15.釣りに挑戦
朝じめりのした山道の土を踏んで、深い霧の中を辿って行く。
ようやく日も登り始め生い茂る木々の隙間から朝の光が差し込み始めた。その白い光を浴びながら、1人と1匹が森の奥を目指していた。
「フィオ、朝早過ぎじゃない?もっと寝ようよ」
「何を言っているんだ!獲物が俺達を待ってるんだぞ!早く行かなくてどうする!」
◇◇◇
昨日、市場で買い物中に「迷いの森の奥にある滝壺に、脂が乗った物凄く美味しい魚がいる」と言う話を聞いてしまった。冬が一番美味いらしく、捕りに行きたいが、「迷いの森」の名前の通り、一度入ると出られないという噂があり、行く人がいないそうだ。
レイとしては、「今度行ってみようかな」くらいの話しだったが、フィオは違った。
翌日、日の出前にレイは額をペチペチと叩く刺激で目覚めた。
「起きろ!迷いの森に行くぞ!」
……外は暗い。雪は降っていなくても、凍てつく寒さに布団から出る勇気が湧かなかった。
そっとフィオを布団の中に引き入れ、「もう少し寝ようね」と声をかけながら背を撫でるも、ガジガジと甘噛み攻撃が始まった。
「迷いの森など俺の鼻にかかれば問題ない!毎日ゴロゴロしてばかりなのだから、たまには働け!」
そして、今に至る。
開門と同時に街を出て、落ち葉の敷き詰められた朝じめりのする小径を進んでいく。
相変わらず食いしん坊だなぁ。目の前で左右に揺れるフワフワの尻尾を見ながらあくびを噛み殺す。あんなに張り切っているフィオの前で欠伸をしようものなら怒られそうだ。
攻撃的なまでに肌を刺す冷たさと、霜の湿り気を帯びながらも感じる澄んだ冬の匂いを感じながら歩くのは嫌いじゃないな。そう思いながらも途中出てくる魔物を倒しながら滝を目指す。
(冒険者ギルドに魔物の解体依頼を頼まないといけないな)
弱い魔物は定期的に冒険者ギルドに卸しているが、フィオが倒した大物はアイテムボックスに保管したままだ。目立ち過ぎないようにするための行為だが、いい加減溜まってきてしまう。
「イワアラシだっけ?今から捕りに行く魚。川魚かぁ。海産物も冬が美味しいよね。牡蠣とか蟹とか鰤とか。あぁ、鍋食べたいなぁ」
料理が好きなレイが食材から料理まで妄想を膨らませていると、
「海の魚か!いいなそれ!なぁ、春になったら移動するんだろ?海行こうぜ!海!」
「それもいいね。ずっと西に進んでいったら海があるから、そこを目指そうか」
レイとフィオはあれが食べたいあれが美味いと、食べ物の話ばかりしながら川沿いを上流に向かって歩いていると、ゴウゴウと激しい水の流れる音が聞こえ始めた。
目の前に現れた滝に近づくと上空からの激しい流れにより水が逆巻き、白く細かい泡が勢いよく上がっていく。下を見ると激しい水流により真っ白に泡立ち騒いでいる滝壺から跳ね出されたように、魚が身を躍らせていた。
「誰もいないな。これが穴場ってやつか?」
「この寒さの中、ここまで誰も来ないだけかもしれないよ」
レイは滝壺を覗き込み、跳ねる水飛沫の冷たさに尻込みしながらも釣りをするためアイテムボックスから折り畳みイスを出して釣りの準備を始めた。
「どうやって魚を捕るつもりなんだ?」
「今回は、師匠の釣竿を使って釣りをしようと思います」
ジャジャーン!とばかりにアイテムボックスから釣竿を出す。釣竿と言っても、ラインを通すガイドもなく、リールもない竿だ。
いわゆる延べ竿だ。穂先に直接糸を結んで仕掛けを投入し、魚が掛かったら延べ竿の曲がりと上げ下げのみで釣り上げる。
エサは売ってなかったので、市場で買った魚を小さく捌いた物を持ってきた。
虫も餌になる事は知っているが、この時期に探したくないのと触りたくないという理由でやめた。
「さあ、釣ってみようか」
針に切り身をつけ、両手で持った釣り竿を大きく振りかぶった。
ヒュンッ
上手く滝壺の真ん中付近に落ちてくれた。
「私、初釣りなんだよね。上手く釣れるかな」
