第二十話「ミシェル&マリア:元親友」
____Michelle____
今、私が分かっている事。
マーサ・ベクスヒルがオークと結託し、アメリア隊を罠にかけた事。そして、妹のマリアがその事実を知っていて、秀蓮に助けを求めた事。
今後、私がしなければいけない事。
マリアの口からマーサとオークの関係について証言させ、それを証拠に裏切り者を牢屋に放り込む事。
マリアには“私は全てお見通しだ”と言う態度を取っていたが、実の所、私は彼女達の詳しい事情を一切知らない。マーサとオークの関係について。マリアが何処まで情報を掴んでいるのか。正確な部分は全く把握していないのが現状だ。
だが、それは大した問題ではない。
大切なのは、兎に角、マリアの口からマーサとオークの関係について吐かせること。それで、マーサをしょっ引くことが出来るのだ。詳しい事情など、マーサが裏切り者として捕らえられた後、いくらでも聞き出せる。
尋問の夜が明け、私は早朝、久方ぶりに食堂に顔を出した。
食事を取っていると、視界にアイリスとラピス、二人の友人が姿を現す。
私が手を振るより先に、彼女達はこちらに気が付き、安堵の表情を浮かべて目の前までやって来た。
「ミシェルちゃん、久しぶり」
アイリスの言葉に頷く。二人が軍病院に運ばれて以来、ずっと顔を合わせていなかった。それほど日数は経っていないに、何か懐かしさのようなものを感じる。
私達は三人で朝食を取ることにした。
「二人とも無事で何よりだよ。……それと、ごめんなさい。私の所為で二人を危険な目にあわせてしまって」
頭を下げて謝罪をする。彼女達が病院に運ばれたのは、私の所為だった。だから、万が一の事がなくて一安心だ。
アイリスとラピスが顔を見合わせる。
「お前こそ、無事で何よりだ。……その、心配していたのだぞ」
「心配?」
ラピスの言葉に首を傾げる。
「こっちに帰ってから、ずっと人前に姿を現さなかったからな」
「……ああ」
頬を掻く。
「すみません、ちょっと、色々と考え事がありまして……その、一人になりたかったんです」
「考え事? ねえ、良ければ、相談に乗るよ?」
「……うん、ありがとう」
アイリスに曖昧な笑顔を向ける私。考え事と言うのは、中途半端に終わりを迎えた復讐に対する心の整理だったり、後はマーサの裏切りだったりについてだ。マーサの一件は、今この場で気軽に相談できるような事案ではない。彼女達に何か協力を求めるにしても、また日を改めた方が良いだろう。
私がパンを齧っていると、不意にアイリスとラピスがもじもじと何か言いたげに身体を揺らし始めた。
怪訝に思い、食事の手を止め____
「……どうしたの、二人とも?」
「あ、いや……その……」
「ミシェル、その……気にしているか?」
「……気にする?」
何の話だろうか。アイリスもラピスも若干頬に朱が差している。
「その、罠の時の事……」
「罠? ……ああ、あの時は本当にごめん。私のへまで二人を危険に晒しちゃって。この通り反省しているから、どうか許して……」
「あ、その事は全然良くて……その……」
言い辛そうに身をくねらせるアイリス。
「……薬の所為だから」
「え?」
「ほら、薬の所為で、私、私達、ミシェルちゃんに……」
「……あー」
彼女達が何を気にしているのか、察した。
媚薬の効果でおかしくなった二人は、私にいかがわしい事をしでかしたのだ。その時の事に言及しているのだろう。
「アレは、元をただせば私が原因だから……」
「怒ってない?」
「う、うん……全然」
アイリスとラピスに抱き着かれた時の事を思い出し、顔を真っ赤にさせる私。
動揺が伝わり、彼女達も顔を更に赤くさせた。
少しだけ気不味い沈黙が漂う。
私は咳払いをし、何か適当な話題を見つけようとして、ふと遠く離れたテーブルからの視線に気が付いた。
「……」
マリアだ。マリアがじっとこちらを窺うように見つめている。
「……!」
私の視線に気が付くと、マリアは慌てて顔を背ける。
「……マリア」
「どうしたの、ミシェルちゃん?」
