第三十四話「ラピス:チャーストン家の宿命」
屋敷内に多数の魔導反応を感知し、私とミシェルは武器を取り部屋を飛び出した。規則をもって一斉にこちらに接近する騎士達の様子が魔導波越しに伝わる。
「この動き、彼ら確実に私達を狙ってきていますね」
「……どうして」
廊下を疾駆する。私の口から暗い呟きが漏れた。
「……何故騎士達が我が家に?」
「ラピス副隊長!」
物陰から突如新たな魔導の気配が出現。ミシェルが声を荒げるのと同時に、鋭い刃が私の身体に迫った。
「……!? ミシェル!」
暗い思案と困惑が隙を生む。斬撃に反応が遅れたが、ミシェルが私の前に飛び出し、迫り来る剣を受け止めた。
「はあッ」
押し切るミシェル。バランスを崩した相手騎士の顎目掛けて飛び膝蹴りを放ち、昏倒させる。
「……すまない、油断した」
「ラピス副隊長、これ見て下さい」
小さく謝る私を手招きし、ミシェルが廊下に倒れ伏した騎士を指差す。私は覆いかぶさるようにその身体を覗き込んだ。
「このマントの紋章」
ミシェルの指摘にはっと息を呑む私。騎士が身に着けているマントにはギロチンを象った紋章が編み込まれていた。ギロチンの紋章。それは即ち彼女が暗殺部隊ラ・ギヨティーヌの所属である事を表している。
「人工魔導核を未起動状態にすることで気配を消し、物陰から奇襲を仕掛ける。ラ・ギヨティーヌらしい戦い方ですね」
「……」
よりによってラ・ギヨティーヌが屋敷内に。
「お母様の様子が気になる。寝室まで向かいたいが……このまま真っ直ぐ進めば、大勢のラ・ギヨティーヌ達に囲まれてしまう」
魔導波の反応からおおよそのラ・ギヨティーヌ達の位置が掴める。このまま真っ直ぐ母の寝室まで進めば、途中の狭い廊下で彼らに挟み撃ちを喰らうことになるだろう。
「ミシェル、人工魔導核を未起動状態にしろ。気配を消して、母の寝室まで迂回する」
「分かりました」
頷き合い、私達は複十字型人工魔導核を未起動状態にする。これでラ・ギヨティーヌは私達の気配を察知できなくなった訳だ。
「こっちだ、ミシェル」
直前までのラ・ギヨティーヌ達の位置情報を頭に叩き込み、私は彼らと接触しない道筋を辿ることにした。
魔導の加護がない今、全力で走れば息が上がる。体力に気を遣いつつ、私達はするすると屋敷内を移動していった。
会敵を避け、進む私達。しかし、エントランスホールに差し掛かった時____
「……お前」
目を見開き、立ち止まる私。エントランスホール。その中央に一つの影が佇んでいた。
ラ・ギヨティーヌのマントをはためかし、こちらに不敵な笑みを浮かべる人物。胸元に手を当て、複十字型人工魔導を誇示するように起動させた。
「ごきげんよう、お姉様」
「……レイズリア」
レイズリアが、妹がそこにいた。昼間とは違い、しっかりと騎士団の制服に身を包んでいる。
「お姉様ならここを通るだろうと踏んでいましたが、予想的中ですね。気配を消して待機していた甲斐がありました」
相変わらず冷たい笑みを浮かべるレイズリア。私は一歩前に進み、歯軋りをして問い掛ける。
「どうしてお前がここに? どうしてラ・ギヨティーヌがここに?」
「ここは私の家です。私がいるのは当然でしょう」
嘲笑うレイズリアは私からミシェルに視線を移す。やや表情を険しくして____
「昼間はよくもやってくれましたね」
お道化るように手をひらひらとさせるレイズリアだが、声には怒気が籠っている。
「一体どんな手を使ったのかは分かりませんが……どうやら、貴方は相当危険な存在のようですね。騎士団のため、そして世界の平和のため、ここで必ず貴方を殺します」
睨み合うレイズリアとミシェル。
「私を殺す? 貴方如きにそれが出来るとでも? 昼間は大勢で囲んでおいて無様に大敗したでしょ?」
「……! ミシェル・ドンカスターッ」
挑発に顔を赤くするレイズリア。
氷の矢がミシェルに飛翔する。レイズリアの魔法攻撃を躱し、彼は前へと進み出る。
「レイズリア、貴方の思い違いを正させて貰う」
抜刀したミシェルが地を蹴り、レイズリアへと峰打ちを放った。しかし、峰が彼女の肩を叩きつける瞬間、その影はぐにゃりと歪んで消失する。レイズリアの幻惑魔法だ。
