第五話「白銀の選択」
カネサダを手に私は倉庫を飛び出す。勢いのまま地を蹴り、屋根へと躍り出た。
「見えない」
カネサダとの遣り取りの間に、魔物はかなり遠方まで逃げたようだ。高所から一帯を見下ろしてもその姿を捉えることが出来なかった。
「貴方と無駄話をしていた所為で」
『お前がグズグズしていたからだろうが』
「……」
私はカネサダの言葉を無視して、倉庫街に目を凝らす。
アサルトウルフの姿はやはり見えない。
しかし、見つけた。細く伸びる血の跡。私の氷の矢により負傷した魔物は、その血液を周囲にまき散らしながら街中を進んでいた。血痕を辿れば、その姿に追いつくことが出来る。
「不味い……市街地の方へ向かっている」
血の道を辿り、その行き着く先に当たりを付けた私は顔を青くする。
『急がねえとヤバいんじゃねえか』
私は頷き、複十字型人工魔導核からありったけの魔導の力を引き出して流星の如く空を駆けた。
魔物の血を追い____私の眼下には遂に市街地がその姿を現す。それは即ち、魔物の人口密集地への侵入を許してしまったことを意味する。
人々の悲鳴が聞こえる。
もう、血の跡を辿る必要はない。悲鳴の元へと私は一直線に向かう。
逃げ惑う人々。その中に、黒い狼の姿が紛れている。
アサルトウルフ____魔物の姿を捉えた。
「……! ……女の子が!?」
魔物は市街地の道の真ん中で四足を広げ、誰かと対峙をしていた。牙を剥き出し、唸るアサルトウルフの先には女の子が一人。
地味な街娘の服装とは相反する美しく長い金髪を待つその少女は、冷や汗を垂らし、魔物をキッと睨みつけていた。
その手がアサルトウルフへと突き出される。
すると、それに応じるように突風が吹き、僅かに魔物の身体を後方へと押し退けた。
吹き荒ぶ風は自然のものではない。
魔法だ。私は目を丸くし、一瞬だけ動きを止めてその光景に見入ってしまった。
少女の魔法は、しかし魔物を退けるには力が不足していたようだ。風が止むと、姿勢を低くしてそれに耐えていた異形の黒い影は咢を開き、少女へと襲い掛かった。
恐怖の色が少女の顔に差す。
『やられるぞ!』
「……させない!」
全魔力を足裏に集中させる。私は屋根を蹴飛ばして破壊すると、砲弾の如く魔物の身体へと飛翔した。
アサルトウルフの牙が金髪の少女を捉える瞬間、風を切る私の身体がその黒い図体に激突し、呻き声を上げさせながら異形の者を露店の一つに吹き飛ばした。
苦し気な魔物の声が聞こえる。さしもの魔物も砲弾の如き速さを伴った私の突撃にダメージを負ったようだ。
しかし、それは私も同じ。いや、むしろ身体の損傷具合は私の方が酷かった。
激突の瞬間に合わせて身体を魔導の力で強化・保護したものの、それでも魔物との直接の接触部位である左肩は無事では済まなかった。動かそうとすると激痛が走り、私の左腕はだらんと下がったままだった。
それに加え、私の全身は血塗れだった。針山のようなアサルトウルフの身体に衝突したことで私の身体はその串刺しになっていた。
流れる大量の血にショックで意識が遠のきそうだったが、それを堪え、私は複十字型人工魔導核の魔導の力を身体修復へと必死に回す。
「怪我はありませんか?」
私の背後、恐怖で腰を抜かしていた少女に一声かける。
「は、はい」
少女は震える声で答える。
その口が何か言いたげに動き出すが____
『前見ろ! あの野郎、まだピンピンしてやがるぞ!』
カネサダの声で、私はアサルトウルフへと目を向ける。
よろよろと立ち上がった隻眼の獣は、私を確認すると威嚇するように吠え、姿勢を低くして臨戦態勢を取った。
『鯉口は切っておけ』
「コイグチ?」
『鍔の部分を指で押していつでも抜刀できるようにしておけ』
カネサダに言われ私は左手を動かそうとするが、鋭く走る激痛がそれを断念させる。代わりに右の親指で刀の鍔を押し、スムーズに動くようになるところまで刀身を持ち上げた。
『左手が動かねえのか?』
「うん」
『分かった。右手を柄にかけて腰を落とせ』
