第五十三話「マリア:姉との対決」
自身の部下を背後に控えさせ、マーサ・ベクスヒル____お姉様が小馬鹿にするような視線を私に投げかける。
「探しましたわよ、マリア」
「……」
「急に拘置所からいなくなって……本当に心配しましたわ」
「心配した? ……心にもない事を」
吐き捨てるように私は言う。わざとらしく肩をすくめるお姉様。しばし黙り込んで____
「で、貴方は一体こんな所で何をやっていますの?」
お姉様の視線が、先程私が斬り捨てた彼女の部下に向く。肩から血を流し地面に倒れ込む騎士。しかし、お姉様はまるで興味がない様にすぐさま天井を仰ぎ見た。
「……はあ……本当に……馬鹿な妹を持ちましたわね、私は」
「……」
「まさか、ベクスヒル本家次女ともあろう者が……反逆者に手を貸すなど」
「……反逆者?」
歯ぎしりをしてお姉様を睨みつける。
「よくもそのような戯言を……! 反逆者は貴方の方じゃありませんの! 人類の敵であるオークと手を組むなど! その上、無実の人間に____」
「バカマリア」
呆れた視線をお姉様は私に向ける。
「騎士団の名を貶める行為こそ、人類への反逆行為ですわ。それにオークとの結託には私情を超えた大義が存在しますのよ」
「……大義? 何ですか、それは?」
「貴方が知る必要などありませんわ」
その言葉と共に、お姉様は鞘から剣を抜き放ち、私に斬撃を繰り出した。
「____ッ」
「……あら、受け止められましたわね」
素早い剣筋だが、その一撃を私は辛うじて受け止める。
「これなら、どうですかしら!」
さらに数度剣を振るうお姉様。幾度も響く金属音。私は神経をすり減らしながらその全てを防いだ。
「貴方……腕を上げましたわね」
感心したような声を漏らすお姉様。鍔迫り合いになり、私は彼女と膂力の対決を始める。
「負けませんわ……お姉様……!」
ほんの数日間の事だが、私はミシェルさんとの模擬戦の中で幾分か剣の腕を上げていた。ミシェルさんのそれに比べれば、お姉様の剣筋など大したことは無い。
「分かりました。相手になって差し上げますわ、マリア」
鍔迫り合いの中、お姉様が微かな笑みを浮かべる。
「貴方達、ここは私に任せて先にお行きなさい!」
「……!」
二人の部下に告げるお姉様。私ははっとなって____
「行かせませんわ!」
ルカ様達の元へと向かおうとする騎士達の後を追い掛ける。しかし、それが大きな隙を生み、私はお姉様から飛び膝蹴りを喰らってしまった。
「があっ……!」
「貴方の相手は私ですわよ。さあ、遊んであげるので、かかって来なさい」
地面を転がる私。顔を上げるとお姉様が嗜虐的な笑みを浮かべて剣を構えていた。
「ぐっ……い、いけない……!」
すぐさま立ち上がり剣を構える私。お姉様に阻まれ、去って行く騎士達の後姿をただ見送る事しか出来なかった。
……ルカ様達を守らなければ!
焦りの表情を浮かべる私に、お姉様は不機嫌そうな瞳を向ける。
「こっちを見なさい、マリア。気に入りませんわね……貴方の相手は私でしてよ」
風を切り、お姉様の剣が私の肩口を狙う。紙一重で躱し、私は反撃の刃を放った。
「無駄ですわッ!」
こちらの反撃に合わせ、お姉様の斬撃が私の足元に繰り出される。剣が間に合わないことを悟った私は魔導装甲を咄嗟に展開して守りを固める____が、お姉様の一撃は魔導の防御ごと私の足の甲を串刺しにした。
「……ッ!? あああああああああああああああああああああああああああ!」
足元の痛みに、堪らず絶叫する私。剣を振り回すことで、お姉様を追い払おうとする。
「ふん! 出来損ないが!」
「いッ!?」
出鱈目に振り回した剣は、しかしお姉様には掠りもしない。それどころか、逆に太腿に斬撃を貰ってしまう。膝を折り地面に崩れ落ちそうになる所を、お姉様に喉元を掴まれる私。
「ぐ……あ……あ……!」
気管を締め上げられ、手元から剣が地面に滑り落ちる。私が苦しむ様をお姉様は愉しそうに眺めていた。
「貴方如きがこの私に勝てるとでも? 少し剣の腕を上げたくらいで良い気にならないでくださいまし」
制限された呼吸の中で私は地面に落ちた自身の剣に手を伸ばそうとする。しかし、その行為を阻むように、お姉様は喉を締め上げる手を天井に掲げ、私を宙に持ち上げた。更に気管が圧迫され、私はひき潰れた悲痛な呻き声を発する。
