13.フィオとの出会い
冬がどんどん近づいてくる。吐く息は白く、無防備な顔に冷気が容赦なく突き刺さり、日々寒さが増してくるのがわかる。
春から初夏にかけての暖かい時期にこっちの世界に来たのに……。もうそんなに経つのかと、時間の経過を見にしみて実感していた。
今日は、師匠から聞かされていた珍しい薬草を探しに来たのだ。
滝の側の水飛沫が当たる場所にひっそりと咲く「寒雨草」。雪が降り始める直前の季節、ほんの数日だけ、小さな淡い水色の花をたくさん咲かせるらしい。
この花を乾燥させ細かくし、お茶を入れると、濃厚な甘味に芳醇な香りの、何とも美味な飲み物が出来上がると言っていた。薬草と言っても効果はささやかな物で、寒い冬の日に室内で飲むと、体が暖まり、とてもリラックスするそうだ。
まだ、一般には知れ渡っていないその飲み物は、師匠の冬の楽しみだったらしい。
そんなに言われると、興味が湧いてしまうじゃないか。
最近のレイは、ギルドで依頼を受けながら時々ポーションを売り、のんびり読書を楽しむ時間を過ごしていた。そして今日は前々から気になっていた寒雨草を探すのに絶好の気象だと判断し探しに行こうと思ったのだ。
もう少しで滝に着く。その前にお昼ご飯を食べよう。今日は「ポカポカ体が温まる 飴色玉ねぎのスープ」だ。
長々とタイトルをつけたが、ただのオニオンスープだ。鍋にバターをひき、玉ねぎを飴色になるまで炒める。そこに水と干し肉を入れ煮る。本当はコンソメを入れたいが、無いから仕方ない。コンソメを作れる程の料理スキルはないから、諦めてるけど、いつか作ってみたいな。
日本で何気なく使っていたが、味○素というメーカーはやはり素晴らしいなと思いながら手を動かす。
ある程度煮たら、塩と胡椒で味を整えて完成だ。
これだけでは足りないので、手作りパンとチーズを追加だ。
この手作りパン、この間やっとできた天然酵母で作った物だ。どんな物かはわかっているのに、それでも半年以上時間がかかってしまった。
天然酵母は、殺菌した瓶にリンゴと少量の砂糖とヒタヒタの水につけて日陰に置いておくと、出来るという曖昧な記憶しかなかった。自分で作った事なんかなく、テレビでなんとなく作ってるの見たなぁって程度の記憶だ。
その知識を元に始めた天然酵母作り。日陰に置いたり日向に置いたり、そっと放置したり振ってみたり。
やっとシュワシュワと泡が出る液が出来上がった。これをどうしたらパンになるのか…。次はパン作りの研究が始まった。
(正直、手作り天然酵母なんて食べれるのか…腐ってないか不安で最初の一口はドキドキしたなぁ)
そして試食も繰り返し、ついに及第点の取れるパンが完成した。
(まだまだ改良の余地ありね。しかし、天然酵母作りにこれだけ手間取ったけど、この世界でパンを膨らます方法ってどうやっているのかな?商業ギルドに聞いたらわかるかな)
手作りパンを薄切りにし、火で軽く炙ったチーズを乗せて食べる。市場で見つけて買ったチーズだったが、なかなか美味しい。明日また買い足そう。
焚き火の側でパンとスープを堪能した。冷えた体がずいぶんと温まってきた。
(そういえば、カステラまだ食べてなかったな)
初めて商業ギルドの作業場を借りた日に作ったカステラ。色々あって食べる気も失せ、アイテムボックスに入れっぱなしだった。
(寒いし、少し炙って食べてみようかな)
棒に刺し、焚き火で軽く炙って食べる。甘さと香りが強調された様な感じがして、これはこれで美味しい。
(大成功ね。カステラは簡単だからよく作ってたんだよね)
日本にいた時はせんべいの缶を型にし、一気に沢山作っていたのだ。あの頃はインフラの整った場所で生活してたから、色々な物が簡単に出来たが、この世界ではそうはいかない。
(他に何が作れるかなぁ)
次に作る食べ物を考えながら、もう一つカステラを炙ろうとした時、激しく見つめる視線に気づいた。ふと見ると、尻尾も毛足も長い、白いフワフワの毛並みの仔犬が、涎を垂らしながら見つめていた。カステラを。
すっ…とカステラを動かすと、カステラの動きに合わせて顔が動く。可愛い。
アイテムボックスからお皿を出し、カステラを乗せてそっと差し出す。
「……食べる?」
レイの一言に飛びつくように皿に齧り付き、一瞬で食べてしまった。
「美味い!もっとくれ!」
仔犬が喋った?