「あ、いや……何でもない」
つい、彼女の名前を口にしてしまう。
何だろう。マリアの視線に……モヤモヤとした。何だ、この気持ち。
私はその後、誤魔化すように取り留めもない話を二人に振った。
食後____
アイリスとラピスよりも先に食堂を出て、廊下でマリアを待ち伏せる。
息を潜めて数分。
「おはよう、マリア」
「……! ミシェ……いえ、“罠係”……」
柱の陰から現れた私に目を見開くマリアは、憎々し気な瞳をこちらに向けた。
しばらく黙って見つめ合う私達。私はじりじりとマリアに詰め寄り____
「マーサの事、聞いても良いかな?」
「……」
マリアが無言で目を逸らす。やや震えるその指が私のスカートを指差した。
「その中にあるものは、何ですかしら?」
「中にあるもの?」
「とぼけても、無駄ですわよ。私とお話がしたいのなら、まずはそれを出してからですわ」
肩をすくめ、私は言われるがままスカートの中からとある物を取り出した。
私が隠し持っていた淡く輝く宝石の正体は記録石。映像や音声を記録するための魔道具だ。
「盗聴はあまり感心しませんわね」
記録石に白い目を向けるマリアは、溜息を一つ漏らした。私をきっと睨み____
「昨日はよくも……あんな卑劣な……!」
マリアの言葉に私は面倒くさそうに頭を掻いた。
「そんなことより、話す気になった? ……マーサとオークについて」
私の言葉にマリアは非難するような口調で答える。
「私の発言をその魔道具に記録して証拠とするおつもりなら、素直に頼めばよろしいじゃありませんの。証言してほしいと」
「……お願いしたら、証言してくれるの?」
無言で睨み合う私達。両者、何か意固地になっている様子だった。
「ねえ、貴方……」
マリアは言い辛そうに口を開いた。何度か瞬きをした後、言葉を続ける。
何を言い出すかと思えば____
「私の事……嫌いですの?」
「……え」
「私の事、好きですの? 嫌いですの? どっち?」
何かの聞き間違いだろうかと自身の耳を疑う事数秒、私は大きく溜息を吐いた。
「何でそんなこと聞くの?」
「……」
「愚問だよ、マリア」
そんな事、わざわざ口に出すまでもない明白な事実だった。
「好きな訳ないでしょ。嫌いだよ」
「……ええ……そうですわよね」
きっぱりと伝える。長ったらしい口述は要らない。明々白々の真実を、ただ飾らずに口にした。
少しだけ目が泳ぐマリア。その震える唇が、きゅっと結ばれ、そしてゆっくりと開く。
「いえ……それが聞けて良かったですわ。正直に答えて頂きありがとうございます」
何か吹っ切れたような、落ち着いた様子でマリアは言った。
「……マリア?」
「兎に角」
首を傾げる私。マリアは咳払いをして____
「……お姉様のお話……少しだけ、考えさせてくださいまし」
告げるマリア。彼女の金髪が翻る。
「あ、ちょっと……」
そして、私が次の言葉を発するより先に立ち去ってしまう。一瞬だけ、名残惜しそうな彼女の眼差しがこちらに向けられたような気がしたが、果たしてそれは気のせいだったのだろうか。
「考えさせて欲しい、か……」
離れ行くマリアの後姿を眺めながら、私はカネサダに尋ねる。
「ねえ、マリアは協力してくれると思う?」
『さあ、どうだろうな』
どっちつかずの返事を返すカネサダ。
会話の最中にこっそり彼を鞘から抜いておけば良かった。そうすれば、感情を読み取る彼の能力に頼ることが出来たのに。
と、その時____
「……!」
『どうした、ミカ?』
背後を振り向く私。何者かの視線を感じ取ったからだ。
「……」
『おい、どうした?』
「いや、さっき……誰かに見られていたような……」
気のせいだろうか。つかつかと廊下を逆走し、周囲に目を凝らす。
しかし、誰もいない。
「神経質になっているのかな、私?」
マリアと隠れて遣り取りをしている所為か、ある無い筈の気配を感じ取ってしまっているのだろう。
まあ、でも、周囲を警戒するに越したことは無い。マーサを告発するまでは彼女にこちらの動きを知られるわけにはいかないからだ。
