第五十四話「超変化の真価」
ガブリエラの背後から伸びる巨大な黒い枝。不気味な樹木の表皮を持つそれは人間の掌を形取り、私の身に迫り来る。
「……遅いッ」
圧巻の異形だが、所詮は見掛けだけだ。楽々と殴打を躱し、勢いを殺さぬまま私はガブリエラの本体に疾駆する。
そして____
「____はあッ!」
私が放った白銀の一閃がガブリエラの首を捉える。頸部の片側から刃が入り込み、反対側から抜けた。
「取ったッ」
カネサダに斬られ、ガブリエラの頭部が胴体から宙へと跳ねる。私の目の前には首から上を失った少女の身体が残った。
……殺した?
あまりにも呆気ない勝利に私は首を傾げそうになる。こんなにもあっさり私達の戦いの幕が降ろされるなんて。
剣を振り抜いた状態で固まる私。しかし、すぐに目前の光景に違和感を発見する。
離れ離れになったガブリエラの頭部と胴体。その断面からは一滴の血液も零れ出ていなかった。
『油断するな、ミカ!』
「……!?」
ガブリエラの胴体。その断面から無数の黒い枝が伸びて絡み合い、太い幹のようになる。そして、先端がぱっくりと割れると人の手の形を取った。
『不味い、退けッ!』
カネサダの警告と共に、ガブリエラの首から生えた黒い枝の手が私に襲い掛かる。衝撃的な光景に対処が遅れる私。掌に顔面を鷲掴みにされてしまう。
「……あああああああああああああああああああああああああああッ!」
物凄い力でこめかみを締め上げられ、絶叫が口から漏れ出た。咄嗟に魔導装甲を頭側に展開したのだが、こちらの防御などお構いなしに掌は頭部を圧迫する。
「……このッ」
脳みそが飛び出してしまいそうな圧迫感の中、私はガブリエラから伸びる黒い幹にカネサダを振るう。
「……はあ……はあ……!」
黒い胴体が切断され、先端の掌から力が抜ける。解放された私だが、油断は出来なかった。断ち斬られた断面から掌が再生し、再び私に襲い掛かる。のみならず、ガブリエラの背後から伸びる第三の手が私の身体を握り潰しに迫って来た。
掌の挟撃を辛うじて逃れ、私はガブリエラから____その首から上を失った胴体から大きく距離を取る。
「しぶといですね……あと少しでしたのに」
ガブリエラの声が聞こえる。宙を舞い地面に落ちて転がった彼女の頭部からだ。胴体を失った首から上だけの頭部の発声に私はぎょっとなる。
「な、何なんだ……お前は……」
狼狽える私。ガブリエラの頭部。その断面からは胴体の断面から伸びるそれと同じ黒い枝が生え、伸長を始めていた。
胴体の黒い枝と頭部の黒い枝。それらはゆっくりと絡み合い、やがて一つの幹としてまとまる。途端、幹は収縮を始め、胴体と頭部が結合。ガブリエラは首を刎ねられる前の状態に戻っていた。
ごくりと生唾を飲み込み、私は呟く。
「……化け物」
離れ離れになった頭部と胴体から木の枝のようなものを生やし動き回るガブリエラの姿は、化け物と形容するに相応しいものだった。あまりにもショッキングな光景に、こちらの精神が幾分か削られた心地だ。
「化け物……ですか」
ギロチンの刃____“働き者の女神”を携え、ガブリエラが私に接近する。
「乏しい感性ですねッ」
繰り出されるギロチンの刃を私はカネサダで受け止める。
「人智を超えた人ならざる存在。悪を滅し、正義を遂行するこの姿____言葉にするのならば……“天使”です!」
「随分と禍々しい“天使”だな」
数度刃を打ち合わせる私達。ガブリエラの背後から伸びる第三の手の接近を察知し、私は真横に飛び退いた。
「……どうなってるの」
ガブリエラと距離を置いた所で溜息を漏らす。私の視線は彼女の手元、“働き者の女神”に向けられていた。
「あのギロチンの刃、全然斬れないよ」
刃を交わす度、私は“働き者の女神”を断ち斬ろうとカネサダに渾身の力を込めたのだが、件の刃には傷一つ付かなかった。鋼鉄を凌ぐ硬さを誇ったアサルトウルフの身体を斬ったカネサダの刃が通用しない。そんな事があろうとは……。
『あのギロチンの刃……エステルは、俺と____カネサダと同じなんだ』
「カネサダと? どういう意味?」
首を傾げる私の疑問に答えたのは“働き者の女神”だった。
『人魂の固着により、この刃を構成する金属原子は負のエネルギー準位を持つ霊的バンドを形成し、自然界ではあり得ないエネルギーで以て結合している。だから、決して何ものにも断ち斬られることは無いわ。貴方の手元のカタナも同じよ』
「……金属原子? ……バンド?」
『アルビオン人みたいな説明しやがって! まあ要は、このカタナやあのギロチンの刃みたいに魂が宿った物は物凄く硬くなるんだよ』
“働き者の女神”の説明に駄目出しするようにカネサダが吐き捨てる。専門用語が出て来たため詳しくは理解できなかったが、兎に角、魂が宿っている刃同士、カネサダと“働き者の女神”は同程度の硬さを誇っているのだろう。
