温かい涙
「…………………………」
夕陽に照らされた彼女が、フェンスのすぐ傍で悲壮な表情を浮かべながら僕を見つめていた。
「柿崎、さん……」
僕は彼女の名前を呟き、一歩前に出ると……同じだけ、彼女が一歩、後ずさる。
「……どうして」
必死で涙を堪えながら、柿崎さんは振り絞るように声を漏らした。
たった一言に、いろんな意味を込めて。
「……もちろん、君を迎えに」
君と一緒にいたいから。
君のご飯が食べたいから。
君の笑顔が見たいから。
君が……好きだから。
そんなたくさんの想いを込めて、僕はス、と手を伸ばす。
でも……彼女は僕の手を取ることはなく、ただ顔を背けた。
「ねえ……柿崎さん、君の想いが知りたいんだ。聞きたいんだ。僕は……まだ君から、聞いてないから……」
「…………………………」
そう告げてから、僕と彼女の間に沈黙が続く。
僕は……彼女が口を開くまで……想いを言葉に乗せて紡ぐまで、いくらでも待とう。
たとえ、望まない結果になってしまったとしても。
たとえ、それで僕が壊れることになったとしても。
それでも……僕は、君の言葉が聞きたいんだ。
「……わた、私……君の傍にいると、迷惑を掛けちゃうから……」
「はは……何度も言うけど、迷惑を掛けてるのは君じゃなくてアイツ等だよ」
「私……絶対に君を、不幸にすると思うから……」
「うん……君がいないと、不幸になっちゃうかもね」
彼女は僕と一緒にいられない理由を……部屋を出た理由を、たどたどしい口調で僕に告げる。
だけど、そんなのは彼女の想いなんかじゃない。
僕が聞きたいのは、そんなどうでもいいことじゃない。
「ねえ……柿崎さん」
「…………………………」
「僕さ……君と一緒に暮らし始めるまで、壊れてたんだよ」
顔を背けたままの彼女に、僕はゆっくりと語りかける。
僕の、最低最悪の、情けなくて滑稽で、だけど笑えない、そんな過去を。
◇
僕には、大切な幼馴染の女の子がいたんだ。
その子はすごく綺麗で、成績優秀で、明るくて、全部平凡な僕とは全然違っていて……。
でも、僕はその幼馴染が大好きだった。
高校に入ると、やっぱり幼馴染はみんなの注目の的で、彼女のことが好きだって男もちらほらいて……はは、今だから言うけど、その中にはあの佐々木先輩も含まれてたりするんだけどね。
だから……僕は誰にも幼馴染を取られたくないから、告白したんだ。
付き合ってください、って。
そしたら、彼女は僕の告白を受け入れてくれて、付き合うことになったんだ。
僕は嬉しかったよ。
それこそ、舞い上がって舞い上がって、夢じゃないかって、何度も頬をつねったりなんかもした。
それからの僕は、そんな彼女に相応しい男になろうって、オシャレをしてみたり勉強を頑張ってみたりしてね。
付き合って初めての夏休み、彼女から海に行こうって誘われて、僕はアルバイトを始めた。
はは……彼女の誕生日も近かったしね。
だけど……夏休みに入ってすぐの日曜日
僕は、その幼馴染の彼女が、親友だと思っていた奴と浮気している現場に出くわしてしまったんだ。
嘘だって信じたかった。
今そこにいるカップルは、幼馴染でも親友でもない、関係のないただの赤の他人だって思いたかった。
でも、そんな願いは通じなくて……やっぱり、幼馴染と元親友で間違いなかった。
僕は裏切られたショックと、自分がそんなちっぽけでつまらない男なんだって分かっちゃって……はは……壊れちゃった。
それから一年半を無為に過ごして、たまたま受けた“中法大学”でまさか合格しちゃって。
幼馴染がいる街から、逃げてきたんだ。
大学で佐々木先輩に出逢って、木下先輩と一緒にお節介ばかりかけてきてくれたおかげで、二年生になった頃には何とか人と事務的な会話ができるくらいにはなれた。
それでも、僕の心には大きな穴があって、絶対に塞ぐことができないもので……。
「……でも、そんな塞げないと思っていた穴が、今じゃ綺麗に塞がっていて、それどころか、もうそんな過去が僕にはどうでもよくなっていた」
「……………………………」
「それは……君が、一緒にいてくれたからなんだ」
さあ、言おう。
僕の想いを……僕にとって、君がどれだけの存在なのかを。
「……柿崎さん」
「……うん」
いつの間にか、柿崎さんは背けていた顔をこちらへと向け、紺碧の瞳でただ僕の瞳を見つめていた。
僕はすう、と息を吸う。
そして。
「僕は……君が好きです。君を失ってしまったら、幼馴染に壊されたあの時なんて比べものにならないほど、修復不可能になってしまうほどに」
「あ……」
「だから……君が傍にいることは、決して迷惑なんかじゃない。君が傍にいることで、僕は絶対に不幸になんてならない。僕は……君がいるから幸せになれるんだ。君だけが、僕を幸せにしてくれるんだ」
「あ……ああ……!」
柿崎さんは両手で口元を押さえ、その瞳からぽろぽろと涙を零す。
「だから柿崎さん……もう一度聞くよ? 君の想いが知りたいんだ。聞きたいんだ。僕は……まだ君から、聞いてないから……」
さあ、柿崎さん。
僕に、教えてほしい。
偽りのない、君の想いを。
「わ。わた、し……わた……」
震える声で、彼女は言葉を紡ごうと、口を開く。
そして。
「っ!」
「私も……私も、君の傍にいたい! 君と一緒にいたい! だって、君は世界一優しくて、私のご飯を美味しそうに食べてくれて、私が欲しい言葉をいつもくれて、無理やり笑おうとするその変な顔がすごく可愛くて、愛おしくて……!」
「柿崎、さん……」
「でも、私……そんな君の邪魔になりたくなくて! 迷惑をかけたくなくて! 私のせいで不幸になってほしくなくて! でも……でも、君から離れたくなくてえ……っ!」
僕の胸の中で、柿崎さんが思いの丈をぶつけてくれて。
柿崎さんが……その想いを、吐き出してくれて……。
「私は……私は、好きなのお……! 君が……直江くんが、好きなんだあ……っ!」
「良かった……良か、った……!」
彼女の想いを聞いて、僕も涙が零れる。
でも、これは四年前の時のような、ただつらくて悲しくて苦しい……そんな涙とは違って。
ただ、僕の心を満たしてくれる……そんな、温かい涙だった。
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