第四十二話「ミシェル&秀蓮:望んだ結果」
____Michelle____
「鬼ごっこは私の勝ちだ、秀蓮」
カネサダの切っ先を秀蓮へと突き付け、私は勝利宣言をする。
「……」
大の字に伸び、秀蓮は自身の胸を大きく上下させている。身体の痛みに彼女の額からは滝のような汗が流れていた。
荒い呼吸の中、しかし、秀蓮はふっと笑い____
「……いえ、私の勝利です」
絞り出すように告げる。その言葉に私は目を丸くし、思わずカネサダの切っ先を秀蓮の喉元に近付けた。
「何を言っているの、秀蓮? まさか、この状況から逃げられるとでも?」
満身創痍の上、今の彼女は人工魔導核を奪われている。もはや詰みの状態に思われた。
「気付きませんか、先輩?」
「……何を?」
秀蓮の視線が私の斜め後方へと向けられる。警戒しつつその視線を辿ると____
「赤い光の玉……?」
遥か遠方、その上空に赤い光の玉が浮いていた。光の玉は規則的な明滅を繰り返しており、それはまるで____何かの信号を発しているかのようだった。
「あれは、先輩達がここにいる事を伝えるための信号です」
「……!」
「さっき、私が空中で何かを遠くに投げていたでしょう。その正体があの光の玉です」
驚く私に秀蓮は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ここが私のゴールです。トルスティアで一番高い建物、その上空から信号を発する。私は無事、それを成し遂げたという訳です」
秀蓮は仲間たちの元に向かっていたのではなかった。街で一番高い場所、即ちこの高楼を目指していたのだ。赤い光の玉で私達の存在を仲間に伝えるため。
「残念でしたね、先輩。私の勝利です。そして、先輩の敗北です」
「……ッ」
「言いましたよね、強者とは己が望みを叶えた者だと。今この場において、私が強者で、先輩は弱者なのです」
秀蓮の言葉に思わず私はカっとなった。
「私が弱者で、貴方が強者? じゃあ、これならどうだ……!」
カネサダを振りかぶる。頭に血が上り、私は意地になっていた。
「今ここで貴方を殺す。死は貴方にとって望まぬ事。この刃を振り下ろせば、弱者は貴方で、強者は私になる」
「確かに、その刃を振り下ろせば、私は弱者となりますね。ですが」
目を細める秀蓮。
「だからと言って、それで先輩が強者になる訳ではありません。私を殺したところで、最早先輩に何の利益もない。それどころか、私の死は先輩にとって望まぬことの筈」
眉間にしわを寄せ、私は悔し気に唸った。秀蓮の言う通りだ。彼女を殺したところで、私に何の得もない。
「貴方はどうなの、秀蓮」
「……どう、とは」
「これは本当に貴方の望んだ事なのか?」
秀蓮を睨み、私は問い詰める。
「私と対立してまで、ラ・ギヨティーヌとしての仕事を優先する。私に害をなしてまで。これは貴方の望んだ事なのか? 今の貴方は、本当に強者なのか?」
強者とは己の望みを叶えた者。秀蓮はそう言った。しかし、この状況が、彼女にとって果たして望んだ結果と言えるのか。
秀蓮は____
「先輩、時間がないので一度しか言いません」
「……?」
「……鬼ごっこは私の勝ちです」
何やら意味深な言葉を発する秀蓮。
「しかし、まだ私の勝ちではありません」
「……え?」
秀蓮は何を言っているのだろうか。勝ちだの、勝ちではないだの。
「何故なら、私は全ての望みを叶えてはいないからです」
それから、秀蓮は何かを訴えかけるように私の目を見つめた。
「先輩は、ヨルムンガンディア帝国に亡命されるおつもりですね?」
「……ヨルムンガンディア帝国に亡命?」
ここトルスティアの街からは北の強大国ヨルムンガンディア帝国への直通馬車が通っている。しかし、私には彼の帝国への亡命計画はない。私の行き先はバリスタガイだ。
「私は、亡命するつもりは____」
「ヨルムンガンディア帝国に亡命されるおつもりですね?」
私の言葉を遮り、秀蓮が食い気味に尋ねる。
「……」
黙り込む私に秀蓮は息を切らしながら言葉を続ける。
「早く、この場を去った方が良いんじゃないですか? じきに私の仲間達がここに駆けつけに来ます。そしたら、私達は先輩達のあとを追ってヨルムンガンディア帝国との国境へ向かうことになるでしょう」
やはり何かを訴えかけるように、秀蓮は私を見つめる。何かに気が付いて欲しいかのように。
「……秀蓮」
……もしかして、これはそういう事なのか?
