第三十五話「異形の姿」
『……!? ミカ! あの女、お前たちを騙してるぞ!』
ラピスの母親____リリアナ・チャーストンが姿を現した時のカネサダの第一声がそれだった。
「……騙す?」
突然そのようなことを言われたので、私はまともに彼の言葉を取り合わなかった。いや、取り合う時間がなかったと言える。
動揺から立ち直る隙を与えずに飛来する無数の氷の矢。防御態勢を構築する前に身体に攻撃を喰らってしまう。
不覚に舌打ちする私。しまった、気が逸れていた。
噴き上がる血潮。激痛と共に、身体に異変を感じる。全身がだるい。手足も思う様に動かない。
何だこれは____
「ラ・ギヨティーヌ直伝の麻痺の矢。どうです、手足が動かせないでしょう?」
ラピスに話しかけるレイズリアの言葉に身体の異変の正体を知る。手足の痺れは矢に付与された麻痺の魔法によるものらしい。
麻痺の矢を喰らい、地面に横たわるラピス。私はと言えば、辛うじて二本足で立てていたが、剣を握る手に思う様に力が入らなかった。これではまともに斬撃を繰り出せない。
「へえ、それだけの麻痺の矢を喰らっておきながら立っていられるとは……ですがその様子だと、もうまともに戦う事はできないでしょう?」
戦闘態勢を維持する私に、いやらしく目を細めてレイズリアは笑う。
「こちらには人質もいますし、大人しく武器を捨てたらどうですか?」
「……」
無言でレイズリアを睨む。彼女の言う通り、今の私ではまともに戦う事が出来ない。その上、ラピスの母親を人質に取られている。大人しく武器を捨てるより他ない状況だ。
『おい、あの女……ラピスの母ちゃん、お前達を騙してるぞ!』
再び口を開くカネサダ。手元の白刃を見遣る。
……騙している、とは?
『あの女、さっきのは全部演技だ。お前達に力を貸す気なんざさらさらねえ! これを仕組んだのは全部アイツだ。ラ・ギヨティーヌをお前達にけしかけたのは! 今だって、人質の振りをしているだけだ!』
「……!」
まくし立てるカネサダに目を丸くする。
全部演技? ラ・ギヨティーヌもリリアナの指示で動いているのか?
カネサダが嘘を吐いているとは思えない。私はラ・ギヨティーヌ達に挟まれるリリアナに目を向けた。
そこで見てしまう。彼女の口の端が僅かに歪む瞬間を。それは自分の思惑通りに事が運んでいることに満足する者の浮かべる笑みだった。
「……そうだったんだ」
確信する。否定したいが、リリアナ・チャーストンは私達を騙していたのだ。
優しい言葉に、温かい笑み。娘を守る決意。私に向けた救いの手。それらは全て嘘だったのか。
沸々と憎しみの感情が沸いてくる。
「リリアナ・チャーストン!」
叫び、歯軋りをする。
「よくも安っぽい三文芝居を!」
足を引きずり、言う事を聞かない身体を無理矢理リリアナへと突き動かす。事態を呑み込めていないラピスは困惑の瞳を私に向けていた。
「……私達を騙していたんだな!」
憎悪の感情を剥き出しにする私にリリアナは____
「……はあ……やれやれ」
態度が一変。大きな溜息を吐き、リリアナは肩をすくめる。冷たい瞳が私に向けられていた。
「お馬鹿な娘を持ちましたよ。国家反逆罪でお尋ね者になった愚かな娘をね。やはり出来損ないは、出来損ないのままのようですね」
「お、お母様……これはどういう……!」
正体を現したリリアナの言葉に食って掛かったのはラピスだった。
「お馬鹿なお姉様、自分が騙されていた事に気が付かなかったのですか?」
「……何を……」
「全く、貴方が反逆者となったせいで我が家は滅亡の危機に瀕しましたよ。しかし、幸運にもレイズリアはラ・ギヨティーヌ。この屋敷を国家反逆者捜索のための詰所として彼らに貸し出すことで一命を取り留められました。まさに不幸中の幸い。いえ……」
