第三十六話「みなしごの哄笑」
重い身体とラピスを引きずって、屋敷を離れる。
酷い眩暈がした。呼吸も荒い。
半壊したチャーストンの分家屋敷が見えなくなった頃、私は暗い路地へと逃げ込むように足を踏み入れた。
意識を失ったままのラピスを降ろし、私も地面に座り込む。壁に背を預け、大きく息を吐いた。
「……だるい」
疲労感が一気に押し寄せる。目を瞑れば、このまま眠ってしまいそうだ。
『魔導核が暴走しちまったからな。こんなところでモタモタするのはあんま良くねえが、しばらく休んで回復を待つべきだぜ』
「……暴走」
カネサダの言葉に私は自身の背中を確かめた。触手がない事を再度確認し、安堵する。
「……カネサダ、さっきのあれは……あの力……あの姿は……」
屋敷での出来事を思い返す。心臓を刺し抜かれ、死に瀕していた私。魔導核が異常な活性化を見せたかと思うと、身体の傷が癒え、触手が背中から生えてきた。私は自身のおぞましい触手を用いて、ラ・ギヨティーヌを退けた訳だが……。
あの触手の正体は一体何だったのか?
『……あれはお前の“固有魔法”のもう一つの力……いや、真の力と言った方が良い』
「私の“固有魔法”?」
もう一つの力と聞いて、疑問に思う。
「“固有魔法”って、確か一人の人間につき一つずつ備わっている力だよね? 私の“固有魔法”は“超再生”。どういうこと? 私は“固有魔法”を二つ所持する例外的な存在って事なの?」
『いや、違う。お前の“固有魔法”はあくまで一つだ』
私の推測を否定するカネサダ。その言葉に更に首を傾げる。もう一つの力があると言ったり、あくまで一つと言ったり、どういう事だ?
『結論から言うと、お前の“固有魔法”は自身の身体を修復する力、即ち“超再生”なんかじゃなかったって事だ』
「“超再生”じゃない? じゃあ、私の“固有魔法”って? それに、この身体の異常な再生能力は……」
『まあ、一から説明するから慌てるな』
咳払いをしてカネサダは間を取る。
『お前の“固有魔法”。その真の力は“自在に身体を変化させる能力”。名を付けるとするならば、“超変化”だ』
「……“超変化”」
『イメージした姿に自身の身体を変える。さっきお前は、化け物のような歪な自分を強くイメージした。あの触手はそのイメージを具現化した姿だ』
触手の正体。あれは私が化け物として描いた自分のイメージが“固有魔法”の力によって具現化した姿なのか。
『俺達が“超再生”だと勘違いしていた力。あれも“超変化”の力の形の一つだ。傷付いた身体、異常な身体を元の身体へ変化させる。俺達はこの“変化”を“回復”だの“修復”だのと呼んでいただけだ』
「……ああ、成るほど」
“修復”____言ってしまえば、元の状態への“変化”を意味する。“超再生”とは“超変化”の力が“修復”と言う形で現れたものだったのだ。
『……厄介な力だぞ、ミカ』
「カネサダ?」
ドキリとした。カネサダの警告。“力”に対してはどのようなものであれ肯定的な考えを持つ彼が、この“力”に対しては危機感を抱いていた。
『俺はさっき、お前のその力を“自在に身体を変化させる能力”と言ったが、それは能力を上手くコントロール出来ての話だ。ミカ、お前はその力を上手く扱えていない』
いつになく真剣な声音でカネサダが告げる。
『魔導核の暴走により、お前は異形の怪物になりかけていた。下手をすれば、本物の魔物になったまま元の姿に……人間に戻れなくなっていた所だぜ』
カネサダに言われて、私は身震いがした。彼の言う通りだ。胸の内に形成された化け物のイメージは、私を恒久的に異形へと変質させようとしていた。あの時、彼の言葉がなければ、私は……。
『厄介なことに、今回の件でお前には変な癖が付いちまったはずだ。化け物のイメージが実際に具現化し、身体に定着した。今後何かの拍子にまた同じ事が起きないとも限らない』
「また、同じ事? またうっかり、化け物に……」
胸の奥に眠る魔導核。カネサダの言葉に、ここに来て恐怖と嫌悪を抱いてしまった。身体に爆弾を抱えているような気持ちだ。
「……わ、私は……どうすれば……」
『まあ、落ち着け』
縋るように鞘を握りしめる私に、カネサダは宥めるように言葉を続ける。
『“超変化”は厄介な力だ。だから今後暴走させないための対策を今から教える。お前が心するべきことはたった一つ』
耳を澄ませる私。
“超変化”。私を化け物へと変質させ得る能力。その厄介な力への対策とは?
