崎さんはようやく泣き止んで顔を上げるけど、それでもまだ鼻をすすりながら指で涙をすくっていた。
「い、いえ……それより、もう大丈夫ですか?」
「はい……って、あは……私、あなたの前で泣いてばかりですね……」
そう言って苦笑する柿崎さん。
でも、さっきまでの自虐的な笑みとは全然違うなあ……。
これが、本当の彼女の姿なのかもしれない。
「そ、それで、今晩一緒にってお願いしちゃいましたけど……ほ、本当に大丈夫ですか?」
柿崎さんがおずおずと尋ねる。
ハッキリ言ってしまえば今さらな質問ではあるんだけど、もう今の僕には彼女を追い出すっていう選択肢が、どういう訳か頭の中からすっかり消えていた。
「もちろんです。それよりも、今晩はいいとして明日からどうするんです?」
「あ、そ、それは……」
すると柿崎さんは困った表情を浮かべながらうつむいてしまった。
だけど、こうやって柿崎さんの住んでいるところを特定してやって来たんだ。明日も間違いなく来るだろうな……。
「だ、大丈夫です! いざとなれば、また引っ越せばいいだけですし!」
「い、いやいや、それじゃ何の解決にもなってないですよ。それに、柿崎さんはこれから一生、そうやって逃げ続けるんですか?」
「あう……」
なんて偉そうなことを言ってるけど、僕だってあの街から逃げてきたくせに……。
ま、まあ、僕のことは置いといて、柿崎さんのことが先決だからね。
だけど……僕はこの状況を何とかする方法を、一つだけ思いついた。
でもそれを、本当に受け入れることができるのか……?
色々な感情が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
それでもやっぱり、僕じゃこんなことしか思い浮かばなくて。
僕と同じように、誰も信じられなくなってるこの女性が、どうしても放っておけなくて……。
だから。
「……僕に提案があるんですけど」
「提案、ですか……?」
「はい……」
窺うように顔を覗き込む柿崎さんに、僕はゆっくりと頷く。
「あ、あくまで提案なんですけど……た、例えば、どこか遠くに引っ越したフリをして、この部屋で暮らす、とか……」
「っ!?」
「あ、あああ、いやその、も、もちろん嫌なら嫌ってハッキリ言ってくださって構いませんからね!」
目を見開く柿崎さんに、僕は手をわたわたさせながら補足した。
すると。
「あ、そ、その、提案は本当に嬉しいんですけど……い、いいんですか? 迷惑になったり、しません……か……?」
柿崎さんは、そう言って僕の答えを待つ。
でも、その紺碧の瞳は期待に満ちていて……それでいて、やっぱり断られたらって、そんな不安の色も見え隠れしていて……。
「ぼ、僕はいいですよ……」
「あ……は、はい……っ!」
僕が大丈夫だって頷くと、柿崎さんはぱああ、と笑顔を見せた。
泣き止んだばかりなのに、また大粒の涙を零しながら。
「そ、それじゃ、そういうことで……」
「は、はい……はい……!」
それから、僕と柿崎さんは今後のこと……というか、一緒に暮らす上での取り決めについて話し合った。
家事の分担や生活費のこと、果てはお風呂の順番なんかも。
だ、だって、僕は適当でもいいけど、柿崎さんは女性だし、男の僕なんかと一緒に暮らしたら色々と不都合なことだってあるだろうし……。
何より、あくまでも僕と柿崎さんはルームシェアをするんであって、プライベートに関してはお互い干渉しないんだから。
そうじゃないと、僕の心がもたないから……。
「そ、そうすると、柿崎さんの部屋から荷物をこの部屋に運ぶのか……ぜ、全部入るかなあ……」
「だ、大丈夫です! 私の荷物は、精々布団と着替えが少しあるくらいですし!」
そう言って、ずい、と顔を近づける柿崎さん。
「……柿崎さん、近いです」
「あ……す、すいません……」
僕は低い声でそう告げると、柿崎さんは申し訳なさそうにしながら離れた。
「じゃ、じゃあ、今からでも運び込みましょうか。どちらにしても、ここには布団が一組しかないですし……」
「そ、そうですね……」
僕と柿崎さんは立ち上がり、彼女の部屋へと向かうと。
「……本当に、何もない」
そこは、若い女性の部屋というには、あまりにも殺風景すぎた。
ただ部屋の中央に綺麗に畳まれた布団が置いてあり、あとはスーツケースが一つあるだけ。
もちろん、歯ブラシなんかの小物はあるものの、そんなものは微々たるものだ。
「……この二年間、ひと月以上同じ部屋で暮らしたこと、ないから……」
そう言って、柿崎さんは目を伏せる。
これは、それだけ彼女がつらい思いをしてきたっていう証拠だ……。
「……じゃあ、これからはもう引っ越さずに済みますね」
「あ……は、はい……!」
僕がそう告げると、柿崎さんがはにかんだ。
そうして荷物運びもあっという間に終わり、僕達は部屋へ戻った。
「そ、それじゃ、これからよろしくお願いします……って、そ、そういえば私、あなたのお名前をまだ伺ってなかったですね……」
「あー……本当だ……」
そういや名乗ってないなあ。
まあ、昨日まではほぼ接触を避けてたし、今日だって関わり合いにならないようにと、最初の頃は柿崎さんを突き放してたし……。
「ぼ、僕の名前は“直江優太”で、この近くの“中法大学”の二年生です」
「あ、な、直江さんですね。大学二年生ということは、年齢は二十歳ですか?」
「いえ、実は一浪してまして、二十一歳です……」
「あ、じゃ、じゃあ私と同い年なんだね!」
「ええ!?」
嬉しそうな柿崎さんの言葉に、僕は驚いて声を上げた。
い、いやだって、たいして年齢は変わらないと思ってたけど、まさか同い年だなんて……。
「あ、そ、それじゃ、私と話す時は敬語じゃなくて構わないから!」
「う、うん……柿崎さんも、全然敬語じゃなくていいからね?」
「あは、う、うん!」
そう言って、はにかむ柿崎さん……って!?
「うわー……もうこんな時間……」
スマホの時計は、既に夜中の四時を過ぎていた。
これじゃもう、三時間も寝られないなあ……。
「そ、その……ごめん、ね……?」
柿崎さんが申し訳なさそうに謝る。
「い、いや、悪いのはあんな時間に来た不審者であって、か、柿崎さんが悪いわけじゃないから……」
「で、でも! それでもその……やっぱり私のせい、だから……」
柿崎さんはシュン、と落ち込んでしまうけど……なんというか、その、僕に対して必要以上に気を遣い過ぎなんじゃないだろうか。
と、とにかく、これ以上彼女のことを気にしてても仕方ない。
早く寝ないと……。
「そ、それじゃ、僕はもう寝るから! おやすみ!」
それだけを言うと、布団の中に潜って彼女に背を向けた。
すると。
「ありがとう……おやすみ」
背中越しに柿崎さんのその一言が聞こえ……僕は、ようやく眠りについた。
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