第三話「妹との対面」
エストフルト第一兵舎に新部隊が発足してから数日が経過する。ラピス隊は八夜隊を半ば下部部隊として従え、40人近い騎士達がラピスの指揮下に置かれた。
私はと言うと、初日のシシリーとの決闘での勝利が理由か、合同部隊内での大きな発言権を得ていた。立場上は平隊員であるものの副隊長のマリアを差し置いて、部隊の直接的な指揮を執ることがよくある。
さて、騎士としてよろしくやっている私だが、胸につっかえたものを抱えていた。
義妹……になるのだろうか、一応。八夜・東郷・ドンカスター。彼女との事が気掛かりで、そわそわとした毎日を過ごしている。
勘当され、繋がりを失ったはずの一族。もう私とは何の関係もない。しかし、いざ血族を前にすると、とてもではないが心理的無視は不可能。私は四六時中八夜のことを意識していた。
彼女は私の事をどう思っているのか。いやそれ以前に____私は彼女の事をどう思っているのか。
親近感か? それとも憎しみや嫉妬か?
私は____有り体に言えば、八夜と話がしたかった。彼女の事が知りたい。一族のことも。そして自分自身の想いも。
そんな願いが天に届いたのか。
ある日の事、夕食後の廊下で偶然八夜と鉢合わせをする。
私は一瞬どきりとし、しかし無視を決め込んで彼女をスルーしようとした。
したのだが……。
「貴方の事はなんて呼べばいいのでしょうか?」
それはすれ違う瞬間のことだ。八夜が私に向き直り、鈴の音の様な声音で尋ねた。
私は呆然となり、じっと彼女の事を見つめていた。黒髪を揺らし、少女は首を傾げて____
「貴方の事はなんて呼べばいいのでしょうか?」
再度の問い。私はその質問の意図が分からず、オウム返しをする。
「貴方の事はなんて呼べばいいの?」
八夜は少しだけ考え込んでから____
「……そうですね……好きなように呼んでください」
「じゃあ、貴方も好きなように呼べばいい」
私の返答に八夜は困ったように唸る。
「そこが問題なんですよね」
「問題?」
「貴方の事はお兄様と呼べば良いのか、それともお姉様と呼べば良いのか」
八夜の口から出た私の呼称に目を丸くする。お兄様って。お姉様って。
「貴方が男性なのは公然の秘密な訳でして、お兄様と呼ぶのは不味いと思うのですよ。かといって、お姉様と呼ぶのは……もしかして気に障る可能性も。悩ましいですね」
「は、はあ」
「私は貴方の事をどう呼べば良いのでしょうか?」
大真面目に尋ねる八夜に私は正論を返す。
「……ミシェルって呼べば良いじゃん」
「……ミシェル……?」
何やら疑問符を頭上に浮かべている八夜。何をそんなに疑問に思っているのだろうか。
「……」
うーん……。
何か……ズレてるなこの娘。アウレアソル皇国で生まれて、ずっと向こうで育っていた所為なのだろうか。私との波長が合わない。
「それも抵抗があるんですよね。貴方は私の兄であるわけでして、“ミシェルさん”と言うのはよそよそしくて嫌な気分がします」
「……そうなの?」
これも国による価値観の相違なのか。八夜の主張していることがいまいち理解できない。気にする事なのか、それは。
「……八夜」
「はい、なんでしょうか」
「……いや、ただ呼んでみただけ」
「……? おかしな人ですね」
貴方に言われたくはない。内心でツッコミを入れる私。
「八夜はさ……私の事、どう思ってるの?」
「どう____ですか。そうですね」
私の瞳を真っ直ぐと覗き込む八夜。
「悪人でない事は分かります」
「……うん」
悪人ではない、か。別に善人でもないが。そう言う含みもあるのだろうか。
「貴方の事は、あまり良いようには聞かされていませんでした。具体的には言いませんが、私は貴方の事を軽蔑していました。でも実際に貴方に会って、色々な方から話を聞いて、私は誤った情報を与えられていたのだと確信に至ったのです」
感情の起伏に乏しい八夜。しかし、彼女が私に対し悪意や害意を持っている様子は窺えない。それだけはカネサダを頼らずとも確信できる。
「私は貴方の事を兄か、それとも姉として敬いたいのです。駄目でしょうか?」
「……それは」
正直な話____嬉しい。自分を敬ってくれる妹が出来る。願ってもない事だ。
しかし、何と言うか……。
八夜が私に対して複雑な感情を抱いている以上に、私は彼女に対して複雑な想いを抱いている。
彼女を見ていると、私は嫌でも自覚してしまう。
ドンカスター家の事などもう関係ない?
いやいや____
そんなのは嘘だ。
今でも心の隅をあの家が占めている。
陽だまりを日陰から覗くような心境。それは、悲しみだったり、憎しみだったり、あるいは羨望。
そして、ドンカスター家へのそういった感情は、そっくりそのまま八夜に投影される。
私は____
「私は貴方の事が憎い」
……。
しまった。
それは完璧な失言だった。すぐさま口元を覆い、慌てて発言を撤回しようとするが、焦りで口が回らない。
「……ち、ちが……わ、私……私は……!」
馬鹿なことを口にした。貴方の事が憎い? 筋違いも良い所だ。八夜はつい最近までドンカスター家の事情など露知らない東の果てにいたのだ。私への加害には毛ほども関与していない。
彼女は敵ではない。それどころか、私の良き理解者になろうとしている。そんな少女に“憎い”などと____私はとんだ悪人だ。
「私が憎いのですか?」
「……」
私は黙り込み、ぶんぶんと首を振った。それは肯定か。それとも否定の動作か。
「貴方は悪くない」
私が口にしたのは、八夜の問いに対する答えではない。
「貴方は悪くない。それは断言できる」
「……そうですか」
私は言葉を重ねる。何かを悟ったように目を瞑る八夜。
「貴方の憎しみについて分かったような事を言うつもりはありません。ですが、わがままをどうか一つ聞いては頂けませんか」
少しだけ八夜の声に緊張が宿るのが分かった。
「ミシェルお姉様____と呼ばせてください」
「……ミシェルお姉様?」
「駄目でしょうか?」
「どうして、お姉様?」
どうでも良い事なのか知れない。しかし、どうして“お兄様”ではなく“お姉様”なのだろうか。
「“お姉様”なら、皆の前で貴方をそう呼べるからです。例え各国の外交官が詰め寄る公式の場でも、貴方のことを堂々と縁者だと言いたい」
私が沈黙する中、八夜は丁寧な一礼をして____
「おやすみなさいませ、ミシェルお姉様」
そう言い残し、私と別れた。