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トラップ・アンド・ブレイド~男の娘と復讐の刀~  作者: ラプラシアン蒼井
第二幕 騎士団を壊す者
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第二十八話「友達のやり直し」

 首都エストフルトの郊外には貧民街が広がっている。


 エストフルトの街並みは目抜き通りは勿論、裏通りに至るまで小綺麗に整備されており、治安は適切に維持されていると言って良い。しかし、それが郊外にもなると話は別だ。まるで、首都中のゴミをそのまま箒で掃き捨てたかのように、貧民街には腐敗と堕落が満ちていた。


 そこかしこに転がる空き瓶や紙屑は決して清掃されることはなく、往来には平気でぼろを纏った人々が身体を大の字にして寝転がっている。立ち並ぶ民家はボロボロで、屋根の剥がれた家や窓が割れたままの家なども見かけた。


 今、私達はその悪臭漂う貧民街にいる。


 私、アイリス、ラピス、サラ、ミミ、そしてマリア。拘置所を抜け出した私達は一先ず落ち着いて身を据えられる場所を求め、このような場所までやってきたのだ。貧民街ならば、しばらくは騎士達の目を誤魔化すことが出来る。


 私はマリアを背負い、ただれた街並みに顔をしかめつつ、安息の地を探した。


 騎士団の身なりの良い服装はこの場所において嫌でも目立つ。やましい事情を抱えた者も多い貧民街では、私達を目に留めるや、影に慌てて隠れる者もいた。


 目立つのは宜しくない。必死に周囲に視線を這わせ____


「……あ、この家」


 一軒の空き家を見つけた。私達は勝手に上がり込むことにする。広い住まいで私達が全員入っても手狭さは感じなかった。


「降ろすよ、マリア」

「……ええ、ありがとうございます」


 一声かけ、私はマリアを床に降ろす。目と目が合い、お互い気不味げに顔を背けた。彼女の事はアイリスに任せるとして、私はラピスに駆け寄る。


「取り敢えずは、どうにかなりましたね」

「……どうにか、か」


 溜息を吐くラピス。アイリス達の救助は上手くいった。しかし、それは根本的な問題の解決ではない。私達は既にお尋ね者となり、騎士達の目を掻い潜りつつ、この状況をどうにかしなければならないのだ。そのための方法を今から模索しなければならない。


