第三十二話「ラピス:迷いと賭け」
ラピスと言う私の名前は、考古学者の父親が付けたものだ。古い言葉で“石”を意味するらしい。父は化石や鉱物が好き過ぎて、私にこの様な名前を与えたのだそうだ。
もしかして私の感情表現がやや乏しいのは、石と言う名前の所為なのでは? などと思い、ある時、父親に文句を言ったことがあったが、それでも私は自身の名前をとても気に入っている。
愛する我が子に自分の一番好きなものの名前を与えた父親。他人がどう思おうが、私は自身の名前を父親からの愛の証だとして大事にしていた。
両親に深く愛され、大切に育てられた幼少期。私は無上の愛を注いでくれる彼らが大好きだった。妹のレイズリアが産まれてからも、私の幸せに変化はなかったのだが____
チャーストン家に生を受けたのが全ての災い。一族間の激しい権力闘争は徐々に私と家族の幸せを壊していく。
繰り返し発生する私とレイズリアの誘拐未遂。それは両親の精神を確実に蝕み、彼らに強迫観念を植え付けていった。
喰うか、喰われるか。その恐れからか、父も母も次第に権力への執着を見せ始めるようになる。
両親は私とレイズリアをまるで権力闘争の道具のように扱い出した。
剣と魔導の才能を持たない私。一方、レイズリアはその才覚を目に見える形で現していった。
それが姉妹の間に不幸な亀裂を生む。
私に騎士としての才能がなく、レイズリアにはそれが備わっていると知るや、両親は私達の間に明確な上下関係を設けた。レイズリアが上で私が下。レイズリアも家の中で私に尊大な態度を取るようになる。
レイズリアがラ・ギヨティーヌにスカウトされてからはそれがより一層顕著になっていった。ラ・ギヨティーヌは騎士団内における特権階級だ。両親は妹を次期当主に据える事を決定する。
私はただ、両親に振り向いて欲しかった。妹に向けるような目で私を____
剣の才能も、魔導の才能もない。しかし、私には優秀な頭脳があった。
騎士学校時代、私は騎士団の運営に関する論文を執筆して、騎士団本部に提出したことがある。その論文が全てをひっくり返した。騎士団は私の士官としての才能を認識。学生であるにも関わらず、様々な案件を託し、私はそれを彼らが満足する形で達成していった。
学校の総合成績では中の上に留まるも、私はエストフルト第一兵舎のエリート部隊に配属される。そして、直ぐに副隊長にまで上り詰めた。
すると、どうだろう。私を無碍に扱っていた両親が、もう一度優しい微笑みを投げかけてくれるようになったのだ。私が求めていたもの____両親の愛を再び手に入れる。
しかし、それは……その愛は、私の求めていたものでない事に、直ぐに気が付いた。
父も母も私を見ていなかった。彼らが見ているのは、エストフルト第一兵舎で副隊長を務めている娘。その役職のみ。権力闘争の道具だった。
毒だ____
この世界には毒が溢れている。
騎士団に蔓延る毒。誰もが皆、純粋で無垢な頃はあった。しかし、彼らはその毒にやられ、やがて自らも毒を放つようになる。
私の両親も同様だ。昔は優しくて純朴な人間だった。しかし、毒の所為で彼らはおかしくなってしまったのだ。
だから____
私は騎士団に“一石”を投じる。権力闘争、腐敗、不正____全ての毒を払い、両親、妹、皆の目を覚ますのだ。
きっと、それで世界はスマートになる。
「おい、ラピス!」
薄暗い路地。エストフルト・エコノミー・ジャーナル社から人通りの少ない場所に避難した私達は、ミミが作製した魔導波感知センサーを胸に呆然と佇んでいた。
「おい、ラピス! 聞いてんのか!?」
私の胸倉を掴むミシェル。乱暴な口調で叱責する。
「ボケっとしてんじゃねえぞ、テメエ!」
「……」
先程の戦闘の影響だろうか、乱暴な“もう一人の彼”がまた姿を現しているようだ。
「計画が失敗して落ち込んでんのか? それとも」
ミシェルの眼光が私の瞳を射抜く。まるで見透かすように____
「妹に馬鹿にされて落ち込んでんのか?」
「……!?」
ドキリとして目を逸らす私。ミシェルは溜息を吐いた。
「あんなクソ女ほっとけ! それよりもだ……これからどうすんだよ、副隊長さんよお」
目を瞑る。脳裏に浮かんだのは妹の顔だった。冷笑を浮かべ、私に敵意の瞳を向けるレイズリア。
胸が締め付けられる思いだ。
在りし日の記憶の中のレイズリアは、愛しさと優しさをその幼い顔に湛えた可愛い妹だった。私と同じ瞳の色と髪の色を持つ彼女は、その姉妹の繋がりをとても喜んでいたことを覚えている。
私達は仲の良い姉妹だった筈なのだ。それがどうして____
「……レイズリア」
妹の名を呟く私にミシェルが顔をしかめる。
「くそ……駄目だ、コイツ」
壁を蹴り悪態を吐くミシェルは、腕を組んで地面に座り込む。マリアがしゃがみ込んでその肩を突いた。
「ところでミシェルさん、先程ラピス副隊長の事をお姉様だとか仰っていましたけど……あれは何なんですの?」
「ん? あー……そのことか。実は」
マリアに説明を始めるミシェル。私は彼らからやや離れた場所で深い溜息を吐いて、壁に背を預ける。
「……」
こんな様ではだめだ。今は、目の前の問題____私達の冤罪を晴らす事に集中しなければ。
顎に手を添える私。新聞社への告発は失敗に終わった。今後どうする?
