第四十六話「オークの交渉人」
バリスタガイはジェームズ・セイヴァリ宅。その巨大な地下工房は今現在多くの人影で満たされていた。
「たくよお、こんなぞろぞろと連れて来やがって」
地下工房で一人佇む私の前に家主のジェームズが姿を現す。
「複十字型人工魔導核の対価です。我慢してください」
「……あー、はいはい」
単調な口調で告げると、ジェームズは肩をすくめて溜息を吐いた。
バリスタガイ東部の大森林、オークの生存領域から私達はこの地下工房まで無事帰還を果たした。アメリア隊の皆を含めたギ族のオークに囚われていた女性達、イ族のオークに囚われていた女性達、ギ族の大将ギドラ____そして、交渉人を引き連れて。
周囲を見回す私。
まず目についたのは、オークから解放された女性達の姿。皆、一様に生気の失った目を部屋の隅へと差し向けている。生きた屍のような彼女達をこの場所まで移動させるのに、かなりの苦労を要した。
「……ミミ……ララ……」
その中にミミの双子の妹であるララの姿を見つける。姉に寄り添われ、ララは人形のようにぴくりとも動かない。まるで魂を抜き取られてしまったかのように。
「調子はどう?」
「……ミシェル」
姉妹に近付き、私はミミに声を掛ける。私に気が付いた彼女は、一瞬だけ目を伏せ、それから不器用な作り笑いを浮かべた。
「……良かったわ、ララが生きてて……こうして、もう一度顔を合わせることが出来て……」
「……」
どのような言葉を掛けるべきか、私は迷った。黙り込んでいると、ミミは自身の妹に視線を戻し、ポツリと呟く。
「ありがとう、ミシェル」
「……」
「アンタのおかげよ」
「……うん」
頷き、私は逃げるように姉妹の元から立ち去った。これ以上、彼女達の姿を目に留めるのは堪えきれない。息が詰まりそうだ。
「ミシェル」
「アメリア隊長」
ミミから離れ、私はふとアメリアに呼び止められる。
「どうされました、アメリア隊長?」
「……いや、ただ呼び止めただけだ」
オークに囚われていた女性達の中で、唯一アメリアだけはその両目に暗いながらも生気を宿していた。
「……すまないな……その……助けて貰って……」
躊躇いがちなアメリアの言葉に私は肩をすくめる。
「貴方を助けたのは____」
「分かっている。ついで、なのだろう」
私は静かに頷くことでアメリアの言葉を肯定した。彼女の言う通り、アメリア隊の皆を救出したのはあくまでもついでの事だ。本来の目的ではない。
「……マーサの奴」
憎々し気にアメリアはその名前を呟く。地下工房に帰還を果たし、私は事の経緯を全て彼女に説明した。親友の裏切りにアメリアは鬼のような形相を今も浮かべている。
私はふと、膨らんだアメリアのお腹に目を移した。
「アメリア隊長、それ、どうなさるおつもりですか?」
「……これか」
自身の膨らんだお腹を撫でるアメリア。そこには、歓迎されない新たな生命が宿っていた。
「……取り敢えず、産み落とすつもりだが」
「……え?」
衝撃の言葉に目を丸くする私。アメリアは冷静に説明をする。
「オークの胎児は生命力が強い。そのため堕胎薬での中絶が困難なのだとか。身の安全を考えるのならば、無理に中絶せず産み落とすのが最善だと考える」
「……そうですか」
オークの子供を産む。身の安全を考えた選択にしても、実行が躊躇われる決断だった。私は言うまいか迷い、アメリアに問う。
「産んだオークはどうなさるんですか?」
「……そうだな」
暗い怒りの炎を絶えず湛えるその瞳が、僅かに喜色を浮かべた気がした。
「成人まで育てて、マーサの奴にあてがってみるか。奴にもオークの子供を孕んで貰おう」
「……本気ですか」
「冗談だ」
しかし、とアメリアは続ける。
「私を陥れた事、必ず後悔させてやる。マーサの奴め、死以上の絶望を味わうがいい」
不気味な笑みを浮かべるアメリア。まるで何かにとりつかれているかの様だった。彼女は今後、どうするつもりなのだろうか。マーサに対し並々ならぬ憎しみを滾らせているようだが____
「しばらくは安静にしていてくださいね、アメリア隊長」
言い残し、私はアメリアの前から立ち去る。次に目に留まったのは、スチーム・パペットを弄る平賀の姿だった。
痩せたその背中に近付き、私は頭を下げる。
「平賀さん、この度はご協力、感謝致します」
「ん、ああ……」
声を掛けると、平賀は興味なさそうな瞳を私に向けた。