「……ぐ……が……!」
次第に意識が朦朧としてくる。手足をジタバタとさせること数秒、意識を手放しかけたその時____
「マリア!」
それは私の名を呼ぶミミさんの声だった。直後、私の喉元から手が離れ、眼前を剣撃が走る。私は地面に崩れ落ち、不足していた空気を肺の中に慌てて取り込んだ。
「……ミ、ミミ……さん」
意識がはっきりとし出し、目の前を見上げる。そこにミミさんの姿を確認した。丁度剣を振り抜いた姿勢のまま、お姉様を追い払うように私の眼前に佇んでいる。
「大丈夫、マリア!?」
「え、ええ……助かりましたわ」
お姉様に剣を向けるミミさん。後方の異常を察知したラピス副隊長が彼女をこの場に派遣したのだろう。私は立ち上がり、落ちていた剣を拾って構え直した。
「邪魔が入りましたわね」
肩をすくめるお姉様は、余裕たっぷりの笑みを浮かべ私達に剣を突き付ける。
「良いですわ、二人まとめて相手して____」
「行って下さい、ミミさん!」
お姉様の言葉を遮るように私は叫ぶ。
「お姉様の部下が二人、ルカ様達の元へと向かわれましたわ! 早く護衛に駆け付けないと!」
「……マリア?」
ミミさんが驚いたような瞳を私に向ける。私は力強く頷いて、促す様に声を張った。
「行って下さい、ミミさん! お姉様の相手は私一人で十分ですわ!」
ほんの一瞬、ミミさんに躊躇いがあった。しかし、すぐさま自身の置かれた状況を把握し、己の取るべき最善の行動を理解する。
「ここは任せた、マリア!」
「ええ、任されましたわ、ミミさん!」
ルカ様達の身の安全が最優先だ。それが私達の共通認識。だから、ミミさんにはすぐさまこの場を去ってルカ様達の元へと向かって貰わなければならない。
「ご武運を、マリア!」
ミミさんは信頼の瞳を私に向け、ルカ様達の元へと駆けていく。お姉様がその邪魔に入ろうとしたが、私が進路の確保を行った。
「貴方の相手は私ですわよ、お姉様!」
私の剣とお姉様の剣がぶつかり、金属音を通路に響かせる。交差する鋭い視線____
「“お姉様の相手は私一人で十分ですわ”……? マリアの分際で、随分と大口を叩くじゃありませんの!」
鍔迫り合いの中、お姉様は苦々しい口調で吐き捨てる。
「どうやら、この前の躾が足りなかったようですわね。二度と生意気が言えないように、徹底的にお仕置きして差し上げますわ!」
足払いを放つお姉様。跳躍して躱す私だが、その行動が隙になり、間髪入れない斬撃が二の腕を抉った。
「……いっ!」
「ほらほらどうしましたのマリア! この程度の攻撃もさばけないなんて!」
「このッ!」
噴き上がる鮮血を片手で掴み、その飛沫をお姉様の顔面目掛けて投げかける。べちゃり、と私の赤い血が彼女の額から鼻先に掛けてこびり付いた。
卑怯臭いが目つぶしだ。
「……!? マリアッ! 汚い手を____」
「覚悟ッ!」
お姉様が目を閉じたのを好機と捉え、私は剣撃を放つ。が、強固な魔導装甲に阻まれ、不意の一撃は僅かに彼女の身体を掠る軌道を取るのみだった。
「この生きる価値のない愚妹が!」
「……!?」
すぐさまお返しとばかり放たれた反撃の一閃に足首を裂かれ、私は地面に倒れ込んでしまう。
「あ、足……が……」
視線を下げ、自身の足部を確認する。足首が繋がっている事に安心するのと同時に、深い斬り口からとめどなく溢れる血液に青ざめてしまう私。動かそうとすると激しい痛みに襲われ、悲鳴を上げてしまった。
「命乞いをなさい、マリア」
私の頭を踏みつけ、お姉様が告げる。鼻先が地面を擦り、埃の臭いにむせ返りそうになった。
「そうすれば、命だけは見逃して差し上げますわ」
「……」
「貴方も理解しているでしょう? 非力な自分では、優秀な姉である私に決して敵わない事に」
せせら笑うお姉様。唇を噛み、私はきっとその顔を睨んだ。そして、不敵に言い返す。
「貴方如きに……私は……負けませんわ……」
「……何?」
ぴくりとお姉様の眉が動く。私は痛みを堪え、力の限り叫んだ。
「貴方のような卑しい存在に負ける私ではありませんわ!」
「……この」
額に青筋を浮かべ、お姉様が剣を天井にかざす。
