第五十五話「エリザベス王女」
リントブルミア王国及びサン=ドラコ大陸において、絶対的権威を誇るものが二つある。
一つは乙女騎士団。大陸から男性軍人の存在を排し、“英雄の時代”を終わらせたこの組織は、人類の平和と秩序、そして理性と知性の守護者として人々から絶大な信頼を寄せられていた。
もう一つは竜神教会。有史以来、大陸人の精神的拠り所となってきた竜神教。その守護者である竜神教会は神聖にして絶対の存在なのだ。
そして、竜神教会が治世に足る君子として認めた者に授ける竜神型人工魔導核____通称竜核を持つ者はありとあらゆる法の拘束を超越した絶対者として世界に君臨する。
竜核を持つ者は、リントブルミア王国に三名____
第一位の竜核は国王の手に。
第二位の竜核はエリザベス王女の手に。
そして、第三位の竜核は権限の委託という形で騎士団団長の手に。
「……エリーどうして」
この場に不釣り合いな街娘の格好をした金髪の少女。私は目の前に佇む彼女の姿に呆然となっていた。
「どうして、ですか」
頬を掻くエリーは____
「実はその、王宮からの使者と言うのは私のことで……」
違う。そうじゃない。そんな事を尋ねたのではない。エリーが王宮からの使者としてフィッツロイ家の別宅を訪れると言う情報はこちらも把握済みだ。
私は激しく頭を振り、エリーの胸元____眩い輝きを放つ竜核を指差した。
「どうして……どうして、貴方がそれを……竜核を持っているの?」
「……」
尋ねる私に一瞬だけ目を逸らすエリー。リントブルミア王国において、竜核の所持が許されているのは国王、エリザベス王女、そして騎士団団長のみだ。それが以外の者がその力を使用する事は、例え代行であっても厳罰に処される。
「貴方は……一体、何者なの?」
「ミシェル様」
私の目を真っ直ぐ見つめるエリーに息を呑む。
「黙っていて申し訳ありません。エリザというのは私の偽名なのです」
「……偽名」
「私の本当の名前は」
胸元の竜核を握りしめ、エリーは己の真の名前を口にする。
「エリザベス・リントブルム。リントブルミア王国第一王女です」
その言葉に頭が真っ白になる私。
エリーがエリザベス王女?
何かの冗談かとも思ったが、エリーの胸元の竜核と上空の竜のシルエットが私に厳然たる事実を突き付ける。
嘘の類ではない。エリーは____多くの謎に包まれていた私の親友の正体は……。
「貴方が……エリザベス王女……いえ」
首を横に振り、私は恭しい態度を取る。
「貴方様がエリザベス王女殿下なのですね」
「……ミシェル様」
姿勢を正し、言葉遣いを直す私にエリー____いや、エリザベス王女は寂しそうな瞳を向けた。
「……こんな事なら、仮面を用意しておけば良かったです」
目を伏せ、後悔するようにエリザベス王女は呟く。少女の悲し気な表情に私は目を泳がせた。
それから私達の間に重い沈黙が流れ____
「このような場所にいらして、どのようなご用向きでしょうか、エリザベス王女殿下」
「……アンリ様」
多くの騎士達が平伏する中、私達の目の前に血のように紅いマントを身に着けた騎士が現れる。
冷たい美貌を備えた年齢不詳の麗人。実用性を無視した豪奢な騎士服に身を包んだその女性の名はアンリ・アンドーヴァー。リントブルミア王国魔導乙女騎士団団長その人であった。
「騎士団こそ何故この様な場所に?」
悠々と歩み寄るアンリにエリザベス王女は鋭い視線を向ける。
「反逆者の捕縛のためです」
「反逆者の捕縛? 団長自らが騎士を率いてですか?」
「……」
問い掛けるエリザベス王女。アンリは腕を組み何も答えない。ただじっと王女の瞳を見つめていた。
「今すぐ兵を引いて下さい」
黙りこくるアンリにエリザベス王女が言い放つ。
「今すぐこの場を立ち去って下さい」
毅然とした王女の言葉に、アンリからどっと敵意が溢れ出た。人工魔導核を起動した訳でもないのに、彼女の身体から異様なオーラが放出されているようだ。私もエリザベス王女も、その気迫に目を見開いて息を呑んだ。
「殿下、それは竜核を持つ者としてのお言葉ですか」
「はい、竜核を持つ者としての言葉です」
確認するように尋ねるアンリ。彼女はこう問いかけているのだ。竜核の所有者に与えられている超法規的権限により自分達に撤退を命じているのかと。
「私が所有するのは第二位の竜核。対してアンリ様の所有する竜核は第三位。私達には共に超法規的権限が与えられていますが、それらが同時に行使される場合、より高位の権限を持つ私の言葉が優先されます」