「こちらこそ、色々と貴重なデータが採取出来た。君達には感謝しているよ」
スチーム・パペット弄りに戻りつつ平賀は答える。
「また機会があったら何か頼もうかな。ミミの魔導工学の才覚には驚かされるものがあるし」
「……ミミ」
私が暗く呟くと、平賀は眼鏡を持ち上げ、ゴールドスタイン姉妹の方を見遣った。
「彼女達の事、よろしく頼むよ」
短く告げる平賀。私は何も答えず黙り込んでしまう。よろしく頼むと言われても、返事に困るのだが。
「彼女達、魔導工学の天才だとか言われているけど、根は凡人のそれなんだ」
不意に平賀は語り出す。
「人並みの良心と悪意を持っている、どこまでも普通の人間さ。その上、周りに流されやすい。だから」
案じるように平賀は述べる。
「君、彼女達の良い友人になっておくれよ」
「……」
頭を掻き、私はぎこちなく頷く。ミミとは一応の和解を果たし、今は仲間同士だ。ただし、友人とはまた違う。そこにはまだ大きな溝があるように思える。
「……良い友人、か」
平賀から離れ、私は一人呟く。視界の端にはゴールドスタイン姉妹の寄り添う姿が映った。平賀の言う通り、彼女達は所謂“普通の人間”なのだろう。周りの環境により善にも悪にも染まる凡人。私をイジめていたのも周りに流されていただけという節が強い様に思える。
あんな場所____あんな騎士団にさえいなければ、ミミもララも他人を虐げて悦ぶような卑劣な精神の持ち主にはならなかったのではないだろうか。
そう思うと、赦し……ではないが、彼女達に関する一考に値する何か私の中で芽生えた。
「難しい顔をしているな、ミシェル」
「……ラピス副隊長」
私の肩を叩くラピス。彼女の言葉に私は思わず自身の顔を触った。
「色々と思う所はあるだろう」
そう言って、ラピスの視線はアメリアやゴールドスタイン姉妹の方へと向けられた。複雑な私の心境を察してくれているのだろうか。
「……私には」
ラピスに向き直り、私は宣誓するように口を開く。
「既に進むべき道があります。果たすべき、約束があります」
「……ミシェル」
「だから、今は目の前の敵と闘い続けるだけです」
小さな執着など、今は置き去りにする。大きな目的のために。
私の言葉にラピスは満足気に頷いた。
「ところで、ラピス副隊長……彼女とはどうですか?」
「……彼女? ああ」
私達の視線は地下工房の奥の暗闇に注がれる。
「どう、と言われても……血が僅かに繋がっているだけの相手だ。それで特別な感情がわく訳でもない」
「そんなもんですかね」
「ああ」
どちらからともなく歩き出す私とラピス。本日数度目の見回り。私達はギドラ、いやギドラ達の前までやって来た。
「どうした、俺に何か用か?」
私達に気が付き、ギドラが瞑っていた目を開ける。軽い伸びをしてから、こちらに居直った。
「別に、ただの見回りだよ。ちゃんと大人しくしているかどうか」
「おいおい、この期に及んで、俺が何かやらかすとでも? そんな無謀漢じゃねえぞ俺は」
流暢な人語を操るオークは呆れたように肩をすくめた。ふと、鋭い視線を感じ____
「……どうしました、アリスさん」
「……」
ギドラの傍ら、身なりの良い女性が私の事を敵意の籠った瞳で睨みつけていた。私が声を掛けても、彼女は言葉を返すことなく、ただ警戒の視線をこちらに向けているのみだ。
「おい、アリス。そんなに睨んでやんなよ」
「……はい、ギドラ様」
ギドラに肩を叩かれ、女性が頷く。それからぼんやりとしたい瞳を宙に彷徨わせた。
ギドラの傍らに控える女性。その名はギ・アリス。元の名をアリス・チャーストンと言うらしい。ギ族の集落で私達を激しく睨みつけていたのも彼女だ。
何故、ギドラと共にアリスがこの場にいるのか。それは彼女が交渉人だからだ。マーサとギドラの会合は、まず彼女を通した交渉から始まるらしい。彼女が場所と日時を指定する事で、話し合いの場は設けられるのだとか。
今回も、まずはアリスをマーサの元まで遣わし、ギドラとの話し合いの場をセッティングしてもらう段取りになっている。
オークの交渉人、アリス。個人的に、私は彼女に興味があった。オークの集落でオークの一員として生きる女性。薬物で頭がおかしくなっている、と言った様子は感じられない。彼女は彼女の意志でオークと共にいるようだった。
