懐かしい声
「……しまったなあ」
アパートに帰り、部屋の扉の落書きを見てポツリ、と呟く。
こんなことなら、あのまま置き去りにするんじゃなくて、この落書きも綺麗にさせておくんだった。
「優太……私、もうこんな目に遭わなくて済むんだよね……?」
「うん……この二年もの間に君にこんな真似をしたクズは、二度と君に近づけなくしてやったからね」
もちろん、あのクズ……小笠原信二以外にもこんな真似をしでかす奴が現れないとは限らない。
でも、それについては、これから僕が初穂を守っていけばいいんだから……だから、大丈夫。
ちなみに、小笠原信二と一緒にいたもう一人についても、武者小路さんがバッチリ捕捉済みで、どうやらクズの塾時代の親友とのことだ。
というか、親友だったらこんな真似に加担しないで、あのクズをちゃんと止めろよ……って、所詮は同じクズなんだから、それも無理な話か。
とにかく、早速明日にでも小笠原信二同様、僕と武者小路さんで一緒に断罪する予定だ。
あ、このことは初穂には内緒にしてあるんだけどね。
「それよりも、寒いから早く部屋の中に入ろう」
「あは、うん! 今日は腕によりをかけて美味しい晩ご飯を作るから、楽しみにしててね!」
「もちろん!」
ということで、僕達は部屋の中に入ると。
「ね……優太」
「ん? どうしたの?」
「私、ね……? 優太と出逢って、一緒に暮らすようになって、毎日が嘘のように幸せになって、そして……この二年間ずっと逃げ続けていたのに、それもこんな簡単に片づいちゃって……」
初穂は僕に抱きつき、胸に顔をうずめながらたどたどしく話す。
「これってね? 全部、優太のおかげなんだよ? 本当に、優太ってすごい男の子だよ……」
「はは……といっても、ほとんど先輩達や武者小路さんのおかげなんだけどね」
「ううん、違うよ。佐々木さんや木下さん、それに琴音が動いてくれたのだって、全部優太がいたからなんだよ?」
苦笑する僕に、初穂はかぶりを振って否定した。
「だ、だからね? 今の私には、君に返せるものが何もないけど、だけど……私、優太がくれたものを返していきたい。それこそ、一生かかってでも」
はは……本当に、初穂は何を勘違いしてるだろう……。
「初穂……昨日も言ったよね? 僕は、初穂がいてくれるおかげで、ぽっかりと空いた心が、君で満たされて、今もずっと君への想いが膨らみ続けてるんだ」
「う、うん……」
「だから、さ……僕は、お返しをするとか、そういう義務めいたものじゃなくて……君が言ってくれたあの言葉みたいに、一緒にいたいとか、そういった想いのほうが、その……嬉しいかな……」
そう言って、僕は微笑む。
もちろん、『僕も君にそう想ってもらえるように一生努力し続けるけどね』って言葉を付け加えて。
「あ、あは……そんなの当然だよ……! 君は、私がどれだけ君のことが大好きか、分かってないよ……!」
「はは、それを言うなら君だって、僕がどれほど君のことが大切で、どれほど大好きか、分からないでしょ?」
ギュ、と抱く力を強くする初穂の髪を優しく撫でる。
今なら分かるけど、この髪型だって、あの時僕が『好みだ』って言ったから、してくれたんだよね……。
「ね、優太……」
初穂は、ぽろぽろと涙を零しながら僕の顔を覗き込む。
だから。
「ん……」
僕は、そんな彼女に優しくキスをした。
もう君が泣くことはないんだって、そんな願いを込めて。
◇
「はあ……今日も美味しかったなあ……」
晩ご飯のオムライスを食べ終え、僕は余韻に浸っている。
それにしても……まさか、初穂がケチャップでハートマークを書くだなんて、思いもよらなかった。
意外とこういったことをするのが好きなんだろうか……。
「んふふー。優太ったら、私の書いたハートマーク、最後の最後まで残してたよね?」
「そ、それはね……その、もったいないし……」
うん、僕も初穂のことは言えないな。
「それにしても、今度の日曜日には引っ越しするんだよね?」
「う、うん……」
そう……日曜日の木下先輩の引っ越しに合わせ、僕達も入居する手筈になっている。
というか、木下先輩は早速大家である親戚のおじさんに話をしてくれたらしく、僕達が入居することをオッケーしてくれたとのことだった。
なので、明日にでも早速契約をしに行くことになる、んだけど……。
「…………………………」
……父さんと母さんに、引っ越しのことを伝えないと。
はは……でも、コッチに来てから一度も実家に帰ったことないし、電話でだって話したこともないのに、なんて言えばいいのかな……。
すると。
――ギュ。
「初穂……?」
「その……優太がつらそうな表情してるから……」
ああ……本当に、初穂は優しいな……。
こんな素敵な彼女に、余計な心配をかけさせるわけにはいかない、よね。
「はは……大丈夫だよ」
「……ホント?」
なおも心配そうに覗き込む初穂に、微笑んでみせると。
「プ……あはは! やっぱり変な顔!」
「ええー……」
どうやら僕は、今も笑顔を作るのはヘタクソらしい……。
「でも……うん、優しくて素敵な顔……私の大好きな顔だよ」
「はは……そっか」
うん……これからも彼女と一緒に過ごすためにも、ここで僕が躊躇する意味はない。
僕はもう、あの時とはちがうんだから。
「ごめん、ちょっと電話してくるよ」
「あ……う、うん……」
初穂と離れ、僕はスニーカーを履いて部屋を出る。
スマホを取り出し、数少ない連絡先の中から、もう二年近く通話履歴がない電話番号をタップした。
――プルル……プルル……ガチャ。
『もしもし……?』
スマホの向こうから、懐かしい母さんの声が聞こえた。
お読みいただき、ありがとうございました!
少しでも面白い! 続きが読みたい! と思っていただけたら、
『ブックマーク』と広告下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしていただけると幸いです!
評価ボタンは、モチベーションに繋がりますので、何卒応援よろしくお願いします!
 




