第三十八話「フィッツロイ姉弟」
貧民街。元の空き家から離れた場所に、どうにか寝床を見つけ出した私達。一夜を明かし、あくる日の朝、昼、晩と死んだように息を潜め、時を待つ。
そして、再び暗闇の世界が訪れた。街は静まり返り、敷き詰められた石畳はお尋ね者達の通り道となる。
「皆、準備は良いね」
私達は互いに頷き合い、フィッツロイ家の別宅へと向かった。魔導核の暴走により損耗状態にあった私は既に元の力を取り戻している。例え一戦交えることになったとしても、今はもう問題ない。
時刻は午後十時。首都エストフルトの住宅街。記憶を頼りに私は皆を目的地へと導いた。
屋敷の敷地内に足を踏み入れると、玄関口の方から守衛らしき者達がこちらに駆け寄ってくる。
「失礼ですが、どちら様で?」
腰に剣を携えた少女達が、じっとりとした目で警戒しながらこちらに尋ねる。服装から推察するに彼女達はリントブルミア乙女兵士団の者達だろう。フィッツロイ家に限らず、ある程度の家格を持つ貴族達は乙女兵士団から兵士を警備要員として引き抜く権利を有していた。
「……十郎様はいらっしゃいますか?」
守衛達の質問には答えず、尋ね返す私。彼女達は顔を見合わせ、更に警戒感を強めた。
「十郎様に何用ですか? それと、繰り返しお尋ねしますが、貴方達はどちら様で?」
今の私達は騎士団の制服ではなく、一般的な庶民の服装をしていた。だから彼女達がこちらを不審人物と警戒するのも無理は無い。
「十郎様はいらっしゃいますか?」
「ですから、貴方達……」
言い掛ける守衛を制して、私はとあるものを彼女に差し出す。それはギロチンの紋章____即ち、ラ・ギヨティーヌの部隊章であった。昨日のラ・ギヨティーヌとの一戦の際、彼女達からこっそりくすねて来たものである。
ラ・ギヨティーヌの紋章に守衛達は息を呑む。
「十郎様はいらっしゃいますか?」
今度はやや脅すような口調で尋ねる。
ラ・ギヨティーヌの紋章を前に、彼女達は今盛大な勘違いをしている事だろう。私達がラ・ギヨティーヌの騎士達であると思い込んでいる筈だ。
守衛達は姿勢を正すと、頭を下げ____
「十郎様は現在こちらの別宅にはお見えになりません」
「……」
守衛の言葉に私はラピスを見遣る。彼女は私を押して、ずいと前に進み出た。
「十郎様は今どちらに? こちらにはいつ戻られる?」
「……すみません、存じ上げません」
私達は顔を見合わせる。困った。十郎は交渉の窓口だ。彼がいないことには何もかも始まらない。
屋敷にいないにしても、せめて行方だけでも知りたかったのだが。
「……参ったな」
と、呟く私。
ある程度こう言った事態は覚悟していたのだが、それでも落胆してしまう。計画の修正を余儀なくされる私達。しかし____
「……カエデ様とジュード様ならいらっしゃるのですが」
守衛の言葉が、私達に希望を与える。
「カエデ殿とジュード殿が?」
アメリアとの決闘の際に立会人を務めた指揮官騎士であるカエデ。ジュードと言うのは、十郎が言及していた私と同い年の長男の事だろう。私に婚約相手として勧めていた。
ラピスがちらりと私に視線を与える。
この際二人に話を聞いてもらうか? というラピスの無言の問い掛け。私は逡巡するように一瞬だけ目を伏せた後、守衛達に告げた。
「ではお二方に取り次いで頂けませんか?」
このまま大人しく引き下がっても、十郎の情報がないまま当て所なく街を彷徨う事になる。ならば、大した面識もない……それどころか、カエデに関してはあまり良い心証を持たれていないであろう事を分かった上で、彼らに協力を仰ぐべきだと思った。
仲間達の顔を窺う。彼女達が私の咄嗟の判断に不満を持っている様子はない。
「夜分遅くに非常識ではありますが、こちらも緊急事態なもので。どうかご容赦頂きたい」
