第九章「説明できない感情」
千葉さんと買い物に行ってから、僕に対する彼女の接し方が変わった。機会があると、かならず話しかけてくるようになった。他にも、僕より彼女のシフトのほうが早く終わる時は、彼女は休憩室で僕のシフトが終わるまで待つようになったりと、なんだかさらに優しくしてくれるようになった。あの二人に気づかれていないのは幸いだった。同じシフトにならなくて逆に良かったのだと考えるようになった。まるで村にいる、妹の唯みたいな存在だ。
まあでも考えてみれば、こうして職場で話せる相手がいるのはいいことだ。俺のスケジュールでは、他のウェイターがいることはほとんどない。休憩室にいる時以外は、厨房の人たちとまともに顔を合わせることもほとんどないと言って良い。千葉さんだけが、ここでの唯一の話し相手だった。
そうだ、忘れるところだった。明日は土曜日。つまり、例のパーティーの日だ。一体何をやるのかは知らないが、少なくとも千秋と大地も一緒なので少しは気が楽だ。一年生全員でのパーティーか・・・。今日のシフトが終わったら、明日迷わないように会場の下見に行ってみよう。そうでなければこの前のように迷うに決まっている。どうやら大学の近くのようだが、果たしてたどり着けるだろうか。
シフトが終わった。そしていつものようにクタクタだったが、荷物をまとめて、会場の下見に向かうことにしよう。休憩室に入ると、すでに千葉さんは着替えを終えて僕のことを待っていた。今日は一緒に帰れないと断りを入れねば。こんな個人的なことまで彼女を付き合わせたくはなかった。だが、驚いたことに、千葉さんは一緒に行くと言いだした。もはや反対するほどの元気もなかったので、半ば諦めて彼女の意見を受けいれた。
千葉さんの案内も手伝って、会場に辿り着くことができた。大学から少し離れたところにあるバーだった。大学生がバーでパーティーなんて大丈夫なんだろうか?大学1年生の大半は、20歳に満たない人のほうがもちろん多い。
そのバーは、外観は普通のレストランのようだった。平屋建ての建物だった。こんな場所に100人もの人が入れるのだろうか?バイト先の店、大和料理店に比べると、なんだかこのバーはこじんまりしている。この近くに飲食店は見当たらなかったので、おそらくこのバーで間違いないんだろうが、なんだかちょっと拍子抜けだな。文句を言えるような立場ではないが、正直もっと期待していた。まあ、一番の目的はやはりリナだったので、気にしないことにした。
一通り下見を終えると、家路についた。
「どうしてこんな場所に来たんですか?井上さん。」
「いや、ただ明日のパーティーの会場の下見をと思って。」
「そうですか・・・。」
「ん、何を企んでいるんだ?」
千葉さんはすっと目線をそらした。
ため息をつく。
これが彼女に一緒に来てほしくなかったもう一つの理由だ。明日パーティーに千葉さんも来るのはここで確定した。
別れ際に、千葉さんはくるっと振り向いて、「またね、井上さん」と笑顔で言った。
一瞬、なんだかドキッとした。振り返ると同時に、千葉さんの髪が後ろの夕日に照らされてキラキラと煌めいていて、なんだか、初めて彼女が魅力的に見えた。どことなく、リナに似ている気がした。雰囲気だろうか?いかんいかん、僕にはリナしかいないんだ。
アパートに戻ってくると、千秋と大地は既に帰宅していた。
「早いなお前ら」
「ほんの数分前に帰ったところよ。ってか、私達が早いんじゃなくて、あんたが遅いのよ。」千秋が言う。
「明日のパーティー会場の下見に行っていたんだ。100人もあんなところに入れるとは思えなかった。」
突然、大地が割って入ってきた。
「いやパーティーの話なんかより、康太、お前俺達になんか隠してんだろ?」
「隠してる・・・?何のことだ?」
「あの女子高生とのこと、気づいてないと思ったのか?」
「は・・・?」
「おいおいはぐらかしても無駄だぞ。バイトの先輩がお前があの女子高生と最近仲が良いって言ってたぞ。さあ、白状してもらおうか。」
「それは誤解だ。千葉さんとの間にはなにもない。なんかあったら絶対話してるって。近所に住んでるから、ただ一緒に帰ってるだけだよ。それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。」
先程、ちょっとだけ彼女を魅力的に感じたことはもちろん内緒にした。
「なんだ、そうなのか。付き合い始めたのかと思ってたぜ」
「俺はリナ一筋だ。」
「よくもまあ真顔で言えるな。」
「はいはい、そのへんにしときなさい。ご飯ができたわよ。」千秋が言った。
そして、ようやく一日が終わり、俺は自分の部屋に戻ってしばらく考え込んだ。
一体どうしちまったんだろう、俺?疲れすぎてんのかな?もちろん、誰にでもすぐに魅力を感じるなんてことはないが・・・。って、そんなん当たり前だ。さっきの気持ちは何だったのだろう?恋愛感情ではないことはたしかだ。ただ、千葉さんがリナに似ていたから、あんなふうに感じたんだろうと結論づけようとした。
ただ、もはやこうなってくると、何が恋愛感情で、何がそうじゃないのかわからなくなってきた。ただ、混乱しているだけなのだろう。そもそも、俺はリナのことが好きなのだろうか?それとも、ただ外見に惹かれているだけなのか?ずっとこの感情を愛だと思ってきたが、もはや愛とは何なのだろうか。こういうことについて考え込んでも仕方がないのは分かってはいるが・・・。考えすぎる、昔からの良くないクセだ。