刀を振り下ろしたミシェルの真横に出現したレイズリアが反撃の刃を放つ。
しかし____
「自分が姉より、ラピス副隊長より優れている。それは大きな思い違いだ」
反撃の刃はそれを振るう主人ごと消失。代わりにミシェルの背後にレイズリアが姿を現した。彼女は目前の敵の心臓へと剣を____突き刺そうとして、身体を捻ったミシェルの回し蹴りにより地面へと叩きつけられる。
「があっ!?」
驚きの声と共に地面を転がるレイズリア。ミシェルは冷徹な瞳で地に伏せる敵を見据え、単調な言葉を投げかけた。
「貴方の攻撃はもう見切った」
一度目の幻惑魔法は罠。二度目の幻惑魔法でミシェルの急所を狙おうと企んでいたレイズリアだが、どうやら見抜かれてしまっていたらしい。
「貴方の力じゃ私に遠く及ばない。そんな非力でラピス副隊長のことをよく馬鹿に出来るね」
「……こ、このっ!」
立ち上がるレイズリアはミシェルに憎しみの目を向けた。狼のように唸り、威嚇する。
「……精々吠えるが良いですよ。どうせ貴方達はここで終わりなのですから」
無理矢理口の端を歪めるレイズリア。彼女は____
「どうやら、来たようですね」
待ちわびたような声を発し、剣を高く頭上に掲げた。妙な仕草に私は周囲を見渡す。不吉な予感が胸を掠めた。
「……!?」
刹那、周囲に多数の魔導反応を感じ取る。物陰から一斉に騎士達____ギロチンの紋章をマントに躍らせたラ・ギヨティーヌ達が現れた。
「武器を捨てて下さい」
にやりと笑みを浮かべ、レイズリアが剣で示す先____
「……お母様っ!」
首元に剣をあてがわれた母がいた。両脇をラ・ギヨティーヌ達に固められている。私は激昂し、レイズリアに怒りの叫びを発した。
「お前! これは何のつもりだ!」
ラ・ギヨティーヌに身柄を拘束された母。信じられない。レイズリアは自分の母親を人質に私達を脅しているのだ。
「いいから武器を捨てて下さい。じゃないと、この人の首を刎ねてしまいますよ」
「お前……!」
頭に血が上る。片足を一歩前に踏み出し、怒りと躊躇で固まっていると、無数の氷の矢が私達に飛来した。ラ・ギヨティーヌ達による魔法攻撃だ.
私もミシェルも母の登場に呆然としていたため、反応がやや遅れる。
「……くっ」
身体の随所を氷の矢で射抜かれ、激しい痛みと共に地に膝を着く私。致命傷ではないが、防御もせず攻撃をまともに喰らってしまった。流血により床面が赤く染まる。
「この……レイズリア……!」
立ち上がり剣を手にしようと全身に力を込める。しかし、身体に何やら違和感が。両足がぷるぷると震え、バランスを失い、うつ伏せの状態で私は地面に倒れ込んだ。
「……な……か、身体が……」
身体が動かない。我が身の異変に目を丸くする私。初めは両足、次第に両手が脳の命令を受け付けなくなる。
冷たい地面。血溜まりが広がる。流血は確かに酷かったが、身体が動けなくなる程のものではない。複十字型人工魔導の力を借りれば、余裕で身体の損傷を修復し、動き回れる筈なのに。
レイズリアに視線を這わせる。
「ラ・ギヨティーヌ直伝の麻痺の矢。どうです、手足が動かせないでしょう?」
「麻痺の矢……だと……」
レイズリアの言葉で察する。先程の氷の矢。あれには攻撃対象を麻痺させる効果が付与されているらしい。幻惑魔法もそうだが、ラ・ギヨティーヌはやや特殊な戦闘技術を身に着けているようだ。
ミシェルを見遣る。私同様麻痺の矢を喰らっていた彼だが、耐性があるのかフラフラとしながらもどうにか二本足で立っていた。
「へえ、それだけの麻痺の矢を喰らっておきながら立っていられるとは……ですがその様子だと、もうまともに戦う事はできないでしょう?」
震える両手で刀の柄を握りしめるミシェルを嘲笑うレイズリア。
「こちらには人質もいますし、大人しく武器を捨てたらどうですか?」
「……」
血を流し、麻痺に身体を侵されつつもミシェルは毅然と刀を構えていた。しばし無言でレイズリアを睨んでいた彼だが、ふと目を丸くしたかと思うと____
「……そうだったんだ」
呟くミシェル。彼の目はレイズリアを見ていなかった。他のラ・ギヨティーヌ達の事も眼中にないと言った様子だ。
では彼の視線はいずこに?