私が言い添えると、守衛達の何人かが屋敷の中へと消えていった。恐らく、こちらの要求通りカエデとジュードに取り次ぎに行ったのだろう。
緊張を隠しながら屋外で待つこと数分、屋敷の中から帰って来た守衛達は、私達に頭を下げると、その手の平を屋内の明りの方へと差し向けた。
「ご案内致します。どうぞ中へ」
無事、面会が成されるようだ。取り敢えずは一安心。守衛達に導かれ、私達は屋敷のとある一室へと通される。
大きな机を挟んでソファーが二つ。その片側にカエデ、そしてジュードと思わしき少年が腰を下ろしていた。
彼らは私達の来訪に気が付くと、立ち上がり____
「フィッツロイ家長女カエデ・フィッツロイです。こちらは私の弟で長男のジュード・フィッツロイ」
頭を下げて自己紹介をするカエデ。姉に続き、ジュードは無言で一礼する。
「お前たちは下がっていろ」
そして、すぐさま守衛達に退去を言い渡す。有無を言わせない鋭い口調だ。いかにも指揮官然としている。
カエデとジュードは再びソファーに座り、私達にも着席を促した。とは言っても、こちらは六名の大所帯。全員がソファーに座れる訳ではないので、代表して私、ラピス、マリアの三人が彼らの対面に腰を下ろした。
守衛がいなくなり、場の空気が落ち着いたところで____
「さて、ラ・ギヨティーヌ御一行様が当家にどのようなご用向きか……と、尋ねたいところだが____」
カエデの目が私のそれをじっと見据える。
「ラ・ギヨティーヌの名を騙ってまで、どうして君はここにいる? ミシェル殿……それに、そちらはラピス殿だな」
当然と言えば当然だが、カエデには私達がラ・ギヨティーヌではない事は既にバレている。自分で言うのも何だが、私の容姿は目立つ。彼女がその顔を忘れている訳がない。所属とて正確に把握しているのだろう。
「君達は確か、目下国家反逆の罪で騎士団に追われる身となっていた筈だが」
どうやら此度の事態も把握済みのようだ。
私はラピスに視線を送る。経緯の説明は彼女が適任だ。私の意思を読み取ったラピスは頷き、カエデに向き直った。
「カエデ殿、長話になるのですが____」
カエデに向け、ラピスはこれまでの経緯を話した。そして、私達がフィッツロイ家を訪ねた理由も。
数分後____
「マーサ・ベクスヒルがオークと結託……」
表情を険しくさせるカエデ。
「それを揉み消すために、騎士団は君達を抹殺すべく、冤罪を吹っ掛けたという訳か。俄かには信じられんな」
「すべて事実です」
身を乗り出して私は訴える。真実は私達にあると。
しばし、唸り考え込んでいたカエデだが____
「いや、私も薄々おかしいとは思っていた。君達がクーデターなどと……あまりにも無茶苦茶だ」
そうだ。クーデターなどよくよく考えてみれば荒唐無稽な話。正常な思考の持ち主ならば、疑うのは当然の事。
「信じて下さるのですね、私達の話を」
尋ねると、カエデは私の目を見て頷いた。その首肯に安堵する私。
しかし、肝心なのはここからだ。話を信じて貰えたのは有難い事だが、大切なのはフィッツロイ家の協力を得る事。
私は早鐘を打つ心臓を押さえ、躊躇いがちに口を開いた。
「それで……フィッツロイ家に協力を仰ぎたいのですが……」
緊張の一瞬。カエデにもジュードにも一族の最終的な意思決定権はない。とは言っても、彼ら、特にカエデの判断にある程度の力がある事は確かだ。
カエデは腕を組み____
「分かった。君達の冤罪を晴らし、真実を世に伝えるべく協力しよう」
そうはっきりと言葉にした。
「……え」
間抜けな声を漏らし、硬直する私。私だけではない、ラピスもマリアも彼女の言葉に同様の反応を示していた。それは、あまりにも呆気ない協力の承諾だったからだ。
私は咳払いをし、再度尋ねる。
「カエデ殿……我々に協力して下さると……そう仰いましたか?」
「ああ。ジュード、お前も異論はないな」
