第二十七話「牢破り」
「い、いや! ぶ、ぶたないで! ぶたないで下さい! お願いします!」
首都エストフルトの路地裏。頬に一撃を喰らった騎士が目に涙を浮かべて私に哀願する。
「殴られたくなかったら、素直に知ってること全部話して貰えますか?」
私がそう脅す相手はマーサ隊の騎士。現状を把握するために先程拉致して来た相手だ。
騎士団本部を出た私とラピスは、騎士達に囲まれ、国家反逆罪で逮捕されることになった。しかし、私達____主に私は抵抗。武器を取り、騎士達を返り討ちにした。
一部隊程度の人数が相手だったが、相手は実働部隊ではなく、事務官騎士や刑吏騎士、即ち既に武力としての一線を退いた者達の集まりだ。急ごしらえの集団だったのか、統率も連携なく、唯一歯ごたえのある者は指揮官騎士程度だったので、余裕の勝利だった。
全員を峰打ちで昏倒させた後、私はその場にいたマーサ隊の騎士を捕える。その後、怯える彼女を人目のつかない路地裏まで引っ張って来たという訳だ。
「は、話します! 何でも話しますから!」
泣きじゃくるマーサ隊の騎士から私は話を聞く。
まず、私達が国家反逆罪で逮捕される運びとなった経緯。これは予想通りの事だったのだが、ベクスヒル本家が長女マーサの罪を隠蔽するために、私達に冤罪を被せ、抹殺しようと目論んだらしい。
「……アイリス達は?」
重要なのは、今アイリス達がどうなっているかだ。私はやや血走った目で騎士に尋ねていただろう。
「み、皆、捕らえられています! 拘置所に……アイリス、ミミ、サラ……皆……!」
「彼女達はどうなる?」
「ゆ、夕方頃に監獄の方へ送られ、その後は……」
「……夕方に?」
私は騎士を突き飛ばし、腕を組んだ。ラピスを見遣って____
「すぐに助けに行きましょう」
私の言葉に顎に手を添えるラピス。目を瞑り、逡巡の後、静かに頷く。
「そうだな。助けに行くしかない。見捨てる事は出来ん。多少手荒な真似をすることにはなるが……今の私達には、もはや選択肢は残されていない」
先程、騎士達に剣を抜いた時、ラピスは私を止めなかった。手荒な真似を嫌う彼女だが、自分達の置かれている状況を瞬時に察したようだ。話し合いではどうにもならないこの最悪の状況を。
最早、暴力によってしか、命を繋ぐことが出来ない。大人しく捕まれば、口を封じられ、そのまま処刑台に直行だ。
私はマーサ隊の騎士に蹴りの一撃を加えて意識を奪った。そして、すぐさま拘置所へと向かう。
「……見通しが甘かったですね」
拘置所へと向かう道中、私は周囲を警戒しながらラピスに呟く。遠方で怒鳴り声を聞いた。私達を追う者達のものだろう。
「私の判断ミスです。……私達は……」
カネサダに手が伸びる。
「彼女達を殺しておくべきだったのです」
「ミシェル?」
ラピスがややぎょっとした瞳を私に向ける。
「皆殺しにしていれば、少なくとも“人質を取ってクーデターを計画した”なんて理論は成り立ちませんし……死人に口なしと言うように隠蔽の隙を与えずに済んだのかも知れません」
「……」
ラピスは同意も否定もしなかった。ただ不安げな目で私を見つめている。
表通りの移動は避け、人通りの少ない道を経由して拘置所への道を往く私達。
時刻は昼前。夕方までだいぶ時間があるので、下手に急いだりはしない。目立たずゆっくり皆の救助に向かう。
昼過ぎ、私達は拘置所近くの茂みに到着。建物の周りを十名程の騎士達が固めていた。
私は息を吸い____
「ラピス副隊長は私の後ろから付いて来てください」
「分かった」
「派手に暴れるんで、なるべく離れていてくださいね」
私はカネサダを抜き放って、一歩前に進む。
「行きますッ」
地を蹴り、茂みから飛び出す私。まずは真正面にいた騎士二人に峰打ちを放ち意識を奪う。
不意打ちは成功。地面に崩れ落ちる騎士達を横目に、次の騎士を襲撃する。
「き、貴様……ミシェル……!」
狼狽える騎士達。彼女達はエストフルト第一兵舎所属のクレア隊だ。サラが“罠係”として仕えている部隊の。
「はあッ!」
カネサダを振るう。未だ動揺から立ち直れないでいる騎士達。そのため、ものの数秒で半数の騎士達を昏倒させることが出来た。
私がここに戻ってくるのが予想外だったのだろうか。兎に角、彼女達が乱れているのは好都合だ。
「……れ、連絡を!」
この事態を自分達だけで対処することが出来ないと察した騎士が、仲間を呼びに離脱を試みる。
しかし____
「____はあッ」
「……ぐふっ!?」
茂みから突如飛び出したラピス。剣の腹で思い切り離脱中の騎士の頬を殴り、気絶させる。
「ミシェル、そっちにも逃げたぞ!」
そして、すかさず私に指示を飛ばす。私はすぐさま逃亡する騎士に疾駆し、無防備なその後頭部に一撃を食らわした。
他にも防衛を放棄して救援を呼びに立ち去る騎士達がいたが、ラピスが咄嗟の判断で彼女達の足を氷の矢で射止め、この場に縛り付ける。私は彼女の援護に感謝しつつ、騎士達を一人一人昏倒させていった。
時間にして数分。
外の騒ぎに拘置所内から慌てて飛び出してきた騎士達を含め、この場の戦力の制圧が完了する。
「さすがです、ラピスお姉様!」
やや興奮した口振りでラピスの助太刀に賛辞を贈る。彼女のおかげで、ずっと楽に騎士達を片付けることが出来た。
「そちらこそ、見事な戦いぶりだった……妹よ」
