第二十一話「夜襲」
マリアと別れ、向かった先は兵舎の中庭。ベンチに腰掛け、空を見上げる。
私は考え事をしていた。
無論それはマーサの一件に関わる事だったのだが、その中でも今更ながら私が気になっていることは____
「ねえ、カネサダ、秀蓮もマーサの裏切りについて、知っているんだよね」
私の推測の正しさが確定した今、必然的に、と言うより、当然だが秀蓮もマーサの一件を認知していることになる。
マリアに頼まれ、ゴールドスタイン姉妹に呪毒を盛ったのは彼女なのだ。そして、私にも。
「……その、何か、複雑な気分だよ……」
『まさか、アイツが今回の件に一枚噛んでいたとはな』
「呪毒の犯人は、やっぱり秀蓮だったんだ」
犯人とは言っても、その犯行には悪意があった訳ではない。彼女の行為はあくまでも、人を助けるためのものだった。
「秀蓮は」
ぽつりと呟く。
「私を助けようとして、呪毒を盛ったんだよね」
マリアはゴールドスタイン姉妹に呪毒を盛って欲しいと秀蓮に頼み込み、二人の事だけを彼女に了承させた。
だから、マリアの要求とは無関係に秀蓮は私にも呪毒を盛ったことになる。
私を想っての彼女自身の自律した行動だ。友人としてちょっぴり嬉しかった。
『なあ、ミカ……言い辛いんだが、秀蓮の奴、別にお前を助けようとして毒を盛った訳じゃないんじゃねえか』
水を差す様に指摘するカネサダ。
「どういう事?」
『……どういう事も何も』
カネサダは呆れるように溜息を漏らす。
『助けようとしたんじゃない……お前を排除しようとした。そうは考えないのか?』
「……」
押し黙る私。
首をぶんぶんと振り、自分の頬をつねる。
……排除しようとした? あり得ない。秀蓮は他人様に迷惑はかけるが、危害を加えて陥れるような人間ではない。
そんなこと、絶対にない筈だ。
「それはないよ、カネサダ」
『言い切るなあ』
「だって、秀蓮は……良い奴だよ。変な性格してるけど……悪いことするような……」
『確かにアイツは良い奴だよ。でもな……善良な人間は絶対に悪いことはしない……そんなことはないだろう? 良い人間だって、時には悪事を働くもんだぜ』
「……今はそう言う問答は良いんだよ」
『はいはい』
ムキになって言い放ち、私は話を切り上げる。秀蓮に関する、とある可能性を徹底的に否定しておきたかった。
その後、私は夕食時まで一人で過ごす。
アイリスとラピスには引き続き身体検査と取り調べがあるらしく、日中彼女達と落ち着いて話をする時間が持てなかった。
日が暮れた食堂。私は食事を二人の友人と共に取りながら、マリアの姿を探した。朝のように、食後彼女に再び接触を図るためだ。
しかし、おかしなことにマリアは一向に姿を現さない。私は食事の速度を極限まで落として彼女を待ったが、それでもその影の一つも目に留まらなかった。
「マリア、どうしたんだろ?」
食事を終え、アイリスとラピスに別れを告げてから一人呟く。
マリアの不在は何か不吉な予感を私に抱かせたが、多少怪訝に思っただけで、今日は自室へと大人しく戻ることにした。
ベランダの固い地面に座り込み、私は腕を組む。
マリアに接触できなかったため、マーサの一件は何ら進展を見せなかった。明日の朝、もう一度彼女に詰め掛ければ良いだけの話なのだが……妙な胸騒ぎがする。
マリア____果たして、彼女は大人しく口を割ってくれるだろうか?