『ミカ』
秀蓮に突き付けたカネサダが声を発する。
『早くこの場を離れるぞ。……秀蓮の助け舟に乗せて貰おうぜ』
____助け舟。
カネサダの言葉に確信する。やはり、これはそう言う事なのか。
秀蓮は言った。鬼ごっこは私の勝ちだと。しかし、まだ彼女の勝ちではない。それは、彼女が全ての望みを叶えていない事を意味する。
秀蓮にとっての望みとは何か。その一つは、ラ・ギヨティーヌとしての使命を果たし、組織内での自らの評価を上げる事。そして、もう一つは____
「秀蓮」
カネサダを鞘に納め、私は彼女に背を向ける。
「……助かる」
私の言葉に秀蓮がふっと笑った気配がした。
____Xiu-Lian____
短い人生の内に、私は様々な事を経験した。属国の姫君。奴隷。行商の娘。騎士。私の人生は波乱万丈だったと言える。
波乱の人生の中で、私は世界には二種類の人間がいる事を学んだ。それは強者と弱者だ。
強者とは決して多くの力を持つ者の事ではない。己が望みを叶えた者こそ、強者と呼べるに値する存在だ。如何に強い力を持とうとも、無念の中で人生を終えた者は強者とは呼べない。逆に、例え無力であろうとも己が望みを叶え続け、幸福の中にいる者は紛れもない強者と言えるだろう。
幸福と自由を手に入れるため、これまで私は上手くやって来た。
“便利屋”として成功を収め続け、ラ・ギヨティーヌの地位と刑吏騎士の内定を手に入れた私。おかげで、私もパパも悪意ある他者から害されるような不安がなくなった。
そして、今回も、私は己が望みを叶える。全て私の思い通りに事を終わらせるつもりだ。
ミシェル先輩が私の元を去ってからどれ位の時間が過ぎただろうか。高楼の天辺で身動きが取れず、大の字に寝そべる私。なるべく呼吸を抑え、痛みを誤魔化す。
「生きてますか、秀蓮」
ふと、何者かが私の隣に降り立った。
「……その、声」
顔を動かし、声の主を探す。鈴の音のように澄んだ声音。聞き覚えのある声だ。
「私です、ガブリエラです」
「ああ、ガブリエラさんですか」
私の目に、幼い少女の姿が映った。灰色の長い髪に十歳にも満たないであろう小さな身体の持ち主。しかし、彼女は私の同期、即ち十四歳の少女であった。
「酷い怪我ですね。貴方ほどの力の持ち主が、こうも無惨にやられるとは」
「相手が悪かったんですよ」
しゃがみ込み、私の顔を感情の乏しい瞳で見つめる少女の名はガブリエラ・アンドーヴァー。
アンドーヴァーの姓____それは四大騎士名家の第一席、アンドーヴァー家の血族の証。ガブリエルさんはまさに、騎士の頂点に君臨する一族の娘だった。
「エストフルトではラ・ギヨティーヌの一部隊を退けた程の力の持ち主です。私が敵う訳ないでしょう」
「……」
ガブリエラさんは背負っていた身の丈程もある棺桶を降ろし、そこに腰かけた。
「どっちが強いですか?」
単調な声音で尋ねるガブリエラさん。
「私とその反逆者、どっちが強いですか?」
棺桶の上から私を観察するガブリエラさんは、少しだけその身体を前傾させる。
ガブリエラ・アンドーヴァーはラ・ギヨティーヌの隊員で、その中でも切り札のような存在だった。今、彼女が腰掛けている棺桶の中には“働き者の女神”と呼ばれるギロチン型の武器が納められており、それは精鋭部隊ラ・ギヨティーヌの中でも最も優秀な者に与えられる最強の騎士の証なのだ。
ラ・ギヨティーヌ最強の騎士、ガブリエラ・アンドーヴァー。果たして、“ドンカスターの白銀の薔薇”ミシェル・ドンカスターとどちらが強いのか。
「……同程度、ですかね」
と、率直な意見を述べる。正直、二人の真の実力がどれ程のものであるのか、私には分からなかったが、両者とも私などよりも頭一つ飛びぬけた別次元の力の持ち主である事は確かだ。ガブリエラさんは少しだけ目を細めて____
