第五十六話「目覚めと仲間」
フィッツロイ家の別宅の前庭で意識を失い、私はそれから深い眠りにつく。目が覚めた時には二週間以上が経過していた。
屋敷の一室。清潔なベッドの上で、私は事の顛末をラピスから聞かされる。
私が気絶した後、騎士団は大人しく屋敷から撤退したらしい。そして、無事王国会議が開かれ、証拠を元にマーサ・ベクスヒルと騎士団に対する糾弾決議がなされたのだとか。私達にかけられた国家反逆罪はその時点で取り消される。
マーサはすぐに逮捕されるでもなく、取り敢えずは兵舎に閉じ込められ、今は謹慎状態だと聞いた。その処遇を巡っては未だ議論が交わされている。ベクスヒル本家の次期当主である彼女は、当然のように特別扱いを受けていた。本来ならば、既に牢屋にでも放り込まれている筈なのに。
オークに囚われていたアメリア隊の皆は、バリスタガイのジェームズ宅の地下からエストフルトに移され、今は軍病院の中だ。目立った外傷はないそうなのだが、それよりも精神的な傷が大きく、その回復にはかなりの時間を要するとか。中には廃人になりかけている者もいて、社会復帰が絶望的だとも言われている。
そして、私の事なのだが____
「ミシェル、気付いているか?」
「……? 何がです、ラピス副隊長?」
「背中の“翼だ”」
ラピスの指摘に私は自身背後を見遣る。ベッドの上に座り込む私の視界の端に小さな“翼”がちらついた。
「……! 身体が戻っていない!?」
見ると、ベッドのシーツがボロボロになっていた。恐らくは私の“翼”によって切り裂かれた痕。私は完全には自分の身体を元の状態に戻せていなかった。
「え、ええ……あれ……おかしいな……どうして元に戻らないんだろ……ああ、もう……! 戻れ! 元に戻れ! あれえ……?」
困惑する私をラピスは宥める。
「落ち着け、ミシェル。少しずつだが、お前の身体は元の状態に戻っている。一週間前までは“翼”が大きすぎてベッドに寝かせられなかったんだぞ。確証はないが、直に“翼”は消失することだろう」
それからラピスは溜息を吐いて____
「カネサダとの約束じゃなかったのか。“超変化”の力は使わないと」
「は、はい……って、ラピス副隊長?」
「どうした?」
「今、“カネサダとの約束”って言いましたか」
目を丸くして私はラピスに尋ねる。彼女は静かに頷いて口を開いた。
「ミシェル、お前はカネサダから忠告を受けていたのだろう。“超変化”の使用に関する危険性を」
「……なんでラピス副隊長がそれを」
それはカネサダの声を聞くことが出来ないラピスでは知り得ない情報の筈だった。
「マリアが教えてくれたのだ」
「……マリア?」
「丁度今カネサダと一緒にいる筈だ。しばらくすれば戻ってくるだろう」
その時だ。折よく部屋の扉が開き、カネサダを抱えたマリアが姿を現した。
「……! ミシェルさん! 目覚めましたのね! 良かったですわ!」
目に涙を浮かべ私の元に駆け寄るマリア。私の胸に飛び込み、わっと泣き出した。
「……マリア」
何だか照れ臭いのと、心配をかけた事への申し訳なさを感じた。
『たくよお、女泣かせだなお前は』
「カネサダ」
『“超変化”の力を雑に使った所為だぞ。あの状況じゃあ仕方無かったのかも知れねえが……もう少し調整をだな……まあ良いか……おい、マリア、お前も何か言ってやれよ』
マリアに呼びかけるカネサダ。すると____
「カネサダさんの言う通りですわ! 無理もほどほどにして下さいまし!」
涙目になりながらマリアが私を睨む。その光景に私は違和感を覚えた。
「……ねえ、マリア」
マリアとカネサダを交互に見遣る私。
「もしかして、カネサダの声が聞こえるの?」
