第三十九話「オークの集落へ」
「マーサと結託したのはギ族と呼ばれるオーク達です。彼らの集落に乗り込み、マーサと面会して貰うようお願いします」
「……お願いだと」
「はい」
呆然とするカエデに私はカネサダの柄を握りしめ____
「お願い、と言うよりは、脅しですけどね」
ギ族の集落に乗り込み、暴力で彼らを服従させる。そして、マーサと面会して貰うように頼み込むと言う訳だ。
「君は、オークの集落に乗り込むと言うのか?」
「はい」
「無謀だ」
鋭い口調で言い放つカエデ。
「オーク共を甘く見るな。我々がオークに勝利できるのはあくまで地の利が奴らにない場合に限る。その生存領域に踏み込めば、多数の罠が奴らに味方し、彼我の力量はひっくり返る」
分かっている。オークは野蛮な魔物だが、戦闘に関しては人間に匹敵する知恵を持つ。慢心し、その集落に攻め入った多数の騎士達が返り討ちに遭っていることも承知だ。
だが____
「私がその無謀をひっくり返してやりますよ」
腰元の鞘を引き抜き、カエデにその黒光りを示す。
「私に備わった絶対的な暴力が、ありとあらゆる無茶を押し通します」
権力でも財力でもない。たった一つ、暴力と言う純粋な力のみがこの状況を切り拓くと言うのならば、私は惜しみなくそれを振るう。
「……絶対的な暴力か」
カエデが示された鞘と私の顔を交互に見遣る。
「あの決闘の際に、私は君の力の片鱗を見た。凄まじい力だったのを覚えている。しかし……」
「しかし、絶対的な暴力と言うには程遠いと? 言っておきますが、私の力はあれ以降、何倍も強大になりましたよ。私には不死身の力、時を止める力、そしてラ・ギヨティーヌの一部隊を数秒で屠る化け物の力が備わっていますから」
「……不死身……? 時を……?」
私の言葉が突拍子もなかったのか、カエデは困惑の表情を浮かべた。その視線が説明を求めるようにラピスに向けられる。
「あまり、魔導核の事は口外したくはないのだが」
私を一瞥してから、ラピスはカエデに向き直る。
「ミシェルの言っていることは全て事実です。実は____」
ラピスは私の力について説明を始める。
魔導核が与える驚異的な再生能力。時を止める力。そして、化け物への変化。今の私の力は、正直人間の領域を超えていると言っても良い。
「ラ・ギヨティーヌを一瞬で退ける力、か」
チャーストンの分家屋敷での出来事を聞かされ、カエデは唸る。
「オークの一部族程度ならば、私の力で制圧できると確信しています」
断言する私。とは言っても、本当に成功を確信して述べている訳ではないのだが。
あくまで、これはカエデを納得させるための大口だ。屋敷でラ・ギヨティーヌを退けた力____あれをもう一度使用する気はない。あの化け物の力を。
しかし、化け物の力は使わないにしても、私にはオークの集落に乗り込むだけの覚悟と勝算があった。自信と言う程のものではないが、勝利のための意志が私の中にある。
「……本気か、ミシェル殿?」
測るように尋ねるカエデ。私は力強く頷いた。
「勿論、オーク達を甘く見ている訳ではありません。細心の注意を払い、危険な場合はすぐに引き返します」
あくまで冷静に物事を進めていくことをカエデに伝える。そして、実際にそうするつもりでもある。慢心は絶対にしない。
「……君達はどうするのだ? ラピス殿達は? ミシェル殿に付いて行くのか? オークの集落まで乗り込みに?」
カエデの視線が私以外の者達に注がれる。突然話を振られ、言葉に窮する一同。
オークの集落に乗り込む。しかも一部隊にも満たない人数で。それは、恐怖すら覚える行為であった。特に、女性である彼女達にとっては。
「皆、無理に付いてこなくていいよ。オーク達なら私一人で____」
「人数は多いに越したことはないだろう」
私の言葉を遮りラピスが告げる。
「人数が多ければ、緊急事態への対処が容易になる筈だ。それぞれが知恵を出し合える」
もっともな意見だ。
ラピスに続き、背後からアイリスが私の肩を掴んで、口を開く。
「ミシェルちゃん、私達だってエストフルト第一兵舎所属のエリートなんだよ? もっと頼ってくれても良いと思うんだけどなあ」
「……アイリス」
