第四十九話「闘いの準備」
首都エストフルト。リントブルミア王国中枢の地で、今まさに陰の戦いが繰り広げられていた。
王国各地の有力な文官系貴族が首都の一点____フィッツロイ家の別宅に騎士団の目を盗んで集結しつつあるのだ。各貴族は真の目的を悟られないように、適当な口実を探し、約束の地に向かう。しかし、騎士団も騎士団で国内の有力者が相次いで首都を訪問する事態を異常と捉え、軽い警戒態勢を敷いていた。
首都に集結した貴族達の目的。それは騎士団を糾弾するための王国会議を不意打ちで開くことだ。
マーサ・ベクスヒルとオークの結託の証拠を手にフィッツロイ家の別宅に帰還を果たした私達を待っていたのは文官系貴族への根回しを終えたフィッツロイ家の一同____カエデ、ジュード、十郎、そしてフィッツロイ家当主のルカ・フィッツロイであった。
挨拶もそこそこに彼らは満を持して王国全土の貴族達に集合を言い渡す。そして、数日を掛けて騎士団を糾弾するための同志を呼び集めた。
「それにしても驚きました。まさか、王国会議を開くような大事になるなんて」
「騎士団に対抗するにはこれぐらいの準備は当然だ」
貴族達が首都に集結しつつある中、私は多忙を極めるカエデと会話を交わす機会を得た。
「貴族達____彼ら、よく呼び掛けに応じてくれましたね。だって、真っ向から騎士団と対峙する事になるんですよ。しかも反逆者と一緒に。下手をすれば自分達だって危ない立場に立たされるのに」
「相当鬱憤が溜まっていたのだろう。騎士団に一杯食わすことが出来るこの機会、逃すものかと。こちらにはマーサ・ベクスヒルと騎士団を追い詰めることが出来る確固たる証拠がある。これは勝ち戦だ。だから彼らも乗り気なのだ」
リントブルミア王国では国策規模の意思決定機関として王国会議なるものが設けられており、地方会議、騎士会議と並ぶリントブルミア三大会議の内の一つとされていた。
封建制度の廃止された我が国では、その折、貴族の定義というものも変化を果たしている。国王に領土を任され、その領民を支配する諸侯を指していた言葉は、参政権を与えられ、国の政治に関与することの出来る臣下を指す言葉として使われるようになった。ここで言う参政権とは、三大会議での選挙権と被選挙権の事だ。
ちなみに、貴族の家格は参政権の強さ____一族で占有する事の出来る各会議における議席数の上限と議員選挙で投じることの出来る票数により決定する。例えば、四大騎士名家の第一席、アンドーヴァー家は騎士会議における最大の議席上限数と議員選挙投票数を持ち、実際に彼らが騎士会議で占めている議席数も全騎士系貴族の中で一番多い。
今、首都に集結しつつある有力貴族は王国会議に多数の議席を持つ一族の代表者達であり、彼らの占有議席を足し合わせると王国会議における総議席数の過半数に達する予定となっている。その総意により、王国会議であらゆる国策規模の決議が可能となるのだ。
準備が整い次第、私達は電撃的に王国会議を開き、マーサ・ベクスヒルと彼女の悪行を隠蔽しようと画策した騎士団を糾弾する決議に踏み切る予定だ。そして、騎士団の介入を許さぬままリントブルミア国王に然るべき措置を取ってもらう。
「明日か明後日には全貴族の招集が完了する事だろう」
やや緊張した面持ちでカエデは言う。
「王国会議が開かれ、マーサ・ベクスヒル及び騎士団に対する糾弾決議がなされる。そして、騎士団に対抗措置を取られる前に、王宮からの使者が決議内容を国王陛下に伝えることになっている」
カエデは窓の外を見つめる。
「使者殿は今日にもお忍びでこの屋敷にご到着なされる。……そう言えば、ミシェル殿」
「はい?」
カエデに振り向かれ、私は彼女と視線を合わせる。
「ミシェル殿はエリザ様とは顔見知りだったな」
「エリザ……ええ、はい」
彼女の言うエリザとは、私の義母のエリザ・ドンカスターではなく、エリーの事を指しているのだろう。
「今回、我々は彼女にその使者としての務めを果たして頂く」
「……! それは……エリーが王宮からの使者、と言う訳ですか?」
私の言葉にカエデは頷く。驚いた。まさか、エリーが宮仕えとは。いや、むしろ謎の多い彼女の素性に納得がいったのかも知れない。
「……エリーがここに」
