第四話「プリンセス再び」
初めて八夜と言葉を交わした夜から、特に何事もなく日々は流れる。
とは言っても、本当に何事もなかった訳ではない。日常の中にも書き留めるべきことはある。初めての接触以降、八夜は私に話し掛けて来るようになったのだ。その際に____
「ミシェルお姉様」
などと呼び掛けるので、私や周囲はその度に凍り付いた。
ミシェルお姉様。これは非常に扱い辛い代物だ。ドンカスター家の複雑なお家事情を嫌でも想起させてしまう。
ドンカスター本家に引き取られ、年齢的に長女となった八夜。その彼女が勘当された娘である私を慕う。この光景に良い思いをしない人間は少なからず存在するのだ。
お姉様呼びは控えさせた方が良いだろうか?
波風を立てないためには、その方が良いのだろうが……。
私は八夜に姉として慕われて……嬉しかった。
今ならば、妹のレイズリアや母親のリリアナを庇おうとしたラピスの気持ちが少しだけ分かる。家族と言うものの存在。それが如何にかけがえのないものなのか。私はこの胸の温かさの中で実感していた。
「ミシェル君、あの隊長ちゃんにデレデレよね」
就寝前の事。かねてからの約束通り、私は自室で一緒に寝る事をサラに許され、彼女と睡眠前の雑談を繰り広げていた。
「デレデレ……? そうかな?」
「そうよ。ここのところ珍しく顔がにやけてるもん」
“あの隊長ちゃん”と言うのは、言わずもがな八夜のことだ。
「妹が出来たようで嬉しいのかしら?」
「……うん、そう……だね」
頬を掻く私。サラの指摘は全くの図星だった。
「見た感じ悪そうな娘には思えなかったけど……実際はどうなの? ヤバい奴だったりしない? カネサダには確認した? アンタの相棒、人の心が読めるんでしょ?」
「うん、一応確認したよ。カネサダは大丈夫だって言ってた。悪い娘じゃないよ、八夜は」
私の相棒に関する秘密は既にアイリス、ラピス、マリア、サラ、ミミに知れ渡っている。マリアがカネサダの声を聞けるようになったため、この際だから隠していた事を全てを明かしたのだ。と言うか、私がガブリエラとの闘いから目を覚ました時には、ほとんどの情報がマリアを通して皆に開示されていたのだが。
「少し意地の悪い質問になるけど」
サラは前置きして尋ねる。
「あの隊長ちゃんの事、憎んではないの?」
「……」
「何て言うか……ドンカスター家の人間なんでしょ? 彼女に罪がないのは分かるけど……ほら……色々と思うところはある訳で」
「それは筋違いの恨みだよ」
強めの否定。私はサラではなくむしろ自身に言い聞かせるように言う。
「私はドンカスター家に……エリザお義母様に酷いことをされた。だけど、それに八夜は全く関係ない。彼女は毛ほども悪くないよ」
……八夜の事を憎んでいるのか?
それに対する明確な答えは出せない。八夜への恨みが間違いなのは分かる。しかし、心とは理不尽なもので、ドンカスター家への憎しみを、わずかながらでも罪の無い少女へと重ねてしまっている自分がいた。
八夜の背後にどうしてもあの影がちらつく。
エリザ・ドンカスター。私の義母の影が。
「ところでさ、2週間後に遠征任務があるらしいわね」
空気が悪くなったためか、話を変えるサラ。話題は遠征任務の事について。
「うん、確かリッシュランパー地方で食糧不足が起きているから、私達が物資を届けに行くんだよね」
リントブルミア王国北部にはリッシュランパー地方と呼ばれる巨大な盆地が広がっており、周りを山々に囲まれた平地には複数の農村が点在している。
2週間ほど前になるのだが、リッシュランパー地方の各農村において突如として収穫前の農作物間で原因不明の病気が流行し、地域住民は食糧不足の状態に陥ってしまった。
この事態に対処するため、国はリッシュランパー地方への物資提供による支援を決定。輸送の護衛として毎度ながら我々エストフルト第一兵舎の一同含む騎士団が駆り出される運びとなった。
「久しぶりに一緒に仕事が出来るわね。……まあ、隊が別々だし、そこまで顔を合わせる事はないと思うけど」
「うん、そうだね」
サラは溜息を吐いて____
「はあ……羨ましいわね」
「サラ? どうしたの?」
「私もミシェル君と……皆と同じ部隊に入りたいわ」
マーサとの闘いを経て、私、アイリス、ラピス、マリア、サラ、ミミの6人の間には特別な絆が生まれていた。6人の中で唯一別の部隊に所属しているサラはきっと寂しさを感じていたのだろう。
しかし、意外だ。サラの口からそんな言葉が漏れ出るなんて。
「……どうしたの、ミシェル君? 私のことじっと見つめて」
「え? いや……サラがそんなこと言うなんて珍しいなって。前はさ、友達とか仲間とか、下らないって思ってた感じだったじゃんサラは。一匹オオカミっていうか」
「まあ、確かに」
サラは少しだけ感慨深く頷く。
「変わったわね、私」