ラピスが絶望する中、リリアナは____
「これはまさに天祐。貴方達を自らの手で捕らえることで、ベクスヒル本家に恩を売ることができます。この一件、上手く立ち回りさえすれば、一族内で成り上がる事も可能なのです」
その言葉で理解する。リリアナにとって物事とは二つのものに大別されるのだ。即ち、自らの権力を高めるものと損ねるもの。だから彼女は娘の危機を“天祐”などと口にしたのだ。ベクスヒル本家に恩を売り、権力闘争を有利に進められる機会になると踏んで。
「う、嘘だ! お母様! 私は貴方の娘です! 貴方が愛する、貴方の血を引いた娘! なのにどうして!」
「貴方の事を高く評価していた時期もありましたが……やはり、私に相応しい娘はレイズリアただ一人のようでしたね。レイズリアさえいれば、貴方など」
「……!?」
ラピスの母親を想う気持ちはやはり伝わらない。悲痛なラピスの表情。これ以上、見ていられなかった。
「……お前達……!」
赦せない。
「副隊長が……一体どんな想いでここに来たのか……!」
リリアナを睨む。彼女の元へと怒りのままに吸い寄せられる私。
目の前にレイズリアが立ちはだかる。冷笑を浮かべる彼女に私は堪らずカネサダを振るった。それは殺意を込めた一撃。私は峰でなく刃を彼女に放っていた。
「副隊長はお前たちの事を……!」
「どうでもいいですよ。お姉様の気持ちなんて」
しかし、手足を蝕む痺れは嫌でも剣速を鈍らせる。私の斬撃は呆気なくレイズリアに弾かれ、彼女の次撃が私の右腕を切断した。
肉を断つ感触にレイズリアが残忍な笑みを浮かべる。
「……ミシェル!?」
ラピスの悲鳴を聞きながら、私は地面にうつ伏せの状態で倒れる。右腕からは血が嘘のように噴き出していた。
「……本当の家族……なんだろ……」
痛い____筈なのに、今の私の心を支配していたのは、それを忘れる程激しい憎しみだった。私は声を絞り出し、レイズリアとリリアナを睨む。
「私なんかとは違う……お前たちは本当の家族なんだろ……!」
物語で目にする親子の形。親は子供を、子供は親を愛する。それは損得を越えた無償のもの。
……だから。
ずっと憧れていた。本当の親子の姿に。エリザ・ドンカスターは私の義理の母。だから、彼女は私を愛してくれなかったのだと、私は思っている。裏を返せば、本当の親子の間には代替不可能な絆が存在しているのだと私はずっと信じていたのだ。
ラピスとリリアナの間に私はそれを期待した。彼女達の間に親子としての絆が確かに存在することに。その可能性にかけた。かけるだけの価値があると判断した。
それなのに____
「ふざけるな……! お前たちがラピス副隊長の想いを踏みにじるのならば……私は……お前たちを……」
赦せない。ラピスの想いを踏みにじる彼女達が。だから、その言葉は激しい殺意と共に思いがけず零れ出た。
「私はお前たちを____殺してやる!」
明確な殺しの宣言。私は本気だった。理性では抑えつけられない。ラピスの流す涙が、私の中に渦巻く負の感情を爆発させた。
「死にぞこないが、何を言っているんですか」
立ち上がりかけ、しかし無慈悲な刃は下される。レイズリアの剣が背後から私の心臓を貫いたのだ。
「はい、これで貴方は終わりです」
嘲笑うレイズリアの声を聞きながら、私の意識は遠のいていく。寒い。身体が冷えていくのが分かる。
「……」
血が止まらない。切断された右腕と、刺し抜かれた心臓から、生命の源が外部へと流れ出ていく。
もしかして、私はこのまま死ぬのか?
カネサダと交わした復讐の誓い。アイリス、マリア、サラ……彼女達と思い描いた未来。そして、ラピスとの約束。すべてここで失ってしまうのか。
何も成し得ぬまま、後悔の中で果てるのか?