「これから、どうしましょう……ラピス副隊長」


 尋ねると、ラピスは腕を組んで唸った。


「分からない。我々が今後取るべき行動。冤罪を晴らすべきか……それともいっそ、亡命するべきか」

「亡命、ですか」


 私達に与えられた選択肢は大きく二つ。無罪の証明か、逃亡か。可能ならば、無論冤罪を晴らすべきなのだろうが、現状からの逆転は難しいだろう。


「……すまない、少しだけ一人にしてくれないか。今後の事を考えたい」

「はい……分かりました」


 ラピスが苦し気な声を出す。さしもの彼女も、現状の打開案はすぐには思い付かないらしい。


 私は考え込むラピスを置いて、椅子に腰かけて足を組むサラに声を掛けた。


「……ごめん、サラ」


 まずは謝罪。頭を下げ、サラの瞳をじっと見つめた。


「私の所為で、サラにまで……」

「全くその通りだけど、今は文句を垂れていても仕方がないでしょう?」


 落ち着いた受け答え。あまり怒った様子はなかった。サラは立ち上がると____


「それに、しっかりと助けに来てくれたしね。ありがとう、ミシェル君」

「……そんなの当たり前だよ。私の所為で____」

「私の所為でとか、そういう湿っぽいのいいから。今は今後の事を考えましょう」


 サラの言葉が有難かった。彼女のおかげで少しだけ気が楽になったようだ。


「ねえ、ミシェル君、お金持ってる?」

「お金? ……少しだけなら」


 サラに尋ねられ、私はスカートのポケットから財布袋を取り出し、手で弄った。中には数枚の銀貨が入っている。


「皆の分の食べ物と飲み物買って来るから、良かったら貸してくれない」

「あ、うん……勿論だよ」


 この追い詰められた状況で良く気が利くなあと感心した。私は財布袋を丸ごとサラに手渡す。


「それ、サラに全部任せるよ。貴方の裁量で使って」


 私の言葉にサラは財布袋の中身を確かめ、静かに頷いた。そして、飲食物を確保すると皆に一声掛けて建物を出ていく。


 サラを見送り、私の目はミミへと移った。


 彼女は今、椅子に腰かけ、机の上で何かを弄っている。何だろうと覗き込むと、どうやらランタンを分解して修理しているようだった。


「何やってんの、ミミ?」

「……ん」


 ミミはぼうっとした目をこちらに向け、独り言のように小さな声で答えた。


「これ、照明のための魔道具。そこに転がってたんだけど……壊れて動かないからバラシて修理してるの」


 そんなもの放っておけば、と思ったが、恐らくそれは彼女の現実逃避だったのだろう。妹のララを失い、罪人として追われることになった今の状況から目を背けるための慰めの行為のように思えた。


 彼女の事はしばらく一人にしておこう。そう思い、背を向けた所で____


「結局、軽く当たっただけだった」


 ミミがそんな事を口にしたので、再び彼女に向き直った。


 何の話だと首を傾げる私。


 一筋____


 微光を反射する涙がミミの頬を伝うのを見て、私は驚く。


「マリアの事……殺せなかった……」

「……」

「ララの事、許せないのに……私……!」


 マリア達への私刑をミミに許可した私。そう言えば、マリアはあの通りピンピン……してはいないが、マーサ以外の者に手酷い真似をされた様子はない。


 ミミはマリアを赦したのだろうか?


「……これで良かったの、ミミ?」


 私の問い掛けにミミは静かに頷いた。その首肯にやや躊躇いはあるが、自身が下した判断に後悔はないようだ。


 そう言えば____


 ミミは知らないのではないか。マリアが彼女と妹のララを救おうと尽力していたことに。


 マリアを見遣る。彼女は今、部屋の隅でアイリスに介抱されていた。

 彼女の性格から鑑みるに、自身の努力をミミに伝え、赦しを乞うとは考え辛い。


「……マリア、二人のために頑張ってたもんね」

「……? 何の事?」


 鎌を掛けてみるとミミは首を傾げた。やはりだ。彼女は知らない。マリアの尽力を。


 教えてあげた方が良いだろうか。


 マリアとミミの仲を取り持つためにわざわざ、と思ったが____


「ミミ、マリアは貴方達を救おうと頑張ってたんだよ」

「……どういう事?」

「それは」


 私は知り得る事実を全てミミに話した。マリアがアメリア隊の皆を救うために秀蓮(シュウリエン)に協力を求めていた事。それが叶わず、せめてミミとララだけは助けてもらうように妥協して貰っていた事。


 一通り話が終わり、ミミは顔を俯かせ、涙を流した。


「……マリア……私達のために……でも、結局、見殺しに……」

「……」

「ごめん、少し一人にさせて」


 ミミは腰を折り、顔を膝に埋めて頭を抱えた。葛藤しているのだろう。マリアが彼女達を救おうとしたのは事実だが、結局ララはオークに連れ去られてしまった。もし、マリアがもっと直接的な方法、それこそマーサの計画を事前に暴露さえしていればこのような事態にはならなかった筈だ。つまり、彼女の臆病に見殺しにされたと考える事も出来る。


