第四十一話「鬼ごっこ」
正に絶妙なタイミング。予期せぬ人物、秀蓮の登場に私とマリアは呆然となるが____
「……ミシェルさん、気を付けて!」
「……マリア?」
我に返ったマリアが身構え、警戒態勢を取る。その瞳は真っ直ぐ秀蓮に向けられており、視線からは明確な敵意が感じられた。どうしてそんなにも激しく、険しい様子で秀蓮を睨むのか。
「おお、怖い。そんなに睨まないで下さいよ、マリアさん」
「……」
一触即発の空気。そんな緊張の中、マリアが窺うように口を開く。
「お姉様に命じられて、私達の前に?」
「まさか」
肩をすくめる秀蓮。
「私はトルスティア第一兵舎の所属なんです。ここが私のホームグラウンド。貴方達を見掛けたのは全くの偶然です」
「では、これはお姉様の命令ではないのですね?」
「はい、マーサさんに与えられた仕事は知っての通り完遂したので。今の私は、彼女とは全く関係ありません」
探るように秀蓮の顔を見つめるマリア。彼女達の遣り取りの内に、気になる言葉があった。
「……マーサに与えられた仕事?」
私の呟きに、秀蓮が頭を掻いて苦笑いをした。
「その節は申し訳ありません、ミシェル先輩。でも、命令は命令だったので、仕方がなかったんですよ。勘弁してください」
「……?」
勝手に謝罪を始める秀蓮に私は首を傾げる。
彼女が何を言っているのか、何について謝っているのか、見当が付かなかった。
「……」
……見当が付かない? いや、それは嘘だ。私には薄々と察していた事があった。秀蓮に関して、あまり認めたくない事が。
私は息を一つ吐き、秀蓮に尋ねる。
「貴方は何の話をしているの、秀蓮? マーサに与えられた仕事って何?」
言葉が強くなるのを抑える。しかし、逸る気持ちがどうしても語気に出てしまう。
「何って……先輩に呪毒を盛った事ですよ。ミシェル先輩だって、もう気が付いているでしょ、私が犯人だって。と言うか、マリアさんから話は聞いていないんですか?」
「貴方が私に呪毒を盛った事には気付いている。でもそれは私を助けるためで……」
「先輩を助ける……?」
急くように言うと、秀蓮はきょとんと首を傾げた後、何かを察したように「ああ」と呟いた。
「ミシェル先輩、何か勘違いしていませんか?」
「え?」
「先輩に呪毒を盛ったのは、マーサさんに命令されたからですよ。ただ、それだけの理由です」
私はマリアに視線を向けた。秀蓮の言葉を肯定するように彼女は頷く。
「ミシェルさんはお姉様にとって、計画に邪魔な存在でしたの。お姉様は貴方の力を恐れていた。“ドンカスターの白銀の薔薇”の力を。だから、秀蓮さんに頼んで、貴方を排除しようとしましたの」
マリアの言葉が伝える真実に、私はよろめく。
「……そんな……秀蓮……」
……。
つまりこういう事か。
ミミとララに呪毒を盛ったのは、彼女達を救うため。そして、私に呪毒を盛ったのはマーサに命令されたため。秀蓮はマーサの計画の協力者だったのだ。
「秀蓮……貴方、マーサの仲間だったの?」
責めるような口調で言い放つ。
それは、可能性の一つとして考えてはいたものの、決してそうであって欲しくはないと思っていた事実だった。
「自分が何をしたのか分かっているのか? マーサの計画に手を貸した……それは……大勢の仲間達を……」
「マーサさんは大勢の仲間達をオークに売りました。僅かですが、私はその手助けをしていたことになりますね」
淡々と語る秀蓮に私は眉をひそめる。
「軽蔑してますか、先輩?」
秀蓮の言葉に、私は重々しく頷いた。
「貴方がそんな事をするなんて……」