マリアは不正を嫌う人間だ。今は、その正義の心に頼りたい。
「……いっそのこと秀蓮に証言を……いや、無理か」
今回の件に一枚噛んでいる秀蓮だが、彼女の証言が有益な証拠として見なされる確率は低い。証言はマリアにさせるからこそ価値がある。名家の生まれである彼女の言葉にこそ騎士団を動かす力が宿るのだ。
ごろんと横になる私。
静かな夜だ。あまりに静かで、虫の鳴き声が心のざわめきを代弁しているように感じられた。
次第にうとうととし出し、私は毛布を被る。
本当に静かな夜だった。だからこそ____突如、耳を打ったその音に私は毛布をはねのけて飛び起きてしまう。
「……!?」
窓の内側。カーテンが引かれたその奥から、大きな物音が聞こえてきた。次いで____
「ち、ちょっと、止めなさいよ!」
サラの怒鳴り声。再び大きな物音がして、一瞬静まり返った後、サラではない別の少女の声がカーテン越しに響く。
「ミシェルは何処だ!」
それは私を探す者の声。反射的に身構える私。
「ちょ、ア、アンタ……マーサ隊の騎士よね」
サラの声が問う。
……マーサ隊の騎士?
「良いから答えろ! ミシェルは何処だ! 何故ここにいない! この下民がッ!」
「があっ……ぐぅっ」
殴打の音。そして、サラの呻き声。それに覆いかぶさるように、更なる殴打の音が続く。
……サラ!
カーテンの向こう側で何が起きているのか察し、私の頭に血が上った。
「私ならここだ!」
我慢できず、かっとなって窓を蹴破り、室内に躍り出る。
ガラスの破片が飛び散る中、私の目には騎士に羽交い絞めにされているサラの姿が映った。
一、二、三、四____サラを羽交い絞めにしている騎士を含め四人の完全武装をした騎士達が室内で待ち構えていた。彼女達は突然の私の登場に面食らい、呆然としている。
サラの対面の騎士。彼女に殴打を加えていたであろう者に向かって、私は奇襲の蹴りを放つ。
「ぶっ!?」
私の足が騎士の頭を蹴飛ばし、地面にその身体を横たえさせる。
これを好機と見たサラは、すかさず自身を羽交い絞めにしている騎士の鼻っ柱に頭突きを食らわし、昏倒させた。
「サラ! 下がって!」
「ミシェル君」
私はサラを庇うように自身の背後に隠し、残る二人の騎士達に鋭い眼光を与えた。
見覚えのある騎士達だ。彼女達は、確かマーサ隊の隊員だった筈。
「これは、何のつもりですか?」
尋ねると、騎士達は鞘から剣を抜き放ち、切っ先をこちらに向ける。
「我々に付いて来て頂こうか」
こちらの言葉を無視し、単調に告げる騎士。私は首を横に振る。きっと睨みを利かせ再度尋ねた。
「何故です? 理由を教えて下さい」
「答える必要はない」
「……!」
冷たく言い放ち、騎士が私に斬りかかる。辛うじて斬撃を躱し、反撃の蹴りを放ったが、魔導装甲に攻撃が阻まれてしまった。
先程は不意打ちにより、相手が防御を固める前に奇襲の一撃を加えて倒すことが出来たが、今度はそうはいかない。人工魔導核を持つ者と持たない者とでは基礎的な能力の部分で圧倒的な力の差が生じる。
私は舌打ちをして、部屋の片隅に置かれた自身の複十字型人工魔導核に疾駆する。
それをみすみす許す筈はなく、騎士の剣が私の身体に迫った。
「……ぐっ」
背中を斬られ、血潮が噴き出す。激しい痛みの中、それでも私は複十字型人工魔導核に飛び付き、魔導の力を得た。
力が漲る。
身体を反転。壁を蹴り、宙に躍り出る。そして、背中の流血が尾を引く中、私は騎士に踵落としを放った。
魔導の加護の伴ったその一撃は、騎士の魔導装甲を破り、肩口へ届く。
騎士の口から呻き声が発せられ、その身体がよろめく。だが、昏倒することは無かった。
「クソ、この……みなしごが!」
騎士は悪態を吐き、懐から何かを地面に投げ捨てた。筒状のそれは点火すると共に白煙を噴き出し、室内を白く染め上げる。