『剣の腕を磨くことだ』
「……剣、の? ……え?」
『もう一度言う。剣の腕を磨け、ミカ』
カネサダの言葉にやや拍子抜けする。
「剣の腕を磨くって……それだけ?」
『おいおい、何だその疑いの目は? はあ……ったく』
呆れたように溜息を吐いた後、カネサダは告げた言葉の意味を説明する。
『剣の腕を磨き、己が強くなることで、魔導核に頼る機会を減らす。これが一つ目の理由。もう一つは____自分のイメージを固めるためだ』
「……自分のイメージ?」
まるで問いかける様に、カネサダは語り出す。
『お前の剣の腕は、誰かに与えられた訳じゃない、お前が持って生まれて来たもの。そしてたった一つ、お前が自分自身で伸ばしてきた力。それは、お前を象徴するものでもある』
エリザ・ドンカスターによって、私の身体は歪められた。私の人生も。そして、この魔導核の覚醒も彼女にその原因が求められる。
しかし、私の剣の腕は、唯一私が元々持っていた力で____私が自分の意志で伸ばしてきた才能だ。
『俺を振れ、ミカ。何度も何度も剣を振って、腕を上げろ。お前の剣筋が研ぎ澄まされていく内に、お前の中に確固たる自分のイメージが出来上がる。剣を振るう“人”としてのイメージが。アウレアソル皇国には武士道と言う言葉がある。俺達で言うところの騎士道に近いもので、奴らは鍛錬によって、剣士としてのイメージを自身の内側に作り上げていく』
カネサダが言葉を結ぶ。
『強くなれ。テメエの魔導核なんぞに負けるんじゃねえぞ』
「……強く、か」
結局はそれだ。
私は強くならなければならない。
魔導核の力は強大だ。だが、負けない。
私は己を鍛え、力に使われるのではなく、意のままに制御するのだ。
『お前の力が魔導核のそれを上回る時、お前は黄金とも仰がれる絶対的な力を手に入れるだろう。それこそ……この俺を、ホークウッドを超える力を』
「貴方を?」
誇張を用いている雰囲気はない。英雄を超える力。カネサダはそれを私の中に見ているのだ。
この魔導核の力はそれ程までに恐ろしい力なのだろう。
手の平を見つめる。そして再度誓うのだった。
____私は強くなる。もっともっと、強く。
「……ミシェル」
その時だ。私の耳にラピスの掠れた声が聞こえて来た。
「……どこだ……ここは」
「副隊長」
寝ぼけた声で尋ねるラピス。どうやら彼女の意識が回復したようだ。
額を押さえながら、ラピスは私にぼんやりとした目を向ける。やがて、はっと息を呑み込み、彼女はこちらに身を傾けた。
「……身体は大丈夫か、ミシェル!?」
「ええ、この通り……副隊長はどうですか?」
「私は……ああ……何ともない」
自身の身体を確かめ、ラピスが答える。衣服はボロボロだが、私達にはこれと言った外傷がない。無事と言っても差し支えない状態だ。
「あの姿は……あの海魔のような姿は何だ?」
ごくりと生唾を飲み込み、躊躇いがちにラピスが尋ねる。私は頭を掻いて、それから胸に手を添えた。
「どうやら魔導核が暴走したようです」
首を傾げるラピス。
「……暴走? よく分からんが……それは……もう大丈夫なのか?」
「見ての通り、どうにかなりましたよ」
私の言葉にラピスは安堵の吐息を吐く。しかし、それからまた思い出したかのように顔を青ざめさせ、震える声で尋ねた。
「どうなった?」
「……どうなった、とは」
「事の顛末が知りたい。あの後、どうなった」
気を失い、ラピスは屋敷からこの暗い路地まで運ばれてきた。だから、彼女は屋敷が、そしてリリアナ・チャーストン____自分の母親がどうなったのかを知らない。
「安心して下さいよ。副隊長のお母様は、お陰様でご存命です」
やや棘のある言い方をして、私はラピスに事の顛末を伝えた。屋敷は半壊し、ラ・ギヨティーヌは全滅。死者は……恐らくいない。
「……」
話を聞き終え、黙り込むラピス。肩から力が抜けていた。恐らくだが……母親の生存に安堵しているのかも知れない。
ラピスの様子に、私は何だかもやもやとした。
いや、苛々したと言った方が良いのかも。
だから、私はその衝動を抑えきれなかった。
「……分かんないですよ」
「……? ミシェル?」
ぼそりと呟く私。何の事だと、ラピスは首を傾げる。