滝の流れの勢いで竿先から垂れている糸はどんどん下流に流れていっている。それを見ながらレイはふと昔図書館で読んだ釣り漫画を思い出した。
「そういえば、川釣りをする時、川のヌシは気配に敏感だから気配を消せって本に書いてたのを思い出した。気配を消すのよ、フィオ。気配を消して岩と同化するの。岩になれ~岩になれ~」
「なんじゃそりゃ。やっぱり釣りは餌だろ。餌は鮮度と活きの良さが重要じゃないか?ちょっと待ってろ」
せっかく釣りを始めたのに、フィオが何処かへ行ってしまった。ちょっと寂しい。
しかし寒いな。風が吹くたびに眼球にまで突き刺さるような冷気が体を襲う。当たりがくるまで動き回るわけにもいかず、一人どこかに行ってしまった毛玉が早く帰って来るように祈っていた。
ガサッ
「フィオ、帰ってきた ………… ぎゃぁぁぁぁ!嘘でしょ!嘘でしょ!まさかの咥えて持ってきたの?!見たくない!見たくないから!そんなフィオ怖いから!ぺっしなさい!ぺっ!なんでそんなの咥えるの?!ちょっと待って!ホントに理解ができない!信じられない!」
真っ白な、黙って座っていれば高貴ささえ感じられそうな綺麗な毛皮と顔立ちのフィオに咥えられ、巨大なミミズのような生き物が激しく動き回っている。その光景には違和感しかない。
それを地面に落とし前足で押さえつけ、平然とした顔で説明を始めた。
「暴れワームの赤子だ。釣りをするならこのくらい活きが良いほうがいいだろ?」
まさかこんな生き物を獲ってくるとは思わなかったと項垂れるレイの事は気にせず、フィオは早くしろと尻尾でパシパシと地面を叩いた。
フィオにせかされ「女は度胸!」とばかりに勇気を出しワームを掴み上げまじまじと見てみると目や鼻はなく、体の割に大きく開いた口には小さな牙が無数に見える。この大きさだとまだ噛みつかないのかなと思いながら意を決してもう片方の手で釣り針を構える。
「動くから全然刺せない」
「危ない!危ない!お前の手付きが危ない! 何で一番危ない頭から刺そうとしてるんだ!」
びちびちと最も動き、細かい歯を剥き出しにした先端から針を通そうとするレイをフィオは急いで止めた。
さっきからワームの動きに合わせて針がうろうろしている。刺すのにオロオロしているだけで一向に針を持つ手は宙を彷徨っているが側で見ているフィオから見ればぎこちなく危うかったのだろう、急いで止められてしまった。
「魚から針が見えないようにした方が良いって聞いた事があるから、頭から通して針に被せるように入れようと思ったんだけど」
「素人なんだから簡単にやったらいいだろ?背中に刺したらいいんじゃないか?指が喰われそうで見てるこっちが怖い!」
背中に……?レイは手元を見下ろしながら背中側と腹側が分からないなと思っていたがどちらでも良いことぐらいは分かる。未だに背なのか腹なのか分からないが盛大にびちびちとしているワームの、指で押さえている部分にぐいぐいと針を突き刺した。
意外と表皮が固く、数度地面へと落としたが、無事餌を付ける事に成功した。フィオはレイの前で手出しをしたいと言いたげにうろうろしていたが、何とか見守ることができた。
今度は落とさないように優しく。糸を持ち少し反動を付けるように手放せば上手く滝壺へと落ちていった。柄のギリギリを持ち少ししならせるようにしながら竿を操る。
その後は時間との勝負だ。魚が釣れるまでじっと我慢しなくてはならない。
さっきと違い、今回は膝の上にフィオがいる。その温もりを感じながら当たりがくるのをじっと待った。
正直、微かに当たりがあるような気がする。竿先も揺れてる気がするが、イワアラシは鮭サイズの魚だと言ってたので、もっと激しく動くのだろう。
「なぁ、一つ聞いて良いか?」
膝の上で暇になったのか、フィオが珍しく真面目な口調で聞いてきた。
「どうしたの?フィオ」
「どうして召喚者がこんな所でウロウロしてるんだ?」
「え?」
フィオは今、何て言った?召喚者?聞き間違いじゃないよね?