 事情は複雑だ。マリアの行動をどう評価するか。心の整理には時間を要する。しばらくは一人にさせておこう。


 黙ってミミから離れ、私はアイリスとマリアの元に向かった。二人とも傷んだ木の床に腰を下ろしている。


「アイリス、大丈夫?」


 アイリスは私のマントに包まるマリアの背中を撫でていた。


「私は平気……だけど、マリアちゃん……」


 マリアはその顔をすっぽりマントに埋めていた。赤黒く腫れ、黒い十字の焦げ跡が残る肌を隠す様に。


 彼女には複十字型人工魔導核ダブルクロス・フェクトケントゥルムを与えている。その魔導の力で現在身体の傷を癒している最中だ。


「……ミシェルさん、ありがとうございます」


 マントの中から目を覗かせてマリアが小さくお礼を言う。


「私を、助けて頂いて」

「……」


 私はぶんぶんと頭を横に振り、ややむくれた口調で答えた。


「助けたつもりはない。私はただ……」


 言い掛けて、言葉が何も思い浮かばず、私はぶっきら棒に____


「……あ、貴方は人質だから! もしもの時のために、貴方をダシにして騎士団を脅すための!」


 私の言葉にアイリスが肩をすくめて溜息を吐いた。


「素直じゃないんだから、ミシェルちゃん」

「……むう」


 私はアイリスには滅法弱いようだ。碌に反論も出来ないまま、自身の頬を不満気に掻いた。


 ふと____


「ミシェルちゃん、あの扉の向こうにもう一つお部屋があるんだけど」


 アイリスが指で示す先には古びた扉があり、私の視線はそちらに向く。彼女が何を言い出すかと思えば____


「ねえ、折角の機会だからさ……二人きりで話し合いなよ」

「え?」

「ミシェルちゃんとマリアちゃん……お互いに言いたい事あるでしょ?」


 そう言って優し気に微笑むアイリス。マリアの方を見ると、彼女も何か瞳で私に訴えかけていた。


「立てる、マリアちゃん?」

「え、ええ」


 マリアを立ち上がらせ、アイリスは扉を開く。扉の先は埃を被ったベッドがあるだけの小さな部屋だった。彼女は私を手招きして、部屋に入るように促す。


「二人とも、ゆっくり話し合ってよ」

「……アイリス」


 私達を部屋に押し込むように扉を閉めるアイリス。私とマリアは部屋に二人きりで取り残されてしまった。


「……ミシェルさん……あの……」


 私のマントを身体に巻いたままのマリア。その下は下着一枚だ。二人きりになったためか、そのことを変に意識してしまい、私は何だかそわそわしてしまった。


 マリアに何か着せた方が良いだろか。


 そう思い私は彼女に与えるため上着を脱ぎ始めたのだが____


「ミ、ミシェルさん!? な、何をしていますの!?」

「へ?」


 狼狽えた様子のマリア。突然どうした。


「な、何故服など脱いで……!」

「いや、これは____」

「だ、駄目ですわよ! 二人きりになったからと言ってそんな……!」


 マリアは顔を真っ赤にして私から距離を取った。内股を擦り合わせ、恥ずかし気に顔を背けている。


 ……ああ、何か変な誤解をしているようだ。


「嫌ですわよ! 扉の向こうには彼女達がいるのに!」

「……落ち着いてよ、マリ____」

「不潔ですわ! 不潔ですわ! そういう事、イケないと思いますわ!」


 駄目だ、コイツ。話を聞いてくれない。


 私は脱ぎ終わった上着をマリアに投げ寄越し溜息を吐いた。


「着なよ。マント一枚だと……ほら、色々寂しいでしょ?」

「え? あ……」


 私の上着はふわりと宙を舞いマリアの頭に覆いかぶさる。しばし場が凍り付き、その後、彼女の肩がプルプルと震え出した。


 恥ずかしさのあまり床にしゃがみ込んで頭を抱えてしまうマリア。


「……マリア、何勘違いしてるの?」


 白眼視する私。すると____


「……ミ……」

「ミ?」

「ミシェルさんの意地悪!」


 激昂するマリア。目に涙を浮かべ、激しく吠え立てた。


「上着を下さるのならそう仰ってくれれば良いのに!」

「……いやだって」

「急に服を脱ぎ出すんですのよ、こちらとしてはビックリじゃありませんの!」

「……ごめん」


 凄い剣幕だ。理不尽だが、ここは取り敢えず謝っておこう。


 黙り込む私達。


「……いえ、こちらこそ……その、服、ありがとうございます」


 ややあってバツが悪そうにお礼を言うマリア。私が渡した服を手に取る。


「スカートも貸そうか?」

「え、でも……貴方は……」

「代わりにマント返してよ。私はそれで良いからさ」


 シャツとスパッツ。その上にマントで私は十分だ。一応男性なので、その辺のことはマリアよりは大雑把だと請け負っていい。


 私はスカートを脱ぎ出す。途端、マリアが顔を両手で覆い、指の隙間からじろじろとこちらを見つめて来た。


 ……ちょっと、何だよ、その仕草。やめてくれない?