マリアは確かにカネサダと会話をしていた。カネサダの事を“カネサダさん”などと呼び、その声に応じている。
『ああ、聞こえるようになったらしいぞ』
答えたのはカネサダだった。
「……どうして突然」
『力への意志。激しい怒りや悲しみであれ、強い正義感や欲望であれ、それらを糧に力を渇望し、精神の奥底に到達した者は、魂の声を聞けるようになる。お前やガブリエラのようにな。マリアもその領域に足を踏み入れたんだ』
カネサダは以前、私には彼を所有する資格があると言った。そして、彼の声が聞こえる事がその証拠だと。精神の奥底に達していた私を自らの使い手だとカネサダは認めたのだ。
「ミシェルさん、私……私も“固有魔法”が扱えるようになりましたわ」
「“固有魔法”? という事は、魔導核が活性化して……」
「ええ」
マリアはそれから私が前庭で戦っていた時の事を話した。屋敷に騎士達が押し掛け、マリアは自身の姉のマーサと対決。姉に与えられる苦痛の中、魔導核が活性化し、見事勝利を掴んだのだとか。
『マリアが手に入れた力は“痛覚共有”。対象者と痛覚を共有する “固有魔法”だ』
“痛覚共有”。カネサダが告げたマリアの“固有魔法”。つまらない事を言えば、ただの偶然なのだろう。しかし、彼女がこの力を手に入れたのは運命のように感じられた。痛みを一方的に与えるのではなく、あくまでも共有する力。そこに意味を見出そうとするのは、深読みのし過ぎであろうか。
「お目覚めになられましたか、ミシェル様」
部屋の扉が再び開き、新たな来訪者が現れる。誰かと思えば____
「……エリー……」
その名前を口にして、私は慌てて首を横に振る。
「エリザベス王女殿下」
言い直した途端、エリザベス王女の喜びに満ちた顔が悲しみを湛える。
「……ミシェル様」
躊躇いがちに私の前まで歩み寄り、手を組み合わせるエリザベス王女。しばらく黙り込んだ後、無理に笑顔を作る。
「意識が回復したようで何よりです」
「……はい」
王女に対しどのように接すればよいのか分からず、私はぎこちなく頷いた。
「ミシェル様、動き回れるようになってからで構いません。後で二人きりでお話がしたいです」
「殿下とですか?」
「はい」
やはり無理に笑顔を作るエリザベス王女。自分でも分かっている。今の自分の対応は間違っていると。しかし、心の整理が付かないのだ。だから、こんな情けない態度を取ってしまう。
「分かりました。後でお話いたしましょう」
私の言葉に「是非」とだけ述べ、エリザベス王女は逃げるように部屋を去った。ラピスとマリアが心配そうな瞳を私に向けている。
「色々あるのは分かるが……いや、これは私が口出しするようなことではないか」
忠告しかけたラピスだが、何も言わずに口を閉ざす。マリアもそれに倣い、特に言葉を発しなかった。
それから____
私の元に仲間達が目覚めの挨拶に訪れた。私、アイリス、ラピス、マリア、サラ、ミミ。六人が部屋に集まる。
何だろう。皆の顔を眺めていると、胸の奥底から込み上げて来るものがある。
私達は共に闘った仲間なのだと。そう実感できる。
「私達、どうにかなったね」
ほっと息を吐くのはアイリスだった。
「一時はどうなるかと思ったけど……ミシェルちゃんも無事で、本当に良かったよ」
「全くよ」
喜色を浮かべつつも溜息を吐くサラ。
「ほんと、もうこんな事は勘弁してほしいわ。アンタと同じ部屋ってだけで巻き込まれて……ミシェル君、何か言うことは無いの?」
「……ごめん、巻き込んじゃって」
私の額を突くサラだが、本気で怒っている様子はない。事が終わって、気持ちに余裕が出来たのか、私を弄っているのだ。