白煙にむせ返り、私は強烈な眠気に襲われた。
不味い。催眠ガスだ。
私は瞬時の判断でベランダへと飛び出し、カネサダを掴んで、欄干を飛び越えて野外の地面を踏みしめる。
胸の奥底の魔導核に意識を集中し、“超再生”を発動。催眠ガスによる眠気を吹き飛ばした。
白煙を噴き上げ続ける自室に目を遣る。
そこで、私は自身の失態を自覚した。
ベランダに三つの影が現れる。その内の二つはマスクを装着したマーサ隊の騎士達で、残りの一つは死んだように眠りこけ、両脇を二人の騎士に支えられているサラだった。
「サラ!」
しまった。サラを人質に取られる形になってしまった。
騎士は私に忌々し気な視線を与え、マスクからくぐもった声を発する。
「大人しく我々に付いて来てもらおうか。もし断るのなら……」
「……」
サラの喉元に突き付けられる剣先に私は冷や汗を垂らす。
二人の騎士はサラを支えたまま跳躍し、私の目前に降り立った。悔し気な瞳で彼女達を睨む私。
溜息を吐き____
「何処へ連れて行くつもりですか?」
「……こっちに来い」
私の問いに、騎士は顎で指示し、ゆっくりと歩き出した。
背後を向ける騎士達。たった二人。奇襲を仕掛けようとカネサダに手を添えた所で、白煙噴き上げる自室から昏倒していた騎士達二人が眼前に躍り出て私を挟み込んだ。
気絶からもう回復したのか。起き上がった直後のためか、それとも催眠ガスの影響か、若干足元がふらついてはいるが、それでも両者抜かりなく剣を手に私を鋭い眼で警戒している。
私は小さく舌打ちして、カネサダから手を離した。
前方にはサラを引きずって先行する騎士二人。両脇には剣を構えて私を警戒する騎士二人。私とサラを含めた計六人の集団は、夜の帳の降りた兵舎を抜け出し、野外訓練でもよく使う近隣の森の中へと消えていった。
しばらく大人しく歩いていると、開けた場所に到着。
そこに待ち構えていた者……いや、者達に私は息を呑んだ。
「……マーサ・ベクスヒル!」
目前に現れた裏切り者の名を口にする私。月の光が彼女を照らし、私はその金髪が振りまく残照に憎々し気に目を細めた。
「御機嫌よう、ミシェル・ドンカスター」
応じるように私の名を口にするマーサ。その周りを大勢の騎士達____マーサ隊の面々が取り囲んでいた。私はその光景に絶句する。
何故このタイミングで、このような形で彼女が私の前に姿を現したのか。それを察せない程、私は愚鈍ではない。
マーサが私の動きに勘付いたのだ。彼女とオークの繋がりを糾弾しようと企む私の動きに。
そして、それ故に、彼女は私を排除するつもりなのだ。
驚くべきことは……いや、これは十分に考えられ得る事だったのだが、マーサ隊の面々がここにいる事。即ち、彼女達も知っているのだ。マーサとオークの繋がりを。
マリアだけではない。マーサ隊皆が知っていたのだ。
「私に何の御用ですか、マーサ隊長」
身構え、尋ねる私。マーサは手の平をこちらに向け、愉快な、それでいて冷たい声を発する。
「大人しくしていた方がよろしくてよ」
その言葉と共に、暗闇から浮かび上がるものがあった。
目を凝らし____途端、私は心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚える。
アイリス。ラピス。ミミ。それぞれが後ろ手に縛られ、背後から剣を突き付けられた状態で私の前に現れたのだ。
「……ミシェルちゃん!」
「……アイリス!」
堪らず叫び、私は憎悪の瞳をマーサに向けた。
「どうして、彼女達を!?」
「どうして?」
マーサが嘲笑う。
「貴方と共に皆、始末するためですわ」
「……始末?」
「知っていてよ。貴方、私の秘密をどういう訳か把握しているらしいですわね」