蝋燭の光が暗闇を照らす室内で、サラはベッドに潜り込む。それを合図に私も床に敷いた布団の上に寝転がった。
私がベランダで寝る事はもうない。今は夜空ではなく蝋燭の灯りを照り返す天井を眺めながら眠りに落ちる。私は、そして私を取り巻く環境は、依然と大きく変わっていた。
生活の何気ない一コマに変化を実感できる。それはとても喜ばしい事だった。
以前のように他者に虐げられることなく、仲間に囲まれて平和に生きている。この停滞が今の私にとっては心地良い。
しかし。
翌朝____日常は終わり、新たな闘いが幕を開ける。
朝食を皆と食べ終えた私。騎士としての任務に今日も勤しむ____筈だったのだが、見知った人物が現れ、務めから私を引き剥がした。
「ミシェル、お前に客だ」
「ラピス隊長? ……って、貴方は」
ラピスの連れて来た人物に目を丸くする私。
ラピスの隣に並び立つ少女。兵舎に似つかわしくない街娘の格好をした客人____それは秀蓮だった。
「秀蓮、なんでここに?」
マーサとの一件で彼女とは一波乱あったので、やや警戒気味に尋ねる私。すると秀蓮は懐からそっと腕章をチラつかせて____
「ミシェル先輩、お時間を頂けませんか?」
秀蓮が取り出した腕章にはギロチン____ラ・ギヨティーヌの紋章が刻まれていた。
私の手は思わず腰元のカネサダに伸びる。彼女はラ・ギヨティーヌとして私の元に訪ねてきたのだ。
「そう警戒しないで下さいよ、ミシェル先輩」
「……」
秀蓮は肩をすくめるが、それで私の緊張と警戒が解ける訳もなく、しばらく両者で見つめ合う事に。
「兎に角、私に付いて来てください。詳しい話は向こうでするので」
急かす秀蓮。私の視線がラピスへと向く。こちらをじっと見つめていた彼女だが、ゆっくりと頷いてから口を開いた。
「行ってこい、ミシェル」
「____はい」
ラピスの目は警戒を怠るなと無言で訴えかけていた。私は頷き、再び秀蓮に向き直る。警戒するように目を細め、ずいっと前に進み出た。
「付いて行くよ。ラ・ギヨティーヌが私に何の用なのか知らないけど」
「……はあ、そうですね」
私の言葉に秀蓮は頬を掻いて、苦笑いを浮かべた。
……? 何だ、この秀蓮の微妙な態度は?
何か隠しているようだが……不思議と敵意や害意などは感じられない。
疑問に思い、私はそっとカネサダを鞘から抜く。彼に少女の心を読んでもらうのだ。
すると____
『……成る程、そう言う事か』
「カネサダ?」
『どうやら警戒の必要はなさそうだ』
カネサダの言葉に私はますます首を傾げる事に。警戒の必要は無い? 一体どう言う事なのか?
分からないが、兎に角私は秀蓮についていくことにした。
しばらくの間、私達は無言でエストフルトの街を歩く。
「さて、ここまで来れば良いでしょうか。あ、歩いたままで結構です」
兵舎から離れた所で、秀蓮はふと私に向き直り____
「私がエストフルトにいる理由は、確かにラ・ギヨティーヌの任務のためなんですけど、先輩にはそれとは別に用事がありまして」
「別に用事?」
「ええ、先輩を呼び出してきて欲しいと頼まれました」
呼び出してきて欲しい?
「一体誰に?」
私が尋ねると、秀蓮は____
「まあ、すぐに分かりますよ。……と、ここですね」
私の目の前に路地裏の入口が現れ、秀蓮が手招きをする。
「さあ、殿下がお見えですよ」
「……殿下? って、まさか」
はっとなって路地裏の奥に目を向ける。暗闇の中、湿気と埃臭さを振り払うように、綺麗な金色の髪をなびかせた少女がこちらに駆け寄ってきた。
私は少女の名前を呼ぶ。
「……エリー!」
「ミシェル様!」
満面の笑みを浮かべ、エリーが私の手を握る。
「お久しぶりです、ずっと会いたいと思っていました」
無邪気な言葉を投げかけるエリーに私は照れ笑いをする。およそ一月。短いようで長い時間、私達は音信不通の状態だった。
再会を喜び合っていた私達だが、しばらくすると私ははっとなってエリーに尋ねる。
「どう言う事なの? どうして秀蓮が私をエリーの元に?」
私とエリーの視線が秀蓮の方へと向く。エリーが説明しようと口を開く前に秀蓮が肩をすくめて____
「私の事は後で良いのでは? 人が来ない内に話す事話した方が良いんじゃないですか?」
「そうですね」
きょろきょろと辺りを見回しエリーが頷く。路地裏に人がいる様子も、人が入って来る気配もない。
「ミシェル様、秀蓮様の事はまた後で。しかし、これだけは言えます。彼女は敵ではありません。私達の味方です」
「秀蓮が?」
経緯は分からないが、秀蓮に危険性はないようだ。カネサダも警戒の必要はないと言っていたので、それは間違いない。
「さて」
咳払いをするエリー。それから____
「此の度は主に二つの案件でミシェル様をお呼び出ししました。このような形で不躾ですが、手短にお話させて頂きます」