「……マリア?」

「な、何ですの?」

「いや、あの……そう言う見方されると……凄く不快なんだけど」


 覗き見されているようで気味が悪い。変に意識してしまう。


「ご、ごめんなさい……その……綺麗な太腿だなと……思っていまして……そしたら何だか……直視するのが……」


 うわあ……。何を言っているの、貴方。


「変態」


 顔をしかめ、直球で伝えた。乱暴にスカートを投げ寄越し、私はマリアからマントをひったくる。露わになる下着姿に、マリアは自身の身体を抱いた。


「え、ちょっと……見ないで下さいまし!」

「もう散々見たんだから、今更だよ」

「こ、この……変態!」


 どの口が言うか、と反論してやりたかったが、喧嘩を避けるためにこれ以上は何も言わなかった。


 マントを腰巻にして、ベッドに腰掛ける。私が顔を背ける中、マリアは上着とスカートを着用した。


「座りなよ、マリア」


 腰かけたベッドを叩いた。余計な一波乱があったが、これでようやく落ち着いてマリアと話せる。


「……失礼しますわ」


 躊躇いがちに私の隣に腰かけるマリア。彼女は深呼吸をすると____


「ミシェルさん、まずはその……ごめんなさい」


 深々と頭を下げて謝罪する少女。


「私は長い間貴方を苦しめてきました。それは決して赦されることではありません。それを分かった上で……おこがましいのかも知れませんが、また……」

「どうして、今更」


 マリアの言葉を遮る。声は否が応でも冷たくなった。彼女に対する怒りがまた沸々と沸いて来たのだ。


「どうして、今更私に? アイリスと何かあったようだけど、彼女の影響?」

「……はい」


 俯いた状態のまま、私はマリアの話を聞く。


「アイリスさんに一押しされたこともありますし……それに、私、ずっと見ていましたの、彼女の事」

「アイリスを?」

「彼女を見ている内に、私の中で後悔が募っていきましたの。貴方と親し気にしている彼女が妬ましかった。己の弱さを克服した彼女が妬ましかった。もし、あの時____」


 マリアの声が震えていくのが分かる。


「あの時、貴方の手を取っていたのならば」


 あの時。それは、私がマリアに救いを求め、跳ね除けられた日の事だろう。以降、彼女によるイジメの日々が始まる。


 当時の事を思い出し、頬に受けた打擲を思い出し、私は怒りで震えた。


「今更なんだよ……!」

「ミシェルさん?」

「何もかも、今更なんだよ! 今ここで頭を下げるくらいなら、どうしてあの時……私が貴方に救いを求めた時、手を取ってくれなかったんだ! どうして……!」


 堪らずマリアに掴み掛かる。私と彼女の視線が絡み合った。


 マリアが何を口にするかと思えば____


「……許せませんでしたの」

「……」

「貴方の事が許せませんでしたの」


 私はマリアから身体を離し、そっぽを向いた。


「確かに、私は貴方を騙していた。性別を偽っていたのはこっちに非があるけど」

「違いますの」


 マリアの否定に首を傾げる。その真意が汲み取れず、私は彼女の続く言葉を待った。


「性別を偽っていた事など……本当は些細な事でしたの」

「え?」


 目を丸くする。性別を偽っていたことが、些細な事? 言い切ることに驚いたが、じゃあ、何故マリアは____


「貴方は私の天使……いや、“神”でしたの」

「……“神”?」


 突拍子もなく現れたその単語に唖然とする。


「“ドンカスターの白銀の薔薇”。強く美しく、超然的な貴方は私にとっての“神”に他ならなかった。私は貴方の敬虔な信徒でしたの」


 マリアの口から飛び出る言葉に私は困惑を隠せない。私達は親友だった筈。共に学び、お喋りをして、食事をする。それなのに“神”とは。信徒とは。


「それなのに貴方は私を裏切った。たかだか(、、、、)、性別がバレ、勘当を言い渡された程度で周囲に怯えるなど……“神”にあるまじきことでしたの。許せませんでした」

「……」


 絶句した。


 冗談を言っているのかと疑ったが、どこまでも真剣な彼女の表情がそれを否定する。


 私は頭を抱え、話を要約する。つまり、こういう事だ____


「私に幻滅したって事」

「ええ、それで私は____」

「は? ……バッッッッカじゃないの!」


 呆れて泣きたくなってきた。マリアの荒唐無稽さに私の方まで頭がおかしくなりそうだ。


「幻滅して、それで私にイジメを? ふざけるなよッ! 自分が何を言ってるのか分かってんの!? 勝手に私を“神”だとか崇めて、その勘違いに気が付いた途端、今度は危害を加える……滅茶苦茶だよ! 言ってて恥ずかしくないの、マリア!」