マーサ隊の面々の中にマリアの姿を見つける。青ざめたその表情を私の目が捉えると、彼女もこちらに気が付き、びくりと肩を揺らして顔を伏せた。
……マリア、きっと彼女がマーサに私の事を。
迂闊だった。私はマリアの事を信じ過ぎてしまっていた。彼女の不正を厭う正義の心を。だから、彼女がマーサに私の動きを報告するリスクを軽く見ていた節があった。
しかし、それは全く愚かなことで……恐らくこれは、マリアへの仕返しに舞い上がってしまっていた事への代償なのだろう。
「秘密を知る者は消さなければならない。お分かり?」
「……彼女達は関係ないでしょう」
何が起きているのか全く分からないと言った表情のアイリス、ラピス、ミミ。どうして、彼女達まで巻き込むのか。
「いいえ、貴方が彼女達と____アメリア隊の残党と秘密を共有している可能性だって考えられますわ。ですから……全員まとめて、消しますわ」
「彼女達は何も知らない!」
憤ってカネサダに手を掛けようとする。すると、アイリス達の首元に素早く刃が押し当てられ、私は咄嗟に両手を上げた。反抗の意志がないことを主張する。
「らしいですわね。……しかし、どのみち、もう知ってしまった……ですから、消さなくてはなりませんわ」
何て理不尽な。私はマーサの言葉にぎりりと奥歯を鳴らした。
私の態度が気に入らなかったのか____
「……全く、ドンカスターの腐れ娘が」
マーサは自身の金髪をかき上げ、そして____
「……ぐっ!」
氷の矢が出現し、私の太腿を射抜いた。痛みで地面に膝を着く。
遠距離攻撃魔法。放ったのは、マーサだ。
「すぐには殺しませんわよ」
残忍な笑みを浮かべるマーサ。
「貴方の事は前々から気に入りませんでしたの。“ドンカスターの白銀の薔薇”などと持て囃され、貴方の所為で、学園内での私の名声は霞み____」
「……?」
何の話をと一瞬首を傾げたが、どうやらマーサは騎士学校時代の話を今更持ち出しているらしかった。
そんな昔の話をされてもと、鼻白んでしまう。
「アメリアさん、いえ……あのタルボットの高慢娘だって……!」
「アメリア?」
その名前に食いつく私。マーサの親友であり、彼女が罠にかけた騎士の名だ。
「能力は私の方が上なのに……それなのに……! 私を押しのけて、首席になるなど……! タルボット家の娘の分際で! おまけに、今度は騎士団本部の官僚騎士の内定を! 私が頂くはずだった、官僚騎士の! 許せませんわ……絶対に許せませんわ!」
滲み溢れる嫉妬。その怒りの凄まじさに、私は息を呑む。
「だから、消してやりましたの! ざまあ見ろですわ! 私から全てを奪う、悪女め! 幸運に恵まれただけのアバズレが! でも、その幸運ももうおしまい! 一生、オーク共の慰み者! あの女に相応しい終わりですわ!」
マーサの激しい言葉の内から、私は察する。彼女がアメリアを罠にかけた理由を。
自身が手にするはずだった栄光を奪われたことへの恨み。そして、嫉妬。それらが彼女を突き動かし、此度の事態を引き起こしたのだ。
「アメリア隊長は」
氷の矢を受けた膝を押さえ、私はマーサを睨む。
「貴方の親友ではなかったのですか?」
「あんなの、親友でもなんでもありませんわ! あんな女など!」
マーサの言葉に私は鼻を鳴らして、マリアを見つめた。
「姉妹揃って、親友ごっこがお得意なようで」
「……ミシェルさん」
マリアが何か言いたげな瞳をこちらに向けてくる。私は再び視線をマーサに向けた。
「アメリア隊の皆は、貴方の身勝手な嫉妬に巻き込まれたと言うわけですね」
「下民共の事情など知った事ではありませんわ。私はマーサ・ベクスヒル。ベクスヒル本家長女。やがて、このリントブルミア王国、いえサン=ドラコ大陸の秩序を担う者」
「……だから、そんなお偉い自分の行いは許されるものだと?」