時間を空けてもう一度、新聞社への告発を試みるか? それとも別の____
「……諦めて国外にでも逃亡するか」
呟いてみて、ぶんぶんと首を横に振った。
逃亡? 私はまだ諦めたくない。誓いを立てたばかりではないか。騎士団団長に上り詰め、竜核を手に入れる。その力で騎士団をあるべき姿に正すのだ。
「どうすれば」
必死に頭を働かせる。この追い詰められた状況を打開するための案を捻り出すために。
「チャーストン家には頼らねえのかよ」
考え込んでいると、横からミシェルに横腹を突かれる。びくりと身体を揺らしてしまった。
「今更だけどよお……お前、四大騎士名家第三席の娘だろ。どうにかして一族が力になってくれねえのか?」
「……」
黙り込む。チャーストン家が力になる、か。それは考え辛い事だった。
「結局の所、俺達が立ち向かうべき相手はベクスヒル家だ。チャーストン家とそんなに家格の差があるのか?」
「ベクスヒル家とチャーストン家……正直な所、両家にそこまで力の差がある訳ではない」
だが____
「私は分家の生まれだ。何より、チャーストン家は内部の権力闘争が激しい。力になるどころか、彼らはこれを好機とばかりに私を蹴落としにかかるだろう。心強い味方になるどころか……厄介な敵になる筈」
自分で言っていて悲しくなってきた。こういう時、血を分けた一族というのは結託し助け合うものなのに。
「母も既に私を……」
言い掛けて、口を噤んだ。
母も既に私を切り捨てている可能性が高い。口にしかけてショックで眩暈に襲われる。
よろめく私の額にミシェルはデコピンを放った。
「いたっ」
「取り敢えず」
溜息を吐くミシェルは、私の肩を乱暴に押して言い放つ。
「アイツらの元に帰るぞ。んで、計画が失敗したことを伝える。良いな、ラピス」
「……」
静かに頷く。私が誰よりもしっかりしないといけないのに、何とも情けない姿だ。
魔導波感知センサーのおかげで、私達は苦労なく騎士達を避けて貧民街まで移動することができた。市民に扮したラ・ギヨティーヌの存在を警戒したが、誰かに追跡されている気配はない。恐らくは大丈夫な筈だ。
空き家へと帰還を果たす。
「お前ら、よく聞け。計画は失敗した」
開口一番、ミシェルが空き家で待機していた面々に告げる。そして、皆が固まる中、詳しい状況を伝えた。エストフルト・エコノミー・ジャーナル社の前でラ・ギヨティーヌに待ち伏せされていた事。彼らを退けたものの、告発は出来ずに帰還した事。
ミシェルが話し終え____
「……駄目……だったんだ」
露骨に気を落とすのはアイリス。
「ラ・ギヨティーヌに待ち伏せ? ……騎士団は私達を捕まえるのにかなり本気のようね」
うんざりした声を漏らすサラは、机に肘をついてぐったりと項垂れた。
暗く沈む空気。ミシェルがパンパンと両手を打ち合わせ、叱責するように口を開く。
「落ち込んでる場合じゃねえぞ、テメエら! 次の手を考えねえといけねえ! 何か良い案はあるか?」
顔を見合わせる一同。如何ともし難いこの状況。すぐに案など思い浮かばない。
ミシェルは肩をすくめ、それから近くの椅子に腰を下ろした。
「ラピスにばっか頼っていられねえ。俺達も俺達で何か考えるぞ」
再び沈黙に包まれる室内。ある者は顎に手を添え、またある者は腕を組んで唸っている。
「……」
皆、まだ戦おうとしている。空気でそれが分かった。冤罪を晴らす事を諦め、このまま逃亡する選択もあるだろう。しかし、まだ皆の目は屈服していない。あくまで戦いの道を選択していた。
頭を抱える私。