おぉ…仔犬が喋った。仔犬は喋るのか?
「そうか。この世界の仔犬は喋るんだ…」
「喋るか!しかもフェンリルの俺がどうして犬扱いなんだ!ふざけるな!」
フェンリル?えぇ…何か神話か何かに出てくる伝説の生き物だよね?
しかし…
かわいい。
「ごめんごめん。もう少し食べる?」
「食べる!」
ハッハッと舌を出しながら尻尾を振っている姿は、完全に仔犬だ。カステラに夢中になっている隙に撫でてみると、冬のせいか白い毛は量が多くフワフワで良い手触りだ。
そっと両手でモフモフしてみる。毛の中に指が埋もれ暖かい体温を感じる。夢中でモフモフしていると「やめて!やめてくれ…」というか弱い声が聞こえるが、特に抵抗らしい抵抗もしてこないしカステラも食べ終えたみたいなので、膝に乗せ直し、しばらくモフル事にした。
数分後には私の膝で伸びきってゴロゴロと喉を鳴らしていた。小さく可愛いピンクの肉球も丸見えだ。
「そろそろ行かないと不味いかな」
木にもたれかかり、のんびりモフモフを堪能してしまった。採取にも時間がかかるし、門が閉まるまでには採取して帰りたい。昼休憩を予定より長くとり過ぎてしまった。
「はっ!…おのれ、ナデナデごときで俺を懐柔しようなど」
膝の上でブツブツ文句を言っている白いモフモフ。やっぱり可愛い。
「ごめんね。素晴らしい手触りだったよ。ありがとう」
膝から下ろし、焚き火の始末をする。さぁ、先を目指すか。カステラを入れていた皿を片付けようと手を伸ばすと、よほど気に入ったのか皿を凝視している視線に気づいた。
正直悪い気はしない。自分の手料理をここまで気に入ってもらえると、むしろ嬉しい。召喚の事もあるし、人間は深く関らず極力避けて生きて行こうと思っていたが、この子なら大丈夫かな?