「フィオさんや、今、召喚者って言ったのかな?」
「言ったぞ。なんだ、秘密だったのか?時空魔法使ってたからバレバレだぞ。ま、人間や獣人族はわからないかもしれないな。フェンリルは魔法が得意な一族だからわかるが。フェンリルや高位魔族にはバレバレだと思うぞ」
まじか。知らなかった。
「あ~フィオさんや、その事は内緒にしてくれたら嬉しいなぁ」
「?別に誰かに言う気はないぞ。ただ、人間に召喚されて王宮にいるはずの召喚者がなぜ一人でウロウロしてるのか疑問だったんだ」
「それは召喚された時に事故がありまして、私は森の中に落下してしまったんだよね」
それから、私はこの世界に来てからの事を簡単に説明した。
その間、竿先は今もピクピク動いているが、本格的な当たりではない。
「私は、この世界の人間じゃない。だから、この世界の争い事に首を突っ込む気もない。勝手にやってくれってカンジなの。だから、私を召喚したこの国の偉い人達に私の存在がバレないよう、見つからないようにしないといけないの。だから、内緒にしててね」
しかし、なかなか当たりが来ないな。
フィオは私の話を静かに聞いていた。そこまで一気に話した所で、竿先に大きな当たりがあった。
「かかったかな?」
そう言った瞬間、ものすごい力で引っ張られた。思っていたよりも結構重い。フィオを地面に下ろし、戦闘態勢にうつる。ここからは根比べだ。リールがないのだから、向こうが力尽きるまで頑張るしかない。右へ左へ振られながら、頑張っていると、だいぶ手前まで魚が来た所で、
「フィオ!キャッチ!」
一気に竿を振り上げた。その勢いのまま魚が宙を飛び、フィオに向かっていった。
「うわぁ!ばか!危ない!凄い勢いで来た!」
「ははっ、ごめん、ごめん」
1m弱の大きさで、濃紺の体に大きな下顎を持った魚がビチビチと跳ねている。聞いていた特徴と一致している。イワアラシだ。魚屋から習った鮮度を保つ方法として絶命させ血抜きをし、アイテムボックスへ放り込んだ。
「よし、まだ時間あるし、もう一匹釣ろうか」
今度は切身魚でチャレンジだ。もう、ワームを咥えたフィオは見たくない。フィオも先程のレイの餌付の光景が怖かったのか、餌に関しては何も言ってこなかった。
糸を滝壺に沈め、再び椅子に座りフィオを膝に乗せフワフワの毛並みを堪能する。
「お前がこの世界に来た経緯はわかった。だが一つ言っておくが、この国に狙われる可能性があるなら、とっとと国外に逃げた方が良くないか?」
「わっはっはっ!私もそう思う。でもさ、この世界と違って死が身近じゃなく、衣食住が整ってた世界から来た私が、冬の道を歩いて無事に着くとは思えない。それにね、元は40歳の私が若返ってるなんて思わないだろうから、ここにいてもきっとバレないと思うんだよね。だから冬はのんびりして暖かくなったら移動しようと思ってる」
「そんな呑気に構えてて大丈夫なのかよ」
少し呆れ顔のフィオ。確かにこの世界に来た時は色々難しく考えてたな。こんな呑気な考え方できてなかった。あの頃なら最悪な状況しか考えられずにいただろう。元の世界では人にも時間にも追われ心にゆとりがなかったから、この世界に来たばかりの頃も心にゆとりがなく、最悪な方向でしか物事を考えられなかった。
でもこの世界では死が身近に感じられるが、物事をゆっくり考える余裕ができた。だから、レイの考え方も少しずつ変わってきていた。
「フィオ、いい言葉教えてあげる」
「なんだ?」
「人生、なるようになる」
この世界に来た時に一度死んだようなものだ。やりたいように生きて最悪な状況になったら死んで逃げればいい。呆れ顔のフィオは無視して竿先に集中する。どうやら喋っている間に魚が食いついたようだ。釣竿が大きくしなる。再び魚との格闘だ。さっきよりも力が弱く、割とあっさり釣り上げる事ができた。
「二匹釣れたし、もう帰ろうか。野宿は避けたいし」
椅子と竿をマジックボックスへ収納し、フィオを促す。帰路への一歩を踏み出したところで、
「…国外か。逃亡先はどの国を目指すんだ?」
「ん?そうねぇ。フィオのおすすめの国にしようかな」
「俺の?」
「うん。食いしん坊のフィオがおすすめする国なら、きっと美味しい物がたくさんあるんじゃない?どうせ移動するならフィオも美味しいものが食べれる所がいいでしょ?」
「食い意地だけじゃねーからな!」
ギャーギャーと騒ぎながら帰路につく。
徐々に夕焼けに染まっていく空を見ながら、明日、今日釣った魚を調理して食べる約束をする。自分の胸の重しが、この世界に来て少しずつ取れていっている気がするな。この調子だと、フィオも一緒に国外逃亡してくれそうね。レイは少しホッとした。
人間不信気味なレイ。それでも、やっぱり寂しいものは寂しい。独り身に慣れたなんて達観した事は言えない。
だから人が…フィオが温もりが離れていくのは寂しい。
「魚、美味かったらまた釣りに来るぞ。2匹じゃ足りない」
暴れワームの赤子をまた獲ってくると意気込む1匹と、それを食い止めようとする1人は賑やかに冬の川辺を後にした。