第1章「桜の雨」
「ついに早稲田生・・・か。」
「いよいよだ。六年間勉強だけに没頭して、やっとここまで来た。ついに目標に近づいている。ようやく、ここであの人に再会できるんだ・・・。リナ・・・。」
誰かが俺の頭をコツンと叩いた。
「おい、もたもたしてないで、早く行くぞ。」
「少しはこの景色を楽しませてくれよ。」
「後にしろって。遅刻するぞ!」
俺の幼馴染二人も同じ大学に通うことになった。俺が一人になって寂しがると心配して、途方に暮れた末の判断だと思うが、それでも僕と同じ大学に合格できるようにあいつらが一生懸命に勉強したなんて今でも信じられない。
そんな理由のために退屈な勉強を続けるとは・・・。だが、少なくともそんなあいつらが本当の友人だということは疑いない。
そもそもなぜ俺はこの大学に通うことになったのか。その訳は、俺の中学生時代まで遡る
俺は片田舎の小さな町に暮らしていた。いわば、社会から隔絶されたような、そんな場所だ。テレビを持っている人はごくわずか、スマホを持っている人なんてもちろんいない、いわゆる"テクノロジー"とは無縁の場所だった。もちろん、観光客もこんな辺鄙な場所には訪れなかった。あの日までは。
インターネットで退屈をしのぐ事もできなかったので、俺らが出来たことといえば、ただ外で遊ぶこと。それが、小学校から中学校まで毎日続いた。
そんなある日、いつものように僕たちが森に遊びに出かけようとしていたそのとき、僕たちの村へ歩いてくる人達を見かけた。彼らは黄色い髪の毛をしていて、肌の色も違って、そして変わった服を着ていた。そんな人達を見たことがなかったので、とても不思議に感じられた。
僕たちは好奇心から彼らに近づいてみた。すると、当時の僕たちと同じくらいの年齢に見える女の子がいることに気づいた。彼女は、金色の髪の毛をしていた。僕たちは、彼女に話しかけてみた。
「ねえ、名前はなんていうの?」
「Was?」
彼女は俺たちが誰も知らない、外国の言葉を喋っていた。すると突然、彼らと一緒にいた黒髪の女性が僕たちに話しかけてきた。
「えーとね、この子の名前はリナ。日本語はわからないのよ。」
「リ・・・ナ?」
聞き慣れない名だった。
すると彼女はその女の子に俺たちのものとは違う別の言語で話しかけた。俺たちは彼女がなんて言ったのかまるでわからなかった。すると女の子は俺たちを見て「Lass uns spielen!」と言った。やはりそれがどんな意味なのかわからなかったが、その女の子は俺たちと一緒に遊びたがっているように見えた。黒髪の女性は僕たちに「一緒に遊んできなさい」というように頷いてみせた。
俺たちは当初から計画していたとおり、森へ向かった。ただ今回ひとつ違っていたのは、ゲストがいたことだった。お互いに言葉は通じなくても、リナの簡単な身振り手振りだけで、彼女が何を考えているのかは十分に伝わってきた。
ひとしきり遊んだ後、日が暮れてきたので、俺たちは家へ帰ることにした。リナは一人家路についた。こんな森からでも自分の家がどこにあるかすぐわかるということは、彼女はしばらくの間ここに住んでいるということだろうか?
次の日になって、またリナに会った。俺たちはもう一度彼女を遊びに誘った。それから丸一週間、彼女の名前を呼んで、そして彼女が俺たちと遊ぶということが続いた。
別の日に、またリナの名前を呼んでみた。ただ、今回はリナはちょっと躊躇ったようだった。彼女は例の黒髪の女性と一緒にいた。その黒髪の母親と思しき女性は俺たちに微笑んだ、リナに話しかけた。話がおわると、リナはいつものように俺たちのほうへ向かってきた。なぜさっきは躊躇ったような態度を見せたのかすこし引っかかったが、気にとめなかった。
今度は、俺たちは山の上の藤の木ところへ行った。俺たちはそこで寝そべり、小さな俺たちの町をぼーっと眺めた。そうしてくつろいでいると、突然誰かのお腹が鳴った。大地だった。
「ちょっとおやつを取りに行こうかな。」
「私も行く!ちょっとお腹空いちゃった。」千秋がそう答えた。
二人はおやつを取りに行き、リナと僕の二人がその場に残った。俺はそのまま寝そべっていたが、するとそこでリナがこう言った。
「あ、ありが、とう・・・。」
それが、彼女が俺が理解出来る言葉を言った初めての瞬間だった。俺は興奮して、彼女の手をとった。
「喋れるようになったんだ!あの二人にも聞かせてあげよう!なんとかして日本語を教えられるかもしれない!」
彼女は俺に笑い返した。ただ、嬉しそうな笑顔ではなかった。彼女の目は、今にも泣き出しそうだった。
「さ、よな、ら・・・。」
「さよなら?どうしてさよならなんか言うんだ。」
すると、彼女は俺を引き寄せた。その瞬間、俺は頬に温かい感触を覚えた。い、今のはもしかしてキス!?そして彼女は一枚の手紙を俺に手渡した。
「・・・す、き。」彼女はそう言って走り去っていった。
その瞬間、俺は何が起こったのかまるでわからなかった。視線の先で、千秋と大地がこちらに向かってくるのが見えた。
「ねえ何があったの?リナちゃんが走っていったけど・・・。まさか私たちがいない間になにかしたんじゃないでしょうね。」千秋が言った。
「彼女はきっと街を離れるんだ。」
「離れる?今?そんな・・・急すぎない?」
大地は彼女を追いかけようとしたが、無駄だった。大地がリナの家に着く頃にはもう彼女は家におらず、町から遠く離れていく車が見えただけだった。
その瞬間、俺はリナがキスした頬に触れながら、誰もいない道を見つめていた。その瞬間から、彼女を忘れたことはない。彼女を探して、この手紙にある約束を果たしたいと、そう強く誓った。
これが、俺のことを覚えているかどうかもわからない女の子のために、この大学に入学した理由だった。考えてみれば、あいつらと俺も変わらない。馬鹿げた理由で、突飛なことをする人間だった。
校舎に向かう途中、俺の目に飛び込んできたもの。遠くからだったが、金髪の髪の毛をした誰かがそこにいるのがわかった。もしかして。ただの見間違いかもしれない。俺から話を聞いてそちらに視線をやった二人も、目を疑っていた。だがやはりそれは、六年間探し続けてきた俺の初恋の人、リナだった。