私は指示の通り、刀の柄を右手で握り姿勢を低くした。
『良いか、まだ抜くんじゃねえぞ。あの犬っころがこっち突っ込んでくる。そのタイミングに合わせて、一息に俺を引き抜け』
「まだ抜いちゃダメなの?」
『意表を突くためだ。お前は奴の初撃を回避。真横に回り込んで、鞘から俺を抜き放つ勢いのままその足の一つを両断するんだ』
居合斬りという奴か。アウレアソル皇国では抜刀術が発達していると聞くが、それを再現しろということだろう。
私はじっとアサルトウルフの様子を窺う。その間にも私の身体からは血が流れ、服はすでにたくさんの血を吸っていた。
挑発するようにじりじりとアサルトウルフに近付くと、痺れを切らした魔物はついに牙を剥き私に襲い掛かる。
私は狼の突進を回避、潰れた目の方に回り込み____魔物の死角から、黒い体毛に守られたその足にカネサダを放つ。
「はあッ!」
鞘から抜き放たれた白銀の刃が、アサルトウルフの一足にその一撃を加える。
「ッ!?」
カネサダは言った。俺を手にしたお前に斬れないものはない、と。
……嘘だったようだ。
「いっ……たあ……!」
放った斬撃は硬質化した魔物の体毛に弾かれ、私は手の痺れとともに体勢を崩してしまう。
その身体にアサルトウルフの次撃が迫った。
「……くぅ!」
背中から地面に倒れることで横払いの爪の一撃を回避する私。地面へと仰向けに倒れた衝撃で息が詰まりそうになるが、歯を食いしばって身体を転がし、私はネックスプリングで起き上がった。その際、左肩を始めとする身体の節々が悲鳴を上げる。
私は息を切らしていた。
「うぅ……いっ……たあ……!」
話が違う! 何が全てを断ち斬るだ!
手元の刀に視線を寄越し、非難の言葉を述べようとする私だが____
『この下手くそ!』
「え?」
『何で足の一つも両断できないんだよ、お前!』
「……えぇ」
あろうことか、カネサダにキレられてしまう。
私は声を上擦らせて反論する。
「あ、貴方……貴方の切れ味が足りないんじゃ」
『人の所為にするんじゃねえ!』
「で、でも」
反論したことで、カネサダの怒気はより強まった。
『俺の切れ味は本物だ! ホークウッドはミスリルゴーレムの胴体を易々と両断してたんだぞ!』
「……ホークウッド?」
『世の中で最も硬いと信じられて来たミスリルの身体をも斬り伏せるこの刃に、斬れないものはない。それが出来ないとすれば、剣を振るう者の実力不足に他ならない』
カネサダに言われ、私はムッとする。
「私、これでも騎士学校を首席で卒業した身なんだけど」
『はん! その程度で威張っているようじゃ、大英雄ホークウッドの足元にも及ばねえな』
「ホークウッドって……“救国の悪魔”フランシス・ホークウッドのこと?」
『ああ、この刀の前の持ち主だ』
私は目を丸くしたが、今は驚いている暇はなさそうだ。
アサルトウルフの追撃がすぐさま始まる。
「……っ!」
全身に走る痛みの所為か、私の動きは鈍くなっていた。魔物の攻撃を躱すのもかなり際どい。
『馬鹿! 逃げてばかりじゃ勝てねえぞ! 反撃しろ!』
「……でも」
反撃しろと言われても、斬撃が弾かれてしまうのはつい先ほどその身で経験したばかりだ。目の前の魔物に剣は通じない。
『この下手くそ! 良いか、お前のその振り方は、“斬”っているんじゃねえ! 叩いているに過ぎない! 剣は鈍器じゃねえんだぞ!』
「斬る? 叩く?」
『力任せに振り回せばいいってもんじゃねえんだよ!』
怒鳴った後、カネサダは溜息を吐いた。
『水面の真上を滑らせる』
「え?」
『剣を振るイメージだ。一糸の乱れもなく、水面に刀身を滑らせる。このイメージで斬撃を放て』
カネサダの言葉に私は困惑する。
「何その抽象的な」
説明はもう少し論理的にお願いしたい。
『ああ、クソ! いいから剣を振れ! 感覚の修正は随時行う!』
「そ、そんな」
再び、アサルトウルフの爪撃が迫る。
私はそれを紙一重で躱し、もう一度斬撃を放った。
再び弾かれ、手には痺れが走る。