私の言葉に当然とばかりに頷くマーサ。その手の平をこちらに向け、再度氷の矢を放つ。
私は魔法攻撃を回避しようとして____
「動けば、首を刎ねますわよ」
「……!」
アイリス達の首元に当てられた剣が放つ鈍い輝きに、私は回避行動を中断。氷の矢を肩に受けた。
「があっ……!」
「ミシェルちゃん!」
涙を目に浮かべ、叫ぶアイリス。矢を受けた肩を押さえ、私は大丈夫だと視線で伝える。
「賢明な判断ですわ」
氷の矢を引き抜き、私は荒い呼吸を繰り返す。
「一歩でも動いてみなさい。その度に一人ずつ殺していきますわよ」
「……」
「でも、もし貴方が最後まで……死ぬまで私の命令に従うのであれば、彼女達の命だけは助けて差し上げますわ」
私は手の平にべっとりと着いた自身の血と冷酷なマーサの顔を交互に見遣る。
「人工魔導核をこちらに投げ寄越しなさい」
「……ミシェル! 命令に従うな……ぐぅっ!」
身を乗り出して訴えるラピス。その太腿に横から刃が振るわれ、彼女は苦痛の声と共に地面に倒れ込んだ。
「ラピス副隊長!」
傷が深い。ラピスの太腿から溢れる大量の血に私は顔を真っ青にする。
「勝手に口を挟まないで下さいまし、チャーストンの分家娘が」
「……貴様……マーサ……」
「何ですのその目は? ……どうやら、先に死にたいよう____」
「彼女に手を出すな!」
私は慌てて胸元の複十字型人工魔導核を外し、マーサに投げつけた。
「これでよろしいですね?」
「……ミシェル、馬鹿! 何を!」
悲痛な声を上げるラピスとは対照的に、マーサはにんまりと邪悪な笑みを浮かべた。
「ええ、よろしくてよ」
そして、再度彼女は氷の矢を放つ。動くこともできない、魔導の力を失い魔導装甲も展開出来ない私は、それを生身で受け止めるより他なかった。
「ぐうっ!」
今度は爪先に命中。あまりの痛さに失神しかける程だった。
不味い。これは絶体絶命のピンチと言う奴ではないか?
人質を取られ、身動きが出来ない。その上、複十字型人工魔導核を手放してしまった。
先程は咄嗟の事で、マーサの命令に素直に従ってしまったが、あれはとんだ悪手だ。複十字型人工魔導核さえあれば、隙をついて反撃する機会が万が一にもあったのに。
私は頭に血が上っている。友人が私の所為で危険に晒され、冷静さを欠いていた。
「ふふ、あはははは! いい気味ですわ! 貴方も、アメリアさんも! 私から栄誉を掠め取る薄汚いコソ泥は、地に這いつくばるのがお似合いですの!」
不愉快な哄笑を発するマーサ。
異常だ。何もかも異常だ。マーサも。ここにいるマーサ隊の皆も。
暗い森の中、月明かりに照らされる騎士達の姿は、騎士団……いや、世界の秩序が抱える歪を体現しているかのようだった。
“英雄の時代”が終わりを迎え、“ロスバーン条約”により、世界には平和と知性の時代が訪れた。人間はその野蛮さを克服し、所謂人間性を獲得したと、私達は認識している。
だが、それはとんだまやかしだ。
身勝手な嫉妬で仲間を陥れ、その隠蔽のために秘密を知る者達を始末しようとする者。そして、唯々諾々とその命令に従う者達。彼女達が秩序の担い手を豪語するのだから、手に負えない。
「……こ、この……糞ったれ……!」
私の口から飛び出た汚い言葉。その内側に、燃えるようなあの感情が渦巻いていた。
憎い。
マーサだけではない。
どうして、この世界はいつもこうなのだ。
今も、こことは違う何処か別の場所で、力ある者が力無き者を虐げ、その一方で人間の築き上げた平和と知性と秩序への賛美がまかり通る。
騎士団など……世界など……人間など……糞喰らえだ!
力に支配された豚共の分際で、何が平和だ! 何が知性だ! 何が秩序だ!
お前たちの持つまやかしの力など、私の持つ真実の力の前では……!
黄金の力____暴力の前では!