「同程度? この私と、ですか。まさか」
鼻を鳴らして、私を見下ろす。そんな事はあり得ない、と。
「どんな者であろうと、私と女神様の相手ではありません。そうですよね、女神様」
ガブリエラさんは棺桶を叩き、その中の何者かに語り掛けた。棺桶の中には彼女のギロチン型の武器が入っているだけの筈。いい歳して、お人形遊びだろうか。それともまさか、本当に武器と会話でもしているのだろうか。
「そういえば、その反逆者ですが。貴方と同じ力を使っていましたね」
「私と同じ、ですか?」
「ええ、しかもそれが“固有魔法”と言う名の力である事も知っていました」
「……“固有魔法”の存在を知っている?」
私の言葉にガブリエラさんは、再び棺桶に目線を落とした。それから、何やら一人でうんうんと頷いた後、私に向き直って尋ねる。
「……秀蓮、その反逆者ですが……もしや、カネサダと言う名のカタナを用いてはいませんでしたか?」
カネサダ____確か、ミシェル先輩の愛刀がその名前だった筈だが。
「恐らくは、そうですね」
「……」
ガブリエラさんは少しだけ黙った後____
「さて、無駄話は終わりです。貴方を回収し、早い所、反逆者を追わなければいけません」
そう言って、ガブリエラさんは私を軽々と担ぎ上げた。身体を無理矢理動かされたので、全身に痛みが走る。
「……いたっ……もう少し丁寧に扱ってくださいよ」
「ところで、反逆者が今どの辺りにいるのか、見当は付きますか?」
私の事などお構いなしに、ガブリエラさんは尋ねる。
「……」
「秀蓮? どうしました? 反逆者が今どのあたりにいるのか、私はそう尋ねているのです」
ガブリエラさんに私は____
「恐らく、反逆者達はヨルムンガンディア帝国へと亡命する気でしょう」
「ヨルムンガンディア帝国ですか」
呟くガブリエラさん。私は心臓が早鐘を打つのを必死で抑えようとした。
「成る程、分かりました。ヨルムンガンディア帝国ですね」
「……はい、でもあくまでも私の予想ですよ。ここトルスティアからはヨルムンガンディア帝国への直通馬車が通っているので、反逆者達はそれを利用するものと思われます」
「ええ、妥当な線ですね」
頷くガブリエラさんを見て、私はほっと息を吐く。どうやら、先輩達がヨルムンガンディア帝国へと向かったと、彼女はそう思い込んだようだ。
昼前の事、私は全くの偶然でミシェル先輩達がこのトルスティアの街にいるのを見掛けた。気付かれないように後を付け、その会話の内容を窺ったのだが、どうやら先輩達はバリスタガイへと向かう予定のようだ。バリスタガイ行きの馬車発着所も見学していたのでまず間違いないと思われる。
だから、私はラ・ギヨティーヌの仲間達に伝える。先輩達がヨルムンガンディア帝国へ向かったと。
私は今回も己が望みを叶えるつもりだ。
私は幸福でありたいし、自由でありたいし、他の誰でもない自分自身でありたい。そして大切な人達にもそうであって欲しいと願っている。
表向きはラ・ギヨティーヌに忠誠を誓い、その一員として功績を上げ、それと同時にミシェル先輩達の逃亡の手助けをする。
「……」
ガブリエラさんの様子を窺う。どうやら彼女は私の嘘を露ほども疑ってはいないようだ。
仲間達と合流し次第、ヨルムンガンディア帝国方面への警備が強化されることになるだろう。そして、バリスタガイ方面への警備は手薄になる筈だ。
ガブリエラさんに気が付かれないように私はそっと口の端を歪めた。
今回も私の勝ちだ。
私は己が願望を叶え続ける。これまでそうしてきたように、これからもずっと。
身体中に走る痛みの中、私はミシェル先輩達の無事を祈るのだった。