剣を納めるラピス。どうしたんだ、ノリが良いぞ。
倒れた騎士達を尻目に、私達は拘置所の中へと入っていく。敵襲を警戒しつつ、牢屋の方へひた走った。
「……ミシェル君?」
「サラ! 無事?」
「うん」
まずは、サラの監房を発見。少しだけ疲れた様子のサラ。手錠により両手が背後で拘束されている。きちんと服は着せられていて、乱暴も受けたような様子はないので取り敢えずは一安心した。
私はカネサダを引き抜き、白刃で錠を断ち斬る。扉を開いて監房の中に入った。
「じっとしてて。手錠を切るから」
しゃがみ込み、複十字型人工魔導核に意識を集中。サラの手錠を手で包み、錠の部分を焼き切った。
「ありがとう、ミシェル君」
「いや、ごめん……こんな事になって」
戒めから解放されるサラ。お礼を述べる彼女に私は頭を下げる。
「使って、サラ。ここを直ぐに出る」
私は倒した騎士達から奪った複十字型人工魔導核をサラに手渡す。サラは黙ってそれを胸元に装備した。
「行こう!」
廊下に出ると、やや離れた場所の監房内で、ラピスがミミの手錠を壊しているのを見かけた。ミミの事は彼女に任せよう。
後は、アイリス。彼女は何処にいる?
「アイリス! 何処!? 返事をして!」
「ミシェルちゃん!」
アイリスの声だ。私はすぐさま声の聞こえた監房に向かい、先程同様白刃で錠を壊し、荒々しく中に入った。
「……良かった、無事みたいだね」
地面に座り込むアイリス。手酷い真似をされた様子はない。私は安堵の吐息を吐いて彼女の手錠を魔法で焼き切る。
「さあ、ここを出よう! これ、装備して!」
「ミシェルちゃん、待って!」
騎士から奪った複十字型人工魔導核をアイリスに手渡す。彼女の手を引いて廊下を走りだそうとすると、ぐっと押し留められた。
「どうしたの、アイリス?」
首を傾げる私に____
「マリアちゃんを!」
「マリア?」
悲痛な叫び。アイリスが指をさす。つられて私の視線がそちらに向いた。
それはアイリスが捕らえられていた監房の対面。鉄格子の向こう側に変わり果てた姿の彼女がいた。
「……マリア!?」
叫ぶと、彼女は生気のない目をこちらに向け、小さく口を開く。
「ミシェル……さん……?」
弱々しく私の名を呼ぶマリア。
胃袋から何かが込み上げてくるような感覚を抱いた。
マリア____下着姿で両手を背後で拘束されている彼女の全身には赤黒い痣、そして黒い十字の焦げ跡が見られる。それは重罪人の肌に刻まれる筈の辱めだった。
よく目を凝らすと無数の裁縫針が肌に突き刺さっており、そこから僅かに垂れた血の痕が干乾びたグロテスクな紋様を描いている。
一体全体、どうして彼女がそのような状態で監房などに入れられているのか。
口元を手で押さえる私にアイリスが涙声で迫る。
「マリアちゃんが私を庇ってくれたの! 私の代わりに、マリアちゃんが!」
「……マリアが?」
「朝、そしてさっき……マーサ隊長にマリアちゃんは……!」
ぐいぐいと私の腕を引くアイリス。
「ねえ、マリアちゃんも連れていこうよ! マーサ隊長、また夜に……そしたら、今度こそマリアちゃん……!」
「落ち着いて、アイリス」
アイリスを宥め、私はマリアの前にしゃがみ込む。鉄格子越しに彼女の様子を窺った。
視線が合うと妙な空気になり、私は小さく彼女の名前を口にする。
「……マリア」
「……ミシェルさん」
見つめ合う私達。ぎゅっと胸元を押さえ、私は苦し気な声を出した。
慰めの言葉を呑み込んで____
「……自業自得だよ……私の事、マーサに報告なんかするから……」
「違うよ、馬鹿ミシェルちゃん!」
「いたっ」
頭を後ろからアイリスにはたかれる。私は驚いた目を背後に向けた。
「マリアちゃんはしっかりと黙ってたんだよ! どうして、そんな酷いこと言うの!?」
「……いや、でも……」
「ミシェルちゃんとマリアちゃんの会話、聞かれてたんだよ! マリアちゃんがマーサ隊長に報告したわけじゃないんだよ!」
「……」
そう言えばあの時____朝食後のマリアとの会話の後、私は何者かの視線を感じていた。あれは、気のせいではなかったのか。
「……ねえ、マリアちゃんを助けて、ミシェルちゃん」
「助ける? マリアを?」
「ここから連れ出さないと、また酷い目にあっちゃうよ!」
「……」
懇願するアイリスに私は渋った声を発する。マリアを助けるなど……そんな事……。
すると____
「ごめんなさい……ミシェルさん……」
私が困ったようにアイリスの顔を見つめていると、マリアが泣きじゃくりながら声を絞り出した。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
謝り続けるマリア。私は肩をすくめて____
「いいよ。マリアがマーサに報告した訳じゃないんだよね。信じるから」
「違いますの……」
首を横に振るマリアはぎゅっと唇を噛みしめた。
違う? やはり、マリアがマーサに? と思ったが、どうやらそれとは別の話をしているようで____
「今まで……ごめんなさい……貴方の事を傷付けて……私は……」
「……」
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
マリアが何に言及しているのか、何を伝えようとしているのか、私は理解し、心が凍り付く思いをした。
……。
今まで、ごめんなさい?