今この場にいるのは、全員がエストフルト第一兵舎所属のエリート。一人一人が優秀な戦力となり得る騎士なのだ。計画の成功を考えるのならば、その力を借りようとするのは当然の事。彼女達を軽んじるべきではない。
私一人で、というのは、驕った発想だったか。
「ねえ、オークの集落に乗り込むってことは……ララを助けに行けるって事?」
「……ん……ああ……確かに……」
尋ねるミミに、そう言えばと思い出す。
ララを初め、アメリア隊の皆はギ族に捕らえられたのだ。これからその集落に乗り込み、彼らを制圧するという事は、捕らえられた仲間達を救助する機会を得る事を意味する。
「次いで……って言う言い方もアレだけど……アメリア隊の皆を助けることが出来ると思う」
その言葉にミミは目を丸くし、慌てた様子で私に飛び付いた。
「……わっ」
「ラ、ララを……助けられるの!?」
「う、うん……結果的にね」
がっしりと私の胸倉を掴むミミ。きりきりと服を締め上げる。
「……私、アンタに付いて行くわ。ララを助けるためだもの。大人しく待ってることなんて出来ない。……絶対に付いて行く!」
「……分かった」
物凄い剣幕で宣言される。妹のララに対し並々ならぬ想いがあるようだ。姉妹愛、か。
「ミシェルさん、私も付いて行きますわ。姉の犯した罪に対し、私なりにケジメを付けるために。それに……」
身を乗り出して告げるマリアの視線がミミに移る。
「私だって、ララさんを……大切な友人を救う手助けをしたいですし。今度こそ」
「……マリア」
私を余所にマリアとミミが見つめ合う。マリアにも色々と思う所があるのだろう。姉の罪滅ぼし。そして、ララを救えなかった後悔。だから、彼女は私と闘う事を選ぶ。
「私だって行くわよ」
今度はサラが宣言する。
「ミシェル君のそばにいて、力になりたいもの」
「……う、うん」
「私達、友達でしょ」
直球過ぎる物言いに何だか照れてしまう。非常に嬉しい事だが。
さて、という事で____
「私達、オークの集落に乗り込むことにします」
ラピス、アイリス、ミミ、マリア、サラ____ここにいる皆でオークの集落を目指すことが決定した。皆、それぞれの意志で行くことを決意したのだ。
カエデは皆の顔を見回し、小さな溜息を吐いた。
「……分かった」
そして、腹を括ったように私に向き直る。
「ならば、こちらも君達の計画に協力しよう」
「協力、ですか?」
「オークの集落に向かうまで足が必要だろう? まさか徒歩で移動するつもりでもあるまい」
足____移動手段の事だろう。当然、徒歩だけでオークの集落に向かうつもりはない。バリスタガイまで距離はかなりある。
「こちらで馬車を手配しよう。今の君達では確保に困る筈だ」
言い出すカエデ。確かに彼女の言う通り、お尋ね者となった私達には馬車の用意は困難だった。業者によっては身分証明を要求される場合もある。
「ありがとうございます、カエデ殿」
「ああ」
鷹揚に頷くカエデはそれから____
「何と言っても、ミシェル殿の、将来の妹のためだからな」
「……え?」
とんでもない爆弾発言をする。
……聞き間違いだろうか? カエデは先程、“将来の妹”などと口走ったような。私は恐る恐る尋ねる。
「あの……将来の妹、とは?」
「君はジュードと婚約することになっているのだろう? ならば、必然的に将来は私の妹になるという訳だ」
「……こ、婚約?」
カエデの発言にざわめきが起きる。私の頭は真っ白になった。
「こ、婚約って……ミシェルちゃん、本当なの!?」
アイリスが血相を変えて私に掴み掛かる。
「ミ、ミシェルさん! これはどういう……!」
マリアもアイリス同様私に掴み掛かった。
私は口をパクパクと開閉させた後、ぶんぶんと頭を振りカエデに身を乗り出した。
「そ、その……婚約と言うのは、もしや十郎様が……?」
「ああ、父上が仰られていた。ミシェル殿をジュードの嫁として迎え入れたいと。君の名を父上から耳にした時、私は奇妙な巡り合わせに運命を感じた程だ」
どうやら十郎の中で私が彼の息子、即ちジュードと婚約するのは確定事項のようだった。しかも、それをカエデとジュードにも伝えているらしい。
「あ、あの……私は、その……!」
ジュードとは婚約できない。彼と結婚するのが嫌だとか、そんなレベルの話ではないからだ。何故なら私は____
「私は、その……お、おと……」