エリザベス王女の言葉にアンリは鬼のような形相を浮かべた。その瞳は氷のように冷たく、私達に身震いを起こさせる。
「竜核は神聖にして不可侵の神器。その濫用は民草の反乱を招き、国家の転覆すら引き起こすもの。その事はご理解しておいでですか?」
「勿論です、アンリ様。そしてご心配なさらず。私は決して竜核を濫用したりなどしません。正当な理由を以て、然るべき場合にのみその権限を行使するのみです」
アンリの気迫に押されつつも、エリザベス王女は努めて平静に告げる。
「……戯言を!」
声を荒げたのはガブリエラだった。俄かに立ち上がり、凄まじい剣幕をエリザベス王女に向ける。
「何が正当な理由ですか! 騎士団に仇なす邪悪な王女め! 貴様如きに竜核を持つ資格など____」
「口を慎みなさい、ガブリエラ」
気炎を吐くガブリエラをアンリが鋭く制する。
「ですがお母様……」
「良いから口を慎みなさい」
静かに、しかし有無を言わせぬ迫力でアンリはガブリエラに告げる。
「娘が非礼を働きました。どうかご寛恕を、王女殿下」
黙り込むガブリエラ。アンリは娘を押し退け、静かに頭を下げた。対するエリザベス王女は____
「顔をお上げになって下さい。私はこれ以上の争いを望みません。アンリ様、どうかお早い撤退を」
「……」
一貫したエリザベス王女の言葉。顔を上げたアンリは瞳から敵意を消さぬまま、表面上は大人しく頷いた。
「御心のままに」
苦虫を嚙み潰したかのような表情で、絞り出すようにアンリは答える。紅いマントを翻し、彼女は騎士達に告げた。
「撤退だ」
その言葉と共に、平伏していた騎士達は立ち上がり撤退行動を開始する。地面に倒れ気絶していた者達は仲間に抱きかかえられ、後方の馬車の中へと運ばれた。
「返します、ミシェル」
ガブリエラは黒い木の枝の塊となっていた片腕からカネサダを引き抜くと、それを私に投げ寄越した。
「……ガブリエラ」
「今日の所はこれでお開きです。ですが……次こそは、例えこの命を引き換えにしても……」
白銀の刃が日光を反射し、私の前の地面に突き刺さる。
私は相棒の柄を握ろうとして____
「……うっ」
激しい眩暈に襲われる。柄を両手で握り、私はその底面に額を押し付けて身体のバランスを取った。
「ミシェル様!?」
『おい、ミカ!』
私を心配するエリザベス王女とカネサダの声が聞こえた。口を半開きにさせ、私は朧げな瞳で周囲を窺う。
……何だろう、身体に力が入らない。一体全体、どうしてしまったのだろうか。
『今すぐ元の状態に戻れ、ミカ!』
カネサダの焦った声が忠告する。首を傾げる私だが____
元の状態? ああ、そう言えば、私は背中から“翼”を生やした状態のままだった。
「元……の……」
『……!? おい、しっかりしろ!』
駄目だ。意識が遠のいていく。血を流しすぎた所為か。はたまた無理な“超変化”の使用による疲弊か。
兎に角、私は今にも気を失いそうだった。
「しっかりして下さい、ミシェル様!」
「……エリー……エリザベス王女殿下……」
地面に倒れそうになる私をエリザベス王女が支える。金色の綺麗な髪が柔らかく私の頬を撫でた。
エリザベス王女の____エリーの顔が間近になり、私は彼女との事を振り返る。
エリーの正体。それはリントブルミア王国第一王女エリザベス・リントブルムだったのだ。その真実を知り、私は幾つかの疑問に答えを得た。
貴族と繋がりを持ち、更には恭しい態度で接待されていたエリー。王女であれば当然の待遇だ。
そして、エリーが所持していた旧式の人工魔導核。何かと疑問に思ったが、それは竜核だった。
どうして今まで気が付かなかったのだろう。
思えばエリーとエリザベス王女の間には多くの類似点があった。年齢。容姿。学歴。騎士道物語が好きだと言う趣味。アメリアと顔見知りだと言う点。何もかも同じだ。
私は無意識の内にその考えを排していたのかも知れない。真実を知った時、私はエリーをエリーとして見れなくなる恐れを抱いていた。そして事実、目の前の少女を私は“エリー”ではなく“エリザベス王女”として認識してしまっている。
カネサダはエリーの正体に気が付いていて、彼女の事は知らなくて良いと忠告したのだ。知ればどうなるか、分かっていて。
騎士達がフィッツロイ家の別宅から引き上げていく中。
私は整理の付かない心のまま、意識を暗闇に落とすのであった。