カエデから与えられた情報に、私は俄かに緊張し出すのであった。それなりに久々の再開。しかも、状況が状況なだけにどんな顔をすれば良いのやら。きっとエリーは私の事を凄く心配している筈だ。まずはその不安を拭い去って上げなければ。
「ミシェルさん」
その時だ。背後から大人の女性の声が掛けられる。振り向くと、そこにフィッツロイ家当主、ルカ・フィッツロイが佇んでいた。
「ルカ様」
「当家の居心地は如何ですか?」
丁寧な口調で尋ねるルカに私は背筋を伸ばして、恭しく頭を下げた。
「はい、とても良くして頂いて感謝しております、ルカ様」
「それを聞けて安心しました。仕方のない事ですが、匿う上で貴方達には屋敷の外に出ないようにして頂いていますから。不便な思いをさせて申し訳ありませんね。でもそれもあと少しの辛抱です」
フィッツロイ家の別宅に帰還を果たしてから数日、私達は計画を騎士団に秘匿する必要上、屋敷からの外出を禁じられていた。私達としては特段辛い思いをしている訳ではないのだが、ルカはそのことに気を揉んでいたようだ。
「……大きくなりましたね、ミシェルさん」
「ルカ様?」
ルカが突然しみじみとした口調で呟いたので、私は目を丸くする。
「私は幼き頃の貴方に会った事があります」
「……私に、ですか」
「“会った”と言って良いのでしょうか? 私が貴方を目にした時、貴方はまだ赤子でしたから」
懐かしむようにルカは私を見つめる。
「貴方を見ていると、ナナカさんとレフ君の事を思い出します」
「……ナナカ? レフ?」
首を傾げる私。誰の名前だろうか。
「貴方の母親と父親の名前です。ナナカ・ドンカスター。レフ・ウォラストン。共に私の大切な親友でした」
「私の母と父……」
そう言えば、私は自身の両親についてあまり多くを知らない。その名前すらも今初めて知ったくらいだ。
『……ウォラストンだと』
腰元のカネサダが呟く。ウォラストン。そう言えば、“白銀の団”の副団長がその姓だった記憶があるが、何か関係があるのだろうか。
「貴方とこうして出会えたのは運命でしょうか。本当はもっとずっと前から力になって差し上げたかったのですが……相手はドンカスター家でしたし……その……申し訳ありませんでした」
頭を下げるルカに私はたどたどしい態度になってしまう。
「ところでミシェルさん、ドンカスター家について、どこまで情報を仕入れていますか?」
「……ドンカスター家、ですか」
私は微妙な表情を浮かべる。ドンカスター家についての情報。正直、あの家とは心理的にも距離を置いているので、その内情について何も把握していない。
「八夜さんの事はご存知ですか?」
「……ヤヨ? え?」
急に飛び出たその名前に私はやはり首を傾げる。全く聞き覚えの無い響き。
「ミシェル殿、何も知らないのか? 実家の事だろう」
「実家、と言っても……もうあの家とは関係ありませんし、私は……」
やや呆れた目を向けるカエデに私は若干憮然となった。
「関係なくなるという事はないだろう。例え絶縁されたとしても、血族の因縁とは断ち切れないものだ」
「はあ」
「八夜殿は特別な計らいで数か月後には魔導乙女騎士団に正式に入団し、実働部隊として騎士の経験を積むことになっている」
「そうなんですか? ……で、誰なんですか、そのヤヨさんと言うのは」
知っていて当然とばかりに八夜なる人物について話し出すカエデに私は尋ねる。
顔を見合わせるルカとカエデ。驚きと言うか、呆れの視線を両者から受ける私。
「八夜さん。八夜・東郷・ドンカスターさんは貴方の血族、ドンカスター家の生き残りです」
「……ドンカスター家の?」
初耳だ。私、義母のエリザ、その娘のミラ以外にドンカスター家の生き残りがいたなど。
「数年前までアウレアソル皇国で暮らしていたようなのですが、両親を事故で失い、ドンカスター本家に引き取られていたそうなのです。現在十四歳で、騎士学校で特別なカリキュラムを受けている最中だとか」
「……」
ルカの話に私は黙って頷く。黙って頷くしかなかった。ドンカスター家の話をされても、その中に特別有益な情報があるとは思えなかったからだ。
「気の早い話になりますが、そちらの動向の方も気にしていた方がよろしいと思いますよ」
「……はあ」
何やら警告するようにルカは述べるが、私は曖昧な返事を返すのみだ。四人目のドンカスター家の生き残り。特別な存在なのだろうが、私にとってはどうでも良い話だ。