「いっ!?」
『違う! 下手に地面との水平を保とうとするな!』
カネサダの叱責が飛ぶ。
その間にも魔物の連撃は止まず、私はじりじりと追い詰められていった。
「……はあッ!」
それでも、隙を見つけては反撃の刃を放つ。甲斐なくアサルトウルフの体毛に弾かれてしまうが。
「……血が」
アサルトウルフの攻撃を躱している私だが、それはあくまでその直撃を避けているに過ぎない。魔物の黒い体毛はある程度自由に伸縮し、針のようにこちらを刺してくるので、その度に私の身体には刺し傷が作られ流れる血の量は増えていく。
『ボケっとするな!』
アサルトウルフの身体が迫る。大量の血を前に呆然としていた所為だろう。私は繰り出される爪撃を避けようとはせず、カネサダを振るう事でそれを防ごうとした。
ただ無心に放たれる刃。
余計な思惑の乗らないその白銀の一撃は____
『……!? ミシェル!』
……。
激しく噴き上がる鮮血が、宙に赤い柱を作る。
大量の血は街の道路に赤い絨毯を敷き、壁と言う壁に朱の斑文を作った。
とめどなく溢れる血潮____それはアサルトウルフのものだった。
私の放った白銀の一撃は、狼爪が我が身を引き裂く前に魔物の首を刎ね、鮮血を噴き上げさせながらその頭を地に転がしていた。
綺麗に両断された魔物の頭と胴体から次々と血が溢れ出す。
私は降りかかる血の雨を呆然と受け、真っ赤に染まっていた。
やがて、その口が言葉を発する。
「……な、何が」
困惑する私の耳にカネサダの声が響く。
『上出来だぜ、ミシェル! やれば出来るじゃねえか!』
私を褒めたたえるその声と言葉で、ようやく実感が湧く。あの鋼のように硬い魔物の体毛を、私の一太刀が斬り伏せたのだ。
「……私が……やったの?」
『ああ、そうだ!』
声を弾ませるカネサダ。
『誇れよ、ミシェル!』
赤い血に塗れた刃が、その中で煌めきを放つ。
『お前の勝利だ。お前の“選択”が勝利をもぎ取ったんだ。この俺を手にすると言う“選択”を下したのはあくまでお前だ! その”選択”がなければ、この勝利はなかった!』
「私の“選択”?」
力が抜け、地面に座り込む私。
『人は“選択”をすることでより強く、より幸せな未来を勝ち取ることが出来る存在だ。今までただ周りに流されるだけだったお前が、初めて自分で……己の“選択”でもぎ取った勝利だ!』
カネサダの言葉は続く。
『これからだ……これからなんだよ、ミシェル! お前の“選択”は始まったばかりだ! どん底にあるお前が、たった一つの輝かしい力で以てその運命を切り開く! 濁り、腐り切ったお前のその目! それは、かつての大英雄ホークウッドの目と同じものだ! 俺には分かる……澱んだその目の奥には、強い復讐の炎が燃えている! それは世界を変え得る暗くも輝かしい、俺好みの腐った瞳!』
私は脱力し、カネサダの言葉を黙って聞いていたが、ホークウッドの名前に反応し、口を挟む。
「貴方……ホークウッドの剣だったの?」
『ああ、そうだ。最強の傭兵団“白銀の団”を率いて、リントブルミア王国の為に戦った“救国の英雄”フランシス・ホークウッド____その刃だ』
フランシス・ホークウッド。”英雄の時代”と呼ばれた“ロスバーン条約”以前の戦乱期を生きた伝説の英雄だ。
カネサダはどうやら、彼の英雄の愛刀だったらしい。
『奴もお前と同じだった。腐った目の中には激しい復讐心が燃え、その濁った、行き場のない感情がやがて世界を変えた』
カネサダは恍惚とした声を発する。
『俺はもう一度見てみたい。あの生命の輝き……どん底の薪でのみ燃え上がる復讐の劫火が、多くの人間を巻き込み、世界を切り裂く様を』
私は血の湖の中にいた。視線を巡らすと、先程まで魔物と対峙をしていた金髪の少女が目に入った。彼女は心配そうな瞳をこちらに向けている。
『見せてくれよ、ミシェル』
ぼやける視界の中、カネサダの言葉が____
『どん底にあるお前が、復讐の炎で世界を変える様を』
その声が、私を揺さぶった。