アメリア達がどうなろうが、私にとってそれは微々たる問題だ。私はただショックだった。秀蓮が他人を陥れるような悪事に手を染めていたことが。
「貴方の事は、友達だと思っているし……何より、尊敬している。貴方の言葉が私の救いになってるから」
「尊敬ですか? えへへ、嬉しいこと言ってくれますね、先輩」
「どうして」
照れ笑いをして身をくねらせる秀蓮に鋭い言葉を浴びせる。
「どうして、マーサなんかに協力を」
尋ねると、秀蓮は困ったように頬を掻いた。
「どうしてって……マーサさんに直接頼まれたからですよ。だったら、騎士団の“便利屋”としては、とても断れません」
「“便利屋”……?」
その言葉が何を意味するのか分からず、首を傾げた。
すると、秀蓮は僅かに声のトーンを低くし、落ち着きをもって語り出す。
「“西世界”に取り残された青龍人、しかも密売人のレッテルを張られた私とパパには……力が必要だったのです」
「……力」
「私達には商売で蓄えた財力がありました。しかし、財力など大した意味を成しません。それは私達の力になるどころか、むしろ迫害の口実になり得ます。財力ではなく、大きな後ろ盾、私達には権力が必要だったのです」
秀蓮の言葉には切実な響きがあった。そこにお道化た様子はなく、ただ真摯に私に語り掛けている。
「この世界における正義と権力の権化____魔導乙女騎士団。私は我が身を守る権力を手に入れるため、騎士になることを決意しました。幸い、私には財力があった為、“東世界人”であろうと密売人の娘であろうと、賄賂で騎士学校への入学が許可されました」
それは青龍大封鎖がもたらした不幸。秀蓮に待っていた過酷な運命と試練だった。彼女は“西世界”にやって来てからも、世界との闘いを余儀なくされていたのだ。
「しかし、騎士学校に入学したからと言って、騎士団に入団したからと言って、それで安泰ではありません。私には騎士団内で生き残るための地位を獲得する必要がありました。そして、見つけ出したのが____“便利屋”としての立場です」
属国の姫君として生まれ、奴隷に堕ち、貿易商の娘となった秀蓮。そんな波乱万丈の幼少期を経験した彼女だからこそ、他の皆が漠然と日々を過ごしている早い段階から、身の振り方を考え出したのだろう。
「私には才能がありました。騎士としてのではなく、暗殺者や諜報員としての。だから、私はその力を騎士団のお偉様方に売り込んだんです。初めの頃は小さな仕事を引き受けているだけでしたけど、今ではそれこそ各々の信用に大きく関わるような秘密事まで任されるようになりました」
「……秘密事……今回のマーサの一件みたいな?」
「ええ」
頷く秀蓮。彼女は“便利屋”____騎士団内で暗躍者として生き残る道を選んだのだ。全ては我が身を守るために。
「私は“便利屋”として裏で名を馳せました。すると、様々なお偉様方が私を頼ります。私は依頼された仕事の全てを引き受けなければなりません。断れば秘密を持ち逃げした“敵”として認識されるのですから。一度この世界に足を踏み入れた以上、もう暗部から抜け出すことは出来ないのです」
私はごくりと生唾を飲み込み、尋ねる。
「……良心が痛まないの、秀蓮? 貴方はこれまで……あまり人に言えないような事を……」
それは酷な質問だったのかも知れない。だが、尋ねずにはいられなかった。
「心の誤魔化し方はありますよ」
作り笑いを浮かべる秀蓮。
「私が手を汚さなかった分、他の誰かが必ず手を汚します。ここはそう言う世界なのです。誰がやっても同じなのですから、私が“仕事”をしようが構わないと思いませんか」
秀蓮はわざとらしく肩をすくめる。