「ええ、姉上」
カエデは頷き、姉弟で意思を確認し合う。ジュードも姉と同じく私達への協力に賛成のようだった。
私は歓喜で飛び上がりそうになり、ふと冷静になる。
……いや、喜ぶのは早い。
リリアナ・チャーストンの時と同じで、彼らが私達を謀ろうとしている可能性だってある。なので____
「……失礼ですが、カエデ殿」
「どうした、ミシェル殿?」
「抜刀させて貰っても宜しいですか?」
腰元のカネサダに手を添える。私の言葉に、カエデもジュードも、他の皆も一瞬固まり、困惑の表情を浮かべた。
「……刀を? 何故?」
「疑うようで申し訳ないですが、貴方達の真意を確かめるためです」
カエデの表情はますます険しくなる。口にはしないものの「何言ってんだ、お前」と目が訴えかけていた。ラピスとマリアが私の袖を引っ張り、心配そうな表情を浮かべる。
これはしっかりと説明した方が良さそうだ。
「この刀には人の嘘を見抜く力があります。その力を借りて、カエデ殿とジュード殿が本当に我々に協力して下さるのか、何か謀ってはいないのか、それを確かめたいと思うのです」
「人の嘘を見抜く、だと?」
首を傾げるカエデだが、ジュードと顔を見合わせると____
「……まあ、好きにすると良い」
「ありがとうございます……では」
説明はしたものの半信半疑と言った様子のカエデ。しかし、抜刀の許可は貰えた。
私は鯉口を切り、カネサダの身を鞘から半分ほど引き抜く。心の中で、目前の二人が本当に私達に協力してくれるのか相棒に尋ねた。
『……大丈夫だ。コイツら、本気でお前たちに協力する気だぜ』
カネサダの言葉に私はほっと息を漏らす。人の心を読み取ることが出来る彼がそう告げるのだから、カエデもジュードも信用して良さそうだ。
私はカネサダを鞘へと納め、カエデに頭を下げた。
「疑って申し訳ありません。どうやら、お二方の言葉に嘘はないようですね」
「今ので嘘を吐いているかどうか見抜いたと言うのか?」
「はい」
やはり半信半疑のカエデ。いまいち納得していない様子。兎に角、これで少なくとも二人の協力者は得られた。
「人の嘘を見抜く力など初耳だぞ」
横からラピスに小突かれる。
「……そう言えばそうでしたね」
ラピス、そして他の皆にもカネサダの事は秘密にしてある。なので、その能力についても彼女達は知らない。
「それにしても宜しいのですか? 我々に協力するという事は……騎士団に背くことになりますが」
カエデとジュードの顔を交互に見遣る。あっさりと私達への協力を決めた彼らだが、それはお家の存亡にも関わる大事だった。下手をすれば、彼らも国家反逆罪で逮捕されることになる。
「不正は正さなければならない」
カエデは当然のように断言する。
「我々は騎士。その身はただ国家と国民、そして平和と正義のために捧げるべきだ。保身のためにその義務を放棄することなど出来ない」
騎士道を体現するかのようなその揺るぎない台詞に、私は圧倒されてしまう。
不正を正す。ラピスのそれとは似ているようで違う。彼女の言葉には恨みだとか、復讐だとか、謂わば不純物のようなものが一切ない。悪く言えばやや妄信的な、しかし真に気高き騎士としての精神がそこにあった。
「父上も母上も同じ答えを出すだろう」
恐らくだが、カエデの騎士としての高潔な精神はフィッツロイ家の当主、そしてその夫の十郎から与えられたもの。フィッツロイ家では騎士道の精神が脈々と受け継がれているのだ。
「しかし、協力するとは言っても、最低限の保身はさせて頂きますよ」
口を挟むのはジュードだった。
「貴方達を売るようなことは致しませんが、危なくなればこちらとしてはこの件から手を引かせて頂きたい」
ジュードはちらりとカエデに視線を与えた。
「姉上もそれで宜しいですね?」
「ああ」