彼が激しい憎悪の目で睨んでいたのは、私の母だった。
「リリアナ・チャーストン!」
叫ぶミシェル。リリアナ・チャーストンとは私の母の名前だ。母に対する突然の怒りの声に私は息を呑み込む。
「よくも安っぽい三文芝居を!」
「……ミシェル?」
母に鋭い眼光をぶつけるミシェルに、私は困惑する。
一体、彼はどうしてしまったのか?
凄まじい怒気を発し、ミシェルは覚束ない足取りで前へと進む。
「……私達を騙していたんだな!」
「……ミ、ミシェル……何を言って……」
掠れる声でミシェルに尋ねる。彼の口から“騙す”などと言う言葉が放たれ、私は心臓が委縮するような錯覚を抱いた。
「……お、お母様」
焦燥にかられ、母の方を見る。首元から剣を下げられた彼女は大きな溜息を吐いた後、腕を組んで冷たい瞳をミシェルに向けた。そこに先程彼女が見せていた慈愛の表情はない。
「……はあ……やれやれ」
ラ・ギヨティーヌの拘束から解放された母が肩をすくめる。
「お馬鹿な娘を持ちましたよ。国家反逆罪でお尋ね者になった愚かな娘をね。やはり出来損ないは、出来損ないのままのようですね」
「お、お母様……これはどういう……!」
心無い母親の言葉。心臓が早鐘を打つ。必死に手足を動かそうと試みるが上手くいかない。
「お馬鹿なお姉様、自分が騙されていた事に気が付かなかったのですか?」
「……何を……」
呆れたように言い放つレイズリア。母が侮蔑の視線を以て再び口を開く。
「全く、貴方が反逆者となったせいで我が家は滅亡の危機に瀕しましたよ。しかし、幸運にもレイズリアはラ・ギヨティーヌ。この屋敷を国家反逆者捜索のための詰所として彼らに貸し出すことで一命を取り留められました。まさに不幸中の幸い。いえ……」
野心を露わにした声で母は告げる。
「これはまさに天祐。貴方達を自らの手で捕らえることで、ベクスヒル本家に恩を売ることができます。この一件、上手く立ち回りさえすれば、一族内で成り上がる事も可能なのです」
絶句する私。頭の中で状況を整理する。
「お姉様は本当に間抜けですね。わざわざ自分たちの方からラ・ギヨティーヌの詰所に飛び込むなんて。どうしてお母様に助けを求めるような馬鹿をしでかしたんですか?」
屋敷を反逆者捜索の活動拠点としてラ・ギヨティーヌに貸し出していた母。それを知らずに私達は彼女に助けを求めに来ていたという訳か。とんだ間抜けだ。
「わ、私達を……騙していたのですか……お母様……! う、嘘ですよね……! こ、これは何かの間違い……!」
縋るような目を母に向ける。しかし、返って来たのは冷たい侮蔑の視線。
心が凍り付く。
信じたくない。母は私達を騙していたのだ。優しい言葉、慈愛に満ちた表情。あれらは全て彼女の演技だったのか。
「う、嘘だ! お母様! 私は貴方の娘です! 貴方が愛する、貴方の血を引いた娘! なのにどうして!」
涙が溢れてくる。頬を伝い、それは血溜まりに落ちた。
あんまりだ。喜びに涙した記憶の薄れる間もなく、深い悲しみの涙を流すとは。
「貴方の事を高く評価していた時期もありましたが……やはり、私に相応しい娘はレイズリアただ一人のようでしたね。レイズリアさえいれば、貴方など」
「……!?」
呼吸が早くなる。両手で胸を押さえつけたい衝動に駆られるが、それは叶わなかった。
____レイズリアさえいれば、貴方など。
母にとって私は最早不要の存在なのだろうか。彼女にとってレイズリアこそ唯一の愛娘なのだろうか。
「……お前たち……!」
視界の端、ミシェルが母の元へ足を引きずっていくのが確認できた。
「副隊長が……一体どんな想いでここに来たのか……!」
鬼のような形相を浮かべ進むミシェル。その眼前にレイズリアが立ちはだかった。
「副隊長はお前たちの事を……!」
「どうでもいいですよ。お姉様の気持ちなんて」
斬撃を繰り出すミシェルだが、麻痺に身体を蝕まれ、剣筋に切れが全くない。レイズリアに剣を弾かれ____
「……ミシェル!?」
放たれるレイズリアの次撃。立つこともままならないミシェルへと伸びた刃は、彼の右腕を両断した。
血潮と共に宙に吹き飛ぶミシェルの右腕。赤く染まる視界。ミシェルは悲鳴も上げず、力なく地面にうつ伏せの状態で倒れ込んだ。
「そんな……ミシェル……!」
切断されたミシェルの右腕からは血が噴水のように噴き出していた。グロテスクなその光景に吐き気が込み上げてくる。