そんなのは嫌だ。
私にはやり残したことがある。進むべき未来がある。こんなところでは止まれない。
いや____
今はそんな未来の事なんてどうでも良い。
たった一つ。今の私が望む事。例え未来を失ったとしても、今果たしたいことがある。
「……殺してやる」
例えこの身を滅ぼすとしても、やり遂げるべきことが一つある。
「絶対に赦さない……! お前たちを……!」
憎しみが死に際の身体を動かす。たった一つ____ラピスの想いを踏みにじった者達の命を奪うために。
レイズリア、リリアナ……二人とも殺してやる。
「ラピス副隊長の想いを踏みにじった事……絶対に……後悔させてやる……!」
なけなしの命から絞り出される怨嗟の声に、ラピスに詰め掛けていたレイズリアが顔を強張らせる。
「……おや、まだ生きていましたか。しぶといですね」
ややおっかなびっくりにこちらに歩み寄るレイズリア。私の生存に、その生命力に肝を冷やしている様子だ。彼女は剣を振り上げ____
「私はラ・ギヨティーヌです。その名に相応しく、貴方の首を刎ねて……それで楽にして差し上げましょう」
今度こそ私の命を絶つべく、刃を煌めかせた。
ぼやける意識の中、私は胸の奥に潜む魔導核に願望を託す。
魔導核とは魔物の中にのみ存在すると言われてきた器官だ。異形の存在が持ち得るもの。そんな印象が私の中にある。カネサダはその思い込みを否定したが。
だから、私は自身に備わっている天然の魔導核を知らず恐れていた。まるで自分が魔物のように思えたからだ。
だが、この際どうでも良い。
例え自分が怪物でも____異形の存在になり果てても____
「……な、何ですか、これ!?」
力が溢れてくる。魔導核の異常な活性化。それは私の怒りを代弁するかのように、身体を内側から食い破る勢いで力を奔出させた。
斬首を取り止め、私から飛び退るレイズリア。
私は彼女を視界の端に収め、獣のような雄叫びを上げた。
背中に何か違和感を覚える。だが、それを気に留める間もなく、周囲が俄かに騒がしくなった。
エントランスホールに突如巨大な触手が出現したのだ。
赤黒い肌を持つそれは、縦横無尽に屋内を暴れ回り、壁を、柱を、天井を、床を破壊していく。
ラ・ギヨティーヌ達の間から悲鳴が上がった。内何人かが触手の暴挙に巻き込まれ昏倒する。
……何故、触手が?
ぼうっとする頭で触手を先端から根元まで辿ると____私の背中に繋がっていることが分かった。
触手は私の背中から生えていたのだ。
「……なんだ……これ……」
ふと、視線を切断された右腕に向ける。
「……腕が……」
そこには腕があった。切断されて失ったはずの腕が。いつの間にかくっ付いていたのか。それとも新しく生えて来たのか。
何はともあれ……今の私は普通ではない。心臓が再生し、流血が止まっているのを感じた。背中からは巨大な触手が生えている。
私は異形の存在になり果てたのか。
「……どうでも良い」
私がどうなろうと……今は……。
憎しみを糧に立ち上がる。たった一つの目的____レイズリアとリリアナを殺すために。
手足は未だ思う様に動かない。しかし、背中から生える触手にある程度の制御を与えることが出来た。
自身の一部と認識した触手を振るう。私の意思に応じてそれは何倍にも膨れ上がり、グロテスクな胴体を蠢かせて騎士達を蹴散らしていった。
「……くっ……な、何て力だ……!」
数秒。半数以上の騎士達が昏倒したところで、彼らはようやく混乱から立ち直る。
精鋭部隊ラ・ギヨティーヌ。彼らは殺しのプロフェッショナル。初手で不覚を取るも、毅然と戦闘態勢を整える。
「怯むな! 反撃開始ッ!」
無数の氷の矢が触手に殺到し、その肉を抉る。そして、ずたずたにされ脆くなった部位に騎士の一人が疾駆し、剣で両断した。私から切り離された触手の部位が地面に落ち、火で焼かれたように蒸発して消える。
ラ・ギヨティーヌ達から歓喜の声が漏れた。
しかし、騎士達はそれが無駄な行為だとすぐに悟ることになる。
「……な、なんだと!?」
斬られた触手の断面からまた新たな触手が生えてきたからだ。再生する不気味な異形に面食らうラ・ギヨティーヌ達だが、すぐに____
「触手は再生する! あれに構わず本体を狙え!」
対案を講じ、行動に移す。氷の矢が私に殺到した。冷たい矢先が肌にぶつかる。しかし、それら魔法の凶器が私の身体を傷付けることはなかった。
私の肌はまるで鋼のように硬くなっていたのだ。氷の矢など全く歯が立たない程に。
砕け散る氷の矢にラ・ギヨティーヌ達が青ざめるのが分かる。魔導装甲で防御している訳ではない。素肌で攻撃を受け止める私に恐れの瞳を向けていた。
「……ば、化け物……」
誰かの呟きが聞こえて来た。
化け物。確かにそうかもしれない。矢を生身で受け止めても平気で、不気味な触手を背中から生やす者など、最早化け物以外の何ものでもない。
次第に馴染んでいく触手。私は先端に意識を集中し、尖ったその形状を変化させる。それは巨大な手だった。触手の先端は人間のそれと同じ手の形を取る。細長い五指を持つ手を。