理屈ではそうなのかも知れない。秀蓮が依頼を断ったとしても、それで誰かが救われる訳ではないのだ。彼女がこなさなかった仕事はまた他の誰かが引き受けることになる。
でも、それは……。
「それは、とんだ詭弁だ。貴方が悪事に手を染めていることに変わりはない」
「詭弁なのは分かってますよ。言ったじゃないですか、これは心の誤魔化し方だって」
「……秀蓮」
歯軋りをする私。秀蓮の切なげな顔に、いよいよ騎士団を、世界を呪う気持ちが強くなる。
心を誤魔化してまで、この世界で生き残ろうともがく少女。お道化た言葉で他人をからかい、自由気ままに生きようとする裏で、彼女は呪いのような葛藤の中にあったのだ。
「同情してくれてるんですか、先輩? そんな悲し気な顔をして」
「……」
秀蓮の問いには答えなかった。私はぶんぶんと頭を振り、話題を変えようとする。
警戒するように秀蓮を見つめる私。
「……私達をどうする気?」
「……」
「騎士として、お尋ね者の私達を捕えなくて良いの?」
尋ねると、秀蓮は私服の裾を引っ張り、やや芝居がかった様子で首を傾けた。
「私、非番時は働かない主義なんですよね」
白いブラウスにスカート。街娘の格好をした秀蓮。見ての通り、彼女は今、非番のようであった。
つまり、先程の彼女の言葉は私達と対立しないことへの宣言。この場を見逃してくれるのだろうか。
そう思って、安堵しかけたのだが____
「ですが残念な事に、今は非番時じゃないんですよ」
「え?」
続く秀蓮の言葉に私は口をポカンと開ける。
「非番じゃないって……じゃあ、その恰好……」
私服の姿の秀蓮。騎士団の制服に身を包んでいない今の彼女は、まさに休日を満喫している最中のように思えた。
「今の私は____」
肩からぶら下げた鞄を漁り、その中から何かを取り出す秀蓮。彼女が手にした物。何かと思えば、それは腕章だった。
私達が見守る中、秀蓮は腕章を装着する。そして、そこに描かれた紋章をこちらに見せびらかす様に、自身の袖を引っ張った。
「____こういう者です」
腕章に描かれた紋章に私達は目を丸くする。何故ならそこにはギロチンの三日月が躍っていたからだ。
「……ラ・ギヨティーヌの紋章」
呟く私は、身構え、秀蓮を睨む。
「何故、貴方がそれを……その紋章を身に着けているの?」
尋ねる私の手は布に包んで背中に括り付けていたカネサダに伸びる。
「……貴方、ラ・ギヨティーヌだったの?」
「半分正解ですね」
からかうように秀蓮は答える。
半分? どういう事だ?
意味が分からず首を傾げる私。
「何と言いますか……準隊員なんです、私。臨時隊員と言った方が分かりやすいですかね。まあでも、ここは敢えてこう名乗りましょうか」
秀蓮はにやりと笑う。
「ラ・ギヨティーヌの“罠係”。それが私です」
得意気な顔をした後、秀蓮は説明を続ける。
「“便利屋”としてお偉様方の依頼を達成していく内に、私は様々な見返りを受け取るのですが、特権階級であるラ・ギヨティーヌの準隊員の地位もその一つです。実働部隊の騎士として勤務する傍ら、ラ・ギヨティーヌから指令が下った場合、私は通常の業務を放棄して、準隊員としてそちらの任務を遂行します」
準隊員。秀蓮は必要とされた時にラ・ギヨティーヌの任務をこなす存在なのだろう。そして、“準”とは言え、特権階級であるラ・ギヨティーヌに在籍しているため、騎士団内における彼女の立場はそれなりに高いと思われる。表立って威張れるような地位ではないのだろうが、少なくとも他者から不当に害されるような心配はない。
「騎士団は、そしてラ・ギヨティーヌは全力を以て先輩達を捕える気です。今回、首都から離れたこのトルスティアにいる私にも、通常の業務を放棄して先輩達を捜索するよう命令が下った程ですから」