____Maria____
騎士学校の入学式当日。私は白銀の薔薇を象った家紋を胸に下げた少女の姿を見掛けた。
白銀の薔薇____それはリントブルミアの四大騎士名家の一つ、ドンカスター家を表すもの。即ち、その少女こそがドンカスター家奇跡の寵児、ミシェル・ドンカスターなのだと察した。
今でも覚えている。銀色の髪を揺らし歩くミシェル・ドンカスターは、その場の誰よりも美しく、輝いて見えた。
我が一族ベクスヒル家はドンカスター家よりも家格が上である。本来ならば、ベクスヒル本家次女である私____マリア・ベクスヒルがミシェル・ドンカスターに対して萎縮することなどあり得ない。
しかし、日に日に増していくミシェル・ドンカスターの名声は私に強烈な劣等感と激しい羨望を与えていった。
“ドンカスターの白銀の薔薇”____私はミシェル・ドンカスターの事を尊敬していた。いや、崇拝していたといっても過言ではない。
だから、ミシェル・ドンカスターと親友になれた時、私は無上の喜びに浸った。
私達は親友だった。親交を深めていく内に、ミシェル・ドンカスターは私にとってより身近な存在になっていったが、私達が対等な関係になる事はなかった____あくまで、私の中での話だが。
私達は傍目には対等な友人同士に見えていただろうし、ミシェル・ドンカスターも恐らくそのように接していただろう。
しかし、依然として、ミシェル・ドンカスターは崇め奉るべき存在として私の中にあったのだ。
眩しかった。
純粋な力というのは、それだけで、美しく、輝かしく、人の心を魅了する。それを持つ者が奇跡の寵児ともなれば、その者はまさに信仰の対象にもなり得る。
ミシェル・ドンカスターはその熾天使の名の示す通り、私にとっての“神”であった。
しかし、それはまやかし。私の抱いた幻想に過ぎなかった。それに気付かされたのは、ミシェル・ドンカスターが実家から勘当され、男性であることが世に明るみになってからの事だった。
ミシェル・ドンカスターが男性。そんな事は正直、どうでも良かった。
男性であろうが、女性であろうが、彼の持つ純粋な力の前では、そんなもの、取るに足りない些事に過ぎないように思えた。
私は彼に会いに行った。私の変わらぬ“神”を拝みに。
しかし、私が目にしたのは、暴力や暴言に曝され、怯えて縮こまるか弱い人間の姿だった。
「……マリア」
彼の目が私に救いを求める。震える唇が、微かに私の名を紡いだ。
……違う。
こんなものは、ミシェル・ドンカスターではない。私が崇め奉る“神”ではない。
伸びる私の手。それは、彼の手をそっと包みかけ____頬への鋭い打擲へと変わった。
愛は憎しみに、尊敬は軽蔑に形を変容させる。驚き、絶望の眼を見開く彼に向け、私は言葉の限りの罵りを与えた。
何をどう罵ったのかは覚えていない。私は、人生で一度も用いたことのないような汚い言葉を行使し、彼を傷付けた。
私達の関係はその日を境にがらりと変わる。
私は彼のイジメの加害者となり、彼は私のイジメの被害者となったのだ。
苦々しい元親友との日々。憎らしく、しかしそれは未だに____認めたくはないが、私にとって忘れたくはない、大切な記憶でもあった。
昨夜の食堂での出来事を思い出す。
ほんの一瞬だったが、私達は、あの頃の私達に戻れていた……ような気がする。
あれは、彼の演技に過ぎない。その筈なのに、心の何処かで期待するものがあった。あの偽りの笑顔の中にも、砂粒程の真実が紛れ込んでいることに。
モヤモヤとした。
だから、確かめた。彼の中に、私に対する憎しみとは違う感情が残っているのかどうか。
彼はきっぱりと否定した。私に対する想いは既に消え失せていると。
それで良かったのだと私は思う。おかげで、こちらも割り切ることが出来た。……多分。
……。
……はあ。
情けない。近頃、色々とあった所為か、私は心身ともに弱り切っていた。だから、昨夜はあのような無様を晒したのだ。
……それはさて置き。
私はどうするべきなのだろうか?