「母親を想う娘の気持ちなんて、私のような人間には分からないですよ。みなしごの私には、ね」
それはラピスが先程私に投げかけた言葉だった。母親を庇う際に用いた、心無い言葉。
ラピスの表情が凍り付く。その瞳に後悔の色を見た。
「ミ、ミシェル……わ、私は……!」
慌てて頭を下げるラピスは、絞り出すような声で____
「……すまない、ミシェル」
「副隊長が謝る事なんてないですよ。だって、全部事実ですもん。貴方の言う通り、私は母娘の愛を理解することが出来ない、そんな心無い人間なんです。まあ、確かにショックでしたよ。貴方も心の中では私をそんな風に思っていて、陰で蔑んでいたんだって。いやあ、貴方の本当の気持ちを知れる良い機会でしたよ。貴方だけは私を侮蔑しないとそんな幻想を抱いていましたけど、おこがましい願望でしたね。これからは気兼ねなく、みなしごだの人でなしだの罵って下さいよ。悪口は言われ慣れてるんで。まあ、悪口と言うよりは、ただの事実なんですけど。私が人の心を理解できない____」
「ミシェルッ」
薄ら寒い心で早口にまくし立てる私。その身体にラピスが抱き着く。
「……赦してくれ、ミシェル」
「……」
涙ぐみながら赦しを乞い、万力のような力で私の身体を締め上げるラピス。彼女の身体の柔らかさと温かさの前に、私は黙り込んでしまう。
「……どうすれば良い? どうすれば、私を赦してくれる?」
ラピスの困り果てた声。私は大きく溜息を吐いた。
「酷い人ですよ、貴方は……全く、親の顔が見てみたいです」
「ミシェル?」
皮肉を込めて言い放ち、私はラピスを突き飛ばした。
不安げな表情が私を見つめる。
数拍。今度は私の方から彼女に抱き着く。
「あんな奴の事、もう忘れて下さいよ」
ラピスの背中に回した私の手が、彼女を引っ掻いた。怒り、悲しみ、悔しさ、そして願いを込めて、私は言葉を突き付ける。
「それで、貴方の事を赦して上げます」
「……忘れ……る」
頷く私。
「母親だけじゃありません。レイズリアの事も。あんな奴ら、貴方の家族じゃありません。貴方の家族は……この私です。私一人です」
困惑するラピスを押し切る形で、私は同意を求める。
「良いですね、ラピスお姉様」
身体を離すとラピスは困った表情のまま目を泳がせていた。
沈黙が夜気に張り付く。
逡巡の後、彼女は____ギリッと奥歯を鳴らした。その拳が地面を叩く。
「お母様は馬鹿だッ」
自らの母親を悪罵する。
「こんなに私が愛していると言うのに、本当に馬鹿だ。糞ったれの大馬鹿者だッ」
やけくそ気味のラピス。私は目を丸くしてしまう。
「あんな人はもう知らん。レイズリアもだ。あんな可愛げのない妹は妹じゃない。血が繋がっているだけの赤の他人だ」
吐き捨てるラピスの目には涙が浮かぶ。その涙は何を意味するのだろうか。悔しげでもあり、どこか吹っ切れた様子でもある。
「そうですよ! あんな馬鹿共がラピス副隊長の家族な訳ないですよ!」
「ああ! そうだ! あんな馬鹿共、私の家族ではない!」
夜の首都に私達の声が響く。その声は悲しげでもあり、楽しげでもあった。
「もう私は知らん! 精々楽しく権力闘争でも何でもするがいいさ! 奴らがどうなろうが、私はもう構わん!」
「ええ! 全くそうですよ!」
「馬鹿共が! 私は騎士団団長になる者だぞ!」
「副隊長が騎士団団長になった暁には、あんな家取り壊してやりましょうよ!」
「ああ! ぶっ壊してやる!」
「ええ! ぶっ壊しましょう!」
「……ふふ」
「……あはは」
吹き出す私達。笑いが込み上げてきて、堪え切れず腹を抱えて地面を転がった。
大声を出して笑い転げるなど、不注意な事は避けるべきだったが、今の私達にそんな発想は思い浮かばなかった。
私達は笑う。兎に角、笑った。私達の中から悲しみを追い出す様に。
心に深い傷を負ったラピス。その痛みが消えることは、しばらくはないだろう。
だが、そんなもの徐々に癒していけば良い。
忘れさせてしまえば良い。
彼女には私がいる。私が彼女の新しい家族になる。
笑って、笑って……。私達が頂きへと登り詰めた時、もう一度笑う。
そんな日を夢見て、願いを込めて、私達は笑うのだった。