「今から滝に行くんだけど、一緒に行かない?何か用事ある?家族が待ってたりする?」
「俺は1人だ。家族なんていない。別に用事もないが、滝に何の用があるんだ?」
「寒雨草を取りに行くの。花を加工して飲むと、甘くてとっても美味しいらしいよ」
「ほう、甘くて美味しいのか…」
よほど甘党なのか尻尾が左右に揺れてる。しかし、素直な性格だな。考えや感情が、丸わかりだ。
「この先の滝なら、霧虹滝だな。よし、俺も一緒に行ってやろう」
先導するように小さな体でテクテク歩き出した。フワフワ尻尾が左右に揺れるのを見ながら目的地を目指す。
「霧虹滝って言うんだ。じゃ、道案内よろしくね。私はレイって言うの。あなたの名前は?フェンリルでいいの?」
「俺はフィオドール。フェンリルは種族だ。これでも200年生きているんだぞ」
「へぇ200年か!すごい長生きだね!ねえ、フィオって呼んでいい?」
「うむ、美味い菓子を貰った礼に特別に許してやろう」
機嫌良さげに歩いている。人間は苦手だけど、犬猫は好きなのよね。
「ねえ、フィオは200年生きてるのよね?戦えるの?」
魔物がいる世界だ。1人で生きていくには戦う力がいるはず。こんな小さな体にどんな力が隠されているのかな。
「戦えるぞ。魔法も使える。体も今はこのサイズだが、成長したらもっと大きく、人間の貴様なぞ俺の爪で簡単に切り刻めるぞ」
自慢げに自身の強さを語るフィオ。そうか、200年生きててもまだ成長途中なんだ…。そんな話をしながら歩いていると、目の前にモリイノシシが3頭現れた。イノシシと言っても、軽トラサイズの魔物だ。
肉が人気で、ギルドに持って行くと喜んで買い取ってくれる。
「雑魚だが俺の力を少し見せてやるか」
「あ、フィオ、毛皮も売れるから、出来る限り傷は少なくして欲しいな」
「首を落としたら良いのか?」
そう言うと、あっさりと風魔法で3頭の首を落としてしまった。
「一番得意な魔法は水の上位魔法の氷だ。ちなみに、成長したら、さっきの魔物よりも大きくなるぞ」
フィオが、さっきのイノシシよりも大きくなるのか。ワンボックスカーサイズかな。
「それはモフモフ具合が割増で素敵ね」
「モフモフばっかり言うな!でっかいんだぞ!強いんだぞ!怖いんだぞ!」
白い歯を剥き出しに物凄く威嚇してくる。
「怖いわねぇ。怖いけど、私に危害を加える気ならもうとっくにしてるでしょ?それに、怖さよりもそのモフモフに埋もれたいって願望の方が強いな。ねぇフィオ、抱っこしてもいい?」
この寒さの中、フィオを見ているとモフモフの毛皮がとっても魅力的に見える。呆気に取られた顔でこっちを見ていたフィオをそっと抱き上げた。
「変な奴だな。おい、その肉も調理して食べさせてくれよ。これから取りに行く飲み物もな」
「はいはい。任せておいて」
モリイノシシを回収し、再び滝へと目指した。川岸を上流に向かって進んで行くと、徐々に水飛沫の音が聞こえてきた。
滝に近づくと空から落ちてくる激しい流れと対照的に、白く細かい泡が勢いよく上がっていく。下を見ると水面を境に、空中にも水中にも滝があるみたいだ。昼強い陽光が滝に射し込み、風で舞う水飛沫が虹の色に染まっていた。
「立派な滝ね」
その立派な滝の近くで、小さな淡い水色の花が咲き乱れていた。刺すような寒さの中、その綺麗な光景を堪能していたが、
「おい、美味い花というのはこれなのか?」
景色に興味ない一匹がいるのを思い出した。
「そう。この水色の花を集めて乾燥させるんだよ。今から集めるけど…フィオの肉球じゃ難しいね」
寒雨草に鼻をくっつけてフンフンしていたフィオの前足をニギニギしながら採取は無理だよねとレイは考えていた。
「む…… 確かにこんな小さな物を掴むのは難しいが、なんか癪だな。よし、待ってろ!もっと凄い物を見つけてきてやる!」
ニギニギしていた前足を凄い勢いで引っこ抜き、意気揚々と走り去って行った。元気がいいと言うか、プライドが高いと言うか… ま、元気で何よりだ。そう思おう。
フィオがいなくなり、静かになった滝のそばでせっせと花を集めていった。体感で2時間くらいだろうか、結構な量が集まったしそろそろ帰ろうかと思った時に、『ガサガサッ』と葉の鳴る音が聞こえ振り返ると、ドヤ顔をしたフィオが叢から出てきた。
「見ろ!俺だって採取できるんだぞ!」
フィオの足元には何やら袋状になった植物にキノコが沢山入った物が転がっていた。お、松茸もあるぞ。
「凄いねフィオ!これ、美味しいよ!」
「なに!じゃあ、これも料理してくれ!」
フィオとレイはホクホク顔で帰路についた。