「恥ずかしいですわ」


 まくし立てる私にマリアが答える。


「私は恥ずかしい人間ですの。そして、弱くて臆病な人間でもあります。ですから、貴方が眩しかった。強い力を持つ貴方が」


 強い力はそれだけで人を惹きつける。それは善悪を超越するのだ。


 カネサダは言った。力への意志こそが人間という存在とその行動を説明する原則だと。だから、マリアの発言は堕落しているようで至極真っ当なもの。口にすることが憚られる人間の本性であり、過度な人間賛美が罷り通るこの時代においては、皆が必死に否定する理論だった。


「全部私の一人相撲ですわ。貴方はそこに不幸にも巻き込まれただけ。……本当にごめんなさい」


 頭を下げるマリア。それから乞うように私の手に触れる。


「願わくば」


 切実なマリアの声に彼女の本懐が込められる。


「貴方ともう一度やり直したい。私は貴方の赦しを____」

「赦すものか」


 歯軋りをして俯き、私は苦し気な声を出した。


「私は神でも天使でも聖人でもない。だから慈悲の心なんて、貴方が思っている以上に持ち合わせていないし、貴方が思っている以上に私は意地悪で残酷な人間だ」


 マリアを直視せずに、いや、出来ずに私は告げる。今彼女の痛ましい姿を目にすれば、私の決意が揺らぎそうだったからだ。


「だから、貴方を赦すことは出来ない____でも」

「……でも?」

「……」


 言葉に窮する。“でも”____それは咄嗟に出た言葉だった。


 私は何を言おうとしたのか。でも……何だ? まさか、私は彼女に何か譲歩をしようとしていたのか? それは、許されざることだった。マリアに私は復讐しなければならない。それなのに____


『どうした、ミカ?』


 困り果て、私はベッドに立て掛けたカネサダを見遣る。


 私はどうすれば良い? マリアに何て言えば良い? そう視線で問いかける。


 相棒の絆故か、カネサダは私の心情を察し____


『マリアの奴、随分と身勝手だよな』


 私を教え諭すときの口調だ。


『お前はマリアのお人形遊びに付き合わされたんだ。自分の中で勝手にお前を着飾り、“神”だと崇め、違うと分かれば殴る蹴る。こんな理不尽はねえよな』


 ああ、理不尽だ。だから赦せない。


『ところでよお、お前……マリアが好きか?』


 突然何を言い出すか。


『男はな____男なら、好きな女の我がままや理不尽には黙って付き合うもんだぜ。例えそれがどんなものであろうとな。全財産を貢げと言われれば貢ぎ、自分のために死ねと言われれば死ぬ。それが男ってもんだ』


 それは随分と極論なような気もするが。それにしても、“女の我がままに黙って付き合う”など、カネサダらしからぬ発言だ。


『ただし、女に泣かされた分、男はベッドの上で女を泣かすんだ』


 これはカネサダらしい発言だ。


『だから、だ。もし少しでもマリアに気があるなら……黙って我がままに付き合え。赦せとは言わねえよ。泣かされた分は泣かしてやれば良い。主にベッドでな』


 主にベッドでなって……どうしていつもいかがわしい話に持っていくのか。英雄色を好むという奴か。


 まあ、でも____


 カネサダの言葉が私の答えでも良いんじゃないかな?


「マリアの事は赦せない……でも……貴方がどうしてもと言うのなら……私はもう一度貴方とやり直したい。もう一度友達になりたい」


 マリアを見つめ私は告げる。カネサダの助言に従った言葉だったが、恐らくこれが私の飾らない本心だったのだと、発言後に理解した。


 マリアが目を見開く。その頬が喜びで赤く染まっていくのが分かった。


「……ミシェルさん!」

「か、勘違いしないでよ! 貴方の事、赦した訳じゃないんだから! これからずっと、貴方に酷い事して泣かしてやるんだから!」


 そう言って、私は勢いのままマリアをベッドに押し倒してしまった。


「……きゃっ」


 ベッドの軋む音とマリアの小さな悲鳴が重なる。少女の身体に覆いかぶさる私。それはあくまで弾みの行為の結果だったが、兎に角、私がマリアをベッドの上で組み敷いていることに変わりはない。