『良い目だ、ミカ』
カネサダの静かな声が聞こえる。
『やばい状況だな。人質を取られ、身動きが出来ない。アイツらを見捨てる選択肢もあるが……このままだと、いたぶられて死を待つだけだ』
絶望的な状況で尚、カネサダの声は弾んでいた。
『こういうのは、あまり良い事じゃねえが……俺に代われ、ミカ』
「カネサダ?」
『俺に身体を貸せ』
カネサダの言葉に私は目を丸くする。
「……身体を貸せって……」
『俺を鞘から引き抜いて、自分の身体を思い切り斬れ。俺がお前の身体に乗り移り、この絶体絶命の状況をどうにかしてやる』
カネサダはその刃で傷付けた相手の身体を乗っ取る能力を保持している。彼が私の身体に乗り移り、この状況をどうにかしてくれると言うのか。
「……出来るの、カネサダ? この状況をどうにか」
『ああ、俺なら……俺の能力なら可能だ……だから信じてくれ』
「……」
カネサダと話し合っている内に、更なる氷の矢が私を襲う。太腿に一撃を受け、私は呻き声を発した。
「何をブツブツと……気持ち悪いですわね」
マーサが侮蔑の瞳をこちらに向ける。私は歯を食いしばって立ち上がり、腰元からカネサダを引き抜いた。
……絶望的なこの局面……カネサダを信じるより他ないか。
「反抗するおつもりですの?」
「……」
嘲笑うかのようなマーサの声。魔導の力も無しに、剣一本でどうするつもりだと、馬鹿にしている様子だ。
私はカネサダを目の前に突き出し、空いている方の手の平で刃を包み込んだ。肌に食い込む白刃。じわりと血が滲み、私の手の内から地面に赤い液体が零れ落ちる。
「……何をするおつもりですの?」
私の行動を怪しむマーサの視線に晒される中、刃を包み込む手の平に力を込め____柄を握る手でカネサダを思い切り斜め後方へと引いた。
カネサダの刃が私の手の内側を斬り刻み、大量の血潮が噴き出す。
私の自傷行為に、一同唖然としていた。
「……気でも狂いましたの?」
顔を引きつらせるマーサを視界に留めた瞬間、私は自身の心臓が大きく脈打つのを感じ、次いで、魂が身体から引き剥がされるような錯覚を覚える。
私の代わりに何か熱いもの____力強い存在感を放つ生命の奔流が身体を巡るのを感じ取った。
私は悟る。
カネサダが私の中に入ってきていることに。
そして____
「……ふふふ……ふはははは! ふはははははははは!」
夜の森に高笑いが響く。
「ふはは! あはは……久しぶりだぜ、生身の身体はよお……あー、でも身体中いてえじゃねえか、クソが……こんな血塗れで」
下品な口調。それは誰の声か? 誰の口から放たれたものか?
「……ミ、ミシェルちゃん……? ど、どうしたの?」
アイリスの不安げな声。それに答えるのは____
「どうもしねえよ、アイリス……ちいとばかし、コイツの身体借りてるだけだ」
それは私の声だった。私の口から放たれたものだった。
しかし、それは私の言葉ではない____カネサダの言葉なのだ。
カネサダが私の身体を乗っ取ったのだ。
『カネサダ、成功したの?』
「ああ、無事な」
脳内だけに響く私の声。私とカネサダの存在は今や逆転していた。身体も私の思ったように動かない。完全に彼の制御下にあった。
「……さあて」
私の身体____カネサダは手に握る刀の切っ先をマーサに向ける。
「謝るなら今の内だぜ、豚女」
「ぶ、豚……!?」
「オークとつるむお前は豚女だ。奴らにアメリア隊の調査ルートの情報を流し、罠にかけさせた。この人類の裏切り者が」
カネサダは顔を真っ赤にさせるマーサにいやらしい視線を向ける。
「哀れな女だよなあ、お前はよお……アメリアの奴に学校の成績で負け、出世で負け、おまけに胸の大きさでも負ける。連戦連敗の負け犬。いや、負け豚。教えてくれよ。アメリアの奴に負け続けた気分はどうだ?」
「こ、この……!」
カネサダの侮辱にマーサが目に涙を浮かべる。