『ミカ、エステルの奴を斬ろうと考えるな。一撃に力を込めるよりも、剣速を重視だ。手数で攻めて隙を突け』
「分かった」
“働き者の女神”の破壊を狙っていた私だが、どうやらそれは無駄な行いらしい。カネサダの忠告通り、一撃の重さよりも素早さを意識して剣を振るう事を決める。
それにしても____
「首を刎ねても死なないなんて……」
背後から巨大な第三の手を生やすガブリエラ。その衝撃的な見た目以上に、彼女の内側は異形の存在と成り果てているのだろう。頭部と胴体の断面から窺った彼女の内側。骨や内臓、筋肉はおろか、人間が生命活動のために循環させている血液が一切確認出来なかった。私の目に映ったのは、少女という張りぼてに納まった無数の黒い木の枝。今のガブリエラは言ってしまえば、無数の木の枝が絡み合って出来た人形に人間の皮を被せただけの存在だ。
そんな化け物に、本来人間に存在している筈の急所などない。
即ち、今の彼女は不死身なのだ。
「……死になさい、ミシェルッ!」
地を蹴り、ガブリエラが再接近。しかし、今度の攻撃は様子が違う。彼女は片方の手のみで“働き者の女神”を携え、もう片方の手は拳を作り私に殴打を放った。
ガブリエラの拳に私はカネサダの刃で応戦する。
少女の拳は人間のものとは思えない程硬かったが、カネサダの白刃の前では紙切れ同然。私の斬撃はガブリエラの片腕を両断する。
「……!?」
軽率だった。ガブリエラの拳は罠。二つの断面からは黒い枝が伸び、振り抜いた状態のカネサダに絡みつく。振り解こうと奮闘するが、絡みつく枝の数は多く、また伸長の速度も速い。
『離れろ、ミカ!』
「……くっ!」
そんな最中、ガブリエラの第三の手が私に襲い掛かる。私はカネサダから手を離しその場を離脱するより他なかった。
「……カネサダ、無事!?」
『こっちは心配いらねえ!』
迂闊。カネサダを奪われてしまった。私の相棒はガブリエラの切断された腕と本体とを繋ぐ黒い木の枝々の中に取り込まれている。
「さあ、武器は奪いました! 今こそ貴方に引導を渡す時です!」
ガブリエラは片手で“働き者の女神”を天に掲げ、高らかに告げる。
「終わりですッ!」
ギロチンの刃が迫る。カネサダで受け止めることが出来ず、私は背後に飛び退って斬撃を躱したのだが、それを狙っていたかのようにガブリエラの第三の手が私を捕らえにかかった。
絶妙なタイミングで繰り出されたガブリエラの第三の手は、見事私を掌の中に捕らえる。
「……しまった! くそッ」
私の身体を握り潰さんと巨大な掌に力が込められる。周囲の圧迫感に私は呻き声を発した。
『踏ん張れ、ミカ!』
「は、離せ……!」
拘束を振りほどこうと、複十字型人工魔導核からありったけの力を引き出す。
しかし、掌の力は強く、私の全力で以ても対抗出来ない。
私は息を切らしながら____
「この……化け物……!」
「化け物? またそれですか」
ガブリエラを強く睨む私。少女からは呆れの視線が返って来た。
「こんな醜い姿になってまで……ガブリエラ……お前は……!」
「醜い? 嘆かわしい。貴方はつくづく愚かな……いえ矮小な存在ですね」
「何?」
やれやれと肩をすくめるガブリエラ。
「私と同じ“固有魔法”の力を持つ者よ、貴方の覚悟は所詮その程度のものなのです」
ガブリエラの視線の中には侮蔑の感情が含まれていた。
「貴方はただの臆病者です。為すべき正義のため、例え人間で無くなろうとも構わない。私はそんな覚悟を常に抱いて、使命に臨んでいるのです。人間としての形を失う事を恐れ、中途半端な場所で踏み止まろうとする貴方には理解できませんかね」
掌に込められる力が更に強まったような気がする。
「私の全存在はこの世界の平和と騎士団のためにあります。生命と魂の一欠片まで、私はその全てを捧げているのです。____思い知りなさい、ミシェル。私と貴方。その覚悟の差を!」
己の意思を強く示す様に言い放つ少女。その気迫に私は圧倒されていた。
ガブリエラとの覚悟の差。
……そうだ。
私は思い上がっていたのかも知れない。自分とガブリエラは同じなのだと。同じ力と意志の持ち主なのだと。しかし、彼女の決意は、その善悪はともかく、私のそれを大きく上回っている。眼前の光景は、その事実を嫌と言う程教えてくれた。
己の滅びすら厭わぬガブリエラ。対して、私はまだ自身の心に制限を掛けている。“超変化”の力により化け物に成り果てる事を恐れているのだ。
「……私……は……!」
『……!? ミカ、おい……!』
黒い木の枝の拳の中、私は歯軋りをする。
……負けられない。負けたくない。ガブリエラだけには。
怒りに近い渇望が私の胸を焦がす。
私を握り潰さんと八方から圧迫する巨大な掌。私は願った。この状況を切り抜けるための異形の力を。
例え化け物に成り果てようとも……ガブリエラを倒す……!