それから秀蓮は溜息を吐いて、空を仰ぎ見た。
「運命とは残酷なものですね。よりにもよって、私の前に先輩達が現れるとは。先輩達とは出来れば敵同士になりたくなかったのですが」
懐からナイフを取り出す秀蓮。鈍い煌めきを放つ凶器に私は息を呑む。
「仕事ですので」
「……やる気なの、秀蓮?」
カネサダから布を取っ払い、私は静かに問う。秀蓮は肩をすくめて、口の端を歪めた。
「御冗談を。先輩がラ・ギヨティーヌの一部隊を退けた話は既に伺っています。私の力じゃ万が一にも先輩には敵いません。なので、ラ・ギヨティーヌの準隊員として、この場の私に与えられた使命は」
手元のナイフをこちらに投擲する秀蓮。飛来する凶器を鞘で弾こうとして____
「……!?」
ナイフが突如爆発し、粉塵を辺りにまき散らした。白い粉は通りを飲み込み、私の視界を奪う。
「……ごほっ……ごほっ……!」
恐らく魔道具の類だろう。安っぽい子供だましだが、それでも不意を突かれてしまった。粉を吸い込んでしまい、私はむせ返る。
「私の使命は、先輩達がこのトルスティアに潜伏していることをいち早く仲間に伝える事です」
舞い上がる粉塵で街を行く人々が混乱する中、秀蓮の声が響く。
「と、いう訳でこの場は逃げさせて貰います」
「……秀蓮ッ」
粉塵から口と鼻を袖で守り、くぐもった叫びを発する。
「追いかけて来てくださいよ、先輩。今ここで私を始末すれば、“トルスティアで何やら騒ぎがあった”と言う情報は伝わりますが、“トルスティアに先輩達が潜伏している”と言う情報の伝達は防げますよ」
挑発するように言い放ち、秀蓮が建物の壁を蹴り屋根へと飛び乗った。
「待て、秀蓮! ……逃がすかッ」
「さあ、鬼ごっこの始まりです」
複十字型人工魔導核から力を引き出し、一足飛びに屋根に移る。秀蓮と同じ高さに並び、私は彼女の顔をきつく睨んだ。
「私に勝てるとでも?」
「斬り合いで勝つことは出来ないでしょう……ですが……」
鞄から素早く何かを取り出し、それをこちらに投げ寄越す秀蓮。
「逃げ足なら、どうでしょうかね?」
秀蓮が投げ寄越した筒状の何かは、私の足元にぶつかると黒い霧を発し、瞬時に視界を塞いだ。
顔をしかめる私だが____
「……こんな子供だましッ!」
構わず地を蹴り、秀蓮がいるであろう方向へと疾駆する。
「……!?」
しかし、それと同時に秀蓮の複十字型人工魔導核から発せられていた魔導波が消失。黒い霧の中、私は彼女の居場所を見失い、たたらを踏んでしまう。
「……ど、何処だ」
この閉ざされた視界の中、敢えて複十字型人工魔導核を不起動状態にすることで秀蓮は自身の気配を消したのだ。
目を瞑り、私は耳を澄ませる。音だ。音で秀蓮の居場所を探る。
「駄目だ」
秀蓮の足音を探るも、屋根の軋む音一つしない。
『……! 離れろ、ミカ!』
「え?」
カネサダの忠告。行動を起こすより先に、近くで乾いた音がしたかと思うと____
「……!? ぐうっ!」
爆発。それも一つではない。私の周りでいくつも爆弾がはぜる。咄嗟に魔導装甲で防御するが、全方位から迫り来る爆風に屋根を転げ回ってしまった。
慌てて立ち上がり、周りを見回す。爆風で黒い霧は晴れていたが、何処にも秀蓮の姿は見当たらなかった。
「……逃げられた? ……いや」
逃がしてたまるか。
歯軋りをして、私は屋根を強く蹴り、真上へと跳躍した。そして、魔導核に呼びかける。
____私に、空を羽ばたく力を。
『おい、馬鹿! 何やってやがる!』
カネサダの叱責。しかし、それを無視して、私は力を行使する。