胸の大きさは関係ないだろ。
「でも、最後に勝つのは……勝ったのは私ですわ! 今頃あの女はオーク共の玩具! 私がやったのですわ! 私がアメリア・タルボットを! 私の華麗な策略で! ふふ、あはは……あははは!」
壊れたように笑いだすマーサ。カネサダはふっと笑みを浮かべた。
「残念。お前はここでお終いだ。一生、負け豚のままだ」
「はったりを! この状況で何を____」
言い掛け____ぷつりと途切れるマーサの言葉。
そして、ゆっくりと歩き出すカネサダ。刀を肩に担いで、悠々と。堂々と。
カネサダは真っ直ぐマーサ達の元へと向かっていた。しかし、制止の声は掛からない。誰もカネサダを止めない。
いや、それどころか、皆一言も言葉を口にせずに、じっと固まっていた。まるで、時間が止まってしまったかのように。
『……!? カネサダ、これは……!』
私達は無音の世界にいた。気が付けば、虫の声、木々の騒めきすらも聞こえない。
カネサダがにやりと口元を歪める。
「これは俺の“固有魔法”____“時間停止”だ」
『“時間停止”?』
「今、俺以外の時間の流れを止めた」
カネサダは手元の刀を素振りして、アイリスの元に向かう。
「……よっと」
アイリスに剣を突き付ける騎士達に峰打ちを放つカネサダ。続いてラピスの元へ向かい、同様に騎士達に峰打ちを食らわす。ラピスの後はミミ、最後にサラに付いた騎士達に一撃ずつ与え、カネサダは元の場所に戻った。
「はい、一丁上がり」
人質の解放はそれで完了した。
愉快なカネサダの声と共に、世界が時間を取り戻す。
風の音が聞こえ出し、すぐさま峰打ちを貰った騎士達が悲鳴も上げずに地面に崩れ落ちた。
「……!? な、何が……!」
一斉に倒れる部隊の仲間達に、マーサが目を丸くする。
対するカネサダはその様子に腹を抱えて高笑いをした。
「ふはは! ふはははははははは! どうだ、小娘! この俺様の力! テメエらが束になった所で、俺様には傷一つ付けられねえんだよ!」
「……あ、貴方は」
マーサが地面にへたり込み、恐怖の瞳をこちらに向ける。
「貴方は一体何を!? な、何者ですの……貴方は!」
マーサにゆっくりと近付くカネサダ。手の甲に付着した血を舐めとり、残忍な笑みを浮かべた。
「俺か?」
マーサの目の前に佇むカネサダ。刀を振るい、器用に彼女の服を破く。そして、露わになる白肌に口笛を吹いた。
「……ひぃっ」
「俺は____救国の大英雄」
露わになった胸部を隠して悲鳴を上げるマーサに、カネサダは告げる。
「この俺様こそが、フランシス・ホークウッドだ。リントブルミア王国を救い上げたその張本人」
「……ホ、ホークウッド?」
カネサダは片足を持ち上げ、それを地面に座り込むマーサの額に押し付ける。
「ぶふっ」
「たくよお……俺が生まれた頃と何も変わってねえよな、お前らは」
カネサダは溜息を吐き、マーサの服を乱暴に剥いだ。
「かつては“英雄”____この俺様を崇め、今ではその対象が騎士団になり____結局は何も進歩していない。賢くなったつもりでいて、本質的な部分は何も変わらず……テメエら……いや、俺達人間は糞ったれのままだ」
『カ、カネサダ! ちょっと、それは不味いって!』
カネサダがマーサを押し倒し、いかがわしい事をしでかそうとしていたので必死に止める私。
「ああん! ちょっとぐらい良いじゃねえかよ!」
『駄目だよ!』
「……ちっ」
カネサダは頭を掻き、つまらなそうに唾を吐いた。
「しょうがねえなあ、クソ……久々に女を抱きたかったのによお」
何て破廉恥な。私の身体でそう言う事は止めて欲しい。
「……はあ」
刀を振り上げるカネサダ。
「まあいいや……じゃあ、取り敢えず____お前ら全員、眠れや」
その言葉と共にカネサダの”固有魔法”が発動した。
そして、また世界が時間を失う。