「……魔導核よ! 私に……力を……!」
胸元の魔導核に乞う。ガブリエラがその全存在を投げ打って戦うのならば……私だって。
刹那____
「……!? ……翼?」
目を見開くガブリエラの表情が見える。砕け散る黒い木の枝。私を拘束していた掌はその内側から出現した“翼”によって破壊された。
“翼”____それは私の背後に備わった巨大な双翼。全体は白鳥のそれのような造形を持ち、羽根の一つ一つはカタナの切っ先のような形状と鋭さを誇る。
“超変化”の力により私は“翼”を得ていた。無数の刃が集い、それらが形を成したかのような白銀の“翼”だ。
ガブリエラの第三の手から解放された私は、その自由を誇示するように空中で自身の双翼を羽ばたかせた。
“翼”は陽光を受けて煌めき、周囲を突風と共に威嚇する。
「……気に入りませんねえ」
双翼を携え地面に降り立つ私にガブリエラが顔をしかめる。
「何ですかその姿は。よもや、天使にでもなったつもりですか?」
天使____巨大な白銀の“翼”を生やした今の私は、まさしくそのような存在なのだろう。そして事実、私は自分の姿をそのように想像し、魔導核により変質させた。
高名な天使の名を持つガブリエラ。彼女が己の名にあやかり、神の僕を僭称するのならば、私も高名な天使の名を持つ者として、その真似事をさせて貰う。
腰を落とす私。双翼が逆立ち攻撃態勢を取る。対するガブリエラも第三の手を再生さえ、手元の“働き者の女神”を構えた。
睨み合う私とガブリエラ。
「ガブリエラッ!」
「ミシェルッ!」
そして、異形の姿を得た両者が激突____
「____そこまでですッ!」
その時だ。
凛とした鈴の音のような声が前庭に響いた。私の“翼”とガブリエラの第三の手が互いを掴んで押し合いをする中、前庭の上空に巨大な影が出現。その異様に私もガブリエラもせめぎ合いを中断する。
「……竜?」
影。それは偉大なる竜のシルエットだった。私達の目の前で、口も目も持たない影の竜が神々しく金色の輝きを放ち出し、空に鎮座している。
「皆、武器を捨てて頭を垂れなさい」
再び響く凛とした声。少女のものであるそれは、私にとって聞き覚えのある声だった。
「聞こえませんでしたか。皆、武器を捨てて頭を垂れなさい。これは竜核を持つ者の意思です」
少女の声から下される命令。その瞬間、私達を取り囲んでいた騎士達が各々の剣を捨て、一斉に膝を着いて頭を下げた。
全員の騎士達が平伏する異様の中、未だもみ合った状態のまま固まっている私とガブリエラの元に、フィッツロイ家別宅敷地内入口から悠然と歩み寄る少女が一人。
「双方、互いに距離を取り、同じく頭を垂れなさい」
私とガブリエラに向けて放たれた命令。その言葉に従い、私はガブリエラから距離を取り、他の騎士達がしているように地に膝を着いた。ガブリエラも大人しく従っている。
頭上から感じる威圧。私はごくりと生唾を飲み込む。
空に浮かぶ眩い輝きを放つ竜の影。それが何を意味するのか、私は知っている。
竜核____竜神型人工魔導核を持つ者が、その所有を誇示する際に顕す幻影だ。
「お立ちになって下さい、ミシェル様」
顔を伏せる私に頭上から声が掛かる。視線を上げた私の目には、竜の紋様を赤い宝珠に抱いた竜核が映り____
「……エリー」
そして、その所有者である少女____エリーの姿が映った。