なんだよ、それ。
私は鉄格子を掴み、乱暴な声を発した。
「何だよそれ! ふざけるなよ!」
「ミ、ミシェルちゃん!?」
彼女は謝罪しているのだ。今までの行い。友情に背いたあの日の事。どうして今このタイミングなのかは分からないが、兎に角、私としては今更と言う感じだ。
アイリスのぎょっとした声を無視し、私はマリアに吠え立てる。
「今までごめんなさい? まさか、それで赦して貰おうだなんて……そう思ってるんじゃないよね? 私が今まで味わって来た苦しみは、そんな一言で片付くものじゃ……」
「分かってますわ」
静かなマリアの一言。
「もしかしたら、これが最後になるかも……しれませんわ……ですから……私……貴方に……」
「……」
「自己満足なのは分かっていますわ……赦して欲しいだなんて言いません……私はただ____」
「ふざけるなッ!」
激昂し、私は監房の扉を思い切り蹴飛ばす。魔導の力が込められたその一蹴りは、扉をひしゃげさせ、錠ごと破壊し、奥の無機質な壁へと吹き飛ばした。
「どうした、ミシェル!?」
派手な音が拘置所内に響き、離れた場所にいるラピスが驚いて声を上げる。私はマリアに駆け寄り、その手錠を魔法で焼き切った。
「最後になるかもしれない? ……最後になんかしてやるか!」
「……ミシェルさん?」
改めて目にし、認識する。
傷だらけで痛ましいマリアの身体。それはやや現実離れした光景だった。
金色の綺麗な髪に、上品な顔立ち。名家のお嬢様である彼女の姿とは思えない無惨な姿。私はショックで立ち眩みを覚えたほどだ。
ぶたれて腫れたマリアの顔を直視する。私は歯ぎしりをして、その頬を掴んだ。
「これで終わりになんかしてやらないぞ! ずっと、ずっと……私は貴方に苦しめられてきたんだ! この先、何度も何度も、貴方に仕返しして、苦しめて、泣かせて、謝らせて……それから……それから……!」
言葉にしている内に私の目からは涙が溢れて来た。洟を啜り、私はマリアの身体に刺さった無数の裁縫針を抜いていく。
「死ぬほど後悔させてやる! 私を裏切った事……あの日の事……だから……!」
裁縫針を身体から抜く度に、マリアが痛みで震えるのが分かる。針先に付着した僅かな彼女の血。見ていると、怒りが込み上げてきた。それは何に対する怒りなのか。認めたくはないが、私はマリアのために____
「だから、今はまだ……!」
裁縫針を抜き終わり、私は自身のマントを外してマリアをそれで包んだ。そして、彼女の手に複十字型人工魔導核を忍ばせる。
「今はまだ、私のそばにいろ……マリア!」
「ミシェルさん……」
マリアの目から溢れる涙。彼女は私が寄越したマントに顔を埋めると、その内側の布でごしごしと目をこすった。
悔しい。
マリアが憎くて堪らない。それはもう、この手で殺してしまいたいくらいには。
それなのに____
私はまだ、忘れていなかったのだ。
マリアと過ごしたあの日々。その温かさを。幸福を。
悔しいし、情けない____
私は涙を押し留めるように目をこすり、マリアの手を引いた。
「さあ、立て! ここから出よう、マリア!」
誘われ、立ち上がるマリア。ややよろけて、私の胸に倒れ込む。
ほんの一瞬だけ、私は彼女の身体をぎゅっと自身に抱き寄せた。
本当に一瞬だけ。それは憎々しくもあり、愛おしくもある抱擁だった。