「ミ、ミシェルさん……一体何を……」


 半裸状態の私がそんなことをしでかしているので、当然勘違いも生まれる。直前の発言も相まって、マリアは完全に誤解してしまうだろう。


「あ、あの……酷いことって……私、心の準備が……」


 ほらね、やっぱり。当然こうなる。誤解を解こうと口を開きかけ____


「私、ほら、こんな状態ですし……こんな醜い……貴方も嫌じゃありませんの……こんな私なんか」

「……」


 魔導の治癒によりマリアの全身の痣や腫れは消えていた。しかし、黒い十字の焦げ跡は未だに惨たらしく残っている。彼女の手は恥ずかしさそうに、そして悲しそうに辱めの印の一つに触れていた。その指先が僅かに震えている。


 私には耐え切れなかった。悲し気に自分の身体を卑下するマリアが。だから、否定する。


「醜くなんかないよ」

「……ミシェルさん?」

「マリアの身体、とっても綺麗だから。だから、そんな顔でそんなこと言わないで」

「……」


 黙り込み私に潤んだ瞳を向けるマリア。全身の力が抜け、短い吐息を吐いた。


 あ、不味い。これ、もう完璧にそう言う流れになってる。どうしてこうなった。


 と、兎に角、話の軌道を修正して……いや____


「……」


 ごくりと唾を呑み込む。


 もういっそのこと、このまま行ってもいいのでは? だってカネサダも言ってたし。女に受けた理不尽はベッドの上で晴らせって。だから____


「……いや」


 薄くおんぼろな扉の向こうにはアイリス達がいる。皆、私の判断ミスで騎士団に追われる身となった者達だ。今後の事を真剣に模索している彼女達がいる隣の部屋で私は何をやろうとしているのか。とんだ恥知らずだ。


「今は止めておくよ、マリア」


 だから、流れに身を任せていかがわしい事をするのは良くない。少なくとも、今は止めておこう。


 身体を起こし私は居住まいを正す。遅れてマリアが上体を起こした。


「あの、ミシェルさん」


 揺れるマリアの瞳。朱が差した頬を茹で上がらせ、遠慮がちに私に手を伸ばす。


「ん?」

「そ、その……友達の証に」


 友達の証?


 私との距離を詰めるマリアは、目を瞑り____


「なっ!?」


 頬に湿っぽく温かい感触。肌からその柔らかな花弁が離れた時、彼女の金髪が私の鼻先をくすぐり、ふわっと甘い匂いを伝えた。


「な、な、な……マ、マリア……キ、キ……キスを?」


 私はマリアにキスをされたのだ。頬にだが、それは初めての体験だった。


「ゆ、友情の証ですわ」

「……ゆ、友情?」


 私が唇の触れた頬を手で押さえる中、マリアは自身の唇に手を添えていた。互いに声が震えている。


「アイリスさんにもしたのでしょう?」

「え?」

「友達同士なのだから、キスぐらい、と」


 もしや、その事案をご存知で? おそらくアイリスが話したのだろう。


『キスされたぐらいで狼狽えるな、童貞』


 カネサダの厳しい言葉。ムカッとした。


「ミシェルさん……その、嫌でしたの? ごめんなさい、まだ私の事、友達だと認めて下さらないのですね」


 暗い口調で呟くマリア。

 どうしてそんないじらしい事を言うのか。そんな事言われたら、私は____


「……」


 マリアの肩を抱く。一度呼吸をした後、私は彼女を引き寄せ、その頬に口付けをした。


 それは数秒間の接触。


「ミシェルさん」

「……友情の証……一応、ね」


 照れたように私は言う。惚けたマリアの視線を受け止め、私はそっと彼女の手を握った。


 頬に感じたマリアの唇の感触と唇に感じたマリアの頬の感触。私は悔しいが、復讐の成就とはまた違った幸福を覚えていた。


 なので、自覚してしまう。


 やはり、私は何だかんだ言ってマリアのことが好きなのだ。今はまだ、憎しみの感情の方が強いかもしれない。


 赦しの日は遠いのかも知れない。


 私達の間には大きな亀裂が残されている。


 でも、きっといつか____

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