「出来損ない! 出来損ない! 出来損ないがッ! ベクスヒル家の恥さらし! 愚妹の分際で、減らず口を!」
鋭い剣の先端が何度も私の身体を貫く。抑制を忘れ、怒りの赴くままに刺突を繰り返すお姉様。猛獣の様な気迫と言葉を絶する痛みにさらされ、私は悲痛な叫び声を上げる。
何度も、何度も、何度も____
私の身体には剣が穿たれる。
冗談のような量の血潮が宙を舞った。
苦痛で頭がおかしくなりそうだ。拘置所でお姉様に折檻を受けた時も、このまま死んでしまうのではないかと思ったが、今回はその時の比ではない。本当に死ぬ。
「もう良いですわ! 貴方はベクスヒル家に不要な人間! 痛みと絶望の中、ここで果てなさい!」
傷口が増え、身体中から血液が無くなっていく。次第に寒さも感じ始めて来た。
……ああ、駄目かも知れない。
命の灯火が消えゆくのが分かった。きっと私はお姉様に殺される。
「……」
しかし不思議だ。命乞いをする気にならないどころか、これで良いのだと……そう思えてくる。
例えここで果てようとも、後悔はない。そう胸を張って言える。
息を切らし私を見つめるお姉様。剣を振るう手を止め、咳払いをする。そして、その手が私の胸元に伸びた。
胸元____複十字型人工魔導核に伸びたお姉様の手。魔導の供給源たる魔道具を掴み、強引に私から奪い取った。途端、身体から魔導の力が消失するのを感じ取る。
魔導の力の強奪____それはとどめの一撃だった。
「……が……あ……」
私の口から弱々しい声が漏れ出た。魔導の力を失った事により、身体の回復が中断され、痛覚の麻痺も機能しなくなる。そして、ぎりぎりの状態で命を繋ぎとめていた生命力とも呼べるものが消失。私は生へ死と真っ逆さまに墜ちていく。
後数秒で私は死ぬのだろう。
私は……ここで……。
……。
…………。
……?
……何だ?
魔導の力を失い、死を目前にしていた私。しかし、その命の灯火が消えることは無かった。
「……あ……あ……」
「……! あら、まだ息がありますのね」
お姉様の声が聞こえる。暗闇にかすかな光が差し込み、驚く彼女の顔がはっきりと認識出来た。
「全く、しつこいですわね。早く死になさいまし」
お姉様の手が私の喉元に伸びる。気管を圧迫される感覚に、私は顔をしかめた。
「……私……は……」
痛い。苦しい。だが、私はまだ生きている。もうとっくに死んでいてもおかしくはない身体なのに。生への執着が最後の楔となって私をこの世に留めているのだろうか。
「……痛ッ」
その声を発したのはお姉様だった。知らず、私は喉元を締め上げる彼女の手を両手で掴み、渾身の力で以て爪を立てていたのだ。
「は、離しなさい……この死にぞこないが!」
私の喉元から手を離し、拘束を振りほどこうとするお姉様。しかし、私の両手は彼女の片腕を掴んで離さない。
今の私にどうしてそこまでの力があるのか。それは分からないが……胸の内側から、何か言い様のない不思議な力が湧いて来た。
「私は……負け……ませんわ……」
力が身体に戻ってくる。手に、足に……そして喉に。
「く……この……離しなさいッ!」
「私は……貴方如きには負けませんわ!」
私は死に際の身体に力を与えるものの正体を知る。自身の胸の奥底____そこに魔導の源が存在した。
この世に生を受けてから今の今まで長い眠りにつき、不要の物として忘れられた器官。それが生命の危機と生への執着と____勝利への渇望により、今目覚める。
「……力を貸して下さいまし……私の魔導核……!」
私の中に魔導核がある。魔物の中にのみ存在すると信じられていた不可思議な器官。ミシェルさんのそれと同様に私の魔導核もこの瞬間において、活性化を始めていた。
お姉様を____敵を睨みつける私。そして魔導核に命じる。私が……私だけが持つその力を____
直後。
「……!? ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
お姉様の口から絶叫が上がる。窓を割らんばかりの大音声が屋敷の廊下を走った。
「痛い! ……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!?」