釘を刺すようなジュードの口調。彼はカエデよりもドライというか、現実的な思考の持ち主のようだ。
「ただ僕達には、最終兵器がありますから、この件も……」
「おい不敬だぞ、ジュード」
何かを言い掛けるジュード。しかし、カエデが険しい表情でそれを窘める。
ジュードは姉の静かな剣幕に黙り込んでしまった。
……最終兵器? ジュードが口にした言葉に首を傾げる。
「さて、これからどうするかだが」
カエデは咳払いをして、具体的な話を始めた。
「マーサについて私は独自で内部調査を行う事にする。ジュードには大学の学友を通じて、文官系の貴族達に根回しを行って貰おう。ところで……君達は何か、マーサとオークの繋がりを証明する証拠は持ってはいないのか?」
カエデは私達を見回して窺った。
「何かしらの証拠さえあれば、上手く告発を進められるのだが」
私とラピスは顔を見合わせ、困ったような表情を浮かべた。
「……証拠はあったのですが……騎士団本部に提出して」
カネサダとマーサの会話を記録した記録石が唯一本件の証拠になり得るものだったが、それは今や騎士団の手に渡ってしまっている。そして、恐らくはもう既に破棄されてしまっている可能性が高い。
「彼女、マーサ・ベクスヒルの妹のマリアなのですが、彼女の証言が証拠になりませんかね?」
マリアの肩に手を添えて尋ねる。カエデは難しそうな顔をした。
「決定的な証拠にはなり得ないな」
「……駄目ですか」
「身内からの告発とは言え……騎士団に不利になるような証言は……」
カエデはもどかしそうに言葉を濁した。彼女の口調からは悔しさが滲み出ている。騎士団内に蔓延る腐敗は組織に不利になるような証言を是としない。
「本人の証言でなければ」
カエデはそう付け加える。私は溜息を堪えた。
「……本人の、ですか」
やはりあの記録石を失ったのは大きな痛手だった。あれさえあれば____
「仕方がない。じっくりと内部調査をして、どうにかマーサとオークの繋がりを示す証拠を手にするしかないようだ」
「……」
「その間、君達にはこの屋敷に身を____」
「本人の証言があれば良いんですか?」
カエデの言葉を遮り私は尋ねる。
「本人の証言があれば、告発は上手く行きますか?」
「……ああ、上手く行く可能性は高くなるが」
腕を組んで考え込む。カエデは怪訝な瞳を私に向けた。
「……」
しばらく黙って唸っていた私だが、とある決意と共にカエデに向き直る。
「ならば、証言を得て来ます」
「……何だと」
「いえ、証言どころか、まさに決定的な証拠を手にしましょう。マーサがオークと繋がっているその瞬間を」
「何をする気だ、ミシェル殿?」
私は腰元のカネサダを握りしめ、毅然と告げる。
「マーサとオークが面と向かって話し合っている瞬間を記録石で記録するのです」
カエデは一瞬固まり、顎に手を添えて尋ねた。
「可能なのか、そのような事が? それはつまり、マーサの動向を見張り、彼女がオークと接触する瞬間を押さえるという事だろう? しかし、彼女とてそう頻繁にオークとは通じ合わない筈。それに、彼女自身が直にオークと話し合うとも限らない。特に今の状況では、オークとの接触は控えると思われる。その計画を実行するにしても、長い時間と、何より運が必要になる。その上、マーサを直に見張るという事には相応のリスクが伴う」
マーサとオークが面と向かって話し合っている瞬間を記録する。それは実現の可能性が極めて低いように思われた。
ただし、その可能性の低さはマーサをただ見張ると言う行動を前提にしたものだ。
私にはマーサを見張る気など更々ない。
「マーサを見張り、接触の瞬間を待つ必要などありません」
「……どういう事だ」
私は微かに不敵な笑みを浮かべ、答える。
「オークの方に頼めば良いのです。貴方達とマーサの結託の決定的な瞬間を捉えたいので、是非彼女に会っては頂けないかと」