“固有魔法”の真価____“超変化”。私は鳥をイメージし、それを我が身に重ねる。すると、背中から衣服を突き破り、それが生えて来た。
翼だ。私の背中からは翼が生え、その双翼が大きく羽ばたいた。
『お前、“超変化”の力は使うなって……』
「今は非常事態。大丈夫、直ぐに元に戻すから」
鳥人へと姿を変えた私。翼の力を借り、上空を滑空する。
街の様子が一望できた。おかげで、私はいつの間にか遠方まで逃げ果せていた秀蓮の姿を発見する。彼女は屋根から地面に飛び降り、狭い路地に逃げ込んでいた。
「秀蓮ッ」
「……!? 先輩!?」
上空から翼を生やして迫り来る私に、秀蓮はぎょっとした表情を浮かべていた。
私は鞘を振りかぶり、急降下による突撃と同時にそれを秀蓮へと放つ。
「なんのっ!」
鞘の打撃に合わせ、秀蓮が身体を反転。足を振り上げ、私の攻撃を靴底で受け止めた。
のみならず____
「……ッ」
歯車と歯車が噛み合う音がした。瞬間、鞘を受け止めた靴底から釘が私の顔面へと射出さる。間一髪、私はそれを頬に掠らせるだけに留めた。
距離を取って見つめ合う私と秀蓮。
「驚きましたね、その姿」
秀蓮の驚愕の視線が私の背後へと向けられた。私は魔導核に念じ、背中から生えた翼を消失させる。
「変化の能力。……先輩のその力……まるでガブリエラさんと……」
「ガブリエラ?」
聞き慣れない名前に首を傾げる。それから秀蓮は探るように尋ねた。
「先輩、“固有魔法”ってご存知ですか?」
「……!? ……秀蓮、何処でその言葉を」
「……成る程、ご存知のようで」
秀蓮の口から飛び出たその単語に、私は目を丸くする。彼女は知っているのだ。歴史の中に葬り去られた禁断の業である“固有魔法”を。
「じゃあ、やはり先輩も彼女と同じ……」
「……私も? という事は、私以外にもいるの? この力の持ち主が」
「……」
黙り込む秀蓮。私の事をじっと観察するように見つめる。そして、鞄の中から再び何かを取り出した。
「また、妙な道具を使うのか?」
警戒する私。腰を低く落とし、鞘を握りしめる。
「そして、逃げるのか……この私から」
挑発するように私は言い放った。
「貴方、中々に良い反射神経してるね」
先程の上空からの襲撃。鞘の一閃を足裏で防いだ秀蓮。並みの騎士ならば、碌に対応できずに一撃を貰って昏倒していた筈だ。
「それだけの力がありながら……才能がありながら……哀れだね、秀蓮」
じりじりと秀蓮に迫りつつ、私は意地の悪い笑みを浮かべた。
「貴方ほどの力の持ち主が、騎士団の権力者達にいい様に使われているだけの道具だなんて。支配される弱者に甘んじるなんて。哀れで仕方がないよ」
それは彼女をこの場に引き留めるための挑発だった。
「……弱者、ですか」
そして、誘い込みは一定の成果を上げる。私の言葉に反応し、秀蓮はこちらに一歩足を踏み入れた。
「先輩、私の事を弱者だと言いましたか?」
「ああ、そうだよ。それだけの力を持っていながら、騎士団の下らない人間達に媚びへつらう。何者かの支配を是とする。____所詮は属国生まれのお姫様ですね、秀蓮殿下。魂にまで服従の精神が植え付けられているようで」
慇懃無礼な態度を取り、秀蓮の神経を逆撫でする。彼女の冷静さを奪う作戦だ。
「哀れですね、ミシェル先輩」
しかし、秀蓮はと言うと、余裕の表情を浮かべて肩をすくめるのみ。
「貴方こそ、それだけの力を持ちながら弱者の立場に甘んじるなんて……いえ、自ら弱者へと身を堕とすなんて」
秀蓮の声音からは挑発ではなく、本気の哀れみの調子が窺えた。
「真の強者とは、そして弱者とは一体何だか分かりますか?」
問い掛ける秀蓮。私は答えられず、彼女の続く言葉を待った。