赤黒い肌を持つ触手の手。ただし、スケールが人間のものとは違う。人間の手の何倍もの大きさを誇るそれは、騎士達を数本の野菜スティックを握るように一度に鷲掴みに出来るものだった。
親指。人差し指。中指。薬指。小指。一本ずつ動かし、感触を確かめる。制御が十全に行き届くことを知るや、私は触手の手を大きく広げ____
「ぎゃっ!?」
数人の騎士達を一度に掴み上げる。荒っぽく振り回し、彼方に放り投げた。
壁にぶつかりそのまま意識を失う騎士達。皆、唖然としていた。数人の仲間達が碌に抵抗も出来ずに一度にやられたのだ。そのショックは絶大だった。
「……ミシェル・ドンカスターッ!」
呆然とするラ・ギヨティーヌ達の中、レイズリアが剣を構え、私に接近する。
幻惑魔法を駆使し、どうにか私の元まで辿り着くレイズリア。しかし、彼女の振るった剣は私の右手により受け止められてしまう。
「……な!? 素手で……!?」
剣ではない。手の平でレイズリアの斬撃を受け止める私。指に力を加えると、彼女の剣身が歪み、限界を超えてぽっきりと折れてしまった。
馬鹿げた事態を前に、茫然自失のレイズリア。その手から剣が滑り落ちる。私は彼女の頬に反撃の拳を振るった。
「……があっ!」
彼方へと吹き飛ぶレイズリアを横目に、私は再び触手を動かす。気が付けば、両の手のように触手を操る術を獲得していた。
胴体をうねらせ、先端の手で騎士達を掴み、投げ飛ばす。
阿鼻叫喚のエントランスホール。暴れ回る触手に騎士達は攻撃を加えるが、全く無駄な事だった。ほしいままに蹂躙し、騎士達を次々と片付けていく触手。その暴挙を止める者は誰一人いなかった。
精鋭部隊ラ・ギヨティーヌ。数十名のエリート騎士達は、気が付けば全滅の状態にあった。
周囲を見回す。
偶然か。それとも意図して最後のごちそうとして残しておいたのか。まともに意識がある者はラピスと私を除いて、リリアナ・チャーストン一人となった。
深呼吸をする私。傍らのカネサダを握り、尻もちをついて怯えるリリアナにゆっくりと近付く。
「……ひっ……ば、化け物……」
悲鳴を発するリリアナ。触手を背面に宿し、右手には冷たい白刃を携えて私は彼女の前に立つ。
「……あ、貴方は……い、一体……」
がたがたと震えるリリアナに私は侮蔑の瞳を向けた。
「ば、化け物……こっちにこないで……!」
「化け物だと?」
歯軋りをして、リリアナの襟首を掴んだ。
「私が怖いか、リリアナ・チャーストン?」
「や、やめ……」
「私に言わせれば、お前の方が余程恐ろしい」
思い切りリリアナを突き飛ばし、カネサダを構える。
「実の娘をただの権力闘争の道具として扱い、その心を弄ぶ。化け物はどっちだ!」
リリアナの前でカネサダを振りかぶる。
煌めく白刃。その美しい刀身に私の憎悪に満ちた瞳が映った。
脳裏に浮かぶラピスの涙。母親を信じ、その愛をぶつけ、無残に裏切られる。彼女を泣かせた者を私は赦さない。
「殺してやる……リリアナ・チャーストン!」
恐怖で固まるリリアナに明確な殺意を向け、今最後の宣告を行う。
「権力に憑りつかれた卑しい化け物め……同じく化け物になり果てた私がその命を刈り取ってやる。お前に相応しい最期だ」
手足の痺れは既に失せていた。今の私ならば、一撃の下にリリアナを屠ることが出来る。
彼女も元は優しい母親だったのだろう。だから、これは情けだ。痛めつけて殺すようなことはしない。ただ速やかに彼女にはこの世から退場して貰う。
「死ね、リリアナッ!」
カネサダを振り下ろすその時____
「やめろ、ミシェルッ!」
「……!?」
何者かが真横から腰元に飛び付く。
バランスを崩し、リリアナの首を刎ねる筈だった白刃はあらぬ方向に振り下ろされ、地面をこつんと叩いた。
「やめてくれ、ミシェル!」
視線を落とす。腰元に飛び付いた者の正体。それはラピスだった。彼女に押され、私はがくんと膝を折る。
「ラピス副隊長?」
「……頼む! 母を……お母様を殺さないでくれ!」
哀願するラピスに私は目の端を吊り上げ、気炎を吐く。
「彼女を庇うのですか!? 貴方の心を踏みにじったこのロクデナシを!」
頭を抱えて震えるリリアナを指差す。ラピスは私の腰を思い切り掴み、必死に母親から引き離そうとした。
「お願いだ、ミシェル! 彼女は私の母親なんだ! たった一人の、大切な……!」
「大切な? この期に及んで……」
困惑の瞳をラピスに向ける。
「裏切られ、散々酷い言葉を掛けられて……貴方はそれでも彼女を庇うのですか?」
「それでも私の母親だ! 血の繋がった家族なんだ!」
「……ああ、もう!」
無理矢理立ち上がり、カネサダを構え直す。ラピスが邪魔するが、このままリリアナを____
「お前に何が分かる!」
「……!?」
ラピスの手がカネサダの刃へと伸びる。手の平が刀身を握りしめ、血の筋が彼女の腕を伝った。
思わず刀を手放す私。ラピスから距離を取った。
睨み合う私とラピス。彼女はリリアナを庇うように私の前に立ちはだかり、奪い取ったカネサダを胸に抱いた。
何故だ?
