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読書国民に告ぐ

作者: 私傘

 私は昼過ぎの山手線にいた。通勤ラッシュの時間帯の殺人列車とは異なり、乗車率は100%もないだろう。そこは1日の中で家に次いで快適な空間であった。


 私は都内の大学に通う学生だ。今年の春に入学した1年生の小僧だ。大学受験の難易度が上がるなか、合格の2文字を見た瞬間を私は半年経った今でも覚えている。喜びのあまり涙を流したからだ。努力が報われた瞬間を父と分かち合った。


 大学生になって初めての9月を迎えた。私はこの時期に趣味という名の本棚に新たな本を加えた。それが読書だった。


 読書を趣味の1つに数え始めたきっかけは、思いつくだけでもいくつかある。特に大きな理由は読書をするために最適な時間ができたことだと思う。それは通学の際に乗る電車での時間だ。


 高校生の頃は電車で片道10分ほどの通学時間だった。さらに満員電車の中で座席に座ることは出来ず、立ちながら本を読むことは不可能であった。


 しかし、大学生になってその時間は私の生活から消えた。


そう、大学生の朝は


――――遅い。


 通勤ラッシュの殺人列車に別れを告げたのだ。そして、心穏やかに座席に座ることが出来る時間を私は迎え入れた。


 大学の最寄駅まで電車に乗っている時間は40分ほどであった。f分の1の揺らぎが私を包み込み、読書をするその40分はとても有意義なものであり、いつしか私の細やかな楽しみとなっていた。


 1日のほとんどをスマホやパソコンを見て過ごす、正に現代の若者の私にとって、画面の中の文字ではなく小説の中の活字を読むという時間はなぜか新鮮味があるものであった。その感覚がとても不思議だ。しかし、ある種の快感でもあった。


 下車駅の1つ前の駅に電車が到着すると、私は読んでいた本をリュックにしまい、代りにスマホを取り出す。アナログとデジタル。私の手にはそれが行き来する。当たり前のことだが、つい最近読書を趣味にした私にとって、それは当たり前のようではないような気がした。少なくともつい先月までは当たり前ではなかった。


 手に取ったスマホをポケットにしまい、周りを見渡した。読書をする者は視界にいなかった。多くの人が熱心にスマホを眺めていた。私はその何でもないような光景を見て、優越感を感じた。


 この人たちは現代に囚われ、スマホの相手をすることにか脳がないのだと思った。それに比べて、私は毎朝読書をし、文学に触れ合い、新たな知識を得ている。加工された偽りの写真や汚い言葉で誰かを批判する投稿を見ているこの人たちより、私は優れているとそう思ったのだ。


 読書をしている。たったそれだけのことで私は変わったのだ。実に愚かであり、何の生産性もない馬鹿げた考えだ。1を知り、100を知ったと思い込んでいる小中学生と同じだ。


 しかし、そのときの私はその空虚な考えをしてしまったのだ。そして、ドイツ国民に対してドイツ文化の素晴らしさを説いたフィヒテを思い浮かべてこう心の中で呟いた。


 「読書国民の同志よ、我々の文化は素晴らしい!我々の文化はこの現代で光り輝き、尊いものだ!画面の向こうの陳腐な文化に取り込まれている人々とは違う!」


 私は心という小さな世界で、偉大な指導者を演じたのだ。実に子どもっぽく、無駄だ。


 そして、私は読書という波の中に取り込まれていった。

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