「単純な話です。真の強者とは、己が望みを叶えた者。そして、弱者とは、望みを叶えられなかった者の事です」
手元の球体を弄りながら、尚も秀蓮は私に近寄る。
「強者の強者たる所以。それは力の保有量ではありません。己が力を正しく評価するセンスです」
「……センス?」
「自分にどのような力がどの程度備わっているのかを正しく見極め、それを最大限利用し、願望を叶える能力。強者とはそう言ったセンスを持った存在です」
秀蓮はそれから遠い目をして語り出す。
「力には様々なものがあります。しかし、“力”と耳にすると大概の人は権力だの財力だの、果ては暴力だのと分かりやすいものを思い浮かべるのが関の山です。しかし、例えば“上手に媚びへつらう力”なんてのもれっきとした“力”だと思いませんか?」
秀蓮の言葉に私は首を横に振る。上手に媚びへつらう? そんなものは力ではない。
「私の祖国、西清は青龍帝国の属国で、弱小国でしたが、それでも紛れもない強者でした。何故なら、己の力を正しく評価出来ていたからです。そのおかげで、宗主国からの安全保障的、経済的、文化的恩恵を最大限享受しつつ、他の属国が受けていたような過酷な弾圧から免れていました」
しかし、と秀蓮は続ける。
「先代の西清王、私の実の父親は愚かにも己が力を見誤りました。“西世界”からもたらされる莫大な財力を己が最大の力と勘違いし、脈々と受け継がれてきた“上手に媚びへつらう力”を過小評価したのです。独立を企て、その結果が……一族の破滅ですよ」
秀蓮の瞳が私の身を案じるように揺らぐ。
「今の先輩は、言ってしまえば“力のある弱者”です。私の実の父親と同じで、己が力の評価を見誤った哀れな存在」
「……“力のある弱者”」
「先輩は己の力を過信してしまったのです。だから、秘密のままにしていれば良いものを、マーサさんの行いを世に暴こうとした」
秀蓮の言葉に私は俯き、歯軋りをする。
確かに彼女の言う通り、今回のマーサの一件、告発しようと動かなければ、国家反逆罪など吹っ掛けられずに済んだことだろう。
マリアに接触を図らず、ただ心の奥底にマーサの悪事をしまい込む。そうすれば、お尋ね者にはならなかった。
私は望まぬ状況にいる。
しかし____
「びた銭だ」
「……先輩?」
「貴方の言う“上手に媚びへつらう力”なんて、びた銭に過ぎない。卑しく、醜い力だ」
確かに秀蓮が主張するような力は存在するだろう。だがそれは、誇りを犠牲にして手に入れた、不名誉な力だ。
「今この場で証明してやる。この世で最も純粋な力____暴力の前では、貴方の信じる力など、黄金に対するびた銭に過ぎないと」
「黄金に対するびた銭ですか」
鞘を構え、地を蹴る準備をする私。秀蓮は腰を落とし、手元の球体を掲げながら不敵な笑みを浮かべた。
「びた銭だろうが、積めば黄金だって買い取れるんですよ」
秀蓮の言葉とほぼ同時に、地を蹴り彼女に接近する私。鞘を後ろに引き、それから鋭い一突きを放つ。
鞘の先端が秀蓮の鳩尾を捉える瞬間、魔導装甲が展開され私の刺突を受け止めるが、一点に集中された高密度の攻撃力を彼女の護りは防ぎ切れなかった。
「……ぐうっ!」
力が削がれ、軌道が逸らされた私の刺突は、秀蓮に胸部に繰り出され、彼女に呻き声を上げさせる。
が、気絶させるには至らなかった。
よろめく秀蓮は苦悶の表情の中に笑みを微かに浮かべ、両手で大事そうに挟み込んでいた球状の何かを私に差し向ける。
「……!?」
目を見開き、固まる私。秀蓮の両手に包まれた球体。それが不気味な発光をしたからだ。まるで、今から大爆発でも起こそうとするかのように。
……起爆!?