「……本当の家族……なんだろ……」
右腕が断たれ、しかしミシェルは痛みなど感じていないかのようにレイズリアと母を睨む。
「私なんかとは違う……お前たちは本当の家族なんだろ……!」
麻痺に身体を侵され、片腕を失い、尚も立ち上がろうとするミシェル。
「ふざけるな……! お前たちがラピス副隊長の想いを踏みにじるのならば……私は……お前たちを……」
限りない憎悪の瞳と怨嗟の声。ミシェルから溢れる巨大な怒りは、彼を一つの目的へと突き動かす。
「私はお前たちを____殺してやる!」
ミシェルが立ち上がりかけたその瞬間____
「死にぞこないが、何を言っているんですか」
レイズリアの剣が背中からミシェルの心臓を貫く。血柱が上がり、私は絶望の眼を開いた。
呆気なく下ろされた剣先。脳が理解を拒んだ。ほんの一瞬の出来事。命の源とも言える彼の心臓が貫かれたのだ。
「はい、これで貴方は終わりです」
剣を引き抜いたレイズリアは頬に付着したミシェルの血液を汚らわしそうに拭った。
ぐったりと地面に横たわるミシェルをただ呆然と眺める私。
「ミシェル……! そんな……!」
「残念でしたね、お姉様」
ミシェルの血が付着した剣を携え、レイズリアがこちらに歩み寄る。私の頭に足を乗せ、憎たらしく体重をかけた。
「お母様に愛して貰えていると、そう思っていましたか? 貴方なんて最早お母様の眼中にないんですよ!」
私は一体何をやっているのだろうか?
一度は諦めた母親の愛。下らない幻想に囚われ、ありもしない幸福を求めた結果がこのザマだ。
敵の拠点に知らず乗り込み、最愛の者に騙され、無様に朽ち果てる。おまけに大切な友も失う事に。
片腕を切断され、心臓を破壊されたミシェルの身体からはとめどなく血液が溢れてくる。複十字型人工魔導の力をもってしても、彼はもう助からないだろう。いや、もう既に息を引き取っているのかも知れない。
私はここで全てを失う。
家族の愛も。自分の命も。友の命も。復讐の誓いも。
私はこんなところで……。
目を瞑る。何もかも嫌になり、気だるげな息を吐いたその時____
「……殺してやる」
ふと、ミシェルの声がエントランスホールに響いた。
小さな、しかし鋭い殺意の籠った声だ。
「絶対に赦さない……! お前たちを……!」
ぎょっとして両目を開く。前方、横たわるミシェルの身体が僅かに動いていた。
彼はまだ生きている。心臓を刺され、多くの血液を失って尚、激しい憎しみを杖に立ち上がろうとしていた。
「ラピス副隊長の想いを踏みにじった事……絶対に……後悔させてやる……!」
「……おや、まだ生きていましたか。しぶといですね」
ミシェルの生存に肝を冷やした様子のレイズリアだが、とは言っても死に際の敵など恐るるに足らずと言った態度だ。
剣を振り上げ、再びミシェルに近付くレイズリア。
「私はラ・ギヨティーヌです。その名に相応しく、貴方の首を刎ねて……それで楽にして差し上げましょう」
最早虫の息のミシェル。剣を握るどころか、立ち上がる事すらままならない。
その筈なのに____
ミシェルの目には未だ闘志が燃えていた。この絶望的な状況を覆そうと。目の前の敵を屠ろうと。
だから、私も信じてしまう。
ミシェルならば、と。彼の力ならば、全てをひっくり返せるのではないか、と。
そして、私は見た。
「……!?」
それは、レイズリアが後方に飛び退った時に目に入ったものだ。
「……な、何ですか、これ!?」
驚愕の声を発するレイズリア。彼女だけではない。母、ラ・ギヨティーヌ達、そして私も、信じられない眼前の光景に目を見開く。
巨大な一本の触手だった。赤黒い肌を持つ不気味なそれは、天井へと伸びていくと、ぐわんぐわんとその身体を乱暴に振るった。
触手の挙動に巻き込まれた柱や壁が粉々に砕ける。ラ・ギヨティーヌ達は突然の破壊に悲鳴を上げた。
海魔でも出現したのか。私が暴れる触手の根元に目を向けると____そこにミシェルがいた。
地に伏せるミシェル。剣を突き刺された彼の背面から件の巨大な触手が伸びている。
「……こ、これは……一体……」
ミシェルの背中から生える極太の触手。まるで彼の怒りを体現するかのように縦横無尽に暴れ回る。壁を、柱を、床を、天井を砕き、何人かの騎士達を一撃の下に昏倒させた。
埃が舞う。
秩序を失うエントランスホール。
ミシェルは幽霊の様に立ち上がり____憎しみの瞳を妖しく輝かせた。