理解不能だ。どうして、ラピスは母親を庇っているのだ?
私は苛々として____
「目を覚ませ、副隊長ッ!」
「……お前に何が分かる!」
血走った目で、ラピスは____
「お前なんかに……お前如きに何が分かるんだ! お前のような人間に!」
「……ッ」
お前のような人間に……?
それは侮蔑の言葉だった。
ラピスの口から飛び出た嘲りとも受け取れる言葉によろめく私。
「……私のような人間に……?」
「……母親を愛する娘の気持ち……お前如きに……分かるものか……!」
息を切らし、獣のように威嚇するラピスに私はショックで座り込んでしまう。
彼女の瞳の中に憎しみの色が浮かんでいた。いや、軽蔑と言った方が良いのかも知れない。ラピスはまるで人でなしを見るよう目で私を見つめていたのだ。
「……ひぃっ……ば、化け物……」
ラピスの背後、リリアナが異形の私に恐れをもって呟く。
化け物……?
赤黒い触手の肌が____おぞましい私の一部が視界を掠める。私の心に暗い影が差した。
……。
そうだ、私は化け物だ。
姿だけじゃない。この心もそうなのだ。
だからラピスの心が、人間の心が理解できないのかも知れない。
親の愛を与えられず、過酷な仕打ちの中で育った存在。誰からも愛されず、私は今日まで生きて来た。
そんな歪みの中にいた私には理解できないのだ。母親を最後まで庇うラピスの無償の愛が。
「……化け物……か……」
背中から伸びる巨大な触手。異形の姿。ラピスの母親を愛する心を理解できない私に相応しい姿だ。
歪む____
私の中で、人間としての私の像が歪む。
視界の端に見える触手の手。禍々しく、不気味なその異形の姿こそが私の正体なのだと、そう思えて来た。
私は醜い化け物だ。きっとそうに違いない。
「……う……うう……」
刹那、強烈な吐き気が込み上げて来た。身体に違和感。魔導核が異常に活性化しているのが分かる。
そして____
「あ……あ……あああああああああああああああああああああああああああ!」
激痛。それと共に触手が異常な膨張を始める。
「あ、頭が……身体が……!」
鋭い頭痛。身体が熱を発し、その高温に皮膚が蒸発してしまいそうだ。歪む視界の中、触手はより一層身体を膨らませ、そしてその胴体を伸ばしていく。
いつしか、エントランスホールという空間に納まりきらなくなった触手は天井を突き破り外部へと進出した。
『……おい、ミカ!』
カネサダが叫ぶ。触手により建物が崩壊する中、彼の声は波の音のように私の耳に響いた。
『前を見るな! 目を瞑れ、ミカ!』
崩れ落ちる天井。地面にぶつかって砕け散る瓦礫の音の中で、どうにかカネサダの声を拾う。
「……目……を……」
相棒の言葉に従い、目を瞑る私。カネサダの言葉は続く。
『落ち着け。そしてイメージするんだ』
……イメージ?