まさか、自爆する気ではないだろうか。自分もろとも私を消し去る気では。
動揺が私の判断力を鈍らせる。
『不味い! 両目を覆え、ミカ!』
「……え?」
迷う時間はなかった。カネサダの言葉に従い、私は両腕を閉じた両目の前で交差させる。
一瞬____溢れんばかりの眩い光が、眼球を撫でたような気がした。
「……!?」
そして、異変は訪れる。目の前が真っ白になったのだ。慌てて両腕を解き、目を開いて周囲を見回す私。しかし辺りには、ただただ白い空間が広がっているだけだった。
「……ど、何処だ……ここ!? 私はどこに……!」
『落ち着け、ミカ! 目くらましだ! お前は何処にも行っちゃいねえ!』
パニック状態になる私をカネサダが宥める。突然の事態に何処か別の空間に飛ばされたような錯覚を私は味わっていた。
『魔震天雷だ! 秀蓮の奴、随分珍しいもん使うじゃねえか』
「魔震天雷?」
『魔導光を発する閃光手榴弾みたいな魔道具だ』
魔導光____あらゆる物質を透過すると言われている魔導の力が生み出した光だ。人間が眼球にその光を受けると、しばらくは視界が白く閉ざされてしまうと聞く。丁度今の私のように。
あらゆる物質を透過するため、目を瞑っても、何か遮蔽物で遮っても、その光を防ぐ術はない。ただし、人間が認識できないような僅かな時間で消滅してしまう性質を持つため、光源から距離を取っていれば、光に曝されることはない。
「……秀蓮! 何処だ! かかってこい!」
『良いから、落ち着け! 魔導光を喰らったのはお前だけじゃない。秀蓮の奴も魔震天雷の有効範囲内にいた。アイツだって、目がやられている筈だ。冷静に対処しろ』
カネサダが叱責する。そうだ、魔導光を受けたのは私だけじゃない。秀蓮だって、今は目が見えない状態なのだ。私達は同程度のハンデを負っている。ここで取り乱せば彼女の思う壺だ。
私は腰を低くして鞘を構え、秀蓮の襲撃に備える。しかし、彼女からの攻勢はなかった。
『秀蓮の奴、こっそり逃げてやがるぜ。人工魔導核の反応も消えた』
「……クソ……なら……!」
胸の奥底に眠る魔導核に意識を集中。私は“固有魔法”の力で両目の視界の回復に努める。
『焦るなよ、ミカ。秀蓮の奴、そう遠くへは行けない筈だぜ。今は目が見えない上に、人工魔導核を不起動状態にしているからな』
カネサダの言う通りだ。両目の視力を失い、魔導の加護にも頼らない今の秀蓮では歩く事すら困難な筈。きっと何処かに身を潜めて、私をやり過ごす魂胆なのだろう。
“固有魔法”の力のおかげで早期に視力が回復する。私は周りに視線を巡らせた。
ここは大通りのど真ん中。そんな場所で騒ぎなど起こしてしまったため、人々は大混乱だった。逃げ惑う者と野次馬とが交差してもつれ合い、市中は混沌としている。
「……紛れ込むつもりか」
秀蓮はこの雑踏に身を隠し、私の追跡を断つ気だ。
だが、そうはさせない。
『……!? おい、止めろ、ミカ!』
カネサダが引き留めるのを無視し、私はもう一度“超変化”の力を使う。背中から翼が生え、私は空へと飛び立った。
翼を携えた私の姿を目にした民衆が、驚きの声を発するのが聞こえる。中には「天使様だ」とその場に平伏す者もいた。
「やばい……目立つか、こんな姿」
お尋ね者の身としては、衆目を集める事態は出来るだけ控えたい。だが、今はやむを得ないだろう。秀蓮を捕捉するためだ。
『お前、“超変化”の力は使うなって、何度言わせる気だ』
「今は緊急事態」
カネサダの忠告を一蹴し、私は空から秀蓮を探す。
「……嘘だろ」
そして、ターゲットの姿を捕捉する。秀蓮は遥か彼方、雑踏を離れた屋根の上を疾駆していた。
「秀蓮、目がやられているんじゃないのか?」
彼女も私と同様に魔導光を浴びた。なので、今は視力を失っており、まともに歩く事も出来ない筈だ。屋根の上を疾駆するなど、もってのほかだ。
「……兎に角、今は」
今は秀蓮を捕らえる。絶対に逃がさない。
背中の翼は既に我が身の一部として馴染んできている。今の私なら、まるで手足のように操ることが出来た。