一体、どういった心境で日々を過ごしているのか。彼女にとってこの世界はどのように見えているのか。
単純に知りたいと思った。
だから、私は今になってアリスに向き直り____
「アリスさんは、元はチャーストン家の人間なんですよね?」
「……ええ」
尋ねると、アリスは頷いた。彼女は鼻鳴らし____
「アリス・チャーストン。とうに捨てた呪われた名前ね。今の私はギ・アリス。ギ族のオークの一員よ」
怨嗟の響きを以て、元の名を口にするアリス。そこに並々ならぬ憎悪が感じられた。
「どうして、オークの仲間に?」
「……初めは彼女達と同じよ。私は嵌められてオークに囚われた。まあ、チャーストン家の人間だからね、私は」
アリスの視線が集落に囚われていた女性達に向く。
「オークの子供を孕まされ、絶望の中にいた私だけど、彼らと共にいる内に色々と考えさせられたのよ。人間がいかに愚かで醜い生き物なのかをね」
「……人間が?」
どうしてそのような考えに至ったのか。
「貴方達人間は、オークを薄汚くて野蛮な存在だと罵るけど、彼らはとてもシンプルで理路整然とした存在なのよ。彼らには無駄がないの。必要な分だけ食料を確保し、必要な分だけ衣服を揃え、必要な分だけ家屋を建てる。そして、必要な分だけ____」
「必要な分だけ、女性を攫う」
アリスの言葉を予測して引き継ぐ私。彼女は頷き「必要な分だけ子孫を残すためにね」と付け加えた。私は顔をしかめ、吐き捨てる。
「不浄だ」
「不浄かしら?」
「女性を攫い、子供を無理矢理孕ませるんだぞ。薄汚くて野蛮だと思うのは当然ですよ」
私の言葉にアリスは肩をすくめる。
「確かに野蛮ね。でも、薄汚いとは思わないわ。だって、オークにとって子孫を残すのに必要なことだもの。与えられた生物としての在り方を全うして何が悪いの」
「……」
「オークはね、しっかりとその在り方を自覚しているのよ。自分達が野蛮な生き物だって。人間と違ってね」
棘のある口調でアリスは続ける。
「他者から何かを奪って存在するのは、生き物の宿命よ。だけど人間だけは必要以上に奪う。必要以上に食料を確保し、必要以上の衣服を揃え、必要以上に家屋を建てる。意味もなく貯え、そして、意味のない生殖行動を行う。その際、無意味な略奪に走り、他者を不要に傷付ける事になるのに。そのくせ、人間には自覚がないのよ。自分達が野蛮な存在だってことに」
圧倒的なアリスの憎悪の言葉に、私は口を挟むことが出来なかった。
「そんな野蛮な生き物の分際で、正義がどうのとか倫理がどうのとか宣うのよ。滑稽だと思わないかしら。薄汚いのは人間の方よ」
私はラピスを見遣った。チャーストン家の内部で繰り広げられる権力闘争の凄惨さは、既に目にした所だ。アリスもその洗礼を受けていたのだろう。だから、彼女が人間に対し不信感を募らせるのも無理からぬことだった。
「初めは私を陥れた者達への怒りだった。やがて、それが人間全体への憎しみに変わっていき……愚かで醜い人間に嫌気が差して、私はオークの仲間になる事にしたの。それが彼らと共にいる理由よ」
アリスは再び敵意の籠った瞳を私に向ける。
「今に見ていなさい。私達オークは必ず力を付け、貴方達薄汚い人間をこの地上から滅ぼしてやるわ」
背筋が凍るような思いがした。アリスの抱く憎しみと執念は、私の抱くそれに匹敵……いや、凌駕するものだ。
ふと、ラピスが一歩前に出て____
「貴方は不幸な人だ」
「……何?」
「私も貴方と同じ場所にいた。幼き頃より、人間の醜さをこれでもかと言う程目にし、この世界に嫌気が差していた」
同じチャーストン家の人間としてラピスは語る。
「私も貴方と同じ道を辿る可能性があった。人間を憎み、ただ目を背け、軽蔑するだけの人生を歩んでいたのかも知れない」
ラピスの手が私のそれを強く握る。
「だが、私は闘うことを選んだ。貴方のように逃げの闘いではない。私は希望のために闘う。腐敗した秩序を打ち破り、不正を正す」
「腐敗した秩序を打ち破る? 不正を正す?」
アリスはラピスの言葉を鼻で笑った。
「そんなこと____」
「既に誓ったのだ」
アリスの嘲笑を遮り、ラピスが毅然と告げる。彼女の瞳がちらりと私を見遣った。
「誓い合う存在に出会えた。それが私の幸運だ」
睨み合うラピスとアリス。やがて____
「……ふん、人間の分際で」
吐き捨てるアリスはそっぽを向いて黙り込んでしまった。