『お前は化け物なんかじゃない。人間だ。ゆっくりと元の自分へと戻していけ』
「……元の私?」
深呼吸をして、私は胸に手を添える。
『綺麗な銀色の髪。それを黄楊櫛で梳く白い指。人形のように目鼻が整っていて、身体は細くスラっとしていて柔らかい。お前の姿だ!』
言葉を並べるカネサダ。
思い浮かべる____
元の私の姿。女性みたいな男の身体。それは初めから歪で____コンプレックスなどと言う言葉では言い尽くせない、私にとっての呪い。エリザ・ドンカスターが作り上げた不気味な身体だった。
私が大嫌いな身体。
『秀蓮の言葉を覚えているか? 自分の身体を愛せってな。良い言葉だと思うぜ。お前は他の者達とは大きく違う。特殊な身体の持ち主だ。だが、それがどうした? 人間なんて一人一人が大なり小なり特殊な存在だ。お前が自分の身体を嫌う理由なんて、本当はないんだ』
相棒の言葉。時々耳にする、温かくて優しい彼の声。
……自分の身体を愛せ。いつか秀蓮が口にしていた。よく覚えている。私は彼女の言葉に少しだけ勇気を貰えたのだ。
秀蓮だけじゃない。アイリス。エリー。ラピス。マリア。サラ。そしてカネサダ。皆のおかげで少しだけだが、自分の事が好きになれた。
あんなに嫌いだった自分の事が。
「……!」
その時、何か光が見えた気がした。
私の中に、徐々に人間としての私が戻ってくる。
『だから、大切な自分の身体を戻していけ。お前の大切な大切な一部を』
いつも鏡で目にする自分の身体。他人が言うように確かに綺麗だが……歪なその在り方に、何度嫌気が差した事か。何度苦悩した事か。
「……私の……身体……」
だが、今は少しだけ……その姿が……憎いが、愛おしい。
『俺はお前の事が大好きだ、ミカ。お前のどうしようもなくひねくれた性根も。胸に抱える暗い感情も。その身体も。全部大好きだ。……だから元のお前に戻れ、ミカ!』
自分の事が愛おしく思えるのはきっと、私が愛おしいと思う大切な人が、私を愛おしく思ってくれるおかげなのだろう。
だから。
魔導核に願いを込める。
私は人間だ。化け物ではない。だから、在るべき姿へと戻して欲しい。
身体の熱が消える。温かい安堵に包まれた。
私はほっと息を吐く。
「……はあ……はあ……」
徐々に自身が修復されていくのを感じ取った。そして____
『もういい。目を開けろ、ミカ』
薄目を開けて立ち上がる。全身を確認。触手が綺麗に消えている。私は元の自分に戻っていた。
「……カネサダ」
周囲は酷い有様だった。壁は破壊され、柱は折れ、天井は崩れている。騎士達が気絶した状態で屋内に散らばり、立っているのは私だけだった。
近くの地面にカネサダが放り投げだされている。そっと彼を拾い上げる私。はっと思いだし____
「……ラピス副隊長は」
再び周囲を見回す。瓦礫が乱雑に散らばっている所為で一瞬だけ見逃したが、ラピスは意識を失って近くの地面に倒れ込んでいた。恐らくは私の触手の暴挙に彼女も巻き込まれたのだろう。
慌てて駆け寄る。彼女の呼吸を確認し、その生存に一安心。
「……」
『どうした、ミカ?』
何者かに覆いかぶさるように地面に倒れているラピス。落下する瓦礫、あるいは暴れ回る触手から庇われるように彼女の下敷きになっていた者の正体を見て、私は呆れ混じりの大きな溜息を吐いた。
リリアナ・チャーストン。ラピスに庇われて、彼女がいた。
「困った人だ……本当に……」
結局、ラピスは最後までリリアナを庇っていたのだ。ロクデナシの母親を。
……どうして、身を挺してまでこんなに必死に?
私に向けられたラピスの敵意。思い出し、胸が苦しくなり、ぎゅっと押さえ込んだ。
「カネサダ……私は化け物なのかな?」
相棒に問う。
「母親を庇うラピス副隊長。私にはただの馬鹿者にしか見えないし、彼女の行為が……愛が全く理解出来ない。そんな私は人でなしの化け物なのかな?」
『下らねえ』
吐き捨てるカネサダ。
『他人の愛だとか痛みだとか、完璧に理解出来る存在が人間だと言うのなら、俺達はもっとマシな世界にいた筈だぜ。分からないからこその人間だ。むしろ一から十まで理解できるような奴は、それこそ化け物だ』
「……」
カネサダの言葉には答えない。無言でラピスを肩に担ぐ私。崩壊し無残な姿を晒すエントランスホールを出口へと歩いて行く。
「……副隊長」
意識を失ったままのラピスをふと見遣った。
切なさが込み上げてくる。
「何が“諦めるためにここに来た”ですか。貴方、未練たらたらじゃないですか」