天高く舞い上がり、重力を味方に付け、猛スピードで秀蓮に接近する。過ぎ去る風が刃のように頬を掠めた。
「……来ましたか、先輩」
気配を察してか、秀蓮が背後の私を振り向く。不敵な笑みを浮かべる少女。まるで私の到来を待っていたかのように。
「ここまでだ、秀蓮」
秀蓮の進路を塞ぐように彼女の前に降り立つ。着地の風圧を受け、秀蓮は目を細めた。
「まさか、魔震天雷の魔導光からこうも早く回復するとは」
「そっちこそ、どうして目が……」
どうして目が見えているのか。そう尋ねようとして、ふと気が付く。秀蓮は二つの目で私を見つめていた。即ち、いつもは装着している眼帯を外している。
「貴方……眼帯……」
「ああ、これですか」
秀蓮の眼帯は彼女の右手に握られていた。
「どうです、眼帯がない方が可愛いですか? 個人的には眼帯をしていた方がカッコいいと思っているのですが……先輩はどう思います? 外した方が良いなら、先輩の前では外していたいと……」
「そっちの方、眼帯をしていた方の目だよね? ……見えてるの?」
眼帯をしていた方の目を観察する。そこにはしっかりとした意思の光が宿っていた。恐らくだが、視力があるように思われる。
「ええ、見えてますよ。別に視力を失ったから眼帯をしている訳じゃないんで。この眼帯、実は魔道具なんですよ」
自慢げに眼帯を掲げる秀蓮。
「魔導光はありとあらゆる物質を透過する光。でも、この眼帯だけはその光を吸収します。おかげで、こっちの目は魔導光に曝されていないんです。魔震天雷は遠隔起爆の出来ない欠陥道具なので、実用するにはこう言った工夫が必要なのですよ」
秀蓮はウインクをした。彼女の眼帯にそんな秘密が隠されていたとは。要は魔震天雷を使用するための補助道具だったと言う訳か。
「……覚悟は出来ているか、秀蓮」
「覚悟、ですか」
肩をすくめる秀蓮。
「この勝負、勝つのは私です」
自信満々に告げる秀蓮は魔導光を受けた方の目を閉じ、真横に跳躍。屋根から屋根へと飛び移る。
「ラストスパート。ここからは全力で行かせて貰いますよ、ミシェル先輩!」
秀蓮の人工魔導核が眩い輝きを放つ。魔導の力を全て引き出し、疾走の力へと変えているのだろう。
「勝つのは私だ、秀蓮!」
背中の翼を消失させる。私も全魔導力を脚力へと変え、秀蓮を追跡した。
「強者とは、即ち勝者」
前を走る秀蓮が私に言葉を投げかける。
「勝者とは、即ち己が望みを叶えた者」
秀蓮は疾駆を続ける。やがて、高楼が前に立ち塞がり、彼女は壁を垂直に走り始めた。
「私はこれまで全ての望みを叶えてきました。ラ・ギヨティーヌの地位。刑吏騎士の内定。欲しいものは全て手にしてきました。私の未来は安泰です」
秀蓮を追い、私も高楼を走る。
「そして今回も____私は己が望みを叶えます!」
高楼の天辺まで登り切り、秀蓮はそこから更に上空へと跳躍した。そして、鞄から何かを取り出し、遠方へと投擲する。
と、同時に、私は秀蓮を捉えた。空中で私達は交差し____
「墜ちろ____秀蓮ッ!」
それは刹那の出来事。まずは鞘での一撃を放ち、秀蓮の魔導装甲を破壊する。魔導の破片が飛び散る中、続く私は足を振り上げ、彼女の肩に踵落としを繰り出した。
一瞬、踵が秀蓮の身体に深く沈み込み____その圧は彼女を落下させる力へと解き放たれる。
「あがっ!」
秀蓮の苦悶の声に続き、彼女の身体が高楼の屋根へと叩きつけられる。屋根瓦が砕けて飛び散り、少女はぐったりと大空に向けて伸びた。
秀蓮の隣に降り立つ私。辛うじて意識があるようで、彼女は震える手を私に差し向けていた。
「酷い……ですよ……先輩……少しは……手加減……してくださいよ」
「殺さないように手加減はしたよ」
私は秀蓮の身体から強引に彼女の複十字型人工魔導を引きはがし、魔導の加護を奪い取る。
「……ぐうっ」
呻く秀蓮。魔導の力により痛覚を麻痺させていたのであろうが、人工魔導核を奪われ、今彼女は身体が受ける本来の痛みに苦しんでいる筈だ。
奪い取った人工魔導核を懐にしまい込み、私は鞘からカネサダを抜き放った。その白刃を秀蓮に突き付ける。
「鬼ごっこは私の勝ちだ、秀蓮」