第二十六話「マリア:灸」
「こら! その娘はそのままでよろしいと言ったではありませんの!」
「で、ですが、マーサ様……彼女は、マリア様は……」
「いいから! マリアの事は私に任せて下さいまし!」
いつの間にか、朝になっていた。監房内には小さな出窓から僅かな朝日が差し込んでいる。
私は薄目を開け、目の前をぼんやりと眺めた。
鉄格子の前、マーサお姉様が見知らぬ騎士と何やら揉めている。
「これは私達姉妹の問題ですの! 良いからお行きなさい!」
「……かしこまりました」
私の監房の前に立つお姉様は、下着姿ではなく、きちんとした騎士の制服に身を包んでいた。手錠も勿論掛けられていない。
彼女は私の起床に気が付くと、牢屋の扉を開け、そして____
「おはよう、バカマリア」
「……ぶっ! ……お、お姉様……」
地面に横たわる私の頬を靴底で踏みつけた。
「昨日はよくも生意気言ってくれましたわね? 一晩経って、頭が冷えましたかしら?」
「お、お姉様……他の皆さんは……」
「皆さんは無事解放されましたわ。貴方を除いてね」
「……」
やはり、此度の一件、ベクスヒル家、いや騎士団はその事実を隠蔽するつもりか。私達の罪を隠し、しかも____
「ここから出しなさいよ! 私達はクーデターなんて! ふざけるな!」
「……ミミさんの声!?」
少し離れた場所でミミさんの怒鳴り声を聞いた。
「ミミ・ゴールドスタインだけではありませんわ。昨夜言いましたわよね? 皆、国家反逆罪で処刑台に送ると」
「……!?」
ミミさんだけではない。恐らく他の皆も捕らえられているのだ。この暗い拘置所の中に。
「残念な事にミシェル・ドンカスターとラピス・チャーストンの姿が見当たりませんけど……まあ、捕まるのも時間の問題ですわ」
「……」
「……さて」
お姉様は残忍な笑みを浮かべて、私の髪を掴んで引っ張り上げた。抵抗できない。私は未だに下着姿のまま両手が後ろ手に拘束されている。
「……いっ」
「教育の時間ですわよ」
痛がる私を前に、お姉様は懐から何かを取り出す。それは、判子だった。
「“東世界”には灸をすえると言う言葉があるらしいですわ。悪い子にお仕置きをするという意味らしくてよ。ですので……」
私の肩に判子を押し当てるお姉様。途端____
「……あ、熱っ……あああああああああああああああああああああああああああ!?」
判子を押し付けられた肌に尋常ではない熱さを感じ、私は叫び声を上げる。
肌が焦げる臭い。私は目に涙を浮かべ、身をくねり、お姉様を振りほどいた。
「……はあ……はあ……」
「灸をすえて差し上げますわ! 逃げるんじゃありませんの、マリア!」
地面に身を丸め、判子の押された肩を見る。そこには黒い十字の焦げ跡が付いていた。
ひりひりと痛む肌。私は身体を転がし、お姉様から距離を取った。
「……や、やめてくださいまし! そ、そんなもの!」
判子の正体。あれは被差別階級の重罪人に印を付けるための魔道具だ。そのようなものを使われるなど、屈辱極まりない。
「この、馬鹿妹が! 大人しくなさい!」
「あああああああああああああああああああああああああああああああ! いやああああああああああああああ!」
私に飛び掛かり馬乗りになったお姉様は臍の近くへと判子を押し付けた。
腹部に感じる熱さと痛みに、私は失神しかける。
「あははははは! ほーら、よーく御覧なさい! 自分の今の姿を! 貴方にお似合いですわよ!」
肩、そして腹部に付けられた黒い十字に私は絶望する。目からは涙が溢れて来た。
「さあ、まだまだ行きますわよ……もっともっと、貴方に____」
「やめて下さい!」
拘置所に響く凛とした声。
「マリアちゃんから離れて下さい! 貴方の妹でしょう!? どうしてそんな酷いことを!」
それは私の対面の監房から響いた声。その声主は____
「……アイリスさん」
首を伸ばし、鉄格子の向こう側を見つめる。服は着せられているが、彼女も私と同様に両手を背後で拘束されているようだった。
「平民が……生意気なことを……」
お姉様は立ち上がり、額に青筋を立ててアイリスさんを睨んだ。
「どうやら、貴方にも灸をすえる必要がありそうですわね」
お姉様の手元の判子が不気味な輝きを放ったように思えた。私に背を向け、アイリスさんの監房へと向かうお姉様。
……いけない!