身をくねらせ、身体中を駆け巡る痛みに白目をむくお姉様。
「あああああああああああああああああああああああああ!? な、何なんですの! この痛みはあああああああああああああ!?」
自身の身体を見下ろし、お姉様は困惑の悲鳴を発する。彼女が混乱するのも当然の事。何故なら、常軌を逸した痛みに反し、その身体には傷が一つも付けられていなかったからだ。
一体、何が起きているのか。
お姉様と私は今、痛覚を共有しているのだ。そのため、私が感じている全身の痛みを彼女も同程度感じている。
ミシェルさんが言っていた“固有魔法”の力だろう。この力、名付けるとするのならば____“痛覚共有”。
「……お姉様ッ!」
魔導核が力を与えてくれる。私は起き上がり、お姉様の喉元に手を伸ばして力の限り締め上げた。
「……があッ……マ、マリア……!? この……!」
私に喉元を締め上げられるお姉様。手元の剣を投げ捨て、その両手で私の喉元を締め上げに来る。
「ぐっ……わ、私は……負けませんわ……!」
同じ激痛を共有し、同じように相手の喉元を締め上げる私とお姉様。
「闘うための剣も……守るための剣も持たないお姉様に……逃げるための剣しか持たない貴方如きに……私は負けませんわ……!」
「……ぐ……生意気……!」
次第に意識を失っていく私達。お姉様の手の力が衰えていくのに対し、私のそれは一向に緩みを見せない。
私と彼女とでは背負っている物が違う。
名誉のために、保身のためだけに戦うお姉様如きに負ける私ではない。
剣の腕では、私はお姉様には及ばないだろう。しかし、意志の力では……彼女は私の足元にも及ばない。
「……や、やめ……マ……リア……」
光を失っていくお姉様の目に、恐怖の色が浮かんだ。許しを乞うようなその視線に、しかし私は慈悲を与えない。とどめとばかりにお姉様の喉元を締め上げる両手に全身全霊の力を込める。
やがて____
「……」
するりとお姉様の両手から力が抜けるのを感じた。口を半開きにして、白目をむくお姉様。私は彼女の喉元から手を離し、私と彼女の二つの人工魔導核を素早く奪い取った。
「……はあ……はあ……」
通路で大の字になって私は寝転ぶ。荒い呼吸を繰り返し、血塗れの身体を触った。
しばらく呆然と天井を眺めていたのだが____
「マリア! 無事!?」
ミミさんの声が聞こえる。首は動かさずに意識だけをそちらに向けた。
「……ミミさん」
「……!? 凄い怪我じゃない!」
慌てた様子でミミさんが私の元に駆けつける。
「動かないで! 傷を治すことだけに魔導の力を集中させるのよ!」
懐から包帯を取り出し、私の止血を開始するミミさん。その視線が傍らで気絶しているお姉様へと向いた。
「マリア……アンタ、マーサに勝ったの?」
「……ええ」
身体中ボロボロで血塗れの私。対してお姉様には軽い切り傷が付いているのみ。しかし、戦いの勝者は紛れもなく私だった。
「ミミさん、それよりもルカ様達は……」
「安心して、あっちは何とかなったから。ルカ様と、あと十郎様も凄く強くて、マーサの部下達なんて相手にならなかったわ」
それを聞いて私は安堵の吐息を吐き、目を瞑った。
「ちょっと、マリア! 寝ちゃだめよ! 意識を集中して、しっかりと魔導の力で身体を癒さなきゃ!」
「ええ……分かっていますわ」
魔導の力を身体の修復へと回す。しばらく安静にしている内に身体が軽くなって来た。私はふと、薄目を開けてお姉様の様子を確認する。
地面に倒れ、ぴくりとも動かないお姉様。微かに肩が上下しているので、死んではいない事が窺える。
「……お姉様」
ベクスヒル本家長女マーサ・ベクスヒル。一族の次期当主に足る優秀な能力を備えた私のお姉様。決して越えられない壁として、逆らってはいけない絶対者として私の前に立ちはだかっていた。
そのお姉様に私は勝ったのだ。
綺麗な勝ち方とは言い難いが、私にとっては誇らしい勝利であり____進むべき道を行くための、大きな一歩だった。
「……ミシェルさん……無事ですかしら」
彼のおかげで私は強くなれた。弱さと向き合い克服できた。
今、ミシェルさんはどうしているだろうか。
たった一人で、大勢の騎士を相手に奮闘する私の親友。
その安否が気になった。