皆が真剣に打開案を考えているにも関わらず、私は未だにレイズリアの事を____チャーストン家の事を引きずっていた。
こんな時、チャーストン家が私達の力になってくれるような一族だったのなら。
母が私達の力になってくれるような人だったのなら。
「……お母様」
ふと、そんな呟きが漏れ出て、はっとなって口元を押さえた。慌てて周囲を見回すと、ミシェルがじっとこちらを見つめている。
彼は何も言わなかった。責めるような目も向けない。私は恥ずかしくなり、顔を背ける。そして神経質に二の腕を掻いた。
「……はあ」
深い溜息が漏れる。
目を瞑ると、脳裏に浮かんだのは在りし日の優しい記憶。
可愛い妹の顔。優しい両親の声。幸せな家族の姿。
情けなくて涙が出て来そうだった。
私はまだ、信じてみたい____
権力闘争と言う毒に冒され、彼らは変わってしまった。しかし、本当にそうか。幼少期に目にした家族の笑顔に嘘偽りはない。真実の愛は、汚泥に塗れながらも、彼らの胸の奥底に変わらず眠っているのでは。
馬鹿げた事を考えてしまう。
母が____お母様が、今の私の姿を見れば……もしかしたら奇跡は起きるのかも知れない。
助けを求める娘の姿に、彼女は本来の自分を取り戻すのではないか。
馬鹿げている。こんな妄想、馬鹿げている。
馬鹿げているが____
「……ラピス副隊長」
皆の前に進み出る。アイリスが不安げな瞳を私に向けていた。息を整え、私は姿勢を正す。
「皆……これは私の我儘だ。私は」
緊張の一拍。私は絞り出すように言葉を紡ぐ。
「母に助力を乞いたいと思う」
ざわめきを発する一同。
「母って……チャーストン家にですか?」
恐る恐る手を挙げて尋ねるアイリスに私は頷く。
「この状況でチャーストン家の力が……しかも分家の力が当てになりますかね? 相手は既にラ・ギヨティーヌまで出してきてるんですよ」
「……それどころか」
冷静に問いかけるサラに私は首を横に振って____
「母が私達に力を貸してくれる可能性は極めて低い」
あくまで現実的な意見を述べる。
「だから、これは無謀な賭け……いや、我儘だ。母が力を貸してくれる可能性も、その力がこの状況を打開する可能性も極めて低い。それを分かった上で私は……」
言葉にしている内に、嫌でも自覚してしまう。私は間違った提案をしているのだ。母に縋りたいという子供じみた一心で、このような馬鹿げた事を口にしていた。
発言を撤回したいと、そう思った瞬間____
「良いんじゃねえのか」
やや乱暴な口調でミシェルはそう言った。
「俺達は騎士団が吹っ掛けた冤罪を晴らすなんて無茶をしようとしてるんだぜ。無謀な賭けなんて今更だろう」
「……ミシェル」
つかつかとこちらに歩み寄り、ミシェルは腰に手を当て、にかっと笑った。
「頼れそうなもんには頼るもんだ。どんな小さなチャンスであれ、飛び付かねえとな」
ミシェルはそれから鞘で木の床をどんどんと叩き、皆に尋ねる。
「テメエらもそれでいいだろ?」
顔を見合わせる一同。反対の意見は出なかった。私は気後れした様子で皆の顔を窺う。
「……いいのか? 本当に上手くいく可能性は……」
「ったく、うだうだと……お前が怖気づいてどうすんだよ」
「怖気づいている訳では……いや……」
怖気づいているのだろう。計画がまた失敗に終わる可能性もそうだが……私は試すことになるのだ。
「兎に角、お前の母親に助力を求める。これは決定事項だ」
「……」
私は怖いのだ。
母は、私を救ってくれるだろうか?
まだ私を、一人の娘として愛してくれているのだろうか?
確かめるのが怖い。
私は口を固く結び、そっと胸に手を添えた。