「ミミ、ララの様子はどう?」
私の視線がミミへと向く。
「……今はカウンセリングを受けている最中。心にかなりの傷を負っているみたいで……復帰には相当な時間が掛かるって」
「……そう」
オークの集落で具体的にどのような目に遭ったのかは分からないが、相当辛い思いをしたのだろう。ちらりと窺ったララの表情は死人のそれのようだったのを覚えている。
「……」
私はミミの顔を見つめ、手元のシーツをぎゅっと掴んだ。
「どうしたのミシェル? そんなにこっちを見つめて」
「……あのさ、ミミ……」
私は言うまいかどうか迷って、正直に口にすることにした。
「ララがオークに連れ去られたのって……多分、私の所為だ」
私は迷いを振り切り、ミミに伝える。
「ミミが助かったのって秀蓮の呪毒のおかげでしょ? 秀蓮はミミとララ、二人に呪毒を盛ったって言っていたけど、どうしてかララには効かなくて、それでオーク達に捕らえられることになった。それで……その……ララに呪毒が効かなかった理由だけど」
あくまでも推測だが、ララが呪毒に冒されなかった理由に心当たりがあった。だから、白状しなければならない。
「呪毒はきっと、秀蓮の青龍茶に含まれていたんだ。バリスタガイでの事覚えてる? 私、ララにぶつかって彼女の青龍茶を台無しにしちゃった筈。だから、ミミだけが呪毒を飲んで、ララはそもそも呪毒を受け入れなかった」
私の自白の様な推測にミミは____
「うん、どうやらそうみたいね」
「ミミ?」
「アンタが眠っている間、秀蓮に会ってね。色々と話したのよ。アンタの推測通り、呪毒は青龍茶に含まれていた」
ミミの言葉に私は息を呑み込んだ。じゃあ、やはり……ララがオークに連れ去られたのは……。
「ミミ、私が憎くない?」
じっとミミの表情を観察する私。
「間接的にとは言え、私がララを____」
「そう言うの、無しにしようよ」
私の言葉を遮るミミ。
「私だって色々と思う所はあるわよ。もし、アンタがあの時ぶつかってこなければ……とかね。でも、そんな事考えても仕方がないわよ。それでララが救われるでもない訳だし。……それよりも」
私の手を握り、そして額を静かに付けるミミは若干涙ぐんだ声で告げる。
「ありがとう、ミシェル」
顔を上げないまま、ミミは続ける。
「アンタにずっと酷いことしてたのに……妹を……ララを助けてくれて……ありがとう」
「……ミミ」
それから私の瞳を見つめ、誓うようにミミは告げる。
「私、これからは人に誇れるような生き方をするわ」
ミミの表情には私に対する恨みなど一欠片もなかった。ただ、感謝と決意のみがそこには浮かんでいる。
「ミシェルのおかげよ」
そう述べるミミ。その言葉に胸の重みが消えた心地がした。
私は改めて仲間達の顔を見回す。
私達は共に闘い、勝利した。騎士団に立ち向かうなど無謀なことのように思えたが、私達はやり遂げたのだ。
大きな幸運に恵まれたのは事実だ。しかし、それ以上に私達は良い仲間だったのだろう。“私達”でなければ、きっと冤罪を晴らそうとは最後まで考えなかった。もし仮に“私”だけだったのならば、逃亡か、あるいはただ殺戮の限りを尽くした後、滅びを迎えていただろう。それが私の復讐の結末になっていた筈だ。
しかし、そうはならなかった。
私の復讐は続く。決して凄惨な最期で終わらせない。私には手に入れるべきものが出来た。
私を、アイリスを、ラピスを、マリアを、サラを、ミミを苦しめたもの。それは騎士団____この世界に他ならない。
だから、それこそが私の復讐相手だ。
私は手に入れなければならない。手に入れて、壊さなければならない。
____魔導乙女騎士団を。