「やめて下さいまし!」
「……いたっ!」
私は咄嗟の判断でお姉様の足元に飛び付き、その足首に噛みついていた。
「……マ、マ……マリアあああああああああああああああああああああああ!」
「ぐえぇっ!?」
途端、お姉様は発狂したように叫んで私の頬を蹴り上げ、怒りのままに何度も腹部を踏みつける。
「この! この! この! 愚妹の分際でよくも! よくも私の足を! この! この! 死ね! 死ね!」
「ああ! あがっ! ぐぅ!? ぐえっ!」
必死に痛みに耐え、私はそれでも____
「ア、アイリスさんには……絶対に……手を……!」
「……!? ……く、この……!?」
もう一度お姉様の足元に飛び付く。彼女の足首に歯を立て、抵抗した。
「離れなさいまし! このゴミ屑!」
「……マリアちゃん!?」
蹴り飛ばされ、壁に叩きつけられる私。
肺がつぶれそうだ。痛みと恐怖で震えが止まらない。
だが、まだ意識はある。だから、守らなければいけない。アイリスさんを見捨ててはいけない。歯を食いしばり、私は叫んだ。
「この負け豚!」
「……!?」
私の言葉にお姉様が石像のように固まる。
「アメリア隊長に学業で負け、出世で負け、おまけに胸の大きさでも負ける……ベクスヒル家の面汚し! 連戦連敗の負け犬! 負け豚!」
「……マ、マリア……あ、貴方……!」
それは昨夜、ミシェルさんがお姉様に投げかけた罵倒だった。
効果はてき面のようで、見る見るうちにお姉様の顔が真っ赤になっていく。
「マリアあああああああああああああああああああああああああああ!」
「……あ、ああ……ああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
頬に判子が押し当てられ、熱が私を苦しめる。
「この馬鹿妹が! この馬鹿妹が! この馬鹿妹が! この馬鹿妹が! この馬鹿妹が! よくもそんなたわけたことを!」
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
怒号と絶叫。
一度肌を離れた判子は、今度は額に押し付けられる。
その後はまるで地獄の様だった。
絶えない痛みが私を支配し、人間としての尊厳は徐々に削がれていった。
身体に増えていく黒い十字。初めの内は一つ増える度に屈辱や羞恥を覚えていたが、次第に何も感じなくなっていった。
熱と痛みの果て____
「……はあ……はあ……良い姿ですわ……マリア……!」
「……」
お姉様が手鏡を取り出し、私に今の姿を見せびらかす。
酷い有様だった。身体中、上から下まで黒い十字だらけ。しかも殴られた箇所が赤黒く腫れていた。あまりの醜さに笑いが込み上げてくる。
「……は……あは……はは……」
「なーに笑ってますの? ついに頭がおかしくなりましたのね? まあ、もともと頭はおかしかったですけど」
やや疲れ気味のお姉様。私をさんざん折檻したので息が上がっていた。彼女は大きく息を吸うと____
「しばらく、そこで頭を冷やしていなさいまし」
そう吐き捨てて、拘置所の外へと去って行った。
「……マリアちゃん!」
私を心配するアイリスさんの声。力を振り絞り、私は応える。
「良かったですわ……」
「え?」
「貴方が……何もされないで……」
「……マリアちゃん……私のために」
アイリスさんの視線を感じる。私は身を丸めて、嘆願した。
「その……あまり見ないでくださいまし……」
身体中に付けられた焦げ跡。誰にも見られたくはなかった。
押し黙るアイリスさん。
私は全身のひりひりとした痛みの中、彼女にぽつりと呟く。
「貴方の事が羨ましかった」
「……マリアちゃん?」
「食堂でよく見かけましたの。ミシェルさんと楽しそうに食事をする貴方の姿を」
「……」
アイリスさんが何かを察したように息を呑んだ。
彼女は言葉を選ぶように呼吸を繰り返した後____
「……マリアちゃんも混ざればよかったのに」
「……」
「羨ましいのなら、混ざればよかったのに……今でも未練があるんだよね、ミシェルちゃんに」
「……今更ですわね」
