マイト、村長の家も飛び出す
家から走ってやってきたのは村で一番立派な建物である村長の家だ。
村一番といっても他の家と比べて少し大きい程度で見た目はたいした差はない。
この村の村長は村長だからといって何か特別な収益を得ているわけではなく、そういった不正を嫌う清貧な気質の持ち主だからだ。
長年大きな問題も起こさず村を治めていることもあり、村人からの信望の厚い爺さんだ。
だからこそ今回のような決定をくじ引きしたなんてことが信じられない。
「村長! 村長!」
半ば怒鳴るように呼びかけながらドアを開けて家の中に入っていく。
普段ならこんな不作法な真似はしないが今は誰かが出てくるのを待つ時間も惜しい。
「ど、どうしたのマイトお兄ちゃん? そんな怖い顔をして……」
突然入ってきた俺を玄関先で真っ先に出迎えてくれたのは村長の孫のナンシーちゃんだった。
村ではクレアの次に可愛いとされる彼女。
肩にかかる程度の長さの薄紫色の髪は辺境の村にいる娘のものとは思えないほど美しい艶を誇り、少したれ目気味だがぱっちりとした目が印象的なその容貌は、クレアとは違い幼さを残しつつも女性らしさが垣間見える。
俺より二つ年下でまだ成長中であるはずの彼女だが、一部分は最早大人を軽く通りこして男の視線を釘付けにしてやまない自己主張をしてたりする。
彼女と出会うとまず最初に目がいくのは美しい顔でもなく綺麗な髪でもない。
凶悪な存在感を見せる胸だ。
会うたびにさらなる成長を見せている気がする胸なのに、すでに村一番の巨乳なのだ。
いったいどこまで育つのやら……今も一瞬怒りを忘れて胸に視線がいきそうになった。
最早男に対する兵器である。
正直兄の贔屓目なしに純粋に女性として評価した場合、ナンシーちゃんはクレアより女性として魅力的だと思う。
しかし俺が村の他の男連中にそういうと皆口をそろえてクレアの方が圧倒的に可愛いというのだ……解せない。
ちなみに彼女と俺と妹のクレアは年が近いこともあり、小さいころからよく一緒に遊んだ仲で、特に彼女とクレアは親友といえるくらい仲が良い。
普段は明るい真面目な性格な彼女。
だが、今は少しおびえた様子で俺の方を見ている。
まあ知った仲とはいえ、いきなり喧嘩腰で家に押し入っているのだから無理ないだろう。
「いきなりごめん、ナンシーちゃん。急用なんだけど村長はいるかな?」
ここでナンシーちゃんに当たるのは筋違いだろう。
俺はできる限り気持ちを落ち着けて話しかけた。
「うん、奥に……って、お爺ちゃん?」
俺の声が聞こえたのかちょうど村長が家の奥から出てきた。
「よう来たのマイト。今日はどうしたんじゃ? ナンシーをでぇとに誘いに来たのかの?」
普段と変わらぬ調子で話かけてくる村長。
村の中でも最年長の老人はその顔に深い皺を刻み、人をからかうような表情を浮かべている。
いつもこの家に来るとナンシーと俺の関係を煽るのが日課の孫バカ爺さんだが、こう見えて長年孤立した寒村をうまく治めているできる村長なのだ。
当然人間の機微にも鋭い。
「それとも日も高いうちから家の中でナンシーとしっぽりする気か? ……覗いていいかのぅ?」
その村長が怒鳴りこんできた俺に対してこんな対応をするというのは明らかにわざとだろう。
「村長!」
「ふぅ、何も怒らんでもいいじゃろう? 冗談じゃて……しておぬしが来たのはクレアの件かのぅ?」
「それ以外ないでしょう! くじ引きでそんな重要なことを決めるなんて、いったい何を考えてるんですか!?」
「考えるも何も話は当然グレン……は説明できるような状態じゃなかったからライラから聞いたであろう? 生贄が必要だがどの家も出したくない。ならば公平にくじ引き。結果おぬしの妹のクレアを生贄に出すことが決まった。それだけじゃ」
「それだけって……くじ引きなんかで生贄を決めたら不満がでるに決まってる!? そもそも貢物を差し出してるという話は聞いたことがありますが、なぜ今回は生贄なんですか?! 前回生贄を出したのは百年も前のことなんでしょう?」
「悪魔の事情など分からん。だが歯向かえば最悪村が滅んでしまう可能性すらある。村人一人を救うためにそんな危険は冒せん。ならば誰かが犠牲にならねばならんのだ。マイトよ、わかってくれ」
俺にそう諭す村長は、いつの間にかここに来た当初の飄々とした態度はなりを潜め、沈痛な表情を浮かべていた。
怒りに我を忘れて村長に当たってしまったが、村長としても今回の決断は不本意であったのだろう。
それに心の中ではわかっていた。
俺が村長に何かいったところで覆るような話ではないということは……
「……でも妹を……クレアを生贄にだすなんて……俺はどうしても納得できない」
「おぬしたち兄妹が仲が良いのはわしもよく承知しとる。そんな妹が生贄に差し出されるのを指をくわえてみているなど己が許せまい」
村長は俺の胸の内などお見通しだったのだろう。
クレアを助けるために何かしたい。
その思いだけでここに来たようなものだ。
くそっ! 結局どうにもならないじゃないか。
「ならばいっそ悪魔に会いに行ってみてはどうじゃ?」
「え?」
どういうことだ?
「今まで実害もなく、たいした要求をしてこなかった穏やかな悪魔じゃ。成人前の子供の言葉ぐらいなら聞いてくれるじゃろうて」
つまり村長は、俺に悪魔と直接話してこいと言っているのだろう。
しかし……
「今更俺が話してどうにかなるものなんですか?」
村長たちが話しあって決めた村と悪魔の取引を一村民でしかない俺がどうにかできるはずがないだろう。
少し頭が冷えた今ならそれぐらいわかる。
「無論、理由があって生贄を要求している以上理では動かんじゃろう。だが情で動いてくれる可能性はゼロではあるまい?」
悪魔に情なんてるのだろうか?
「クレアの、妹のために何かしてやりたいのじゃろう?」
村長の言葉を聞いて、俺は背中を押されたように感じた。
気づけば外へと駆け出していたのだ。
その際ちらりと見えたナンシーちゃんは俺がこの家に来た当初から変わらず暗い表情をしているのが少し気になった。