「まあ、冗談はこの辺にしておこうか」
言い掛け、落ち着いた口調でカエデが私の言葉を遮る。私はポカンと口を開け、カエデとジュードの表情を窺った。
涼しい顔のカエデ。対して、ジュードは呆れた視線を自身の姉に向けていた。
「じょ、冗談……?」
「ああ、冗談だ。君はジュードとは結婚出来ないのだろう? いや、出来なくもないのか? 君は一応女性と言うことになっているから、法律的には問題ない。後は子供の問題と……」
「姉上、ミシェル殿が困っている」
ぴしゃりとジュードが言い放つ。それから私に頭を下げて謝罪した。
「すまない、ミシェル殿。姉上はこう見えてつまらない冗談が好きなお方で、時々戯れかどうか判別の付かない事を言い出だすのだ」
「こら、何がつまらない冗談だ。我ながらユーモアのある____」
「いえ、つまらない冗談です、姉上。今後は是非お控えになって頂きたい」
鋭い視線と共にジュードは姉に警告する。
「……カエデ殿は、その……私が男性であることを……」
「当然知っている。ミシェル・ドンカスターの名は有名だからな。ただ困った事に」
悩まし気にカエデは額を押さえる。
「我が父上は君が男性であることを知らない」
「え?」
「そして、未だに君とジュードの婚約を諦めていない。ミシェル殿の事を大層気に入ったようで、是非義理の娘にしたいと強く願っている」
「……えー」
勝手に願われても困るのだが。
「その……伝えてはいないのですか? 私が男性であることを」
「うむ……情けない事に、毎度伝えるタイミングを逃してしまうのだ。何と言うか……落ち込む父上を見たくはないと思ってな」
娘としての優しさか。しかし、その優しさは時に落胆時の傷を深くする。早いうちに真実を伝えた方が良いと思うのだが。
「もういっその事、全てを欺いてジュードと結婚しては貰えないだろうか? 諸々の問題は私がどうにかしよう。男性同士でも愛は育まれると聞く。愛が育まれれば子供だって生まれるかも____」
「姉上、同性同士では子供は生まれません」
「分かっている。全て冗談だ。君達を無理矢理結婚させる気もない」
表情一つ変えずにお道化るカエデ。ジュードが溜息を吐く。
「姉上の冗談は分かり辛いのです」
「むむ」
カエデとジュードの遣り取りに、私はラピスを見遣った。
「……どうした、ミシェル」
「いえ、私にも冗談が分かり辛い姉がいたなと」
「むむ」
カエデと同様にラピスが不満気に唸った。
さて、今後の方針が決定。
それから少しだけ会話を交わす。いくつかの細かい取り決めを行い、私達は無事解散することになった。
「皆、疲れているだろう。身体をゆっくり休めると良い」
カエデの計らいで私達にはそれぞれ部屋が割り当てられた。今日はもう休息を取ることに。
しかし____
解散後、私は一人カエデに呼び止められる。
「ミシェル殿」
「どうされました、カエデ殿」
何の用事だろうと怪訝に思い、首を傾げる。カエデは私の目をじっと見つめ、神妙な面持ちで口を開いた。
「少し見ない間に、君は変わったな」
「……え」
カエデの言葉の意味が分からず、困惑する私。
「決闘のあの日、私は君の内側に災いを見た。怒りと憎しみに囚われた業人の心を。それは騎士、そして人としての在り方を否定した醜い魂だった」
思い出す様にカエデは語る。
「しかし、今の君からはそれとは別の物を感じる。今でも君の中に、邪悪で危うい物が見られるが……その危うい物は、また別の何かで満たされようとしている」
抽象的なカエデの言葉。どう解釈すれば良いのか。
「良い仲間を持ったな」
「……仲間、ですか」
「君の中に、あの日には見えなかった希望が見え始めている。きっとそれは、君の仲間が与えてくれた光だ。君達を見ていてそう思った」
カエデの言葉はよく分からないが、要するにアイリス達が私の心に良い影響を与えているという事か。
「カエデ殿、私はあの日から、あの決闘の日から、何も変わっていません。私は……」
カネサダとの約束。それが今の私を形作るほぼ全てだ。だから、私は____私の誓ったこの復讐の道をひた進む。
「私は復讐を誓ったのです。貴方が私に望まれるような生き方は出来ません」
私を虐げて来た者達に然るべき裁きを下す。その指針が揺らぐことはあり得ない。カエデが思う人間らしい生き方など出来ないのだ。