悲し気に私は吐き捨てた。アイリスさんは____
「謝りなよ、マリアちゃん」
「……え?」
「この後さ、ミシェルちゃんに謝るの。それでこれまでの事は赦して貰って……またお友達になれば良いと思うよ」
そんなの、都合が良すぎる。
「……無理ですわ。彼、絶対に私を____」
「ミシェルちゃん、絶対に赦してくれるから」
言い切るアイリスさん。何故、断言できるのか。
「ミシェルちゃん……結構面倒臭い性格してるからさ……まあ、色々あると思うけど……最後には赦してくれるから。私の時もそうだったし」
「それは、貴方だったからですわ! 私は……私など……!」
彼の友情を裏切り、イジメの主犯格となった私。謝っても赦してはもらえないだろう。
「ミシェルちゃんの中にはまだマリアちゃんへの未練があるんだと思う」
「……彼が? まだ?」
「何て言うか……ミシェルちゃん、執着心が強いから……一度好きになった相手を、そう簡単に諦めきれないと思うんだ。マリアちゃんはたった一人のミシェルちゃんの親友だったんだよね? きっとベタ惚れだった筈だよ」
「……ベタ惚れ?」
あまりそう言う感じではなかった気がする。どちらかと言えば、私の方が彼によく懐いていた。
「……アイリスさんは……何だか、よくミシェルさんの事を見ていますわよね」
ミシェルさんの内面に関わることを、こうもすらすらと自信ありげに語るアイリスさんに、私はむずむずとした思いを抱いた。
「ふふ、親友だからね」
「む」
言外に「マリアちゃんは違うけどね」みたいな挑発的なニュアンスを感じ取ったので、少しだけイラっとした。まあ、私の思い込みなのかもしれないが。
私は咳払いをして____
「私、ミシェルさんと一緒にお昼寝したことがございましてよ」
「……へえ」
「サンドイッチの食べさせ合いも致しましたわ。あーんって」
「ふ、ふうん」
思い出話で少しだけ対抗。アイリスさんの声が震えるのが分かる。悔しがっているのか。
アイリスさんは息を吸うと____
「でも、キスとかはしたことないんだよね?」
「……は? キ、キス? 今、キスと言いましたか?」
「その様子だと、まだみたいだね、マリアちゃん」
「貴方、何を仰っていますの? キスなど……ってまさか……」
「ふふ」
得意げに鼻を鳴らすアイリスさん。……いや、まさか……。
「あ、貴方……もしかして……!」
「まあ、頬になんだけどね……回数もまだ2回だけで」
「頬って……どちらがどちらに?」
「ミシェルちゃんが私にね。いやでも、大したことないよ。友達同士なんだからキスぐらいするよね」
その言い方……腹が立つ……! キスぐらいって……!
「まあ、確かにキスぐらいしますわよね! 頬にキスをされた? 私はもっと凄いことされましたけどね!」
「え? もっと凄い事?」
「それはもう森の茂みに連れ込まれて____」
勢いで言い掛けて、昨夜の出来事を鮮明に思い出す。途端、途轍もない羞恥が私を襲った。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「……マ、マリアちゃん!? ど、どうしたの?」
「ああ! 嫌ですわ! 嫌ですわ! ああ! 何なんですの! 何てことを! あの変態!」
堪らず絶叫する。身体の痛みも忘れてジタバタと暴れ回った。
「……マ、マリアちゃん! 何があったの! もっと凄い事って____」
「聞かないで下さいまし! 聞かないで下さいまし! 聞かないで下さいまし! 何にもありませんでしたの!」
「マリアちゃん! 教えて! 何があったの!?」
恐ろしい食いつきを見せてくるアイリスさん。私は昨夜の記憶を脳内から追い出すのに必死だった。
「ミシェルちゃんと何があったの!?」
「あああああああああああああああああああああああああああ! 聞かないでくださいましいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
響く私の奇声。
阿鼻叫喚の拘置所。
はあ……こんな時になんて馬鹿なことを。