「ですが、今は兎に角、目の前の問題を解決しなければいけません。王国会議を開き、糾弾決議を下し、国王陛下に然るべき措置を講じて頂く。順調にいけば良いのですが、物事とは得てしてままならぬもの。不測の事態に備えなければ、掴み取れる筈の勝利も逃すというものです」
分かっている。私達が闘う相手は騎士団だ。何処で妨害が入るのか、常に警戒しておかなければいけない。
「おお、皆で集まってどうした?」
男性の声が背後から響く。視線を向けるとそこにルカの夫の十郎がいた。
「カエデとミシェルさんが話し合われていたので、私も折角だから混ぜて貰おうかと思ったのです」
十郎ににこやかな返事を返すルカ。
「お世話になっています、十郎様」
こちらに歩み寄る十郎に私は会釈をする。そう言えば、フィッツロイ家の別宅に帰還以降、多忙のため彼と話し合う機会があまり設けられなかった。
「まさかミシェル殿とこのような形で再会するとは」
「ええ……」
苦笑いを浮かべる私の顔をじっと十郎は見つめる。
「……どうされました? 私の顔に何か?」
「ああ、いや……その……どう見ても、女性にしか見えないと____」
言い掛けて口を押さえる十郎。すぐさま頭を下げて謝罪をする。
「すまない、デリカシーの無い事を」
「あー……お気になさらず」
と、私は微妙な表情を浮かべて十郎の頭を上げさせる。私の事を女性だと思い込んでいた彼だが、娘のカエデから真実を伝えられたらしく、未だ戸惑いの中にいるようだった。
「ご存知の通り私は男性なので……ジュード殿との婚約は……」
「やはり無理か」
「はい」
頷く私に、十郎は心底残念そうな表情を浮かべるのだった。しかし、一転____
「ならば、カエデとはどうだろうか?」
「……父上?」
自分の名前が十郎の口から飛び出し、カエデは目を丸くした。
「やや堅い所はあるが、自慢の娘だ。どうだろうか、ミシェル殿?」
「え、えーと……」
「父上、ミシェル殿をこれ以上困らせないで下さい。彼の事をお気に入りなのはよく分かりましたから」
私と十郎の間に割って入り、カエデは父親に鋭い視線を与える。娘から諫められ、十郎は意気消沈して身を引いた。
「すまないな、ミシェル殿。父上の事はあまり気にしないでくれ」
「……はは」
どうやら私は十郎に大層気に入られているようだ。彼の気持ちに応えたい気もなくはないが……大人しく引き下がって頂けるとありがたい。
それから私達はここ数日の忙しさを忘れるように緩やかな雑談を交わしていたのだが____
「ミシェル! 何処にいる、ミシェル!」
「……ラピス副隊長?」
遠くでラピスの声を聞き、歓談を中止する。私は応答するべく息を吸い、声を張り上げた。
「ここです、ラピス副隊長!」
「そっちにいるのか、ミシェル!」
どたどたと慌ただしくラピスが私の元に駆けつける音がする。そんなに急いで何事だろうか。嫌な予感がする。
「……ミシェル! カエデ殿、ルカ様、十郎様も! 丁度良かった!」
息を切らし、ラピスが私達の前に現れる。
「一体どうされました、そんなに慌てて」
「騎士団だ!」
ラピスの放ったその一言に私達は凍り付く。言葉を挟む隙も与えず彼女はまくし立てた。
「騎士達が屋敷の前に集結している! ラ・ギヨティーヌの一団も見かけた! それに、騎士団団長____アンリ・アンドーヴァーの姿も!」
「え? き、騎士団団長!?」
仰天したのは私だけではない。カエデ、ルカ、十郎も驚きで硬直していた。
「……どうする、ミシェル」
「……」
尋ねるラピス。恐れていた事態が起きてしまった。私達の存在や計画が騎士団に悟られてしまったのだ。しかも、ラ・ギヨティーヌのみならず騎士団団長までもが姿を現したこの状況。竜核を持つ騎士団団長は王国の定める法に縛られずに、独断で武力を行使することが出来る。即ち、こちらが話し合いを持ち掛けても、問答無用で剣を振るって来るのだ。
しばし沈黙し、目を泳がせていた私だが____
「……数は」
「ミシェル?」
小さく呼吸を行い、私は覚悟を決める。
これまでもそうだった。幾度となく逃げ場を塞がれ、その度にたった一つ____絶対のものと信じる力で抗い、道を切り拓いて来たのだ。
だから、今度も。
「数はどれくらいですか?」
腰元のカネサダに手を添え、私はラピスに尋ね返す。