あの“罠係”に協力するのは癪だが、とは言っても、このままではいけないのは確かだ。
マーサ・ベクスヒル____お姉様の行いは決して許されるものではない。彼女は然るべき処罰を受けなければならない。無論、私達も。
だが、私にどうすることが出来ようか。
お姉様の罪を告発する? そんなもの、出来るのならばもうとっくに____それこそ、ミミさんやアメリア隊の皆がオーク達に連れ去られる前にやっている。
私は弱い。そして、臆病な人間だ。
生まれた時には既に優秀な姉がいて、私はその影だった。
お家の躾により、身体に、魂に刻み込まれている____お姉様には逆らうなと。
一族の誇りであるマーサ・ベクスヒルには逆らうなと。
事実、私はそのように生きてきたし、彼女に抗う事に恐怖を覚えてきた。
なけなしの勇気を振り絞り、秀蓮さんに助けを求めたが、それすらも……その僅かばかりの反逆すらも中途半端に終わる始末。
私の中に、まだ残っているだろうか?
マーサ・ベクスヒルに背く強い心が。
彼女の罪を告発する意志が。
「マリア、ちょっとよろしくて?」
「あ、はい……何でしょうか、お姉様」
朝のミーティングが終わり、お姉様にふと呼び止められる私。他の騎士達が各々の業務に向かう中、私はお姉様の元に駆け寄った。
「先程、ミシェルさんとお話していましたわよね?」
「……!? え、ええ……立ち話を少々……」
お姉様の言葉に私は露骨に肩を揺らしてしまう。あの遣り取りは見られていたのか。
「……どのようなお話をなされていたのかしら?」
「そ、その……取るに足らない、与太話を……」
「嘘」
鋭い言葉と視線を受け、すくみ上がる私。全身から冷や汗が噴き出る。
「何か……私に関わる事……例えば、私とオークとの関係について話し合っていたのではなくて?」
「……なっ!?」
「まさか……その反応、図星のようですわね」
しまった。鎌を掛けていたのか。
お姉様は大きな溜息を吐き____私の頬をつねり上げる。
肌に食い込む爪。痛かったが、恐怖で声が出なかった。
「何故、彼女が……いえ、彼が私とオークの事を知っているのかしら? もしかして、貴方が____」
「わ、私は、何も知りませんわ! 何も、話していませんわ! 本当ですわ、お姉様!」
必死に身の潔白を訴えるも、お姉様は眼光を少しも緩めない。
「マリア、貴方は昔からいつもそうでしたわ。いつもいつも、何か余計な事ばかり。……はあ……貴方に今回の計画を隠し通せなかったのは、私の運のなさ故でしょうね」
お姉様は、それから私を苛立たし気に地面に蹴り倒して、腕を組んだ。
「いたっ」
「貴方を監視しておいて正解でしたわね。この出来損ないの馬鹿妹が。私の足を引っ張るしか能のない凡才の分際で、とんだ面倒事を増やして下さいましたわね」
屈辱的な言葉を投げかけられ、それでも私は反論の一つもせずにただ震えていた。
「まあ、良いですわ。貴方の事は後でみっちりお仕置きするとして、まずは目前のゴミを処分しなくてはなりませんわね」
「お、お姉様、何を……」
「良い機会ですわ。あのドンカスターの腐れ娘は、前から目障りだと思っていましたの。それに、あの妙にお高くとまったチャーストンの分家娘も。この際、皆まとめて____」
お姉様はそれから獰猛な笑みを浮かべ、冷たく言い放った。
「始末しますわよ」