「……復讐、か」
考え込むように腕を組むカエデ。
「君の事はそれなりに知っている。だから、君が復讐心を抱くのも無理は無いと考える。……これは、あくまで私の考えだが」
前置きをして、カエデは告げる。
「私は復讐を悪だとは思っていない。それは人間ならば誰しもが抱き得るものだからだ。だから、君の復讐は止めない。仕返しがしたいのならば、すれば良い」
「……」
それは予想外の言葉だった。
「とは言っても、復讐にも種類はある。良い復讐……と言うのは語弊があるし、あまり好ましくない言葉だが、兎に角、復讐には“人間”に戻れなくならずに済む復讐があると私は思うのだ」
復讐者の結末はまちまちだ。それはカネサダにも教わった事。
「復讐の果て、君は赦しを与えるべきだ」
「……赦し、ですか」
頷くカエデ。
「父上がよく言っていた。赦しを与えるのは弱さではない、強さだと。弱者程、人に赦しを与えるのが不得手で、強者程、それが得意なのだそうだ。敵を慈しみ、敬意を表する。武士の情けだとか」
赦しを与える強さ。思い当たる節がある。そう言えば、アイリスはミミとララに赦しを与えていた。それは彼女の強さ故だったのだろう。
「強さ。強者とは一つの道を持つ。それはアウレアソル皇国では武士道、こちらでは騎士道に代表されるものだ。道を持つ者は、人としての在り方を、そして未来の希望へと続く航路を踏み外さない。ミシェル殿、君は“強者の復讐”を為すべきだ。敵に赦しを与え、強者として振舞う事で、凄惨な未来を回避できる」
警告するようにカエデは述べる。
「間違っても、敵を痛めつけるような真似はするな。心から赦しを乞うた相手や罪を償った相手を何度も手に掛けるのは、最早人間ではない。一時的な強者の仮面を被った醜い弱者。それは人と呼ぶにはあまりにもお粗末な存在だ。あの日の君は____」
「あの日、アメリアを痛めつけていた私は正にそれだったと」
「ああ、そうだ」
はっきり告げるカエデ。私は考え込み、思い起こす。今までの私の行動を。
今、カエデはあの日の私を、一時的な強者の仮面を被った醜い弱者だと言い切ったのだ。それは果たして正しい事か。
「……私が弱者」
暴力では、私は確かにアメリアを圧倒していた。しかし、保有する暴力の大きさがその者の強さだと言い切れるのか? カネサダならば、暴力と強さを等位に結び付けるだろう。しかし、アイリスの高潔さを知る私は、また別の答えを考え出していた。何故なら、私よりも暴力の保有量で劣るアイリスが、私よりも真に弱者だとは思えなかったからだ。
「権力、財力、求心力、暴力……力には様々なものがあるが、言ってしまえばどれもただの道具に過ぎない。真の強者とは道具を意のままに操る者。道具の性能に驕り、溺れる者は卑しい弱者だ。……真の強者を目にした事はあるか? 私にとってそれは両親だった。君はどうだ、ミシェル殿?」
「……」
真の強者。力に溺れず、正しく振舞う者。私にとって、それはアイリスやラピスだった。だから、彼女達のことはとても尊敬している。
「長々と話したが、これは全て私の勝手な考えだ。君には君の考えがあるだろう。私の思想を押し付けるような真似はしない。……ただ」
カエデは優しく私の肩を叩いた。
「君には幸せになって貰いたい。私はそう願っている」
最後にそう言い放ち、カエデは去って行った。
彼女の言葉が、彼女の去った後も私の中に残る。
「カネサダ、私は____」
『言っておくが、俺はお前に答えを与えられねえぞ』
鞘に納まるカネサダ。心を読み取る能力は封じられている筈なのに、全て分かったように言いのける。
『俺がお前に与えられるのは、俺の持つ復讐者としての哲学だけだ。そして、それはもう全て授け終わった筈。だから、ここからはお前が答えを見つけろ。カエデの嬢ちゃんの言葉。どう捉えるのもお前の自由だ。復讐の始まりは俺が与えた。復讐の結末はお前で決めろ』
復讐の結末。敵に与える赦し。強者と弱者。強者のみが持つ道。力。
カエデの語った言葉に如何ほどの真実が含まれているのか。
今の私には分からない。
だが____
ラピスとの約束もそうだが、血みどろの結末を覚悟し、それを受け入れていた私の未来には、それとは異なる終わりがあるのかもしれない。